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【二章/最終遊戯 開幕】アーカイヴ・レコーダー ◆-反逆の記録-◇  作者: しゃいんますかっと
第一章 監視者<オブザーバー>編

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9話 『緋色の残像』


その夜、街は祝福に包まれていた。

中央広場には人が溢れ、笑い声が絶えず、灯火が夜空を照らしていた。

父と母は誇らしげに微笑み、仲間たちは肩を叩き、誰もが俺の未来を讃えていた。


……これほど温かな空気の中に、彼女を連れて来られたなら。

忌み子という言葉は、ただの迷信に過ぎないと証明できる。


灯火に照らされた家々の中、歌と拍手が響き渡り、俺の胸は誇らしさと自信で満たされていた。


誰も忌み子などと口にせず、ただ俺の隣にいる一人の少女として受け入れてくれる。

俺はそう信じて疑わなかった。


だから俺は、手を引いた。

彼女は俯きながらも、俺の言葉を拒めず、ただ黙って歩いてきた。


けれど――その一歩が、すべてを変えた。


歓声は、唐突に止んだ。

楽器の音も、杯を打ち合わせる音も、ひとつ残らず掻き消える。

ただ、彼女に注がれる数百の視線が、空気を凍りつかせた。


「……っ!」


その視線が彼女の体勢を崩させた。

フードがずれ、赤い瞳が炎に映える。




そしてーー

悲鳴が上がった。

歓声は恐怖に、拍手は罵声に変わる。


「忌み子だ! 駆逐しろ!」

その一言は鎌のように振るわれ、数十の手が同時に石や椅子、ランタンを掴んだ。


火のついた松明が振られ、布が燃え落ち、灯が揺らぐ。皿が床に叩きつけられ、酒が路面を黒く濡らす。テーブルがひっくり返され、木片が飛び散る。狂騒は蜜のように民衆を包み込み、理性は薄い霧のように消えた。


「出ていけ! ここは穢れを入れてはならぬ!」

「お前ら、何してる!? 止めろ!」と叫ぶ者もあったが、声は轟音に飲まれ、届かなかった。群衆は流れに乗る魚のように一方向へと突進する。


俺はマリーの腕を強く引いた。人混みを進ませようとしたその矢先、誰かが突きだした手がマリーのフードを乱暴に掴んだ。フードがはね上がる。赤い瞳が辺りを一瞬で照らし、小さな悲鳴が零れる。


視界が歪む。

両親の顔が、友人たちの顔が、酒宴で笑っていた連中の顔が、憎悪と恐怖で真っ赤に染まっていく。俺の父の手も、母の唇も、冷たく凍っていた。信じていたものが、目の前で崩れてゆく。


「放せ! 何をするんだ!」俺は叫んで、拳で掴んだ男の腕を振り払おうとした。だが数が違った。左右から人の波が押し寄せ、押し戻される。体をねじられ、足がもつれて転ぶ。


ーー繋いだ手が離れた


マリーは一度だけ、こちらを見た。

その瞳の赤は、怒りでも哀しみでもなく、ただ透明な光だった。彼女は手を伸ばし、口を開けようとしたが、その手は虚空をなぞり、言葉は群衆の叫びにかき消される。

代わりに、群衆の一人が松明を掲げ、顔を歪めて吠えた。


「焼き払え! 穢れを祓え!」


誰かが火を放った。跳ね上がる炎が鬨の声を背景に、屋台の端が燃え始める。熱風が吹き、髪や衣が熱に揺れる。香ばしいパンの匂いが焦げた煙に混じり、甘い祝祭は黒い煙へと変わった。


ある男が石を掴んで走り寄り、マリーの頬を打つ。鈍い音。誰かが笑う。少年たちが調子づき、吼え、女たちも手を挙げる。子供ですら、誰かの怒りを真似て拳を振るう。街がひとつの獣になり、喰らいついた。


