53話 『虚位相砲《フェイザード》』
眩い光が――世界を覆った。
耳鳴りのような沈黙が、すべての音を奪い去る。
放たれたのは、純白の奔流
神話の矢が直線を描き、彼方の戦場へと降り注いだ。
そしてーーすべての光が収束したとき。
目の前に広がっていた“群れ”はもう、そこに居なかった。
黒煙が立ち昇り、焼け焦げた鉄と血の匂いが混ざり合う。
瓦礫の海に、動くものは一つとして残っていなかった。
「……何……が……。」
リオンは立ち尽くす。
ただ、焦げた空気の中で。
虚位相砲が刻んだ余韻だけが、“生きて”いた。
***
眩い光を横目に、カナンとセラは崩れた街並みを駆け抜ける。
焼け焦げた風が頬を打ち、遠くの空ではまだ、光が波を引いていた。
「……仮想兵装、まさか現実でも作ってたなんてな。」
カナンが息を整えながら呟く。
セラは前を向いたまま、短く答える。
「虚位相砲自体は、ずっと前から構想されていた。
でも――完成したのは、本当に“直前”。」
彼女は端的に告げたが、その言葉の内には驚きの感情が混ざっていた。
「直前……。
"仮想空間"の解析で、完成したってことか。」
カナンは走りながらその言葉を要約する。
靴底が崩れた舗道を踏みしめ、焦げた鉄骨の匂いが、風に混じった。
セラは横目で彼を見る。
「ええ。享楽者の両腕に宿っていた“空間操作”の理層構造。
それを解析したことでようやく、粒子制御が安定した。」
淡い光が彼女の頬を照らす。
兵器……と呼ぶには世界を揺るがしすぎる威力の砲台。
その開発にどれだけの労力が掛かったのか……
技術者としての知識がないカナンでも、その事は容易に想像が出来た。
「後は……イヴの存在も大きいでしょうね。」
セラは小さな声で呟く。
「彼女の記憶がなければ、あの出力は制御できなかったでしょうし。」
完成の瞬間は見てはいないものの
セラは、"最後のピース"がイヴである事を、確信していたようだ。
その声色には、技術者としての悔恨が混じっていた。
「……あいつ、本当にとんでもねぇな。」
カナンは改めて、幼き少女の人智を超えた力に感嘆した。
そんな彼らの元へ、金切り音のような叫びが届く。
デブリの鳴き声ーー
二人は即座に視線を交わし、雑談を終えて先へと踏み出した。
目的地――ノード・キングの"残骸"が、徐々にその輪郭を露にしていく。
以前訪れた際は、地下通路を経由したため閉鎖的な印象を受けた。
だが遠くの司令塔から一瞥し、真下から実際に見上げた“それ”は
名の通りーー王の城を思わせる威容を残していた。
巨大な構造体が地表を突き破るようにそびえ立ち、半ば崩れ落ちた外壁は、かつての栄光を無惨に晒している。
巨大な領地……けれどそこにはもう、活気はない。
目の前に映るノード・キングはまるで、滅びた王国の墓標だった。
施設の裏側に回っていた二人は、邪魔されることなく城壁に辿り着く。
だが内部へ入城できそうな経路はない。
迷うカナンを見て思考を読んだのか
「ーー物資の搬送口から、内部へと侵入する。」
セラは頭上の空洞を指差して、身体をふわりと浮き上がらせた。
周辺に生えた背の高い木や、突き出た鉄骨を蹴り、彼女は軽やかに舞い上がる。
外壁の残骸を伝い、わずか数秒で高台へと到達した。
月光の光を背にした髪が美しく煌めく。
「……おいおい、相変わらず身軽だな。」
見上げながらカナンが呟く。
セラは振り返り、わずかに口角を上げた。
「理層制御を応用しただけ。
あなたもやってみたら?」
「俺の理応変換機構に、翼は付いてねぇんだよ。」
立ち尽くす彼に、セラは短く息を漏らした。
「じゃあ、手を貸す。」
そう言うや否や、彼女は短刀から淡い光を伸ばし、カナンの足元を照らした。
光の粒が合わさって板のようなものが顕現される。
セラは踊るように回転し、その光がいくつか階段飛ばしに設置された。
その光の粒たちには物理判定があり、どうやらパルクールしてこいとの事。
