45話 『全てを背負う者』
ーー神を模倣した片割れは霧散した。
紫の光がほどけ、黄金の蔦が音もなく崩れ落ちる。
理を喰らい続けた“享楽”の半身は、塵となって舞台に散った。
灰のように散りゆく砂塵から、黒き刃が姿を現す。
レベリアンの刃は、なおも微かに震えていた。
理層を貫き、虚構を斬り裂いた反動が、血の匂いと共にカナンの腕を焦がしている。
『模倣体、一体の反応停止を確認。』
ルシェの無線が、灰の海へと鳴り響く。
焼けた幕、崩れた天井、倒れた兵士たち――
そのすべてが、犠牲の上に成り立った勝利を物語っていた。
まるで、劇場そのものが“惨状”を証明する碑のように。
「……次だ。」
掠れた声が、静寂の中に落ちる。
だが、その光景を目にしても、カナンの瞳には光が宿っていた。
それは勝利の輝きではない。
“正しさを貫いた代償”ーー
"死"を受け止めて、見据える光。
息を吐き、夜空を摘むように刃を持ち上げる。
刃先から、ひと筋の赤が滴り落ちた。
灰と血が混ざり、舞台の上で静かに溶けていく。
散りゆく命と共鳴する様に……。
ーーゴォォンッ!!!!
カナンたちが片割れを断ち切った瞬間、
鈍く低い衝撃音が、焼けた劇場を震わせた。
金属でも岩でもない。
“何か生きているもの”が、ぶつかり合うような音――。
硬質な蔦と、ウォーレンスの篭手が噛み合う。
理と理が擦れ合い、火花が散り、空気が爆ぜた。
圧力で灰が吹き飛び、
静寂だった世界が、再び現実の“音”を取り戻す。
『連戦で悪いけど――ウォーレンスの援護に行ってあげてー!』
ミネの声が、ノイズ混じりに通信へ飛び込んだ。
『ウォー君の力でも押し切れないなんて、個体差でもあるのかな〜??』
「何か特殊なデブリでも混ざってたりするのか……?」
ミネの言葉にカナンは仮説を投げかける。
『恐らく――“受肉”段階での、馴染みの差。』
だが、その通信に割り込むように、苦味を帯びた声でセラが答えをくれた。
『熱せられた金属は柔らかい。
だからこそ、形を変えやすく、同時に脆い。
逆に、長く冷やされた金属は内部の歪みが抜け、衝撃にも耐える“鋼”になる。』
通信の向こうで、短い沈黙が走る。
『つまり、同じ“理の肉体”でも、
時間をかけて空間に馴染んだ方が、圧倒的に耐久性が高いということ。
今ウォーレンスが相手にしているのは、その――冷え切った方。
いわば、完全に“この空間に馴染んだ鋼鉄”。』
ゴォォン……!!
再び、世界に轟音が響いた。
地面が軋み、空気が震える。
「呑気に語ってる余裕は無いな……!
リオン、行くぞ!!」
「――あぁ!!
終わらせよう……この戦いを!!」
リオンの叫びが、灰色の海を裂いた。
逆奪者たちの全勢力が集結し、焦げた空気が震える。
戦場はまた、動き出す――。
***
ギンッ!!
ギンッギンッ!
拳と蔦がぶつかり合う。
鉄が悲鳴を上げるような音が、劇場の奥に反響した。
ウォーレンスは模倣体の絡みつくような蔦を殴り飛ばしながら、
その中心――“核”の破壊を狙っていた。
ーーガキィンッ!!
装甲越しに伝わる衝撃が、腕の骨を軋ませる。
拳が焼ける。呼吸が乱れる。
「……ッ!!!
なんて硬さしてやがる……!」
蔦が軋み、蠢く。
焼けた鉄のような匂いが鼻を刺し、拳を締め上げる蔦の束がうねった。
ウォーレンスは腕を引き剥がし、逆にその反動を利用して踏み込む。
金属と肉が混ざり合った異形の胴へ、拳を叩き込んだ。
ーードゴォッ!!