転がされた先で起き上がり、必死に駆け寄る。

「やめろ! やめろ!」

俺の声はその渦に裂かれた。走り寄ろうとするが、腕が掴まれ、背後から押されて前に出られない。

地面に押し付けられた。

父が真顔で俺を押さえ込む。

母の眼差しは硬く、言葉にならない。

俺の心臓が、耳の中で鳴る。


マリーは地面に膝をつかされ、取り巻きの男がロープを投げつける。彼女の細い手足は慌てて抵抗するが、力はない。赤い瞳が必死に俺を探す。だが、俺は踏み出す隙を与えられなかった。群衆の壁が厚くなり、数人で取り押さえられる。


「両親は、どうして…?」と涙をこぼす。

問いは喉で砕け、代わりに嗚咽が漏れる。母は目を背けた。父は震えていた。その背中に、理性はもう無かった。掟の恐怖が血のように濃く染みついている。


一人、冷静な決断を下す者がいる。団長――ガリウスだ。彼は人並み外れた声で吼え、騎士の列を押し出す。だが騎士たちは戸惑い、民衆の圧力の前で動揺する。掟と民意の間で、彼らの刃は揺らぐ。


「抑えろ! 秩序を守れ!」団長の声も届かない。人々の怒りは既に暴走していた。掟の守護者であるはずの者たちでさえ、同化していく。


マリーの口元に血が滲む。誰かが彼女の髪を引き、その頬を踏む。――それでも、マリーは奇跡のように静かだった。痛みをこらえる表情は、むしろ儚く、凄まじい決意のようにも見えた。誰かがそう叫ぶ。


