79話 『ロスト・オブ・ネメシス』
ーー分断されたはずの盤上。
享楽者は、"落骸雨"を用いることで、自身へ至る道を完全に塞いだ。
けれどーー
"彼ら"は……
ーー"空"を超えてきた。
ーーザッ……!!!
死骸の爆撃を超え、リオンを含めた逆奪者たちを送り届けた"運搬装置"
『ノード・ライン』
空飛ぶ三機の揺り篭から垂れ下がった縄を伝い、兵士たちが次々と降下していく。
「ーー行くぞぉぉぉぉッ!!!!!」
戦場を震わせる雄叫びと共に、地面に足をつけ、すぐさま死骸の群れへと剣を振るう戦士たち。
ーードシュ……ッ!!!
ーーザッ……! ザシュ……ッ!!
彼らを送り届けたのは、ルドが命をかけて逃がした……"後方部隊の逆奪者たち"だった。
ノード・ラインによって運べる兵士の数は決して多くはない。
けれどそれは、"逆転の起点"を守る"戦力"としては、十分だった。
戦場から戦場へ、駆けつけた騎士。
「リオン……様……。
ーーどうして……此処に……!」
彼を見つめながら、"逆転の要"である異端者の一人……
ーールシェは疑問を零す。
問いかけの先、リオンは彼女に背を向けたまま、剣を強く握り答えた。
「ーー託されたんだ……。」
その声には熱く、揺るぎない……
「彼らから、未来を……」
もう決して、"何も奪わせはしない"という
「ーー僕らが歩む、"明日の自由"を……!」
"逆奪者たち"の願いが込められていた。
「……"自由"。」
リオンから放たれた言葉の欠片が、ルシェの脳内に伝導していく。
ーー何事にも縛られず、何事も自分で選ぶことができる。
誰もが笑い、誰もが幸せで生きられる世界。
それが……"彼"の目指した"本物の楽園"。
『ーー自分に従い、"自由"に生きろ。』
今は亡き、兄から授かった最期の祈りが……
ーールシェの心に浸透し、彼女を"結末"へと導いた。
「ーーそう……ですね……。」
ずっと、救われる側だった。
ずっと、"救いたい側"だった。
自分が救おうとしていたのは、世界ではなく
たった一人の"兄"だけだった。
それが、己を縛っていた事を
ようやく少女は……
ーー"自覚"した。
「そろそろ私も……
"自由"にならなければ、なりませんね……。」
ーーガンッ……!!!
空に浮かぶ"箱舟"から、錨のように、"最後の城"が降り立つ。
ルシェは静かにその"装置"へと歩み寄り、端末へと手をかざす。
「ーー兄様……どうか……見ていてください。
私が選んだーー私自身の決断を……!」
最愛の兄を思う小さき少女。
その右手には、はじまりを彩るように……
"赤い腕輪"が光を帯びていた。
***
ーー戦場の中心で、時間が軋む。
ウォーレンスの右腕と、異形へと変貌した蔦槍が噛み合い、火花と衝撃が互いの存在を削り合うように散っていた。
理応変換機構がうねりを上げ、血塗られた蔦が軋む。
二つの力は、互いの存在を否定するように圧を吐き出しあいながら、盤上の空気を粘りつくような緊張感で染め上げていた。
ーーズ……ザッ……!
享楽者の両足が、微かな砂埃を舞い上がらせ、少しずつこちらへと引きずられてくる。
戦況は確実に逆奪者に傾いた。
だがその優勢は、糸一本で支えられた危うい静止にすぎない。
(やつの能力が復活すれば、この均衡は一瞬で崩れ去ってしまう……!)
ウォーレンスの額から汗が伝う。
(その前に……早く"決着"をつけなければ……!)
ルドとルシェの策略により享楽者への発症に成功した"理層妨害の毒"。
それは、盤上を覆す、確実な逆転の糸口となった。
けれどその効果が、どれほど時間を稼げるかは分からない。
少なくとも、毒の効能が切れた瞬間、逆奪者たちに訪れるのは“勝機”ではなく、“死”そのものだろう。
不確定な一時的事象を、確実な逆転の一手と昇華するためには、盤上を破壊する……
ーー"終端の一撃"が必要だった。
ーーギッギッギギ……ッ!!
