7話 『世界を正す者』
森の奥、木漏れ日が差し込む小さな泉のほとり。
荒い呼吸を整えながら、Kは地面に腰と少女を下ろした。
銃を握る手は震えていたが、それでも彼女を抱きかかえる腕は決して緩まなかった。
足の痛みは鋭く、まだ思うように動けない。
だが、今だけはそれで良かった。
戦いの終わりを示す静寂が、ようやく訪れたのだから。
リオンは盾を地面に突き立て、その傍らに駆け寄る。
「……酷い怪我だ、大丈夫か、K!」
Kは、痛む足を押さえながらも苦笑した。
「足をやられた……でも、動けなくはない。」
「無茶を……!」
リオンは眉をひそめ、必死に止血を試みる。
彼の手つきは震えていたが、焦りの中にも真剣さがあった。
「お前が来なきゃ、今頃ここにはいなかった。……感謝してる。」
Kの短い言葉に、リオンの手が一瞬止まった。
だがすぐに苦笑して、肩をすくめる。
「感謝なんて似合わないな、お前には。
……でも、聞けて少し安心した。」
「待ってろ。この地域なら……薬草に使える植物が生えているはずだ。」
リオンは立ち上がり、視線を周囲の木たちへと走らせた。
「傷を洗って、安静にしておくんだ。動くなよ。」
Kは苦笑を浮かべて首を振る。
「お前……妙に手慣れてるな。」
「昔、この周辺の森について教えてもらった、それだけさ。」
リオンは茂みの中へと駆け出して行った。
この森は監視者の掟で定められた不可侵領域
――本来ならば、街の人間が足を踏み入れることすら禁じられた場所。
なぜ彼がその森について知っているのか。
Kは一瞬疑問を抱いたが、立ち上がる余力もなく、ただその背を見送るしかなかった。
ーーKは傷ついた足を確かめながら、腰のポーチから布切れを取り出した。
刃で裂かれた脛に巻きつけ、歯を食いしばりながら布を締める。
呻き声が喉から洩れるが、それでも手を止めることはない。
「……ちっ、リオンの言うとおりに、安静なんてしてられねぇな」
布を結び終えると、銃を膝に立てかけ、呼吸を整える。
その顔は、どこか張り詰めながらも、次の戦いを既に想定しているようだった。
その背後で――。
わずかに草が擦れる音がした。
傍で寝ていた少女の体が、微かに震え、細い指がゆっくりと動いたのだ。
「……」
静かにまぶたが開く。
森の木漏れ日が瞳に差し込み、光を映したその眼差しは、夢から覚めたばかりのように曖昧で、しかしどこか確かな意志を秘めていた。
彼女はふらりと上体を起こすと、背中越しのKをじっと見つめた――。
「よぉ……やっと起きたか、お姫様」
背後を振り向かずKは軽口で話す。
「お姫様じゃない。」
少女は、まだ覚醒したばかりの声で淡々と告げる。
「私は――アーカイヴレコーダー、記憶の管理者と呼ばれる存在」
Kは短く鼻で笑い、銃を手のひらで回しながら答えた。
「ただの表現だ。……間に受けなくていい」
沈黙を刻む
「……あなたは……“人間”?」
その声音は冷静でありながらも、確かな警戒を帯びていた。
「記憶を持たない存在なんて、本来あり得ない。あなたからは――空虚しか感じられないわ。」
記憶の管理者を名乗るほどだ、俺の事なんてお見通しなのだろう。
Kは回している銃を腰に収めた。
「出会って早々不審者扱いか。
まぁ、俺自身、自分が何者かなんて分かっちゃいないがな」
彼女の視線は、なおも鋭く突き刺さる。
「貴方は私の記憶に該当しない。」
「……記録にない存在は、私にとって脅威でしかない。」
Kはその一言をしばらく黙って受け止めた。砂の匂い、木漏れ日のほのかな温度、耳に届くような彼女の小さな鼓動。
「けれど」
少女はゆっくりと指先を伸ばし、震える掌で自分の胸元をそっと触れた。瞳は真っ直ぐにこちらを見つめている。
「貴方は私を守ってくれた。
だから……」
言葉は静かだが、そこには訴えるような強さがあった。
砂の匂いと血の味が混じる空気の中で、一言だけが澄み切って響く。
「ありがとう……
ーーあなたを信じる事にする。」
Kは一瞬、言葉を探すように黙した。
膝をついたまま、ゆっくりと息を吐く。
彼の顔には、いつもの冷めた皮肉も、場をやわらげる冗談めいた笑いもない。――ただ、素直な照れくさい気持ちが滲むだけだった。
「守るのは……当たり前だ」
声は低く、ぎこちなく。だが、その短い言葉に嘘はなかった。
少女は小さく瞬きをして、彼を見上げた。
「……当たり前、それがあなたの、反逆者の正しさなのね。」
ーー反逆者……
Kは眉をひそめた。
それはこの世界で目を覚ましたから、ずっと気になっていた疑問、その問いかけを意を決して告げる。
「……なぁ、その反逆者ってのは何なんだ?
