35話 『人形劇』
おもちゃが無ければ、作ればいい。
壊して、吊るして、ほら――完成。
幕を降ろした人形劇は、
糸を巻きつけ、再演される。
どうぞ、今度もお見逃しなく
いつだって――“この演劇”は
一度きりなのだから。
そこは、娯楽施設と呼ぶには、あまりに静かだった。
観客の笑いも、音楽の余韻もない。
あるのは、朽ちた座席と、埃にまみれた絨毯、
そして――吊るされた〈逆奪者〉たちの影だけ。
天井から伸びる無数の糸が、暗闇の中でかすかに揺れている。
その先で、死体たちは皆、同じ方向を向いていた。
まるで舞台の開幕を待つ“観客”のように。
目は見開かれ、瞳は光を映さない。
それでも彼らは、確かに“見ている”。
ステージを。
その奥で、まだ幕の下りきっていない――
暗闇を。
ーーリオンは深呼吸で心を落ち着かせる。
観客席の上へ吊るされた兵士たちは
まるで、「配置」されているかのごとく整えられていた。
そんな彼と対照的に、カナンは息を詰めた。
皮膚が粟立つ。
等間隔の“死”の中で、
彼は――見つけてしまったのだ。
数日前まで共に話し、
背中を預けた友の姿を。
吊るされたその身体は、
糸に引かれたまま微かに揺れ、
まるで舞台の指揮に従うように、
カナンの方へ――ゆっくりと顔を向けた。
喉の奥が焼ける。
声にならない声が、胸の内側で膨らんでいく。
「……トル……ヴァ……?」
呼んだ瞬間、劇場全体の空気が、
息を呑んだように止まった。
次の刹那――
背後で、金属の擦れる音。
カシャン。
仲間《逆奪者》のひとりが、
あまりの恐怖に剣を落としたのだ。
乾いた音が、広い劇場にこだまする。
その音が――
まるで“合図”だったかのように。
ギュルッ……
吊るされた死体たちが、一斉に首を傾けた。
「……おや?
開場には、まだ早いのだけど……。」
ステージ奥の暗闇から、声が響いた。
青年の声。
明るく、どこか楽しげで――けれど、冷酷だった。
柔らかい口調の裏に、まるで“温度”という概念を失ったような、乾いた響きがある。
声と同時に、幕の隙間から光が漏れる。
ゆらりと――赤いカーテンが動いた。
「何処から迷い込んだのかは知らないけどーー」
その影から姿を現したのは、白衣をまとった一人の青年だった。
足取りは軽く、まるで舞台の上を歩く俳優のよう。
その一歩ごとに、床に散らばる埃が小さく舞い上がる。
照明も無いはずの空間で、彼の姿だけが“観客に見せるため”のように美しく照らされていた。
白衣の裾は燕尾服のように長く裂かれ、動くたびにゆるやかに揺れる。
指先には透明な糸が絡みつき、それを軽く弾くと――
上空の死体たちが、まるで操り人形のようにピクリと動いた。
その動作には、一切のためらいがなかった。
まるで、生と死の境界すら“演出の一部”であるかのように。
「ようこそ――」
青年は優雅に一礼した。
唇に微笑を浮かべ、柔らかく、それでいてどこか冷たい声で続ける。
「逆位相《僕の世界》へ……お客様。
彼は顔を上げてこちらを見据え、不気味な笑いを浮かべながらこちらを招き入れた。
どうぞ最後まで、お楽しみーー」
ドォン……!!