指を食い込ませた蔦槍から、微細な震えが腕へと伝う。
それが、毒による異常か、憎悪による脈動か。
それとも……自分の強ばりか。
ウォーレンスには分からなかった。
彼の中に存在するのは、己の成すべき宿命と……
ーーこの均衡の先に……"未来"が存在しないという……絶望的な"結末"だけだった。
「ーーウォーレンス……!」
ーーだが……
それはもう、過去の話だ。
己の名前を呼ぶ、若き騎士。
『リオン』
「待ってろ! 今助けに行く!!」
幾度も背中を合わせた存在は、二人の少女を守りながらも……こちらの身体を案じてくれていた。
"終焉の原罪"を前にしても、彼は怯まない。
先程まで王だった彼女を見ても、迷わない。
"戦士"である前に……騎士である青年。
リオンは全てを理解し、いの一番に……
ーー"命"を守ろうとした。
そんなーー彼の到着が、ウォーレンスの覚悟を……行動に移すための、"鍵"になった。
(己が成すべきことはわかっている。)
孤高だった王子は、自身の背負う信念を再度自覚し、敵を見据えた。
(この命にかえても、必ず享楽者を討つ。)
その意思は、彼女の笑顔を願った日から……
何一つ変わりはしない。
覚悟は出来ていた。
準備も整っていた。
そんな中で、彼が危惧していたのは、たった一つ。
均衡を崩すための一撃。
その拳によって発生する衝撃が、背後の少女たちを巻き込んでしまう事。
ただそれだけが心配だった。
だがーー
……ここにはもう、"彼"が居る。
ウォーレンスが欲していたのは、均衡を崩す"力"でも、敵を切り裂く刃でもない。
彼が求めていたのは……ずっと
"仲間"を守るーー"盾"だった。
「リオン……。」
己が最も信頼できる、"友"へ……
ウォーレンス・アストレインはーー
「ーー"背中"は……任せた。」
"仲間"を託す。
「ーーッ……!!!」
目を見開くリオンの元へ……その言葉が届いた瞬間。
ーーウォーレンスの"両手"が蔦を握りしめ、赤い稲妻の奔流を放ち始めた。
ーーーバチバチバチッ……!!!!
空気が裂けるような赤い火花が、彼の身体を包んでいく。
崩壊した心臓を"出力操作"し、生命維持を行っていた左腕。
その枷が今ーー"命"を削りながら……解き放たれる。
「ーーァァアアアアアッッ!!!」
抑えつけていた力が逆流し、血潮と赤い閃光が彼の身体を駆け巡る。
“死に損ない”だったはずの男が放つ圧力は、もはや人間の理に収まってはいない。
彼の変貌を目の当たりにした享楽者は、言葉にならない感情に口元を歪め、喉を震わせた。
「ウォーレンス……ッ!!!
ーーお前ッ……!!!
自分の命を無駄にするつもりかッ!!!!?」
現実を直視させ、動揺を誘うための叫び。
だがその言葉がーー
最後の引き金を引いた。
「"無駄"……だと……?」
ーー“死”を受け入れた男は、垂れ落ちる血を拭いもせず……
静かに、恐ろしく低い声で……言葉を返した。
「ーー散々"命"を軽視したお前が……
今更、"命の価値"を語るなッ!!!」
「ーーッ……!!!」
今際の際を目の前にしても揺るがない、彼の殺意を前に、享楽者の中に許容を超えた恐怖が駆け巡った。
「ーー無知なお前に教えてやる……!
この世で、無駄な命はたった一つ。」
そんな彼女に暇を与えず、ウォーレンスは両手に全ての力を込める。
「享楽者……
ーーお前の腐った、心臓だけだ……!」
その宣告と共に、蔦槍が痛切な悲鳴を上げた。
享楽者の身体が、地を削りながら引きずられていく。
無機質な両足が踏みとどまろうと沈み込み、
砂煙が爆ぜる。
ーーゴォォォッッ!!!!
異形は腕が蠢めかせ、必死に抵抗する。
「嫌だッァァァ!! 私はッ……!!
ーー私は頂点にッ……!!」
だがーー
ーーザッ……!!!
