48話 『敬愛』
「一人でお風呂は寂しい!」
そう言い出したイヴに誘われ、ルシェは困ったように微笑みながら、共に歩いていく。
彼女たちの声が反響し、広い浴場に柔らかな明るさを落ちていた。
ーー湯の沸き立つ音と、流れる水の音が響く。
浴槽の波紋が揺れ、湯船に浸かる二人の顔を灯りが照らした。
「……なんとなくだけどーー
"僕たちじゃない"って、言われてる気がする。」
カナンとリオン。
二人の――反逆者と騎士を。
カナンは答えず、ただ目を閉じて宙を見上げる。
その行動には、確かな同意が感じられた。
リオンも遠くを見つめて脱力し、身体を湯に預ける。
男湯で肩を並べた二人の、なんとも言えない空気を他所に――
浴場にはまた、少女の笑い声が弾けた。
「……まぁ、気のせいか。」
リオンは浴槽に沈みながら、ぼそりと呟いた。
しばらくして、湯気の向こうで息を吐く。
「それにしても――湯船に浸かるのは、なんだか久しぶりな気がするな。」
「あぁー、確かにそうか。
別の拠点じゃ、シャワーしか浴びれなかったしな……。」
カナンは湯面をゆっくりと撫でながら答えた。
ノード・キングやノード・ビショップにも浴場は存在していた。
だが、設備の停止や、深夜の清掃作業などの理由で、彼らが湯に浸れる機会はほとんどなかったのだ。
心地よい湯温に眠気を誘われながら、
二人は静かな幸福を噛み締める。
だが、落ち着くには――少しばかりこの空間の輝きは強すぎた。
廊下や他の区画にも見劣りしない、豪奢な浴場。
紋様が絶えず流れる浴槽、白磁のように滑らかな壁。
これでもかと散りばめられた柱灯が、隅々まで空間を彩り、
湯気の向こうの二人を眩い光で照らしていた。
広い浴場に、他の入浴者はいない。
遠くから届くイヴの笑い声が、湯気の奥でゆるやかに溶けていく。
ーーその消えゆく音が、かえって静けさを強く感じさせた。
湯の揺らぎが音を飲み込む中、カナンはぽつりと疑問を呟く。
「なぁ……ルドとルシェって、どっかの貴族かなんかなのか?
『ミネが用意した』って言ってたけど、個人の部屋といい、この浴場といい、あまりに豪華すぎる気がするんだが……。」
隣でリオンが肩まで湯に沈み、目を細める。
「どうだろう?
ーールシェさんの礼儀作法も、一朝一夕で身につけたものに見えないし……
もしかしたら、ウォーレンスさんみたいに、王家の血筋だったりするのかもね。」
カナンは思わず眉をひそめた。
「……??? 王家の血筋?
ーーあの脳筋王子が!?」
湯気の中、リオンが苦笑する。
「カナンは知らなかったのか。
イヴが知ってるから、てっきり分かってるものかと思ってたよ。」
「……あいつ、そんな話してたか?」
カナンは首を傾げた。
(理応変換機構は
記憶の全てを共有するわけじゃない――ってことか。)
リオンは沈黙を察したのか、少し声を落として話を続けた。
「ウォーレンスさんは――旧エデン王国、アストレイン家の第一王子らしいよ。」
「……あいつが、王子……?」
カナンは目を細め、湯の中で頭をかく。
「脳筋の王子とか……どう考えても世紀末じゃねぇか。
あんなに偉そうなのも納得だな。」
「また君はそうやって……。」
リオンが呆れたように息をつく。
先刻の戦いで少しは打ち解けたはずの二人だったがーー
どうやら距離が縮まるには、もう少し時間がかかりそうだ。
その行き違いを作った"張本人"は、
長い髪を洗われながら、優雅に大浴場を満喫していた。
「イヴ様、泡が入らないように――目は閉じたままでいてくださいね。」
ルシェは白髪の艶やかな髪を指先でそっと梳いた。
湯の香りと泡のきらめきが、静かな空気に溶けていく。
「……なんだか、不思議な感じ。」
イヴは目を閉じたまま、微かに笑う。
「誰かに髪を洗ってもらうの、たぶん――初めて。」
「そうなのですね。
……では、少しでも気持ちよく感じていただけるように、丁寧にお流ししますね。」