――その声を断ち切るように、轟音が響いた。
ステージ中央で、空気がねじれ、木片が爆ぜる。
ウォーレンスの拳が、炎の尾を引きながら舞台を叩き潰したのだ。
衝撃波が走り、椅子列が吹き飛ぶ。
カナンは思わず腕で顔を庇い、砂塵の中で声を上げる。
「あいつ、なんて無茶を……!」
しかし、粉塵が晴れても――そこに“敵”の姿はなかった。
割れたステージの上に、焦げた木材と、白い靄。
そして、耳障りなノイズ。
スピーカーから響く声が、皮肉げに笑う。
「さすが、僕に対しては……容赦が無いね。
幕が上がったばっかりなのに……。」
カナンは壊れたステージの縁を見て、思い出す。
そこには、光の"揺らぎ"が走っている。
「ーーホログラム……!」
円形闘技場で見た、偽りの享楽者と同じ……
歪む幻影を、今度は迷うことなく認識した。
彼らが裏切り者を探し始めた原点。
そしてその証拠である現像が、目の前に広がっていた。
「……やっぱりあいつが、逆奪者の技術を横流ししてたのか……!!」
リオンも気づいたのか、声を荒らげる。
その瞬間、天井からひと筋の光が落ちた。
"それ"は微かに震え、空気を切り裂くように動く。
ウォーレンスが反射的に後ろへ飛び、叫ぶ。
「糸だ!!!!避けろ!!!!」
カナンが警戒して視線を振ると、隣の兵士が一人、音もなく宙へ引き上げられた。
「……ッ!!!!」
短い、断末魔にも似た悲鳴が廃墟に吸い込まれ、身体が糸に絡まれたようにゆっくりと吊り上がる。
吊るされた兵士が首を抑えながら、天井へと昇っていきーー
首がガクンと揺れた瞬間
宙へとぶら下がり力を失った。
「散らかった人形は、片付けないとね……」
兵士の"死亡"を確認したように、会場へノイズが走る。
カナンの手が震え
眼球が痛いほど見開かれる。
目の前で“人”が死ぬのは――初めてだった。
何度も撃ってきたはずだ。
数え切れないほどの“敵”を。
けれどそれは、無機質な肉塊でしかなかった。
さっきまで笑い、声を交わしていた“誰か”が、
こんなにもあっさりと、音もなく死んだ。
鉄の匂いが鼻を刺す。
血が滴り、舞台の赤い絨毯を濡らしていた。
鼓動が狂ったように跳ねる。
耳鳴りが、遠くで誰かの叫びをかき消していく。
(――これが、“現実の死”……)
ーー世界から音が消えた
瞬間、カナンの首元が締まり足が浮く。
「……ッ!!」
喉の奥で空気が擦れ、呼吸が奪われる。
視界の端が白く滲み、腕を伸ばしても何も掴めない。
糸は冷たく、まるで生きているように皮膚の内側へ喰い込んでいく。
酷く時間が遅く感じる。
そのせいか、自分に起きる結末を理解してしまった。
死ぬ……
俺も……同じように……!
意識が遠のく直前、耳の奥で――
風を裂く音がした。
「……ッガハ!!」
脳へと酸素が供給され、意識が戻る。
重力が戻り、カナンの身体が地面に落ちた。
咳き込みながら首元を押さえる。
手のひらには、細い切創と温い血が残っていた。
彼の前にはーー
「大丈夫か、カナン!」
赤熱した刃を構えたリオンが立っていた。
「ウォーレンス!カナンは無事だ!
意識もある!」
リオンの声を聞き、ウォーレンスは命令を響かせた。
「全員、一点へ集結!
奴は喉元を狙って吊るしにくる!
