43話 『最終演目』
無数の死を縫い合わせた“再現体”。
二体の模倣体は、焼け落ちた劇場にーー
“終焉”を掲げた。
灰が吹き上がり、陽炎が揺らぐ。
紫の霧の中、形を成した“それら”はゆっくりと立ち上がる。
祈りと冒涜が混濁した存在、"神の残骸"は一つの眼で、それぞれがこちらを見据えていた。
行方不明となっていた逆奪者たち。
ヴァルツによって回収された、人形《外傷の少ない死体》は――
模倣体の母材とされ、いまや己の仲間へと“死”を向ける道具となった。
「……化け…物……。」
恐怖を見た瞳の震えが、闇の中へ溶けていく。
全ての点が繋がり、真相は光の下に晒された。
だが、明かされた“真実”が、必ずしも救いとは限らない。
少なくとも――"彼ら"にとってこの真相は、受け止めきれないほどの“絶望”だった。
力が抜ける。
鼓膜から、音が消えていく
静かに崩れ落ちた膝が、無意識に震え続ける。
何度も仲間の死を目の当たりにした……。
そのたびに、胸の奥が冷えていくのを感じながらも、どこかでその幕切れを、“他人の終わり”として見ていた自分が居る。
だが、今は違う。
ついに、自らの終点も――同じ線上に並んでいると悟ったのだ……。
もう、立ちあがれない。
声の一つすら出せない。
焼けた舞台の上に、呼吸の音だけが転がっていた。
……それでも。
「立て。」
その声が響いた。
それは反逆者、
カナンからの言葉だった。
全身が焦がしてもなお、剣を握る騎士ーー
リオンも彼の隣で、血を吐きながら盾を構えている。
「生きるんだ……!みんなで!!」
声が重なった瞬間、世界がかすかに揺れた。
焼けた劇場の静寂が、ひとひらの灰のように崩れていく。
彼らは、絶望を目の当たりにしてもなお、死を恐れなかった。
それどころか、仲間の死を――力の源へと変えていたのだ。
二人の立ち姿が、“反逆”の意味を世界に刻みつける。
その言葉に呼応されるようにーー
やがて、膝をついた逆奪者たちが一人……また一人と立ち上がっていく。
身体を震わせながらも、剣を握る。
その瞳に宿るのは、希望ではない。
ただ、抗うという意志の光だけだった。
逆奪者――
享楽者へと反旗を掲げる、
世界で最も“正義に飢えた”者たち。
彼らは再び、終焉へと抗う“反逆者”として舞台へ立ち上がった。
***
七人の逆奪者、そして――
剣と盾を掲げし、反逆者たち。
対するは、二体の模倣体。
黄金の輪郭がゆらめき、空間が“圧”に軋んでいた。
腕から放たれる理層波が、世界を押し潰す。
呼吸ひとつで、空気が歪む。
その“理を越えた力”に正面から対応できるのはーー
カナンの武器と、リオンの盾だけだった。
攻撃の要は一人。
カナンが振るう剣のみが、“理”を断てる。
他の仲間たちは、ただ耐え、支えるしかない。
理を越えた力の奔流の中、
彼らは――再び、神へ抗う戦場へ立った。
ーー灰が舞い、呼吸が止まる。
音が消え、静止する。
それは、世界が刃を研ぐ音を待っているようだった。
誰もが、ほんの一瞬の“間”に全てを賭けた。
そして……彼らは一斉に動く。
理の通じぬ相手に、理を覆すため、走り出した。
床を蹴る金属音が、焼けた劇場に響く。
灰の中を駆け抜け、逆奪者たちは一斉に飛び込んだ。
空間を止める周波は、享楽者の腕から発生している。
だから彼らは――止められることを“前提”として動いた。
突き刺された刃が空間で凍結した瞬間
彼らは武器を手放し、別の刃を掴んで切りかかる。
一撃が止められれば、次の者が間髪を入れずに斬り込む。
流れるように連携された攻撃が、舞台を波のように駆け抜けた。
空間操作を打ち消すことはできない。
だが、“止まった瞬間”――そこには、必ず“隙”が生まれる。
彼らは、それを見逃さなかった。
空間操作を“無効化”するのではなく、
“発動の直後”に生じる一瞬の歪みを狙う。
まるで、世界のバグを突くような戦い方だった。
だが、それこそが――数の有利を最大限に活かす術。
止まった世界の中でなお、
逆奪者たちは“動き続けた”。
戦場は、均衡を保っているように見えた。
理層の波がぶつかり合い、光と音が拮抗する。
逆奪者たちは、互いの隙を埋めるように動き、
その連携が、かろうじて世界を支えていた。
――だが、それは錯覚だった。
『止まるは、飽きたな。
次は――爆ぜるにしようか。』
享楽者が手を掲げた瞬間、黄金の蔓が花弁のように開く。
その内部で、空気が震えた。
圧力がねじれ、音が潰れ、世界が息を詰める。
次の瞬間――
空気が爆発した。
空間が弾け飛び、衝撃波が劇場を裂く。
床の破片が弾丸のように飛び交い、
逆奪者たちの身体を押し潰すように吹き飛ばした。
「ッぐあああッ!!」
誰かの悲鳴が木霊する。
空気そのものが武器になり、
圧縮と解放の波が、舞台を何度も反転させた。
享楽者は、花が開くように指を広げた。
それだけで、別の場所が“爆ぜる”。
音と衝撃の連鎖。
まるで、舞台そのものが“呼吸”しているようだった。
「……いいねぇ。空気が泣く音は、芸術的だ。
死体は、鳴いてくれないからね……。」
金の仮面の奥で、愉悦の声が微かに笑った。
空間操作――それは、ただ物体を“止める”ための技術ではなかった。
享楽者は、理そのものを摘まみ上げて捻じ曲げる。
空気を“押し潰し”、熱と圧を極限まで蓄積させ、
ひとつの「点」を“破裂”させることで、世界を爆ぜさせる。
爆発の中心にあるのは、火薬でも、衝突でもない。
空間そのものの破壊だ。
見えない圧力が走り、世界が軋む。
そして、次の“爆ぜ”が始まる。
「リオン!!!」
カナンが叫び、爆風の中を駆け抜ける。
蔦が振り下ろされるよりも早く、レベリアンの刃が閃き、
空気ごとそれを断ち切った。
彼に呼ばれたリオンは盾を構え、兵士たちの前に割り込んだ。
空気が歪み、音が潰れる。
――ドンッ!!
