81話 『本物の幸福』エピローグ前編
楽園の未来を賭けた、反逆と享楽の戦い。
ーー最終遊戯。
享楽者によって創られた盤上は、数多の異端者たちによって覆され、支配者の命は逆奪された……。
そんな、"反逆の記憶"から数日後……。
ーー楽園の表通りでは、多くの住民が行き交い、笑顔と笑い声を浮かばせていた。
とある喫茶店の窓際に座り、カナンは光景を眺めていた。
「"初めて"来た時と、何も変わんねぇな……。」
独り言のように呟く反逆者。
頬杖をつきながら外を見つめる彼の言葉に、正面へと座ったリオンが同意する。
「確かに……こうして見ると、この街自体は
何も変わらないね……。」
テーブルを挟んで告げられた同感には、少しの寂しさと安堵が混ざっていた。
「…………。」
カナンは、そんな彼へと視線を向けず、変わらぬ街の彩りを、瞳へと写し続ける。
笑みを絶やさぬ日常の幸福は、反逆者たちが最初に見た楽園の風景と、何一つ相違なかった。
「"あいつ"が創っていた楽園は……
ーー"見かけ"だけは正しかったのかもな……。」
反逆者は自らが相対した存在を思い浮かべ、静かに俯いた。
テーブルに置かれたコーヒーの水面に、寂しげな顔が反射する。
苦味を帯びた液体が、自分の行いを示した気がした。
「だがそれは……
ーーあくまで、創られた理想郷だ……。」
多くの命を失った。
多くの華々が散り去った。
だからこそーー
彼らの"死"を無駄にしない為に……
ーー生きる。
それこそが、死者へと出来る……
ーー"唯一の弔い"なのだから。
「誰かの支配で成り立つ幸福なんて、本物の幸福と呼べない。
誰もが自由に生きれた上で、初めて学ぶことが出来る感情。
それが"幸福"なんだと、俺は思う……。」
ガラス越しに透過する笑顔と音色。
この街は、何一つとして変わっていない。
これからも、何も変わりはしないだろう……。
けれどもうーー
この街が生み出す"幸福"に……
強制された"快楽"は存在しない。
楽園、エデンは……
ーー"偽りの享楽"から……解放されたのだ。
"反逆者"は綴る。
己の信念を……己の"正しさ"を……。
「俺は後悔しない。
"正しかった"と、信じ続ける……。
ーーこの"反逆"が……この"逆奪"が……。」
***
ーーチリン。
静かな店内に、小さな鈴の音が響く。
その音はあまりにも穏やかで、戦場の記憶と日常の記憶の境界を曖昧に溶かしていくように感じた。
カナンは視線を上げなかった。
リオンもまた、反射的に振り返ることはしない。
二人はただ、
「誰かが入ってきた」
それだけを理解して、再びそれぞれの時間に戻る。
表通りと同じように、店の中も平和で満たされていた。
香ばしい豆と、林檎の甘い香り。
カップに触れる指先の温度。
遠くで交わされる、他人の何気ない会話。
ーー今を生きている。
ただそれだけの事実が、やけに重く、尊く感じた。
「……戦場じゃ、こんな音ひとつにさえ、警戒してたな……。」
ぽつりと、カナンが呟く。
鈴の音。
足音。
ドアが開く気配。
それらはすべて、"敵が来た合図"だった。
けれどもうーー
……この楽園に"敵"は居ない。
「……今は違うよ」
リオンが静かに答える。
その顔は、カナンと同じく、カップの中に写る自分を見つめていた。
「誰かが入ってくる音はーーただの“日常”さ。」
自らが守ったこの空間を慈しむように、彼は小さく呟いた。
「……そうだな」
そんなリオンへ、カナンは短く言葉を返し、鼻で笑う。
「俺たちが立っているのはもう、盤上の上じゃない……。
誰かが繋いだ、本物の楽園だもんな……。」
戦い続けた反逆者たち。
彼らがようやく手に入れたのは、栄光でも、勝利でもない。
ただ椅子に座り、ゆったりと珈琲を飲むことが出来る……
ーー"日常の幸福"だった。
ーーチリン。
再び鳴る、鈴の音。
今度は、少し近い。
来店した足音がゆっくりと、確かにこちらへ向かってくる。
その気配に気づき、リオンは顔を上げた。
「ーー来たみたいだね……。」
その言葉につられ、ようやくカナンも視線を上げる。
「やっと"お出迎え"か……。」
彼らの元へ歩み寄る二人の少女たち。
「ねーセラちゃん!