俺は一体、何に抗っているんだ?」
彼女は少しだけ目を伏せ、指先で土をなぞった。やがて、囁くように答える。
「ーー世界よ。」
Kは目を細めた。
「世界……?」
記憶の管理者は静かに頷き、顔を上げた。その瞳には、ほんのかすかな憂いが浮かんでいた。
「ーーこの世界は“アルゴリズム”と呼ばれる存在によって形を保っている。
人間に分かりやすく言うと神、みたいなものかな。
それはこの世界のすべてを“最適”に循環させる事を目的としている。
人が選び取るはずの未来でさえ、演算によって導かれたひとつの正解へと収束させる。
全てを正しき姿へ形成させるために。」
正しさで人を縛り付け、世界を“均一な答え”へと導く。
これが、アルゴリズムの支配
……そして、あなたが先程戦った監視者は、その支配を維持するための駒。
人の視界を奪い、心を読み取り、規律から外れた者を“異端”として排除する存在。」
イヴは淡々と告げる。その声音には、恐怖でも怒りでもなく、ただ冷徹な真実だけが宿っていた。
「監視者だけではない。享楽者、裁定者……それぞれが人の欲望や正義を利用し、アルゴリズムの枠組みに人を押し込める。
彼らは皆、この世界を均質な答えへと導くための装置……人であった痕跡を持ちながらも、人であることを許されなかった者たち。」
「人……で……あった…?」
Kの声が、木漏れ日の中でかすかに震えた。言葉は短く、しかしその重さは両の肩を押すほどだった。
彼女はゆっくりと頷き、瞳の奥に淡い痛みを宿して言う。
「ええ。元は人間だった。心も意志もあった。名前も、夢も、恐れも。」
Kは拳を握りしめ、爪が掌に食い込むのを感じる。血の匂いと、戦いの残滓がまだ体に張り付いている。
「人が、化け物に変えられたっていうのか……」
彼女は答える代わりに、木の根元に落ちた粉状の土を指先で崩した。細かな砂が指の間から零れ落ちる。
「アルゴリズムは“均一の秩序”を最適解だとする。混沌や矛盾は排すべき誤差。
その誤差をなくすために、必要であれば人の“個”を分解し、再構築する。」
言葉は冷たい。けれど、そこには理知的な説明だけでなく、何か取り返しのつかないことを見てしまった者の憂いが含まれていた。
「人の記憶、欲望、恐怖。その断片を抽出して“機能”として組み込む。感情を切り離した“装置”にすることで、アルゴリズムはその装置を支配の駒として使うの。」
彼らは“かつて”人であった者たち。
異形に成れ果て、世界を正しさで支配する駒として操られた存在
──けれど彼らもきっと、どこかに人の残滓を抱えている。
少女の声は消え入るように低く、しかし確かだった。木漏れ日の粒が彼女の白い髪に散り、瞳の藍が一瞬だけ深く濃くなった。
「怒り、悲しみ、時折見せる不協和音のような感情。それらは、完全に消されたのではない。管理のために剥ぎ取られた“断片”が、時折表層に浮かび上がるのよ。それが彼らの狂気にも、時に人間らしさにもなる。」
敵は、アルゴリズムで間違いない。
だが現実というものは単純な善悪や一つの計算式で割り切れるほど易しくはない。
人の想い、後悔、嘘、救済は互いに絡まり合い、時には矛盾し、やがてこの世界の形を創る。
アルゴリズムはその複雑さを「最適化」という一つの概念でまとめ上げようとする
——そして、そのために“器”としての柱たちを配置したのだ。
アルゴリズムに辿り着くには、まず四つの柱を崩さねばならない。
それぞれがこの世界の欠片を体現している。
先程の監視者のような個体が、合計4体いるというわけだ。
──四柱
1.オブザーバー(監視者)
2.ヘドニスター(享楽者)
3.アーカイヴァー(記録者)
4.アジェッサー(裁定者)
彼女の言葉が脳裏に落ちる。
「彼らは“かつて”人であった者たち……」
その響きは、戦いの余韻よりもずっと重く、胸を抉った。
反逆者はしばらく黙っていた。
手の中で拳銃の冷たさがやけに鮮明に伝わる。
仲間、家族、誰かの記憶を持っていたはずの存在を、自分は壊してしまった。
そして、彼はゆっくりと口を開いた。
「人殺し……かーー」
「ーー違う!!!」
少女の声は、怒りにも似た熱を帯びていた。
「違う……あなたは人を殺したんじゃない……!
