46話 『陽離』
稚拙な人形劇は、静かに幕を下ろす。
仮想で作られた空想譚は、逆奪者たちの反逆によってエンドロールを切り裂いた。
崩れた幕の向こう側で――
新しい“現実”は、静かに息を吹き返していた。
『理層波、収縮を確認。
逆位相空間――消滅しました。』
ルシェの一言によって、作戦の終わりを誰もが悟る。
光指す石造りの床に、涙の雫が落ちていく。
それは血と灰に混じり、静かに世界へと溶けていった。
逆奪者たちは勝利を噛み締める。
だが、彼らの中に歓喜はない。
この戦いで、あまりにも多くの仲間が――
彼岸へと向かってしまったのだから。
地面を照らす陽の光が、魂の残滓を抱きながら、涙を乾かしていく。
戦場の跡に残ったのは、失った者たちが繋げてくれた"命"だけだった。
***
『……そうか。トルヴァは、逝ったのだな。』
ノード・ルークの通信モニターから、
ルドの悲痛な声が静かに響いた。
一瞬、誰も言葉を返せなかった。
報告を聞くミネの表情も沈み、
手元の端末を握りしめたまま、ただ唇を噛みしめる。
後悔と悔恨の残る声で、カナンは告げた。
『悪い……守れなかった……。』
通信の向こう側で、短い沈黙が落ちる。
誰も、その言葉を否定できない。
灰にまみれた彼の顔を、仲間たちはただ見つめることしかできなかった。
そんなカナンへ、ルドが低い声が返す。
『いいや……お前は、守ってくれた。
最後まで――あいつの……トルヴァの誇りを。』
深い息を吐いた後、ルドは続けた。
『カナン……彼を――彼岸へ送ってくれたこと。
逆奪者を代表して、改めて感謝しよう。
近いうちに墓石を建てる。
どうか、顔を見せに行ってやれ。』
カナンは小さく頷き、目を伏せる。
親しい友を失った
その事実は、決して消えない。
――だから彼は、
その“死”を背負って、生きていくと決めたのだ。
(……悪いな、トルヴァ。
俺は――もっと強くなる。
だから、当分“彼岸”には行けないな。)
カナンの失った代償は、大きかった。
けれど――それ以上に、
大切な人間を失った仲間もいた。
「ーーウォーレンス……」
かける言葉が見つからず、リオンはただ、彼の名前を呼んだ。
「……気は使わなくていい。」
その雰囲気を察したのか、ウォーレンスは短く息を吐いた。
目線を落とし、拳を見つめる。
その指先には、まだ乾ききらない血がこびりついていた。
一瞬だけ、その手が震える。
だが彼はすぐに力を込め、いつものように声を整えた。
「あいつは、道を踏み間違えた。
だから、俺が裁いただけだ……。」
裏切り者であり、同時に――
彼自身の“弟”であったヴァルツ。
その命を、自らの手で絶った感触は、未だ拳に残っていた。
壊れた篭手を握りしめ、
彼は一言だけ告げ、口をつむった。
その沈黙が、言葉よりも雄弁に、
彼の痛みを映し出していた。
ーー前衛部隊Aのメンバー、トルヴァを含む四名。
そして、彼らの救出へ向かった前衛部隊B・Cの三名。
さらに、裏切り者となったヴァルツ。
そして、彼の手によって命を落とした、数百名の逆奪者たち。
本作戦における犠牲は、
“還元”とは真逆の――甚大な喪失となった。
だが、戦果は大きい。
享楽者による模倣体実験の阻止。
そして――彼の両腕に秘められた“空間操作”という、新たな理の断片。
黒幕を追い詰めるための手掛かりを、彼らは確かに掴んだのだ。
知識は力となる。
彼らは“生き残った者”として刃を磨き、真の敵へと反旗を掲げていくのだ。
生きて立つこと。
それこそが、死者へと出来る
"唯一の弔い"なのだから。
『――報告は以上となります。』
ルシェの無線が途切れ、管制室に静寂が落ちた。
戦いの余熱が、まだ空気の中に微かに残っている。
誰もが言葉を失い、ただモニターに映る数値の安定を見つめていた。
ーーその静寂を破るように、ルドの低い声が響く。
『ウォーレンスよ、心労のところ申し訳ないが……追加連絡だ。
悪いが、ノード・クイーンに解析拠点を立てたい。
調査班が滞在するため、客室を用意してもらえないか。』
通信の向こうで、わずかに息を整える音が混じった。
ウォーレンスが、低く掠れた声で問い返す。
「解析拠点……
ここ《ノード・ナイト》ではダメなのか?」
『簡易設備では、理層を調べるのに手間がかかるのだよ。
我々は――最高技術者のような天才ではないのでな。』
皮肉を含めて、ルドが返答する。
通信の奥で、控えめなくしゃみの音が混じった。
ウォーレンスは、それを耳に入らなかったことにして口を開く。
「……理解した。
だが、戦闘訓練で集まっている兵士たちで、部屋の空きがほとんど無い。
調査班を迎え入れるとなれば、療養設備が不足してしまうな。」