ちゃんと居たでしょー!」
その中の一人、"イヴ"が、フードを被った隣の少女を引きづり歩く。
カナンたちと共に戦った、逆奪者。
『セラ』
布地から漏れる片目の夜空。
彼女はその輝きをこちらに向けながら、少しだけ笑った。
「うん……。
ーーまた会えて……良かった。」
ーー机上に運ばれてくるリンゴケーキ。
四人はテーブルに身を寄せ合い、再会と団らんを共にしていた。
最終遊戯の後、イヴは記憶の管理者として、傷ついた仲間を癒すために、セラと各地を回っていた。
カナンの隣で美味しそうにケーキを食べる少女には、疲労が垣間見える。
けれどその苦労を感じさせないほど、とても幸せそうな笑みを浮かべていた。
「ん〜!
やっぱり、甘いものは身体に染み渡るね……。
これこそが、本当の幸福……!」
復興作業も落ち着き、カナンの元へと帰ってきたイヴは、萎れた老婆のように何かを悟っている気がした。
「ーー悪いな、イヴを連れてきてもらって。」
そんな彼女の頬を拭きながら、カナンはセラへと短く礼を告げる。
彼女は少しだけ首を横に振り、目の前の光景を微笑ましく見つめた。
「いえ……私も一度、"この街"を見ておきたかったし……
ーーこの程度、何も迷惑じゃない……。」
享楽者の支配は終われども、表通りを歩くためには、セラは身を隠さなくてはならない。
それでも彼女は、自らが導いた"結末"を片目で焼き付け、本物の楽園を見つめていた。
「むしろ、感謝をするのはこちら側……。」
フードの下から藍の瞳が煌めく。
「カナン、リオン、イヴ……。」
そして、反逆者たちの名前を呼び、夜空へと恒星を輝かせた。
「ありがとう……。
ーー楽園を、逆奪者を救ってくれて……。」
彼女が描く、不器用な笑顔。
その笑みには、どこかミネの面影が残っているような気がした……。
***
喫茶店で"日常の幸福"を堪能した四人は、次の目的地を目指し、石畳を歩いていた。
カナンたちは、セラから渡された一つの手紙。
その招待状に書かれた、"式典"へと参加するため、"ノード・ルーク"に向かっていた。
「それでセラ、この"追灯式"ってのは何なんだ……?」
カナンは手紙を片手で振りながら、自らが招待された祭事について、目の前の少女へと質問する。
「……一言で言えば、葬儀。」
セラは彼へと背を向けたまま、簡潔に説明し始めた。
「多くの逆奪者たちが残した記憶。
その"残滓"を、彼岸へと送るため儀式だと……
私はそう、聞いている……。」
彼女の言葉は断定を含まない、曖昧なものだった。
カナンは、セラから語られた追灯式の詳細を知り、ほんの少しだけ違和感を覚える。
「なんというか……
あんまり、逆奪者らしくない"祭事"だな。」
死者を弔うために、生きることだけを考え続けた彼らの信念。
そんな逆奪者たちが立ち止まり、今一度死者へと思いを綴るという事に、彼は戸惑いを感じていた。
「私も、最初はそう思った……。」
小さく本音を漏らしたカナンへと、セラは同意しながら、自分の思いを告げる。
「ーーけれど……人は、少しずつ変わってゆく……。
どれだけ小さな変化だろうと……
ーー"何か"を起点として、確実に変わっていく。」
カナンは静かに目線を下げる。
そして、招待状に書かれていた差出人の名前を見つめた。
自由を求め、自由に生きることを選んだ少女。
『ルシェ』
逆奪者の"新たな王"となった彼女は、自分の正しさを示す証明としてこの"追灯式"を企画した。
『ただ、自分がそうしたかったから……。』
「自由……か……。」
カナンはただ一言そう呟き、手紙を折りたたんだ。
ーー人は、すぐには変わらない……。
けれどいつかは……
ーー己を知り、他人を尊び、新たな学びを得て、成長する……。
それこそがきっとーー
"今を生きる"、散りゆく華の結末なのだ……。




