84話 『黒色の記憶者』
ノード・ルークの回廊。
闇夜の更に先へと向かい、カナンとセラは走り続けていた。
けれど、いくら走ろうともその景色は変わらなかった。
確実な異変を察知した二人は、段々と走る速度を緩め、やがて足を止める。
方向を変えずに一直線に進んだにも関わらず、彼らの目の前に広がる回廊と一室の部屋へと繋がる扉。
その室内札に書かれた【食堂】の文字も、月光が伸ばす影も何一つ変わらなかった。
「なんだここ……。笑えねぇぞ。
なんでいつまでも、同じ廊下が続いてやがる。」
呼吸を整えながら呟きを落とすカナン。
その隣でセラは、月光の伸びる窓から外を眺め
自分たちの置かれている状況を再び整理していた。
「ーー外の景色は一見、何も変わらないように見える……。」
彼女は壁際を沿うように、窓際から次の窓際へと足を進めた。
カナンもその言葉に耳を傾けるように、セラの後へ続く。
「けれど、"ある地点"へと進んだ瞬間に……。」
少女はその言葉と同時に、"次"へと歩を踏み入れる。
「ーーまるで、進んだ事実が改ざんされたかのように、"前の地点"へと戻される。」
セラはたどり着いた"次の窓際"から、再び外を眺めた。
けれど、その瞳に移る景色も、入り込む月光も
先程見た光景と、何一つ相違なかった。
「殺傷性は無いものの、随分と厄介だな……。」
彼女の背後で、反逆者は周囲を見渡しながら、まだ見ぬ幽閉者の存在を思案していた。
「俺たちをここに閉じ込めた奴は、一体何が目的なんだ……?」
「……少なくとも、"私たちを殺す事"が目的では無い。」
カナンの呟きを噛みくだき、セラは補足のように推論を展開する。
「けれど、この現状を作り出したということは、何者かにとって今は、都合の良い状況ということでしょうね。」
冷静に思考を絶やさない彼女。
「…………。」
正面に立つ少女は、明らかな異変に呑まれていようとも、ずっと落ち着いているように見えた。
けれどーー
《Mode:Grim Reaper》
「…………あ?」
彼女が導いたのは、些か無茶な結論だった。
「待て待て待て。 早まるな!
まだ調べてない箇所もあるだろ!」
カナンは、おもむろに理現する生命構造を取り出した彼女を慌てて静止しながら、食堂と書かれた室内札を指差した。
永遠に続くような廊下の中に佇む一つの扉。
その一室が無意味なはずは無い。
「確かに……明らかに怪しい。」
反逆者の言葉に、刃を構えたセラは一度停止し、彼の言う通り食堂を調べることに……
ーーザンッ……!!!
ーーしなかった。
「逆に言えば、怪しすぎる。」
回廊を構築する壁に細かな切れ目が入っていき……
ーー足場ごと空間が分断されていく。
「……なッ!!!???」
自身の言葉によって一瞬動きを止めたため、静止に成功したと思っていたカナン。
けれどセラは、迷わず刃を振るっていた。
「カナン、覚えておくといい。」
唖然とする反逆者の手を取り、崩れゆく瓦礫を抜けながら、少女は静かに告げる。
「意味が無い事こそが、物事の本質であったりもする。
……あなたは少し、素直すぎる。」
「…………?」
それが優しい警告だということは分かったものの、カナンには彼女の言葉の意味が分からなかった。
***
崩壊する建屋の一角を眺めながら、二人は芝生の上へと降り立った。
着地時に少しだけバランスを崩したカナンをセラが支える。
幸い瓦礫に呑まれることはなく、無限回廊からの脱出にも成功していた。
「……ったく、相変わらず無茶苦茶しやがる。」
けれどその手法はかなり強引で、カナンは納得が出来ていなかった。
繋いでいた手を離し、反逆者は改めて説明を求める。
「で、なんだよさっきのは?