ルシェは柔らかく微笑み、白髪をすくように指を滑らせた。
「長い髪はお手入れが大変ですが……
イヴ様の髪は、まるで雪のように美しいですね。」
「……ルシェちゃんも、伸ばしてみたら?」
イヴの言葉に、ルシェは少しだけ考え、やがて静かに首を振った。
「いえ……私は、このままで良いのです。」
彼女の声は穏やかだったが、その奥にわずかな寂しさが滲む。
「短い髪の方が――兄様を、そばに感じられますので。」
ルシェの言葉に、イヴは小首を傾げた。
湯気の向こうで、髪先がふわりと揺れる。
「……? ルドと仲良しなんだね。」
問いかけは軽やかだった。
けれど、その一言にルシェの指先が一瞬だけ止まる。
「……はい。」
わずかに微笑んで、ルシェは再び髪を梳き始めた。
「――物心ついた頃から……ずっと、守っていただきましたから。
……お慕いしております。」
その声音は、敬愛とも祈りともつかぬ静けさを帯びていた。
湯気がふわりと揺れ、二人の間に小さな沈黙が落ちる。
やがて、イヴは湯面を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「愛の形は人それぞれだけど……やっぱりあたたかいね。」
「愛……ですか。」
ルシェは手を動かしながら、湯の揺らぎを見つめ返す。
わずかな戸惑いとーー問い掛けのような響き。
「……そうですね。」
ひと呼吸おいてのち、彼女は感情を飲み込んで静かに微笑んだ。
「私は……兄様を、愛しております。」
その言葉は情熱ではなく、穏やかな確信として――
湯の底に沈むように、ゆるやかに広がっていった。
それは恋でも執着でもない
“支える者としての愛”。
崇拝にも似た想いが、静かに彼女の中で息づいていた。
***
ーー〈ノード・ルーク〉司令室
闇に沈む部屋の中、モニターの光だけが形を持って揺れている。
理層データの流れが壁面を照らし、青白い光が静寂を満たしていた。
その中心、無骨な椅子に腰かけた男が一人。
疲労の影と冷静さを湛えた横顔が、静かに照らされていた。
――彼女の“愛する人間”。
長い沈黙ののち、彼は低く、独り言のように口を開いた。
「あぁ、それで構わぬ。」
通信越しの声は低く、淡々としているのにどこか冷たい余韻を残す。
「組織を壊滅させるには、外部から殴るよりも、内部から解体する方が遥かに効率が良い。」
ルドは言葉を区切り、視線を軽く落とした。
その手つきは穏やかだが、言葉の重さは部屋の空気を確かに沈ませる。
「崩れ落ちる石のように、支えを一つずつ抜いてやればよいのだからな。」
一呼吸置く。
彼は相手の反応をじっと待ち、端末の画面をほんの僅かに指で弾いた。
そして、投げかけられた疑問を復唱する。
「……何故ここまで必死になるかだと?」
短く笑うような音が混じった。
「愚問だな。
全ては――この街を……
"本物の楽園"へと昇華させるためさ。」
創造と破壊。
まるでその理を語るように、
小柄な軍師――ルドは、口角をわずかに上げてそう告げた。
通信が切れ、室内に静寂が戻る。
理層の光が脈動を刻み、試験槽の中で液体がゆらめいた。
無数のコードが絡みつくその内部で“何か”が確かに息づいている。
ルドは静かに立ち上がり、手元の端末を閉じた。
薄闇の中、独り言のように低く呟く。
「生きることは、最も愚かで、最も尊い。
――だからこそ、我々は"死"を欺かねばならないのだ。
人は……生きるために、生まれたのだから。」
試験槽が光を帯び、
内部の“理層構造”が螺旋を描きながら形を変えていく。
それは金属にも、血肉にも似た――“生きた構造体”だった。
反応値が跳ね上がり、装置が微かに悲鳴を上げる。
ノイズが弾け、生命の鼓動が薄く震えた。
そして命は、集束する。
ーー反逆者たちは知らなかった。
この時すでに、“一つの芽”が、
世界の形を変え始めていたことを。