無謀な抵抗は砕かれ、享楽者の肉体は重心を崩す。
破滅的な引力。
宙へ浮く足。
止まらない慣性。
全てが"死"へと背中を押しあげ……
そしてーー
鈍痛が走った……。
「ーー終焉撃ッ!!!!!!!」
気高き王子の言葉と共に……世界の輪郭が歪んだ。
ーーゴッ……!!!!!!
……!!!
ーーガァァァァァァァァン!!!!!!!!!
理応変換機構から放たれた一撃。
溜め込まれていた憎悪と覚悟ごと爆ぜ、衝突点から"黒い衝撃波"が広がった。
大気がえぐれ、地面が波打ち、 表層の全てが舞い上がる。
まるで、押し潰された景色そのものが、“悲鳴”を上げているようだった。
轟音、衝撃、爆風。
ありとあらゆる概念が、空間を砕き割り、戦場を薙ぎ払った。
ーーゴォォォ……ッ!!!
地面がめくれ上がり、巨岩が砕け飛び、
爆風が輪のように広がる。
逆奪者たちが砂嵐に顔を覆う中、リオンはすかさず盾を構え、二人の少女を守った。
轟音が過ぎ去り、世界に静寂が戻って行く。
そんな中……
ーードッ……!
人が、倒れる音がした。
爆圧に飛ばされ、向き直った逆奪者たちの前には……
ーー全てを使い果たし、享楽者の左腕を抜き裂いた……
ウォーレンスが倒れていた。
「ウォーレンスッ……!!!」
彼の放った"終焉撃"の衝撃からイヴとルシェを守ったリオン。
三人は急いでウォーレンスの側へと駆け寄った。
「ウォーレンス……しっかりしろ!!」
「ウォーレンス様!!!」
各自が彼へと呼びかける。
その中で、一人の少女は……
ーー泣いていた。
動かなくなった身体を抱き寄せて涙を零す記憶の管理者。
「ーーごめんね……本当に……ごめんね……。
こんな"結末"しか選べなくて……本当に……」
イヴは、ウォーレンスの大きな身体を必死に抱きしめ、泣きながら謝り続ける。
ーーそんな少女を包むように、優しい声が呟かれる。
「いい……。」
小さく短い、王子の言葉。
「ウォーレンス様……!」
間に入るルシェを制するように、リオンがゆっくり手を上げた。
そして……
「ーー生きろ……。」
託すような呟きと共に……
ーー彼は……動きを止めた。
「ーー……ッ!!!」
穴の空いた心臓から、垂れ落ちる鮮血。
"壊れた"両手の理応変換機構。
その現実が、悲痛にも"結末"を記憶する。
出力操作によるウォーレンスの生命維持は
もうーー行われていなかった。
閉じた瞳の中で、彼は己の肉体が段々と死んでいく感覚に当てられた。
けれどーー
そこに、痛みも恐怖も
後悔も無かった。
むしろウォーレンスは、己の生き方に悔いを残さなかったからこそ……
ーー"心地良さ"さえ感じていた。
(これで"約束"は……ちゃんと守れた……よな。)
誰に伝えるでもない言葉を心に流しながら、意識が静かに沈んだ。
そしてーー
体の重みが消えた。
「ーーッ……!!」
再び瞳を開けた時……
ーー彼の世界は"白"に包まれていた。
「ここは……どこだ?」
突然戻った意識と感覚に、彼は不信感を覚える。
だが、その不安は一瞬で終わった。
ウォーレンスの足元から色彩が広がり
やがてーー
一つの景色へと変わっていく。
「ーーあぁ……。」
塗り替えられた光景を視界に捉え、彼は安堵と共に納得する。
映し出されたのは、鮮やかな、華々しい公園。
その中に、多くの逆奪者たちが集まっていた。
多くの
ーー命を失った逆奪者たちが……。
母親だけでなく、トルヴァにルド……。
そしてーー
『ミネ』も、その中に居た。
遠くから見つめた、"久々"の彼女は、いつも通り、弾けそうなほど明るい"笑顔"で、笑っていた。
ウォーレンスは夢のような光景に目を瞑り、静かに微笑んだ。
そして……
誰にも届かない、独り言のような質問を呟きながら、"足"を運んでいく。
「なぁ、ミネ……。
"彼岸"は……
ーーお前にとって……"楽園"か?」
次回──第二章〈享楽者編〉──終幕。
12/12(金) 投稿予定。




