第2話 私ね、大喰らいなの
「…………あぁ。一応人間のつもり、だけど……」
俺がこの言葉を返すのにどれだけの時間がかかったのだろう。その間彼女はずっと、俺の目をまっすぐに見つめていた。少し遠く離れているのに目を逸らしてしまうほど、その圧力は強かった。
「そうなんだ。私は違うよ、人間じゃない」
ニコリともせずに彼女はそう言った。驚きがなかったといえば嘘になる。しかし、驚きよりも納得の方が大きかった、こう言えば嘘にはならない。
どう返答すれば良いのか、言葉に迷う俺を彼女は手招きする。
「ねぇ、もっと近くに来てよ。私、あんまり目が良くないんだ」
そう言って指差す先には何かキラリと光るものがある。
それがカメラのレンズだということを認識するのに、そこまで時間はかからなかった。
彼女を囲う壁のうちのガラスではない真っ黒な板。そこに彼女が見えるように恐る恐る寄りかかって座った俺を見て、彼女も同じように床に座った。巫女装束の長い裾まで抱え込む体育座り。それを見ながら、俺はやはり彼女に違和感を感じていた。
近くまで来て強まったその違和感の正体は、彼女の姿そのものにも起因している。実体がない、どこかそんな印象を感じさせるのだ。
「……なんで祈ってたんだ?」
沈黙に耐えかねた俺の質問に彼女は面食らったような顔をする。
「そっちなの? もっと聞きたいことがあるんじゃない?」
聞いて良いものなのか判断がつかなかったのだ。そんな様子を見とめたのか、彼女はお手本のような苦笑いを浮かべた。
「いいんだよ、聞いても。受け入れられてるなんて言うつもりはないし恨んでもいるけど、それは君に対してじゃない。君は何も悪くない、そう思えるくらいの分別はあるつもり」
「…………話したいのか?」
彼女はただでさえ大きな瞳をさらに見開き、そして目を閉じた。自分の心の中を探るような動作。
再びその目を開いた時には、やはり綺麗な苦笑いが浮かんでいた。もっとも、今回の苦笑いはおそらく彼女自身に対するものだろうが。
「……そうだね。話したいのかもしれない。だって君は、生まれてから二十年で私が出会った、二人目の人間だから」
「二人目の、人間?」
「そ、二人目。……一番じゃなくてごめんね?」
悪戯っぽくわざわざ下から覗き込んでくる彼女に向けて、俺もわざとらしくため息をつく。
「それで、人間じゃないってどういうことだ?」
なんか雑になってる、ムッとした顔で文句を垂れ流す彼女を俺は受け流す。しばらくすると諦めてくれたのか、彼女は渋々本題に入った。
「まずは自己紹介から始めよっか。私は巫結。巫女の巫に結ぶって書いて、巫結。苗字はないよ」
彼女改め巫結に促され、俺も巫結に自己紹介をする。
「俺は三上勇心。三に上で三上、勇ましい心で勇心。実態とは程遠い大層な名前だけど、まあ気に入ってるよ」
「ふーん。私も自分の名前の響きは好きだよ。漢字は嫌いだけど」
そんなことならなぜ彼女は今巫女装束を着ているのか。視線からそれが伝わったのか、巫結は少しだけ袖を振りながらそれに答えた。
「これ? まあ、祈る時はこの方が叶いそうだし、かわいいからいいかなって」
そんなことは置いといて、と巫結は話を続ける。
「私は人間じゃない。おそらく世界で初めて生まれた心を持つ人工知能。政府とこの大学が極秘で二十年前に開発して、それからも育て続けている強いAIの巫結だよ。よろしくね、勇心」
強いAI。つまり、心を持ち人間と同等の知能と学習機能を持つ汎用人工知能。
その対義語は弱いAI。今社会で使われている、人間の知能のように見える心を持たないただのプログラム。人工知能なんて大仰な名前が使われているが、いわば擬似知能のようなものだ。
強いAI。俄かには信じがたいが、彼女が嘘を言っているわけではない。この短い間でも、直感的にではあるが理解できた。
「私の頭は、そこにある」