意味が無いことこそが意味だ、とか何とかってのは……。」
セラはカナンを見つめることなく周囲を見渡し、少しだけ間を置いた後、回答した。
「簡単なこと。
罠を起動させるには、起点が必要。
そして、起点を見抜かれないようにするためには、無害を装い擬態するのが最適解。
ただ、それだけの話……。」
彼女は視線を合わせないまま、理屈っぽい言葉を羅列した。
「…………?」
要望通り解説はしてくれたものの、カナンにはその真意が理解できなかった。
「いや、遠回しな言い方じゃなくて
もっとわかりやすく説明してくれよ。」
髪を掻きながら、首を傾ける反逆者。
そんな彼にも理解出来るように、セラは一瞬だけ言葉を探すように視線を伏せ、指先で空をなぞるような仕草をしながら言葉を紡いだ。
「ーーあの“食堂”は、言わば起動スイッチ。」
開けた瞬間、
“調べた”、“理解した”という事実が発生し、罠が発動する。」
彼女は丁寧に言葉を選びながら、淡々と説明を続けた。
「だから調べさせた。
"調べる"という行為そのものが、
奴にとっての……“開始合図”になるから。」
説明は終わり、とでも言うようにセラは手を降ろし、再び周囲を見渡し始める。
相変わらず、こちらとは目を合わせてくれなかった。
少なからず、あの【食堂】という一室が無害を装った"罠"だったということは理解出来た。
しかしカナンの中に残る疑念はまだまだ潰えない。
「奴……。
なんでお前は、そんな事を知ってるんだ……?」
再び問いを投げかける反逆者。
その疑問へ答えるようにーー
ーーゴォォン……
ゴォォン……。
重く、低い、金属が軋むような音が、空気そのものを震わせた。
身体の奥を揺らす不快な音。
それは……"鐘の音"だった。
「…………ッ!!!」
どこからともなく聞こえてきたその音を耳にし、カナンは瞬時に身構える。
その隣で、余韻が消えぬうちにセラは静かに告げた。
「……私も、確証があったわけじゃない。」
嫌な予感が当たった、とでも言うように片目を細め苦い表情を浮かべる彼女。
「今までの行動も思考も、あくまで仮定の話だった……」
そんな少女の推論を肯定するようにーー
「けれどこれで……」
……再び鐘が鳴り響く。
「ーー"確定"した。」
ーーゴォォォン……!
ゴォォォン……ッ!!!
ーーゴゴゴゴゴゴ……。
足元が揺れる。
芝生の下から、地鳴りが這い上がってくる。
ーービシィィィ……ッ!
建屋とカナンたちを挟むように、何も無いはずの空間が歪み、輪郭が溶けていく。
そしてーー
"それ"は形を組み上げ始めた。
鐘を象った頭部。
胸に刻まれた、巨大な時計。
人型でありながら、規則性を失った無数の腕。
闇夜に溶け込む、"漆黒の異形"。
二階建ての建家を超える巨体が、次々と存在を構成し、二人の目の前に立ち塞がった。
「…………なんだよ、あれは……。」
化け物。
そう呼ぶことすら恐ろしい鐘と時計の異形を前に、カナンはただ一言そう呟いた。
「十中八九、あれが"異変"の根源でしょうね。」
彼の言葉に答えるように、セラは正面に佇む、巨大な生物を見上げる。
「だったら、なんで姿だけ表して"動かねぇんだ……。」
その異形は、元々そこに居たのか、この瞬間に現れたのかは分からない。
けれど、わざわざ彼らに視覚化するように姿を見せたにも関わらず、何も行動を起こしてこない。
カナンたちには、その理由が分からなかった。
「それはね……"眠っているから"だよ。」
「ーー!?」
その瞬間ーー
反逆者たちの背後から、幼い声がした。
ーーカチャ……ッ!!
反射的に振り返り、銃口を構えたカナン。
その先に居たのは、黒い外套を身につけたまま、背を向けた一つの人影だった。
人間。
それも、背丈の小さな少女に見える。
けれどこの状況で、彼女がただの人間であるわけがなかった。
「……お前は、誰だ。」
反逆者は、理応変換機構を向けたまま、その少女へと圧を込める。
「どうして、俺の名前を呼んだ……。」
カナンは、その幼き声色に聞き覚えがあった。
深き眠りから自身を呼び覚まし、未知の空間へと呼び寄せた名指し声。
「どうして……?」
その声の主は不思議そうに首を傾げた後、背を向けたまま回答を落とした。
「……しいて言うなら、"カナン"という名前が
君に与えられた"今回の記憶"だからかな……。
ーー反逆者 K……。」
最後の一言を聞いた瞬間、カナンは息を呑んだ。
セラが、聞き覚えのないイニシャルに困惑する中、反逆者はその名前に強く反応し、更に圧を高める。
「何故……!