全身が焼けるような熱と共に、視界が白く弾け、腕の骨が軋んだ。
「……ッ!!!!」
爆風を抑え、仲間を守るリオン。
「……誰一人、死なせない……!」
彼は歯を食いしばり、焼け焦げた足で立ち続けた。
逆奪者たちの抗いは、終わらない。
だが――
爆風に飛ばされた逆奪者たちの連携は途切れた。
前線から吹き飛ばされた兵士たちが戻る前に、
カナンは、その渦の中で孤立していた。
焼けた床を蹴り、カナンは滑るように身を翻す。
レベリアンが閃き、金属の軋む音と共に蔦を裂いた。
飛び散った血が灰に溶け、空気が一瞬だけ震えを止める。
その隙を逃さず、反撃へと転じようとした――その時。
爆風に煽られ、視界は灰と光で霞んだ。
ゴォォォ……!!
「……ッ、二体目か……!」
足元の床が裂け、圧力波が逆流する。
蔦が唸りを上げて迫り、逃げ場が消えた。
空気が締めつけられ、肺が悲鳴を上げる。
カナンは歯を食いしばる。
腕に走る痛みを無視して、反射で刃を振るう。
先端が軋み、光が弾ける。
「クソッ……止まれ……!!!」
理応変換の波が、空間を裂くように走った。
だが、享楽者は攻撃を止めない。
強襲を受け止めた反対側から蔦がうねり、空気が悲鳴を上げる。
――挟撃。
「しまったッ……!!!!」
世界そのものが軋み、閉じていく。
視界が暗く染まり、蔦の影が彼の身体を飲み込もうとしていた。
「カナン!!!!!」
リオンの叫びが響く。
赫迅刀が投げられ、一直線に飛ぶ――
だが、蔦に届く寸前で止まった。
空気が凍りつき、刃が“世界に縫い止められた”ように動かない。
後方の逆奪者たちは、爆発の余波に巻き込まれ、距離が遠い。
誰も――カナンを助けられない。
「……ッ!!!」
「!!!!!!」
ーー轟音が、世界を叩き割った。
耳を裂く衝撃。
視界が白く弾け、
砂塵と炎が舞い上がる。
何も見えない。
何も、聞こえない。
焦げた風が吹き抜け、
空気の熱だけが肌を焼く。
「カナン……。」
リオンの声が掻き消える。
灰の中で、赤い光が一瞬だけ閃いた。
それが血なのか、炎なのか、誰にも分からなかった。
劇場内は静かに震え、
やがて轟音の余韻が消える。
残ったのは、焼けた鉄と灰の匂いだけだった。
――静寂。
降り続ける灰の中で、
低く、くぐもった声が響いた。
「……厄介なおもちゃを、残してくれたものだ。」
その声に、誰も動けなかった。
誰が言ったのか、どこから聞こえたのか――
分からない。
ただ、煙の奥で何かが“立っている”気配だけがあった。
ゆっくりと、熱気の残る空気が晴れていく。
灰と光の狭間、その中央に――
彼の姿が現れる。
拳を握りしめた男の姿があった。
引きちぎった蔦を足元に捨て、
紅の残滓を、瞳に宿した“王子”。
逆奪者たちの視線は、彼に集まった。
灰の底から湧き出た炎を見つめ、リオンは名前を呼ぶ。
「ウォーレンス……!?」
驚愕と困惑の入り混じった声が、喉から漏れた。
誰もが息を呑む。
その場の空気すら、震えることを忘れていた。
死んだはずの男が――立っている。
拳の篭手から、微かに光が滲む。
それは炎でも、霧でもない。
まるで“理そのもの”が彼の中で再燃しているようだった。
沈黙の中、ウォーレンスは一歩を踏み出す。
焦げた床が軋み、灰が舞う。
その歩みはゆっくりと、確かに戦場を震わせた。
そして、蠢き出す模倣体を見据え、
深く息を吐き、静かに呟いた。
「ヴァルツ……お前の罪は、俺が消す。
俺が、背負ってやる……。」
淡く揺らめく灰の中で再び、王子は拳を掲げた。
ーー終焉の楔を、断つために。