紫の火花が散り、蔦の一部が弾け飛ぶ。
だが、模倣体はビクともしない。
その表面から漏れ出す紫光は、まるで命そのものが嘲笑しているようだった。
「ウォーレンス!!!」
そこへ、カナンたちが駆けつける。
焼けた灰を踏み、刃を構える仲間たち。
ウォーレンスは後ろに飛び、彼らに並び立った。
集合した逆奪者たちは、ただ目の前の敵を見据え、鋭い目つきで睨みつけている。
ーーそんな彼らを一瞥するように、模倣体はゆっくりとこちらを振り返った。
花弁の奥で、紅い片目が細く歪む。
「……感謝するぞ、逆奪者たちよ。」
低く、湿った声が劇場に響く。
その響きは、神の啓示にも似ていた。
「感謝する?
いきなり気味悪いこと言いやがって、何が目的だ……。」
不気味な言葉のおぞましさから、カナンが疑問を投げかける。
模倣体の片割れを葬った、反逆者
彼へと視線を移し、享楽者は語った。
「君たちおかげでーー私は“死”を体験した。」
紫の霧が、瞳の奥から溢れ出す。
その光は、怒りではなく理解の証。
「つまりーー"死ぬ"ということを、学習したのだよ……!」
ーーリオンが目を見開く。
「まさか……!!!」
次の瞬間、切断されていた蔦が震え出した。
音もなく蠢き、断面が光を帯びて――再び“繋がる”。
焼け焦げた肉が再構築され、黄金の装飾が元の形へと戻っていった。
「そんな……ありえない。
再生能力は……模倣されていなかったはずだ!」
だが、現実は否応なく突きつけられる。
“死を学んだ模倣体”は、今――
己が瞳の理を、完全に再現していた。
『バイタル数値上昇。
生命反応が……観測限界を突破しています。』
ルシェの声が震える。
『ーー享楽者め……この土壇場で進化を遂げるとは……。』
モニター凝視したルドが、唸るように言葉を絞り出した。
模倣体の中心から、再び紫の霧が噴き上がる。
空気が震え、床に刻まれた焦げ跡が“裏返る”ように光を放った。
まるで、死そのものが命を学習し、理を取り戻したかのように。
――模倣した存在は、“生”を再現し始めた。
「再生し続ける存在……か。」
ウォーレンスが低く息を吐き、拳を構え直す。
その瞳には、一瞬だけ“過去の光景”がよぎった。
焼けた実験場、再生する死体たち
ーーそしてその強化個体。
「カナンーー
つまり、“あの時”と同じだ。
……援護は任せるぞ。」
灰の中で、カナンは短く頷く。
「あぁ……、デカいのを叩き込んでやれ……。」
今は亡き友を思い浮かべながら、彼は黒き刃を振りかざし構えた。
「セラ、奴の核は胴体部分で間違い無いのだな?」
ウォーレンスは無線で再度、模倣体の弱点について確認する。
少しの間を置いて、セラの声が返る。
『間違いない。
理層逆位相転換装置でも干渉できない……。
奴の生命起点、そこを破壊できればーー
私たちの勝ち。』
「了解した。」
ウォーレンスは短く息を吐き、拳を見下ろした。
「なら先に依頼を出す。
……また、こいつ《エグゼキューター》を壊すことになりそうだ。」
無線の向こうで、セラがわずかに笑う気配を見せる。
『……承った。
ーー準備しておく。』
ウォーレンスはふと笑みを零すと、体勢を低く落とした。
拳をぎゅっと握りしめ、力をためる。
その動作が発火の合図のように、周囲に気配を走らせる。
すかさずミネの声が通信を切り裂いた。
『各員、ウォーレンスの援護を!
彼のためにーー道を切り開け!!』
彼女の無線を合図に、灰の静寂が弾け飛んだ。
逆奪者たちは一斉に舞台へ駆け上がる。
焦げた板を踏み砕き、剣を構え、
瞳には“希望”を宿して突き進む。
上空では仮想兵装の環が回転を速め、白い光を帯びながら、地上の彼らを照らす。
その光が合図だったかのように、
享楽者の蔦が、再び蠢き出す――。
黄金の蔦がうねり、裂けた床から噴き出す。
劇場の天井を貫き、空間そのものを縫うように伸びていった。
音が潰れ、世界が悲鳴を上げる。
リオンが叫ぶ。
「全員、防御陣形を取れ!!
無理に切ろうとしなくていい!!」
刃と盾が交差し、灰の嵐が巻き上がる。
その中央で、ウォーレンスは拳を握りしめーー稲妻のような光を帯び始めた。
全身の理応機構が唸りを上げ、拳に紅い雷が奔る。
――ドドドドド……!!
