52話 『粒子の奔流』
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古びた机の上、燭台の光がゆらめく。
黒曜の影は、その光に照らされながら、指先で古書の背を撫でる。
「……また、記録が更新された。」
漆黒の外套を纏った人物が、小さく息をついた。
フードの奥で、"赤い瞳"がゆらめく。
「ーー反逆と享楽。
どちらもまた、世界の演算に組み込まれた
”過程”にすぎない。」
ページの隙間から、光の粒が零れて消える。
「でも……君たちは抗い続けた。」
「刻まれた運命を、己の意志で書き換えようと…
ーー正直、あまり期待はしていなかったのだけどね……。」
影はゆっくりと視線を上げた。
「――さて。
次に記される反逆は、“誰の記憶”になるのかな?」
その声は、確かに“こちら側”を見据えていた。
「……たとえ世界が崩れようとも――
『記録』だけは、終わらない。
ーー"これ"も君たちにとっては、仮想の物語なのかな……。」
淡い光が書物を包み込み、世界は再び霧に沈む。
新たな頁は開かれる。
綴られた先にある、“結末"へ向けて。
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――怖くなんて……ない。
セラは自分にそう言い聞かせながら、武器を手に取った。
理現する生命構造が唸り、光を帯びて震える。
頭の中で、何度も声が響く。
「……お姉ちゃんは、生きてる。」
それだけを信じて、彼女は歩き出す。
「ーーあぁ……ミネなら
……帰ってくる。
そして……こちらの気も知らずに、軽々しく笑顔を向けてくるんだ。
きっと……そうに、違いない……!」
カナンは彼女の隣で、言葉を紡ぎながら、拳を握りしめる。
彼もまた、自分に言い聞かせるように……。
手のひらで、冷えた風の粒がわずかに震えていた。
一筋の希望を見据える彼らへ応えるように――無線からノイズが走る。
『……各員、配置に着いたな。』
ルドの低い声が、混線の向こうから届く。
それは確認のようでいて、祈りにも似た響きだった。
押し殺した緊張が、通信越しに伝わってくる。
息づかいひとつさえ、重たく伝導した。
『再度、通達する――
目標は、享楽者の殲滅だ。
まずは奴を"戦場"へ誘き出す。
集められたデブリを、徹底的に駆逐せよ。
ノード・キングへこれだけの数を集結させたのだ。
奴が黙って、駒の消耗を傍観しているわけがない。』
爆ぜる火花が空を裂き、夜の海を照らす。
鉄の匂いが混じった風が、隊員たちの頬を撫でた。
地面を揺らす重機の駆動音、装備の擦れる音。
戦場は、いままさに息を呑む“前夜”を迎えていた。
無線から再び、ルドの通達が流れる。
『ウォーレンスを部隊長、リオンを副隊長として編成を組む。
各隊はそれぞれの持ち場で、指揮に従え。』
短い沈黙。
『――セラ、カナン。
お前たちは別行動だ。』
その後、ルドから告げられた言葉に、カナンとセラは顔を上げる。
『……ノード・キング内部へ侵入し、生存者の救護を行え。
だが……無理はするな。
お前たちが帰らねば、意味は無い。
命を、置いてくるでないぞ……。』
ルドは釘を刺すように、短く警告を送った
風が砂を巻き上げ、遠くで砂嵐が起きる。
戦場に設営された解析班のテントから、輝く粒子が空を漂い、光を滲み出す。
研究者たちも戦場へ赴き、その先にある“敵の姿”を探していた。
ーー通信が再びノイズを走らせ、今度はルシェの声が聞こえてくる。
『現在、戦場に享楽の霧は、ほとんど確認されておりません。
状況からの断定ではありますが……
享楽者本体は、"霧を発生させる器官"を失っていると考えられます。』
淡々とした解析報告――
冷静な調子の奥には、わずかな焦燥が滲んでいる。
『――ただし、確定情報ではありません。
逆位相空間で確認された模倣体と同様に、
両腕による空間操作、デブリの集結以外にも、未観測の能力を行使する可能性がございます。
各員、慎重な対応をお願い致します。』
ルシェの通信が途切れる。
その直後、入れ替わるように――ルドの低い声が無線を満たした。
『――注意事項は以上だ。
再度、警告する。
命が惜しくば、享楽者との単独戦闘は避けろ。
戦局は、一瞬で変化を遂げる。
……油断するな。』
短い沈黙。
通信のノイズが、かすかに空気を震わせる。
まるで逆奪者たちの呼吸を待つように――
一拍の間が、静かに落とされた。
そして次の瞬間、世界はその沈黙を破る。
最後の作戦が、咆哮のように狼煙を上げた。
『――只今より、享楽者殲滅作戦を……開始する!
これは命令だ。ーー決して死ぬな……!』
轟音にも似た声が、空間を貫く。
静寂を砕くようにーー
"最終決戦"が、幕を上げた。
***
兵士が駆ける。
彼らの進行は砂を巻き上げ、夜更けの空を灰色に染めた。
司令塔から遠く離れた前線――。
ウォーレンスとリオンが率いる先陣部隊は、既に戦場の最前へと到達していた。
「総員、展開!
隊列を維持しろ!!」
ウォーレンスの声が響き、鋼鉄の装甲が一斉に駆動音を立てる。
その刃が向かう先にはーー
黒く蠢く“死の群れ”
無数のデブリたちが、波のように広がっていた。
近づく彼らの気配に反応し――
光を失った瞳が、ゆっくりとこちらを向く。
人間だったはずの彼らは、壊れた人形のように首を傾け、ぎこちない動作で姿勢を正した。
その瞳は何も映していない。
彼らには、ただ「生きていた記憶」だけが残っていた。
そして――。
「――ギィァァァァァァァァ!!!」
濁点まみれの咆哮が、空気を裂いた。
群れが蠢き、一斉に地を蹴って突進してくる。
「ーー右翼・左翼、展開しすぎるな!