せっかくなら、運んでくれればいいのにーー
とは言えなかった。
「……これも、理層の力か。」
カナンは光を蹴って高台へと跳び上がる。
セラは彼が登った事を確認し、新たな理を話し始めた。
「これは"理現"
理層を、現実に作用させる、特殊な理応装置の理層《理層》能力。」
「……?」
言葉の中に“理”が何回出たか分からない。
……当然、"理解"などできるわけがなかった。
その後、イヴの記憶変換や、ウォーレンスの出力操作やら説明されたがーー
IQを下げたカナンは、頷くフリだけして聞き流したのだった。
ーー満足したセラと、知力を取り戻したカナンは、崩れかけた搬送口の奥を見据え、進み始める。
そこはまるで、時間そのものが止まったような世界だった。
音を感じない程の静寂。
空気は、呼吸を拒むほどに冷たく淀んでいた。
焼け焦げた壁、黒ずんだ床。
天井からは、金属片が垂れ下がっていた。
音が反響し、通路のはずなのに広い空間のように感じる。
「……命の気配が、しない。」
セラの声は、かすかに震えていた。
返事をしたカナンの声さえ、壁に吸い込まれていく。
二人の足音が、世界で唯一の“音”になっていた。
呼吸が、耳の奥で鳴る。
心臓の鼓動が、自分の存在を無理やり確かめさせるように響く。
この場所では――“生きている”ということすら、異物のように感じられた。
やがて――
薄暗い通路の先に、ひとつの影が立つ。
黒い。
まるで闇そのものが人の形をとったような、真っ黒な人影。
セラが息を詰め、カナンが一歩だけ前に出る。
照明の届かぬ場所で、その影はゆらりと揺れた。
生存者――そう思ったのも一瞬。
肌の下で支配が軋む。
生の鼓動が、そこにはなかった。
「……悪いな。」
刃が、音もなく走る。
敵に気づかせる間を与えず、カナンは一閃した。
残滓のような紫の粒子が舞い上がり、空気に溶ける。
金属の匂いがわずかに鼻を刺し、静寂が戻った。
セラは目を伏せ、祈るように小さく呟く。
「……もう、楽になるといい。」
その声だけが、死んだ世界で唯一“生”として木霊した。
***
搬入口の通路を抜けた先――
わずかに明かりが差し込む廊下に出た。
天井の配線が垂れ下がり、壁面には焼け焦げた痕がいくつも残っている。
そこは、外の荒廃とは違う“かつて人が暮らしていた”痕跡を、まだ残した場所だった。
セラが足を止め、周囲を慎重に見渡す。
「……ここから先は、施設の住居エリア。」
藍の瞳が、奥の闇を射抜いた。
「恐らく――デブリも、相当数いるはず。
でも……彼らも、もう“生きて”はいない。」
わずかに唇を結び、静かに続ける。
「だから……楽にさせてあげましょう。」
冷たさと、悲しみが滲ませられた声色。
それは命令ではなく、祈りのような響きだった。
カナンは黙って頷き、理応変換機構を握りしめる。
黒色の輝きが掌に宿り、微かな唸りが空気を震わせた。
***
〈ノード・ナイト〉司令室。
理層モニターが淡く脈動し、無数の数値と波形が画面を流れていく。
虚位相砲の砲撃成功により、緊張に満ちていた空気が、わずかに緩む。
ルシェの澄んだ声が通信越しに響いた。
『近辺の動体反応――大幅な低下を確認。
被害報告なし。
巻き込まれた兵士も、確認されておりません。』
報告を受け、ルドは目を閉じて小さく頷いた。
静かな安堵がわずかに滲む。
だが、その次の言葉は冷徹な現実を告げるものだった。
「……うむ。
だが、残念ながら予測通りだな。」
彼はホログラム上に投影された、兵装の構造データへと視線を落とす。
「――こいつ《フェイザード》は、もう使い物にならん。」
ルシェが短く息を呑む音が聞こえた。
モニター上の出力値は、臨界点を超えて崩壊の曲線を描いている。
「再起動も……不可能、ですね。」
「……まぁ仕方なかろう。
理想を現実にするには、ちとばかし時間が足りなかったようだな。」
ルドの声には、達成の誇りと――軍師としての儚さが同居していた。