彼はもう、人としての記憶を奪われ、“監視者”として生かされていただけ。
あれは、ただの駒。
人ではなく……奪われた人の残骸よ。」
「貴方はアルゴリズムから彼らを救ったの
本当の彼らもあんなことはしたくなかった……
きっと……そう……だから……」
少女の瞳は震えている。
それは彼女自身も、自分に言い聞かせるような言葉だった。
Kはその視線を正面から受け止め、深く息を吐く。
「……そうか。けど、残骸だろうと、俺の弾で消えたことに変わりはない。
だからせめて――俺は、俺が選んだって証を刻むことにする。」
彼は腰の銃を握り直し、再び前を見据えた。
「これはきっと俺にとって正しい行いだ。」
彼の声は震えず、むしろ静かに冷えていた。その言葉は自分自身への宣告であり、同時に世界へ向けた挑戦だった。
風が葉を揺らし、遠くで鳥が鳴く。
森の静けさが、一瞬だけ重力を取り戻したように感じられた。
記憶の管理者は一瞬だけ俯き、瞳に透明な光を宿した。言葉は出ない。代わりに彼女はゆっくりと手を伸ばし、Kの傷ついた膝の布を掴んで確かめるように触れた。その指先は冷たく、しかし確かな温度を返してきた。
「記録する――」と、少女はぽつりと言った。
だがその声にはいつもの機械的な無機質さは無く、かすかな震えが含まれている。彼女は何かを抱え込むように胸に手を当て、目を閉じた。
次の瞬間、傷口が淡く光を帯びる。
光は皮膚をなぞるように広がり、切り裂かれた肉の縁を縫い合わせていく。痛みは癒え、熱が残り香のように和らいでいく。
「……これは?」
Kは息を呑み、足を見下ろす。そこには先ほどまでの深い裂傷が影も形もなく、ただ新しい皮膚が薄く張っていた。
少女は小さく瞬き、静かに答える。
「記録とは、傍観じゃない。
壊れたものを“正しき形へと戻す”こともまた、記録せし者の定め。」
Kは目を伏せた。
その言葉の奥に――彼女が背負う記録の重みを感じ取り、胸の奥がざらりとした。
「貴方が反逆の道を歩むのなら――私はそれを記録する。
たとえそれがこの世界にとって罪と呼ばれても、
貴方にとっての“正しさ”であるのなら、私は逸らさない。」
彼女の瞳には恐れも迷いもなかった。
ただ、記録者としての静かな覚悟と、ひとりの少女としての温度があった。
反逆者はぶっきらぼうに答える。
「好きにしろ。
……それがお前の正しさなら、それでいい。」
木々の隙間から吹き込む風が、二人の間を抜ける。
ここに一つの約束が刻まれた。
世界に抗う“反逆者”と
記憶を見届ける“管理者”
2つの歯車はやがて、停滞した世界を動かし、新たなる旅路へと繋がっていく。
これは数多の輪廻を超えた反逆の序章。
その一節に過ぎなかった。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
世界の確信に触れる回となりました。
敵であるアルゴリズム、その駒である支配者達
そしてついに記憶の管理者、イヴが満を持して参戦。
次回も更新を楽しみにお待ちください!