「呪われた子供、この街の災いだ!」


誰かが松明を押し付けるふりをして、焔の熱を顔に近づける。マリーは目を細め、顔を逸らす。煙が髪を撫で、赤い瞳に小さな炎の反射が映る。


世界が、完全に分断された。

街の一体感は、友愛ではなく恐怖で結ばれていた。俺の足は瓦礫に沈み、口から嗚咽が漏れた。腕の力が抜け、膝が震える。だがまだ、諦めるわけにはいかない。


「マリー、マリー! マリ……!」俺はまた叫んだ。だが口も抑えられて声も発せなくなった。男たちの指が冷たく締めつける。


「…………!!!!!!」


街は燃え、宴は割れ、俺の世界はひとつの決別の音を立てて閉じた。

そこに残されたのは、叫びと煙と、赤い瞳の残像だけだった。



ーーしばらくの間、俺は牢獄にて過ごすことになった。


冷たい石壁、鉄格子の影。

僅かな光さえ届かぬその場所は、時間の感覚を奪い、ただ思考だけを繰り返し蝕む。

俺が「忌み子」を街へ連れ込んだ罪で捕らえられたのだと、看守は無機質に告げた。


……だが、本当の罰は鉄格子ではなかった。

耳に残るのはあの日の怒号、胸に残るのは赤い瞳の残像。

そして――俺の手から離れて落ちた少女の顔が頭の中で駆け巡る。


数日後、俺は突然呼ばれた。

監視者様から直々に、騎士として罪人の処刑を命じるとの事。


嫌な予感はしていたが、処刑台にはやはり罪人の姿は無かった。


処刑台には

――マリーの姿があるだけだった。


淡い橙の髪は乱れ、両手を縛られてなお、彼女の瞳は俺を真っ直ぐに見つめていた。

その赤は、決して恐怖で曇らない。


「リオン……」


胸を抉るその声は、悲鳴ではなかった。

俺の無事に安堵する優しい声だった。


「マリー……」

その姿は決して無事とは言えなかった。


細い両手両足は分厚い鉄の鎖で締め上げられ、白い肌には擦れた痕が赤黒く残っている。

唇は乾き、頬はやつれ、橙の髪は泥に汚れて艶を失っていた。

それでも、鮮やかな赤の瞳だけは、かろうじて彼女がまだ生きている証のように燃えていた。


胸の奥が抉られるような痛みを覚え、俺は息を詰めた。

あれはもう、友と呼べる少女の姿じゃない。

街が、掟が、俺の大切な存在を“罪人”へと作り替えてしまった。


俺は小さく唇を震わせ、周りに気づかれぬように囁いた。

「……俺が装置を壊す。その隙に一緒に逃げよう。必ず……」


その赤い瞳が、俺を見た。

頷きはしなかった。出来なかった。

代わりに血と涙に濡れたその顔が、わずかに笑みを形づくったように見えた。


「……ありがとう……リオン」


まだこの子を救える

安堵が胸を満たした。



その瞬間ーー


耳をつんざくほどの声が響いた。


「アァァァ……!!!!!!!!」


処刑台に縛られたマリーの声は、先ほどまでのか細いものではなかった。

怒りと憎悪を焼き付けたような、鋭く響き渡る声。

赤い瞳がぎらりと輝き、獣のように観衆を睨み据える。


「私を殺そうが、お前たちの血を啜り、肉を裂き、魂すらも呪ってやる!!!!!

貴様らも、リオンの様に簡単に操られれば、楽に死ねただろうにな!!!!!」


「マリー……何……を……」

耳が拒絶した。頭が理解を拒んだ。


体が凍りついたように動かない。

心臓が暴れているのに、手も足も震えひとつ起こせなかった。


観衆がどよめく。

そのどよめきはすぐに怒号へと変わった。


「忌み子だ!」

「やはり人を呪う存在だったか!」

「リオンを騙したんだ!」

「やっぱり、あれは……厄災だ!」



「違う……マリーは……そんな……!」


俺の喉は言葉を叫んでいるはずなのに、声はどこにも届かない。

観衆の罵声が嵐のように押し寄せ、俺の否定は音の渦に掻き消されていく。


俺はただ、呆然と立ち尽くしていた。

目の前で大切なものが壊れていくのに、何ひとつ抗えないまま――。


マリーの絶叫に飲まれた街は混乱の渦と化していた。

「忌み子を討て!」

「呪いを振り払え!」

人々の怒号は刃のようにリオンの心を刻む。


リオンの手は震えていた。

それでも腰の剣に手を伸ばさざるを得なかった。

握った柄は重く、冷たく、まるで自分の正しさを試されているように感じられる。

「俺が守らないと

俺が助けないと

俺が救わないと

俺が、俺が、俺が、俺が……」


「リオン……」

マリーの赤い瞳がこちらを見ていた。

先ほどまで憎悪に満ちていたその瞳の奥で、確かに別の光が揺れている。

観衆には見えないほどの小さな微笑み。

その唇は震えながらも「……大丈夫」と形を作っていた。


ーー若き騎士は察した。

「演技……だ…」

忌み子を演じきる。

それが彼女の最後の慈悲であり、俺を逃がすための唯一の方法。


だが、それを口にすることはできない。

群衆はマリーの狂言を勝手に解釈し「リオンこそ勇敢だ!」「リオンは忌み子に抗った」と叫び、歓声と怒号の入り混じった熱狂が押し寄せる。

ここで剣を下ろすことは、自分ひとりだけでなく――マリーの覚悟すら裏切ることになる。


胸が張り裂けそうなほど苦しくて、呼吸すらまともにできない。

なのに、歓声の中で剣を振り上げる自分の姿が、あまりに滑稽で、愚かで、そして哀しかった。


壇上の英雄は仮面の下で涙を零す。


あの時手を取れなかった自分が

あの時抜け出せなかった自分が

堪らなく許せない――

「俺は、弱い」


マリーは静かに瞳を閉じる。

赤い蝶のようなその瞳が消える瞬間、彼女の唇はかすかに震えていた。

――「リオン"も"自分を守って幸せに生きてね」


少女の言葉は最後に耳を貫いた。

その声も、その表情も、最後まで俺の目には

忌み子には見えなかった。


「約束する…必ず…守るよ。」


ーーーーー


鈍い音を立てて頭が転がる。

胴は力を無くしたようにぐったりと崩れた。


赤い瞳がこちらへ向けられた。

彼女の顔には笑みが宿っていたが、その表情はすぐに平坦で無機質なものへと変わった。


若き青年は強烈な精神的苦痛に襲われその場に倒れる。


リオンを守った演劇者

その髪に一匹の蝶が止まる。


ーーその色は、とても鮮やかな赤だった。

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