一瞬だけ静寂が訪れ、淡い光が彼の横顔を照らす。
その表情に迷いはない。
「……よくやったな。」
誰に向けたのかも分からぬほど小さな呟き。
だが次の瞬間には、彼はもう“戦場の指揮官”へと戻っていた。
「ウォーレンス、戦場の様子はどうだ?」
声の調子が変わる。
先ほどまでの静けさは消え、戦況を読む鋭さが戻っていた。
ノイズ混じりの通信が返る。
『……敵の数は減少。中央付近はほとんど制圧したが、虚位相砲でも仕留められなかったデブリが、複数存在する。
恐らく……強化個体だ。』
ルドは短く沈黙したのち、問いを投げる。
『増援は必要か?』
わずかな間の後、低い声が返る。
『いや、問題ない。……この程度の数なら、俺たちで片をつける。』
静かな自信と、戦場に染みついた覚悟が、ウォーレンスの言葉に宿っていた。
『了解した。では任せるぞ、王子……!』
通信が途切れた後
ルドは目を細め、戦術盤へ視線を落とす。
点滅する複数の赤いマーカーとは別に、周波の特定出来ない信号が、“心臓”のように脈打っていた。
「……そうか。」
短く息を吐き、腕を組む。
「やはり――奴はまだ、この戦場のどこかで、“見て”いるな。」
(……反応が消失しない。)
理層波のグラフが、わずかに脈打つ。
沈みきらない赤の光点が、まるで鼓動のように点滅を続けていた。
(これだけのデブリを駆逐されてもなお……奴が姿を表さない。
なぜだ……?)
ルドは唇を結び、データの波形を凝視する。
数値の異常は無い。
だが、理層の“揺らぎ”だけが消えずに残っている。
(潜伏か……いや、違う。
反応そのものが“動いていない”。
まるで――観測されることを前提として、盤上に居座るように……。)
盤上の灯りが、軍師の瞳に反射する。
その表情に、嫌な予感が影を落とした。
次の瞬間――。
ノイズ混じりの通信音が、静寂を裂く。
『……ルド、こちらカナン。
デブリに追われてるから、手短に言う。』
背後で金属が弾けるような音。
荒い呼吸と、戦闘の音が混じり合う。
ルドはすぐに姿勢を正し、冷静に応答した。
「どうした。カナン。」
一瞬の間を挟み、通信の向こうから息を詰めた声が響く。
『――生存者が見つかった……!』
その言葉に、司令室の空気が凍りついた。
ルシェが思わず端末を見やり、ルドも瞳を細める。
「……デブリでない保証は?」
『あぁ……大丈夫だ。
心拍も呼吸も確認した。
気を失ってはいるが、まだ“生きてる”。』
ノイズが混ざり、通信が一瞬途切れる。
それでも、その声の震えだけは、はっきりと届いていた。
ルドはゆっくりと目を閉じ、低く息を吐いた。
閉じた瞼の奥で、可能性の光が脈を打つ。
ーーそして次の瞬間、再び彼は軍師の顔に戻った。
「カナン、セラと共にこちらに戻れ。
解析班のテントに、保護場所を用意しておく。」
『……了解した。
それとルドーー。』
ノード・キング内にはまだ大量のデブリが居た。
そっちも気をつけろ
何かがおかしい……。』
通信が途切れ、再び静寂が訪れる。
ルドは無言で視線をモニターに戻し、わずかに眉を寄せた。
その瞳の奥に宿る光は、確かな予感とともに――新たな“異変”の始まりを映していた。
「……生存者、そして――大量のデブリ。」
カナンから告げられた情報を、ルドは小さく復唱した。
思案に満ちた沈黙が、司令室の冷えた空気に溶けていく。
モニターの光が、彼の瞳を照らした。
「……あの惨状のノード・キングで、まだ“生きていた者”がいたというのか。」
その言葉は、希望ではなく――静かな衝撃だった。
一瞬の沈黙。
端末の稼働音だけが、遠くでかすかに鳴り続ける。
ルドの中で、戦略の天秤がわずかに揺れた。
だが、迷いは長く続かなかった。
「――いや、今は考えるな。」
小さく息を吐き、彼は指先で端末に触れる。
モニターの光が指先を包み、決断が音となって空気を震わせた。
「後方部隊を出せ。
デブリの大量発生が予想される。
前線の維持が崩れる前に、援護を配置しろ。」