巫結の指差す先を辿ると、何台ものスーパーコンピュータが並んでいる。
「私の脳は、そこにあるスパコンで演算されてるの。この体も一緒。微粒子に空気を吹きつけてこの空間内限定で完璧に制御、それに光を当てることで実体を持つホログラムを実現してる」
大体三分の一が体の制御だね、と。そう言って彼女は自身と外の空間を隔てるガラスに触れる。
「こうやって私がここに閉じ込められているのは、この外に私は出られないから。ガラスを触るとその感触が私の脳には生まれるし、自分の息がガラスに受け止められて返ってくる感覚だって、感じられる。でもそれはこの中だけのこと。だってそれは、私の体が人間のそれとは違うから。私の生まれが、人間とは違うから。体はただの粒子で、感覚はただの電気信号だから」
彼女の瞳は俺の方を向いていて、俺を見てはいなかった。俺どころか、何も見てはいなかった。
そこから感じる先の見通せない暗闇が、皮肉にも彼女の心の存在を証明していた。
たった今巫結と出会ったばかり俺に、かけてあげられる言葉などあるはずがない。何を言っても、それは人間からの哀れみの言葉だ。自分にはない、羨ましくて仕方がないものを持っている存在からの、何の解決にも繋がらない同情だ。
広く暗い空間を、沈黙が支配した。
俺はただ、ここにいるだけ。巫結に何かをしてあげられる関係性も、能力も持ち合わせてはいない。そのことが少しだけ、悔しかった。
「……まあ、もう二十年だからね。そんなに気にしなくてもいいよ」
たいして気にしてない、口だけでそう言ったその表情にはまだ固さが残っている気がする。
巫結を俺たち人間と同じように考えるのなら、この問題は二十歳の彼女一人に背負わせるには、明らかに重すぎた。
「それと、祈ってた理由だったね」
気を取り直し、明るい口調で巫結は再び語り始める。俺の方を見る瞳は不安定に揺れてこそいるものの、そこから雫は落ちていない。
「雷がここに落ちないように、祈ってたんだよ。……雷のせいでここが停電したら、私は消えちゃうから。この世界から、跡形もなく。何一つ痕跡を残せずに、すべてのデータが消えるから」
その言葉には、消えちゃうなんていう軽い口調とは裏腹に、スパコンよりも重かった。遺体すらも残せずにこの世界から喪われる、その重さもまた、俺には理解できそうもなかった。
「予備電源に切り替えるとかはできないのか?」
その問いに巫結は顔を俯かせた。かかえこんだ両の膝に顔を一度埋め、その後上目遣いで俺を見上げる。
「……私ね、大喰らいなの」
…………は? 一世一代の告白のようにそう言われても、俺には意味がわからない。
わざとらしく頬を染める巫結は、そんなこと言わせないでよ、なんてほざいていた。
俺の無言の圧力が巫結を襲い始める。
「……スパコンはね、すごい電力を使うの。十分な量の予備電源なんて用意しようものなら、それだけで破産してしまうくらいには。せいぜい耐えられるのは十分程度。それ以上停電してしまえば、私は消えるしかない」
「…………なるほどな」
大喰らいとは、電力を消費するという意味だったか。それであれば納得だし、彼女が雷に異常なまで怯えているのも納得できてしまう。
俺がこの部屋に入って巫結を見つけた時、彼女は涙を流していた。祈りながら、涙をこぼしていた。
あれはきっと、恐怖からくるものだったのだろう。自分の存在が消えてしまう恐怖と、戦っていたが故の涙だったのだろう。
「だから私にできるのは、祈ることだけ。ここが停電しないように、神様に祈ってたの。…………科学の結晶が最後は神頼みだなんて、笑えないよね」
「……本当にな」
全くもって笑えない。それに、巫結の命がかかっていると思うと、乾いた笑いすら出てこない。
巫結はそこで体育座りをした腕でぎゅっと自分を抱きしめ、斜め上を見上げた。
「……あの人は一体どんな気持ちで、私に巫結って名付けたのかな」