『ふむ……何人ほどだ?』
端末とにらめっこするルドの問いに、ウォーレンスが資料を見渡しながら答える。
「前衛部隊には専用の部屋が用意されている。
治療が必要な兵士も、今回は少ない。
だから部屋も無く、療養が必要なのは――」
言葉を切り、彼は視線を上げた。
司令室の隅で、包帯を巻かれたまま座っている男がひとり。
灰に塗れた、傷だらけの反逆者が目に入った。
「……カナンだけだな。」
ウォーレンスは、一人だけ異様なほどボロボロな青年を見つめ、若干引くように無線を返した。
「なるほど……。」
ルドは端末から視線を上げ、即座に告げた。
『ならば、こちらで預かろう。
"三人"まとめて、送るが良い。』
一拍置き、端末越しに言葉を続ける。
その声には、どこか誇らしさが滲んでいた。
『――カナン、リオン、イヴ。
"外界の反逆者"たちよ。
ノード・ルークにて、其方らを歓迎しよう。』
***
風の音が近づいてくる。
理層の粒子が舞い上がり、ホタルのような光が地面を撫でた。
やがて――彼らの前に、ひとつの影が降り立つ。
それは球体のような形をした輸送機。
透明な外殻に包まれ、頭上ではプロペラが静かに回転している。
灰と光の狭間を滑るように浮かび、理層波の流れを纏っていた。
「すごーい。
空を飛ぶ乗り物!?」
イヴが目を輝かせて、それを見る。
そんな彼女に、ミネが微笑みながら説明する。
「“ノード・ライン”だよ。
各拠点を繋ぐ、物資輸送用の運搬装置。
……で、これはその特別仕様、人間搭乗型ってわけ。」
「ノード・クイーンのものは、しばらく稼働していなかったが……問題なく動きそうだな。」
ウォーレンスが淡々と告げる。
さらっと怖いことを言うその口調に、リオンが引きつった笑みを浮かべた。
「いきなりプロペラが弾け飛んだりしないよね……?」
「大丈夫、大丈夫!
私も毎日乗ってるけど、とっても快適だから!」
ミネは明るく笑って励ました。
……だが、その言葉に“安心できる理由”など、ひとつもなかった。
『今のところ一度も落ちてないから大丈夫……多分。』
庇うように放たれたセラの言葉は、さらに不安を重ねることになった。
苦笑するカナンとリオンの横で、イヴは楽しそうに笑う。
灰に沈んだ戦場の記憶が、ほんの少しだけ遠のいていった。
《ノード・ライン》
各ノード拠点を繋ぐ物資輸送の要。
理層波によって形成された“航路”を通り、
球状の輸送体が空を滑るように行き来する。
通常は物資運搬にしか使われないが、
キング、クイーン、ルークにはそれぞれ一基ずつ――
人員を運ぶための特別仕様が配備されている。
カナンたちは、その特装機体へと乗り込み、戦場を後にする。
プロペラの風が灰を巻き上げ、光の粒を空へと攫っていく。
ノード・ラインの球体がゆっくりと浮上し、淡い理層の軌跡を描いた。
『さらば〜少年少女たち〜!』
ミネは、風に髪をなびかせながら手を振る。
その横でウォーレンスは腕を組み、騒音の中で小さく呟いた。
「……カナン、今までーー悪かったな。」
風音にかき消されるかに見えたその声に、イヴが敏感に反応する。
ぴくり、と頬を上げて――
「カナン、かっこ悪かったって!!」
なぜか嬉しそうに地上を指さすイヴの言葉で、カナンが一瞬、息を止めた。
「……あ?」
刃のような声が漏れる。
その一瞬の静寂を経て――
怒りが爆ぜた。
「おい! 脳筋王子!!
誰が“かっこ悪かった”だ!?
そんなに殴られたいなら、望み通り一発食らわせてやるよ!!!」
機内から怒号が飛び、カナンが身を乗り出す。
「正々堂々戦ってやるから、そこで待ってろ!
ウォーレンスーーーーー!!!!!」
リオンがそんな彼へ飛びつき、必死に押さえ込む。
そんなやり取りを置き去りにして、機体は揚力を得て空へと舞い上がる。
プロペラの唸りが増し、球体は高く、宙へと登った。
全てを分かった上で、“間違い”を教えたイヴが、くすくすと二人を見て笑う。
地上では、ウォーレンスはふっと肩を揺らして笑い、静かに背を向けた。
「……人は、すぐには変わらないものだな。」
微かな温度と決意を胸に、彼は歩き出す。
その後ろで、飛び立つカナンたちを見上げながらミネが笑う。
『いや〜、若者は元気そうで羨ましいね〜!』
灰と陽光が交差する空の下、ノード・ラインは理層の光に包まれ、ゆっくりと消えていった。
【第二章/中編 『人形劇』ーー終幕。】
というわけで、数十話続いた中編ですが、これにて終了となります。
理についての設定にかなり苦労しましたが、何とか文章に落とせて良かったです。
余談ですけど、空に旅立つ描写って良いですよね。
お気に入りの楽曲を流して、EDを想像するのが楽しいです。