低く、しかし確かな声。
それは命令であり――同時に、願いでもあった。
***
焦げた鉄の匂いが、喉の奥に張りついていた。
崩れかけた通路の中――カナンは背に“少女”を抱え、息を殺して駆け抜ける。
瓦礫が崩れる音、焼け焦げた壁のきしむ音。
そのすべてが、まるで警鐘のように追い立ててくる。
背後では、デブリたちの群れが蠢いていた。
歪んだ肉体を擦り合わせ、地を這うような足音を響かせながら、ゆっくりと、しかし確実に距離を詰めてくる。
「くそっ……! 数が多すぎる!」
背に負った少女の体を抱え直しながら、カナンは荒い息を吐く。
その重みが、生きている証のように――背中に確かに伝わってきた。
「カナン、右の通路へ!」
セラの声が飛ぶ。
その瞬間、彼女の短刀が閃光を描き、迫るデブリの頭部を貫いた。
肉片が宙を舞う。血みどろの死骸と化す。
それでも、後ろから湧き上がるように群れは止まらない。
カナンは腕を後方へ伸ばし、銃口を向けた。
撃ち放たれた弾丸が通路を駆け巡り、デブリを数体まとめて吹き殺す。
だが――終わらない。
殺しても、殺しても、奴らは湧きたてる。
「……チッ、しぶとい連中だな。」
カナンは歯を食いしばり、背の少女をさらに強く抱え直す。
「――生きて帰るって、言っただろ……!」
熱に焼かれた空気が、彼の頬を裂く。
背後の通路が崩れ落ち、轟音とともに塵が爆ぜた。
ーー少女を見つけたのは数分前のことだった。
通路を駆け抜けながら、二人は次々とデブリを斬り伏せていく。
刃が火花を散らし、血と鉄の匂いが立ち込める。
「司令室に向かう……。」
セラがただ一言、淡々とそう告げた。
カナンは黙って頷き、黒き刃で道を切り開いていく。
目標地点など、誰にも決められてはいない。
それでも――二人は“そこ”を目指す事に決めた。
ミネが、あの場所で生きていてほしい。
ただ笑って、彼女が待っている事を祈って……。
迫り来るデブリを掻き分け、刃を振るうたび、赤い飛沫が闇を照らす。
焼け焦げた通路を抜けた先、
二人は、ようやく重厚な扉の前に辿り着いた。
焦げた金属板の隙間から、微かな光が漏れている。
セラは荒い呼吸を整えながら、手を扉に触れた。
冷たい……だが――その奥に、確かに何かの“気配”がある。
「……。」
無言で頷き合い、二人は同時に踏み込んだ。
鉄の扉が軋みを上げ、ゆっくりと開いていく。
その先に、彼らが見たものは――
無数の死体でも、血の海でもなかった。
ただ一匹の“デブリ”ーー
その黒い影が、呆然と部屋の中央に立っていた。
それは静かに、こちらへ振り返る。
まるで――帰りを、待っていたかのように……。
理現
――理を超えた力が、この現実に“顕れる”現象。
この世界に存在するすべてのものには「理(=法則)」がある。
理現とは、理層から力を引き出し
人智を超えた現象を、現実に引き起こすことを指す。
ただし、発動には“理を超えた素材”を媒介とする必要がある。
たとえば、享楽の霧結晶体のように
通常の物質とは異なる構造を持つものがそれにあたる。
装置や武器を理現させることで、
・空間や物質に対して、人智を越えた干渉を与える
・装置や使用者の能力を、理の限界を越えて引き上げる
――といった現象が発生する。
⸻
【カナンの理現】
理応変換機構を介して発動される、常時起動型の理現。
理層波を操作し、イヴから送られる“真実”を人の認識へと変換する理層操作能力。
それはまるで、“理層の言葉”を現実に翻訳するような力。
【ウォーレンスの理現】
理応変換機構を介して発動する装置完結型の理現。
肉体と精神の強度を理層演算によって数値化し、
出力の限界を超えて倍率補正を掛ける力。
【セラの理現】
理現する生命構造を介して発動する空間干渉型の理現。
No Data
断片的なデータから推察されるのは、
彼女が理そのものを観測し、制御する側に立っていたということだけ。




