70話 『イレギュラー』
(ーー守りきれなかった……。)
享楽者の反撃を理解した瞬間。
イヴは、己の継承者であるカナンを守るために
ーー『ノード・ナイト』の一部を再構築した。
記録を使い過去を引き出す行為、顕現。
この力によって鉄壁を防御壁として、反撃の射線上に顕現させた。
だがーーカナンが反射させ続けた弾丸は、それでも容易く、鉄壁を貫いた。
享楽者の軟質化された腕による反射。
顕現による防壁の展開。
これらの減速を経ても、カナンに銃弾は届いてしまった。
(カナンが殺される……!
ーーカナンが……死んでしまう……!)
***
「ーーぃ……ッ!」
カナンの眼前にーーそれは居た。
こちらを殺すのでも、人質として扱う事もせず
ーーただ……笑っていた。
「いやーかなり頑張ったみたいだけどーー
……結局、傷一つ付けられなかったね。」
全てを読み切った盤上の頂点で、享楽者は、王者の微笑みを浮かべる。
射抜かれた右肩の痛みすら、感じられないほど、カナンを絶望が包み込んでいた。
動かない右腕。
ぼやける視界。
そして左手に持っていた理応変換機構はーー
『詰みだよ……カナン君。』
銃口を……塞がれていた。
冷たく鈍い光を帯びた“機械の指”。
それが、理応変換機構の銃口に
ーーねじ込まれていた。
銃を壊すでも、撃たせるでもない。
ただ“発射という選択肢”だけを、機械の手で奪われていたのだった。
「理応変換機構。
銃を塞がれた今……
君が“武器”を握れる手段は、一つしかないよね?」
享楽者は、楽しげに目を細めた。
「ーー剣に移行するしかない。」
嘲笑とも哀れみともつかない声で、彼女は続ける。
「でもさ……」
視線が、力の入らない右腕へと滑る。
「その状態では切り替えなんてできないよね。
ねぇ、カナン君。」
リアサイト後方スイッチに触れ、トリガーを軽く保持することでモードは切り替わる。
ーー彼女はこの武器の、"安全装置"についてまで"学習"していた。
言葉そのものが、罰の宣告。
そんな絶望に立たされたカナンも、受け入れ難い現実の全てがわかっていた。
戦える武器がない。
構える腕もない。
逃げることもできず、この先にあるのはーー
"死"だけだ。
追い詰められた事実が、じわじわと胸の奥を侵食していく。
それでもーー
「……抗え……ッ」
自らに刻んだ反逆の信念が、
血の震えに混じって、かすかに灯る。
たとえ足元が崩れ落ちようとも。
たとえ絶望そのものに囚われようとも。
カナンはまだーー
折れなかった。
享楽者は、その意志をつまらなそうに見下ろす。
「……気に入らないね。」
殺意でも怒りでもない。
ただ“理解できない”という純粋な嫌悪だった。
「君では、私に勝てないよ。
もう……分かっただろう?」
彼女がカナンを殺していないのは、
勝利に浸る余韻と、敗北者を見下ろす"享楽"を味わうためだった。
美術品を鑑賞するように、ヘドニスターは彼の“崩落”を待っていた。
でもーー
反逆者は希望を捨てていない。
己の力が及ばないと痛感し、立つことすら困難だというのに、胸の奥で燃える“反逆の火”を灯し続けていた。
まるでーー己が殺した少女のように……。
(ーーやっぱり……理解できないね。)
享楽者は結論付けた。
反逆者は、どこまで学ぼうとーー"異端"であると言うことを。
ーーズル……ズズ……ッ
蔦の節が軋むたび、周囲の空気が潰れていく。
「……ッ!!」
生き物とも武器ともつかないそれらは、
一斉に“殺意の向き”をカナンへ揃えた。
そしてーー"遊戯"は……
「さようならーー反逆者。」
新たな盤上をーー記憶する。
***
永別を宣告した享楽者。
そして、死を目前としたカナンの前に落ちてきた、一筋の光。
それは……
ーーキンッ……!!!
一発の"弾丸"。
撃たれたわけでも、反射されたわけでもない。
ただ空からーー"落ちてきた"。
殺傷性の欠片もない銃弾。
自由落下の速度では、軽く物を押し出す程度が、限界だろう。
そうーー物を押すだけが限界だ。
ーーカチッ……。
「ーーッ……!!」
瞬時に享楽者は身を引こうとした。
けれど、もう遅い。
彼女は、カナンの行動を徹底的に学び、
盤上の反逆者となる彼の全手筋を読み切っていた。
だが、これはーー彼の行動ではない。
記憶の管理者。
イヴによる、弾丸の顕現。
認識の中心位相から放たれた、殺意なき行動に
ーー享楽者の反応は遅れた。
《Mode:Dominionn》
ーーギャリィィンッ……!!!!!