お前がその名を知っている……ッ!!!」
『K』
それは、カナンが記憶の契約者となるまで使用していた己の仮名。
この名前は、オクルスの街以降、誰にも名乗った覚えは無い。
その名を知っているということは、自身が生まれ落ちた瞬間、又は……
ーー"記憶を失う前の自分を知っている"ということを表していた。
「答えろ……ッ!!!」
両手で強く銃を握りしめる。
引き金にかけた指は、大きく震えていた。
「…………。」
焦燥に駆られるカナン。
そんな彼とは対を成すように、黒き少女は落ち着いていた。
「何故ってそれは……。」
彼女は凛とした声と共に振り返り……
その表情を、月光の元に晒した。
「僕が、記憶の管理者だからさ……。」
「……ッ!!!」
カナンとセラは目を疑う。
月明かりの下で顕になった少女の素顔。
その顔は、余りにも見慣れた幼き面影だった。
「ーーイヴ…………?」
黒い外套の下に隠されていた幼き人影は、先程まで客室で寝ていたはずの少女と瓜二つだった。
混乱する二人を見つめながら、記憶の管理者は返答する。
「んー……正確に言うなら……
僕は"イヴ"ではないかな〜」
情報を正すように、そして彼らに……
「本物の彼女は……ほら。」
ーー真実を見せるように……。
「まだ夢を見続けているだろう?」
黒色の少女は、カナンたちの背後、鐘と時計の異形へ向けて指をさした。
二人は警戒を緩めぬまま後方を見つめ……
いつからか横たわっていた、その存在を目にする。
『イヴとリオン』
巨大な手のひらの左右、それぞれに寝かされたまま動かない二つの人影。
「…………ッ!!!」
その姿を認識してしまったが彼らは、遠回しに人質を取られているかのような感覚に襲われた。
「てめぇ……!」
不信が敵意へと明確に変わり、カナンの瞳に怒りが湧き出す。
そんな彼を落ち着かせるように、セラが片手を伸ばし静止させた。
「ーーカナン、落ち着いて……。
さっきも言ったように、彼女は少なくとも……
"私たちを殺すこと"が目的ではない。」
冷静な彼女を賞賛するように、黒色の少女は肯定し、言葉を補足する。
「その通り。
僕は決して、君たちの命を奪うことが目的ではない。
むしろ、君たちの命を"守りたい"とさえ思っているんだよ?」
その言葉は慈愛と狂気が混ざりあったような、異質な声色に聞こえた。
「ーー"守りたい"だって……?」
無神経な言葉を前に、カナンは苛立ちを抑えられず静かに怒りを顕にした。
「人を不気味な場所に閉じ込めておいて、よくもそんな事が言えるな……。」
「それに関しては、ただの"お通し"のようなものだったのだけど……。」
黒き外套の人影は、異形の上で眠る二人を見あげながら、ため息のような呟きを零した。
「ーー"彼ら"のように、都合よくはいかないものだね。」
そんな彼女の黄昏の最中ーー
ーーバンッ……!!!
一発の銃弾が発射された。
ーーチリン……。
軽い金属が石の上に落ち、甲高い音を響かせる。
「御託はいい……。」
その中で反逆者は、理応変換機構を構えたまま低く声を落とした。
少女の頬を弾丸がなぞり、一筋の赤い線が浮き出していく。
「ふふ……っ……。」
黒き人影は軽く笑いながら、手の甲で流れ出た血を拭う。
「全く、反逆者というのは……
ーーいつまで経っても横暴だね。」
銃弾を放たれてもなお、余裕な態度を崩さない彼女を前に、カナンは銃口を突きつけたまま、今一度圧をかけ直す。
「とっとと答えろ、お前が知っている事を、お前が俺たちの敵か味方か……
洗いざらい全て……ッ!!!」
「……………………。」
沈黙が場を支配した。
頬から流れ落ちた血が一滴、芝生を湿らせた後。
「僕は……ただの"傍観者"さ。
ただ世界を見つめるだけの……記憶の管理者だよ……。」
黒色の少女は、反逆者と同じく……
ーー覚悟を決めた。
「いいよ……。 僕も面倒事は嫌いだ。
さっさと送ってしまおう…………。
ーー四人まとめて、ね。」
「…………四人?」
カナンは、彼女の付け加えられたような一言に疑問を浮かべる。
相対しているのは自分とセラの二人であるはずなのに、何故か目の前の少女は"四人"と口にした。
一瞬の思考の後……。
(まさか……!)
ゴォォォン……ッ!!!
結論づけた回答を肯定するかのように、背後から不気味な鐘の音が響いた。
「……ッ! セラ!!!」
カナンの叫び声と共に、セラも振り返り、背後へと駆け出す。
彼らの見つめる視線の先、意識を失い、力なく横たわる二人の人影が、高い異形の手のひらから落とされようとしていた。
カナンはイヴの元へ、セラはリオンの元へと走る。
そんな二人の背中を見つめたまま……
ーー記憶の管理者は小さな独り言を呟いた。
「例え殺す気がないと分かっていても……
君は仲間を見捨てるような人間でない。
ーー私はそれを、"記憶"している。」
カナンとセラは、手を伸ばす。
無抵抗に自由落下する二人の仲間。
その下に滑り込み、何とか肉体を支えた瞬間ーー
ーーガチャン……ッ!!!
足元に突如として現れた扉が開く。
「…………ッ!!!」
そして……
ーー世界は抜け落ちた。
反射的に片手を伸ばすも、ドアの縁を軽く撫でただけ、掴むことは出来なかった。
声にならない悲鳴を上げながら、重力に足を引かれる。
そうして二人は、眠りゆく仲間を抱えたまま、為す術なく扉の向こう側へと落ちていくのだった。
ーーギィィ……。
彼らを飲み込んだ地面の扉。
材質の分からない異質な扉は、軋むような音を上げて閉まりゆく。
ーーバタン……ッ!!!
静寂と化した芝生の庭。
寸前まで喧騒が満ち溢れていたその場所で一人、黒色の少女はおもむろに本を取り出し……
ーー次のページへと"記録"を進めた。
「おやすみなさい、カナン。」
安らぎのような声色で彼女は呟く。
「君の記憶を……僕は決して、忘れはしない。」
月光に照らされた黒衣の少女。
その背後に佇む鐘と時計の異形は……
ーー未だに活動を停止していた。




