71話 『討滅《スレイヤー》の刀』
無線の接続が切れたことにより、現場へと駆けつけたウォーレンス。
そんな彼の目に映ったのは
右腕を失ったミネと、刃を構えるカナンだった。
ウォーレンスは……未だに終焉の正体を知らない。
「…………。」
ーー重圧が、空気の密度そのものを変える。
彼が一歩近づくごとに、地面の砂粒が震え、
世界が“怒り”を中心に軋むようだった。
「…………カナン。」
名を呼ぶ声は、怒号ではなかった。
静かで、淡々として……だからこそ、底が見えない。
「お前を信じた……
ーー俺が間違っていた。」
擬態したミネーーいや……享楽者が、“完璧な絶望の顔”でうつむく。
その表情は、息を呑むほど精密だった。
悲しみを含ませたミネをーー本物の彼女を知るウォーレンスだからこそ、その"嘘"に、一切の疑念を抱かない。
「違う! ミネが! あいつーー」
カナンの否定。
その弁明を切り裂くようにーー
誤解は、言葉より速く"命"を狙った。
ーーブンッ……!!!
「……いッ!!!」
真正面から放たれた拳。
カナンの頬を掠める。
体を捩り、首を回して回避したが
ーー攻撃を躱したところで状況は変わらない。
(……最悪だッ……!)
息を呑む反逆者。
彼を狙うウォーレンス。
その背後で。
擬態した享楽者は
彼らに背に向けながら、小さく口角を上げた。
ウォーレンスの到達直前に姿を戻した右腕。
その手で、わざとらしく左手を抱えながら
ーー三人の少女へ歩み寄る。
異形は見せない。
彼には悟らせない。
(……バレるわけが無い。
彼らの信頼を得るために、王を依代として選んだのだから……。
私はただ……“歩いていくだけでいい”。)
脚音だけが、静かに、緩やかに響く。
ーーザ……ッ。
イヴ。
ルシェ。
セラ
力を使い代償を抱えた記憶の管理者。
抵抗する力を持たぬ凡人の少女。
そしてーー自ら絶望させた……愛すべき妹。
焦土の向こうから、彼女達の元へ優雅な歩調で近づく“享楽者”。
その影はーー
ウォーレンスの烈火よりも、カナンの焦燥よりも、残酷だった。
***
ーーギンッ……! ガギンッ……!!!
焦土に、鳴り響く金属音。
その戦場で、カナンは焦燥に駆られる。
(まずい! 享楽者を止めないと……!
イヴたちを助けないといけないのに……!)
ーーガギッ……!!!
「ーーッぐ……!!!」
思考をあやふやにした彼は、ウォーレンスの一撃に飛ばされる。
ーーガリリィ……。
刃を地面に突き立て、衝撃を押さえる。
体勢を立て直したカナンは、自分に拳を振るう相手にーー問いを叩きつけるように叫んだ。
「ーーウォーレンス……!!!
目を背けるな!
お前は……言葉一つで騙されるほど、簡単なやつじゃねぇだろ!!」
叫びを込めた訴え。
その言葉に……ウォーレンスは止まった。
だがーー
「目を……背けるな、だと?」
カナンを見据える瞳には、真実を映したが故に
ーー怒気が満ちていた。
転がったルドの頭、傷だらけのルシェ
俯いたままのセラ。
そしてーー
右腕を切り落とされたミネ。
その彼女へと敵対していた一人の反逆者。
「…………カナン。
忠告は受け入れよう……。」
ウォーレンスは、彼をーー
「だからーーお前の言葉を聞く気は無い……!」
享楽者として、認識した。
ーーザッ……!!
「……ッ!!!」
ーーガキンッ……!
拳と刃が交わりーー
ーーギリッ……!!!
せめぎ合う……。
お互いが譲れない信念を胸に、睨み合った。
「……だったら、なんで
ーー理応変換機構の力を使わない……!!」
カナンの言葉によって核心を突かれたように
ウォーレンスの顔が歪んだ。
「俺が……紛い物じゃないと、まだどこかで
ーー信じてくれてんだろ……!」
反逆者によって心が見透かされる。
ーーギッ……。
歯ぎしりと共に、王子はカナンを押し飛ばす。
「……うるさい!!!」
ーードゴッ……!!!