鋼鉄を噛み砕き、"夜空"は再びーー
世界へ織り成す。
ーードッ……!
機械仕掛けの右腕が、鈍く地面に転がった。
バチッ……バチッ……。
薄く焦げた機構部から、火花がぱちりと散る。
享楽者の片腕は、カナンの理応変換機構によってーー切り裂かれた。
「ーーッ……はぁ……ッ……。」
肺の奥で、熱がまだ暴れている。
喉を震わせる息は、ひどく荒い。
右肩を射抜かれた痛み。
瓦礫へ叩きつけられた衝撃。
全身の節々が悲鳴を上げる。
だがーー
その鈍痛は、引いていく。
視界の先。
焼け焦げた指先でこちらへ手を伸ばし、光を纏わせる少女がいた。
イヴ。
焦土に立ちながらも、彼女は“壊れた未来”を修復するように、こちらへ再生を施してくれていた。
溶けた皮膚の下を、細かな粒子が巡る。
千切れかけた神経が、一本ずつ“音”を取り戻していく。
右腕が……動く。
「ーーふぅ……。」
カナンはゆっくりと息を整えた。
肺の焼けるような苦しさの奥で、火種がまたひとつ灯る。
両手で握った理応変換機構に、力が戻っていく。
敵を見据える目に、もう迷いはない。
「ーー俺は……一人じゃない……!」
敗北を拒むような、抗いはーー
新たな盤上へ、まっすぐ響いた。
*****
ーーバチッ……バチッ……。
燃えた海に爆ぜる、血しぶきのような火花。
右肩から光を放つ異形は、静かに反逆者を見つめていた。
ーー闇が揺らぐ。
盤上はまだ、終わりを告げて居ない。
残された駒ひとつひとつが、次の一手を待つように息を潜めている。
ーーシュル……。
蠢く蔦が静かに形を変貌する。
享楽者も、新たな“遊戯”を始めようとしているーー
カナンは、そう感じていた。
だが。
彼女は右腕を人間の形へと戻しーー
「……ふふ。」
嬉しそうに口端だけを吊り上げた。
その笑みは、戦いの構えではない。
殺意でも、怒りでもなく、異形に含んだのは
ーーただの“愉悦”だった。
「ーーうん、どうやら勘違いしていたみたいだね。」
呟くような独り言。
だが、その奥に潜む冷えた光が、戦場の温度を一段落とした。
カナンの喉が、ひどく乾いた音を立てる。
「ーー今さら命乞いしても……聞かねぇぞ。」
短い意志返答。
退く気など一欠片も無いという、憎悪を含めた声音だった。
そんな険しい顔の彼に、少女はくすりと笑う。
「ふふふ……そんなこと、するわけないじゃん。」
右腕を背中に回し、体を一回転させる。
彼女の影が不気味な輪郭を描いた。
「ただ……“新たに学んだ”だけだよ。」
次の瞬間、享楽者は踵を返す。
ゆっくりと、舞台装置から降りるような優雅さで。
「新たな管理者の存在を……。」
その眼差しは、もうカナンを向いていない。
盤上に立つ、"もうひとつの異分子"ーー
「ーーッ……!!!」
『イヴ』をーー標的としていた。
ーーザッ!!!
「ーー行かせると思うか……!?」
だが、当然ーー
がそれを、許すはずがない。
黒き刃を掲げ、カナンは一歩、前へと踏み込む。
血の匂いが混じった熱気が揺れーー
その影は、終焉へと駆け出した。
殺意と存護を意志を込めた反逆者。
そんな彼を足蹴りするように、享楽者は顔だけを傾げて振り返る。
少女の輪郭をかすめる炎の光が、不気味な弧を描いた。
「盛り上がってるところ悪いけど……
ーー君の相手は私じゃないよ。」
囁くような声が響いた、その刹那。
ーーゴォォォォンッ!!!
隕石が大地へ墜落したかのような衝撃が、
カナンの視界を正面から “叩き潰す” ように降り注いだ。
「ーーッ……ぐ……!!」
爆ぜた地面から砂煙が噴き上がり、衝撃波が皮膚を裂くほどの勢いで吹き抜ける。
思わず目を細めたカナンの耳へーー
砂埃を押しのけるように、低い声が落ちた。
「……説明しろ、紛い物。」
その声は、周囲の空気を押しつぶすような、重圧を帯びている。
「これは一体……どういう状況だ……?」
灰じみた霞の中央で
こちらに鋭い視線を放つ男。
ーーウォーレンスが、立っていた。
反逆者へと説明を求めた、クイーンの王子。
「ウォー君……。」
そんな彼へと返答したのは……。
「ルドが、殺された……。」
人間の姿へ戻った……享楽者だった。
「ーー享楽者は、"反逆者"だ。」