中央に"敵"を集め、守りを固めろ!!」
ウォーレンスの声が戦場を突き抜け、轟音の中を貫いた。
金属の脚が砂塵を蹴り上げ、前線が形を成していく。
「防衛部隊、前衛部隊――前へ!
リオンの指示に従い、防衛と共に敵戦力を削れ!
後方確認を怠るな、前線を維持するんだ!」
「了解!!」
応答と同時に、閃光が戦場を染め上げた。
赤熱する刃を構え、リオンに続いて部隊が一斉に突撃を開始する。
「熱せよ、赫迅刀……!」
轟く爆音、飛び交う閃光、焼けた鉄と血の匂い。
全てが混ざり合い、混沌が広がる。
リオンは戦場を駆けながら、最前線部隊と連携を取る。
「防衛部隊は、前線を維持しろ!!
攻めではない、戦況の"維持"を行うんだ!!」
灼熱の刀身がデブリを切り刻む。
死体であるものの、その肉体を切りつける感覚は"人を殺す感覚"と何も変わらない。
けれど彼は冷静に、"戦士"として剣を振るう。
騎士の精神だけでは、守れない。
奪われない為には"奪う"ことも必要だとーー彼は、学んだのだ。
砂塵の舞う戦場――
その中央で、ウォーレンスは誰よりも冷静に、戦況を見渡していた。
(リオン……お前はもう、立派な戦士だ。)
目の端でリオンが部隊を率いる姿を確認すると、ウォーレンスはわずかに口元を緩め、即座に無線へと手を伸ばした。
「ルド――
予定通り、デブリたちを中央へと引き寄せた。
後は……任せたぞ。」
『――了解した。
これより、“支援射撃”を開始する。』
ノイズ混じりの通信が返り、司令塔の光が戦場を照らした。
その瞬間、砂塵の向こうに閃光が走り、重低音が地を震わせる。
慌ただしい端末音と指示の声が飛び交う、司令塔。
無数の光が瞬く司令室の中央で、ルドは戦場を見ながら、端末を操作していた。
彼の前には、理層の光を映した戦術盤。
幾つもの赤いマーカーが、じわじわと重なり、マップ中央を染め上げる。
「……状況整備を確認した。
ルシェ、装置の準備はどうなっている?」
鋭い眼差しが光を渡る。
視線の先――
そこでは、二人の少女が並んで作業を進めていた。
ルシェは淡々と端末を操作し、
その隣でイヴは両手を胸に添え、光を宿したまま目を閉じている。
理層が反応し、空間に淡い粒子の流れが生まれた。
「イヴ様の力添えにより、"粒子砲"の射出に問題はございません。」
ルシェの声は知的で淡々としている。
だが、続く報告には不安が混ざっていた。
「しかし……放射後、機体自体が反動に耐えられず、破損することが予測されます。」
一つの可能性ーー
そのリスクを前に、ルドの目が静かに細まる。
ホログラムの光が頬を照らし、影が床に長く伸びた。
「……構わん。」
低く、決意を噛み殺すように呟く。
「撃てーー。
……元より実戦投入は出来なかった代物だ。
ここで朽ちようと、何も問題は無い。」
低く告げられたその言葉に、ルシェは一度だけ瞳を伏せ、
ゆっくりと兵装の起動キーへ指を滑らせた。
「――虚位相/接続、同調音/確認。
リミッター解除、出力安定を確認……」
彼女の解放宣言と共に、無数の紋章が床から浮かび上がる。
青の光が絡み合い、空間全体を満たす粒子の奔流へと変わったそれはーー
やがて、司令室の天井を突き抜け、光の線を大気の層に走らせた。
「――虚位相砲、現界。」
「……キィィィィン……ッ!!!!」
重力が軋むような音と共に眩い光が世界を覆った。
地上の空が裂け、黒雲の隙間から幾重もの光輪が出現する。
姿を現した"それ"は、緩やかに回転しながら、中心に莫大なエネルギーを収束させていく。
その光景は、司令室だけでなく、全ての戦場を文字通り揺さぶった。
「あれは……仮想兵装?」
ノード・キングを目指すカナンもまた、その光の柱を瞳に宿す。
「同じだけど、違う……。
ーー完成……してたのね。」
その隣でセラもまた、微かな驚きを見せた。
装置は段々と回転率を上昇させ、悲鳴のような駆動音を響かせ始める。
その下で、ルシェは複数の端末を叩きながら兵装を操作する。
「エネルギー伝達率、上昇。
まもなく、出力限界を突破します!」
虚空に咲いた巨大な円環が、ひとつ、またひとつと共鳴した。
回転する度に空気が震え、空が灼ける。
天が怒りを宿したように――光の奔流は降臨した。
指先を一瞬止めて、彼女は静かに息を吸った。
モニターに走る警告色の波形が、閾値を超えていく。
「――出力臨界点まで、3……」
無機質で、落ち着いた声。
しかしその声は、司令室全体の空気を張り詰めさせた。
「……2……」
紋章が共鳴を始め、床が震える。
青い光が滲み、壁面の配線が火花を散らした。
「……1。」
一拍の静寂。
すべての音が、世界から消える。
「ーー撃ち抜け(きます)。
……虚位相砲!」
空白の中、ルドとルシェの意思は重なりーー
地平の夜空が、真昼の空へと……反転した。
ーー刻間数秒後、音が遅れて……世界を包む。
"仮想の粒子"はーー現実へと解き放たれた。