「ーーぐぁッ……!!」
カナンは後方に吹き飛ばされ、更にイヴと距離が離された。
「ーー俺は、背負うと……
ミネ《あいつ》を守ると決めたんだ……。」
ウォーレンスの信念、全てを背負うこと。
彼の決意は揺るぎない。
だからこそーー
享楽者によって歪まされた意思だろうと……彼の覚悟は、"強固"だった。
***
ーー終焉が静かに足を運んでくる。
傷ついた仲間を気遣う“ふり”を……
助けの手を差し伸べる“ふり”をしながら。
左腕をかばい、場違いなほどぎこちない足取りには、哀れみも安堵もない。
芝居がかった優しさだけが、こびり付いていた。
感情を真似た“完璧な偽物”。
彼女は享楽者として
ーー享楽者として、全てを操り、神となる。
「メインディッシュは、最後に食べるのが好きなんだ……。」
享楽的な笑みを放ちながら、一歩、また一歩迫ってくる。
三人の少女を前に、享楽者は異形の力を解き放たない。
使う必要がないほど、一方的だった。
イヴたちに、戦う力はない。
心も身体もボロボロとなり、ただ殺される事を待つだけのカカシだった。
「……ッ……。」
それでもーー
ーーザッ……!
震える脚で、ゆっくりと立ち上がった少女は
焼けただれた片手でレイピアを抜き、二人を庇うように掲げた。
崩れて座るセラと、力の代償で痺れるイヴ。
戦えるわけではない。
勝てる道理もない。
それでもルシェは、倒れた仲間の前から退かなかった。
ーー"守る"という
たったひとつの意思だけを抱えて……。
「ーーはぁ……はぁ……。」
手に持った細剣は震え、息が上がっている。
抵抗とも呼べない、半端な反逆の意志。
それを見た享楽者は、感情の欠片も無い笑みで、彼女を見つめた。
「おやおや、ルシェちゃん。
お兄様の真似事かな。」
壊れたオルゴールのような少女の声は、歪な音を奏で落とす。
「可愛いね〜。
ーーでも残念……笑顔が足りないよ。
ほら!スマイル、スマ〜イル!」
享楽者は、親指と人差し指指で、自分の口角を無理やり上げる。
外側だけの微笑が、面のように貼り付いていた。
「……はぁ……はぁ……。」
けれど、ルシェからは返答も笑みもない。
そんな彼女に呆れたのか、異形は諦めたように呟いた。
「ダメか〜。
やっぱり、生者の感情っていうのは分からないね。」
けれど悲しみのような表情もすぐに変わる。
「まぁ、いいか。
死体にしちゃえば、みんな笑顔で死ねるんだから、そんなの関係ないよね。」
彼女の片手が振り上げられる。
蔦に変貌し、まとめて三人とも殺しにくるつもりだ。
(ーーお兄様……!!)
ルシェの視点は定まらない。
恐怖と絶望で、腕が勝手に震えていた。
ーーザッ……!!
(……来るッ!!)
彼女は咄嗟に目を閉じた。
閉じてしまった。
衝撃を覚悟していたルシェ。
ーーだが、攻撃は来なかった。
剣先を震わせるレイピアどころか、周りの空気さえ、揺らいでいない。
恐る恐る目を開けた彼女の世界へーー
ひとつの“影”が、静かに歩み出た。
焼け焦げた空気の向こう。
焦土に落ちる足音だけが、鼓動のように響く。
「いつかーーお姉ちゃんが言っていた。」
声は震えていた。
けれど、その震えは恐怖ではない。
胸の奥底で、何かが“目を覚ました”音だった。
「もしも私がデブリになったら、
その時はーーこの手で終わらせてほしいって……。」
冗談だと笑い飛ばした記憶。
聞き流してしまった、軽い祈り。
だが今、焦げた世界の真ん中で
その言葉は“約束”へと変貌していた。
「……こんな言葉が……」
震える指先が、静かに刃を握る。
「“希望”になる、なんてね。」
ーー瞬間。
胸を縛っていた絶望が、音を立てて割れた。
抜け殻のようだった瞳に、“夜空”が戻る。
焦土の上で、少女の心が再構築されていく。
恐怖も、痛みも、喪失も。
そのすべてを抱きしめてーー
セラは立ち上がった。
これは廃人ではない。
これは絶望でもない。
ーーこれは、“決意”だ。
ーーこれは、“継承”だ。
ーーこれは……、“逆奪”だ。
《Mode:Slayer》
短刀の核が震え、
刃の奥で電子脈動が走る。
ーーキィン……ッ!
光の軌跡をまとって、構造が再編される。
折りたたまれた機構が横へ滑り、
刃は引き延ばされるように“成長”した。
理現する生命構造は……
「享楽者……」
ーー"討滅の刀"へと、姿を変えた。
「ーーあなたを……分断する。」