空気が軋み、世界が震えた。
拳へと集う理層波が、音そのものを殺していく。
積み上がるエネルギーが、まるで“神の呼吸”のように世界を歪めていた。
理応変換機構。
それは、拳に宿る“力”そのものを変換し、出力に“倍率補正”を掛ける粉砕装置。
使用者の筋力、生命力、闘争心――
そのすべてが数値化され、理層の演算によって増幅される。
つまりこの篭手は、"精神と肉体が強い程、破壊力を増す"という装置である。
人の限界を越えた肉体は、理層演算と共鳴し、
その拳に“神すら砕く力”を宿す。
ウォーレンスの腕を包む装甲が震え、紅い閃光が脈打つ。
理応構造体が唸り、拳の内部で光が膨張していく。
積み上がる力の奔流に、空間が軋んだ。
「ーーこれが、俺が背負った重荷だ……!」
灰が吹き上がり、紅蓮の光が拳を包む。
まるで、**人の意思を神へ叩き返すための“反逆の鉄槌”**のように、その一撃に全てを乗せて、彼は消えた。
「終撃!!!!」
ーー劇場が歪む。
蔦を切り落とすカナンの横を、
仲間を守るリオンの横を、
黒い稲妻が駆け抜ける。
灰の風が止まった。
音が消えた。
まるで世界そのものが"終わり"を見届けようとしているかのように。
重力が消えたような感覚――
灰が宙に浮かび、光の粒が滞空する。
紅蓮の閃光が瞬き、空気が弾け……
そして、時間が――進み始めた。
ーードガァァァァンッ!!!!!!
衝撃が走った瞬間、音が遅れて爆ぜた。
ウォーレンスの拳が享楽者の胴を貫き、
空間そのものを、“押し潰した”ように歪ませていた。
天井が軋み、床が裂け、光が奔る。
赤い血が滲んだ逆位相空間の外壁が、解けるように消えていく。
残された模倣体の外殻が、静かに霧散する。
灰と光の狭間で――
世界は、静かに“終わり”を迎えた。
*****
『逆位相空間の反応低下を確認。
位相安定値、基準域へ回帰中……。』
セラの報告が、途切れがちなノイズの奥から響く。
劇場はやがて、空虚な石造りの洞穴へと戻り、静寂だけが残された。
「……終わったのか?」
リオンがかすれ声で呟く。
盾を支えたまま、膝を折る。
カナンは息を吐き、黒き刃を地面に突き立てた。
「はぁ……二度と仮想空間なんてごめんだな……。」
他の逆奪者たちも安堵の声と共に力を失う。
その中で一人、両足で立ち続ける者
ーーウォーレンス。
彼は瞳を閉じながら、掲げた拳を静かに下ろした。
紅い篭手からは煙が立ち上り、
焼け焦げた装甲が、戦いの激しさを物語っている。
「…………!」
やがて、生き残った彼らの元に、瓦礫の隙間から光が差し込む。
「いつの間にか、"こっち"は晴れになってたんだな……。」
カナンは眩い日差しに手を当てる。
舞台照明とは違う、暖かな温度を感じられる光。
それは――まるで、“現実”が彼らを迎え入れているかのようだった。
ウォーレンスの武装、理応変換機構は、拳に宿る“理”を変換するために設計された粉砕装置である。
ノード・クイーンの管理者、すなわち副リーダーの選定時にミネから託された一対の篭手であり、
理に抗うための兵装――カナンの〈レベリアン〉と同系統に位置する、拳撃特化型の理応変換機構である。
この武装は、使用者の生体情報(筋力・生命力・闘争心)を理層演算へと変換し、
“精神と肉体の強度”を演算的に増幅させる特性を持つ。
拳は“意志”そのものを演算式に変え、理層を叩き割るための出力へと変換する。
だが、この装置の恐ろしさは、単なる増幅では終わらない。
《エグゼキューター》は、理層演算の臨界点を越えた際、
――世界の法則すら破壊しかねない一撃を放つ可能性を秘めている。
しかし出力制御を逸脱した際には、装置そのものが崩壊を始める危険性を伴う。
制御外となった理応変換機構は、導脈に白光を散らし、やがて拳そのものが“理の外”へと弾け飛ぶ代償を使用者へ及ぼす。
ゆえに、ウォーレンスが握るこの篭手は――
“力の証明”であると同時に、“理性の舵”を要求する装備。
それは、己の意志をもって理を超え、破壊の宿命を背負う者だけが扱える、反逆の鉄槌である。