浮かされた味方の糸を断ち切れ!」
兵士たちは一斉に呼応する。
埃の中を駆け、刃で糸を切断し、隊列が再編していく。
リオンは息を整えながら、カナンの腕を掴む。
「立てるか?」
「……ああ……悪いな……。」
喉を押さえながら答えるその声はかすれていた。
そこへ駆けつけたウォーレンスが、カナンの襟を掴み怒号をあげる。
「てめぇ……!なんの嫌がらせだ……?」
彼は拳を震わせながら、睨みつける。
「くたばるのはお前の勝手だが、わざわざ俺の隊で死ぬんじゃねぇ!!!」
カナンの呼吸が一瞬止まる。
視界の端でリオンが飛び出そうとするのをウォーレンスが一瞥して止める。
彼はカナンへ、本気の怒りをぶつけていた。
喉元を掴まれたまま、カナンは震える声で答える。
「……トルヴァが……死んでいた……。
……トルヴァは――!」
言葉はそこで詰まり、唇が青ざめる。
泣きそうなほどの焦りと、どうしようもない憤りが混じっていた。
上空では、なおも無数の糸が揺れている。
細く、透明で、まるで空気に混じった神経のように舞台全体を覆っている。
兵士たちの喧騒の中、ウォーレンスは拳を緩めて、カナンを見つめた。
「お前は"死"を、認められるんだな……」
その意味深な一言が、カナンの心を静かに縫い止める。
胸のざわめきが、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
ウォーレンスは細めた目で、カナンへ問う。
「お前は仲間を置いて死んだ時、何を考える?」
あまりに唐突な問い。
答える余裕も、考える暇もない。
だが彼は、返答を待たずに続けた。
「ーー正解は、分からない……だ。
俺たちは死んだことがないんだからな。
……だが――」
わずかに視線を落とし、低く、静かに言葉を紡ぐ。
「生きて欲しいと……
お前もきっと、そう願うだろ。」
風が吹く。
舞台の奥の闇が、わずかにざわめいた。
ウォーレンスは背を向け、最後に一言だけ残す。
「カナン、立て。生きろ。
それが――死者へと出来る
唯一の弔いだ……。」
ーーノード拠点 司令室
無線越しに各拠点の報告が行き交っていた。
光の線が複雑に交錯する司令卓、その中央で双子の管理人が淡々と指示を飛ばす。
『こちらルド。
ウォーレンスたちとの連絡が途絶えた。
通信周波が異常な速度で変化し続けている。』
背後では、ルシェが複数のホログラムを同時に操作している。
指先が止まることなく、次々とデータを書き換えていく。
『理層波に乗ったノイズが、通信層を撹乱しています。
発生源の特定が出来ないため、恐らく"内部"から妨害されているかと思われます。』
「……“内部から”?」
ルドの眉がわずかに動く。
『こちらノード・ビショップ。』
即座にセラから折り返しの通信が入る。
彼女の声は冷静だが、その速度には焦燥が滲んでいた。
『同じく、周波の変調を確認……。
ヴァルツが、理層逆位相変換装置との同調を解除するため、短時間で理層波を切り替え続けてる。
領域内、全ての周波が狂わされて、空間事歪んでる。
通信妨害はその余波。』
「……装置の同調維持は可能か?」
ルドが少し考え込み、問いを投げる。
『……やってる。
リアルタイムで周波数の再調整を行い、装置を維持し続けてる。
でも――通信回復のためには、空間内部から妨害を止めてもらうしかない。』
セラの声が途切れる。
一瞬のノイズが、空間の緊張を引き裂いた。
ルドが唇を噛み、データを睨みつける。
「戦場把握どころか、指示も飛ばせんとは……。
託すしか出来ないのは、なんとも歯がゆいものだな……。」
無線越しの沈黙。
ノイズが数秒間、息のように流れた。
『――大丈夫。』
唐突に響いたミネの声は、いつもより柔らかかった。
『ウォーレンスなら、やってくれる。
だって……強いもん!』
ルドは思わず小さく息を吐く。
「……根拠のない励ましほど、困るものはないな。」
『根拠?そんなの要らないよ〜。
だって、あの王子でしょ?』
通信の向こうで、くすくすと笑う声。
その無邪気さが、かえって戦場の重さを際立たせた。
『……ウォーレンス"だから"心配なんだ。
お前だって……分かってるだろうに。』
ルドは視線を落とし、小さな声で呟く。
そんな彼の懸念を、聞き流すように、ミネはさらに陽気な通信を続けた。
『うん、分かってるよ。
でも今回はカナンもリオンも居るからね。
なんならもう終わってて、お茶でもしてるんじゃない〜?』
『データを見ろばかもの!!』
ルドは呆れたように目を閉じ、机上のホログラムを撫でるように指を滑らせた。
「だが……
まぁ……そうだな。
今は無事であることを……願おう。」
ミネの軽口は楽観的だった。
けれど、その言葉の裏に滲む現実――
司令室からはもう何も出来ないという事実を、誰もが理解していた。
ノード・ナイトの片隅で、イヴは、モニターに照らされながら呟く。
「カナン……リオン……。
どうか無事で……。」
逆位相空間へ、外側からは手出しが出来ない。
支援どころか観測すら出来ない司令室からは、ただただ祈りの言葉が浮き上がるばかりだった。
そんな願いを知っては否か……
人形劇は、幕を開ける。
「ーー第一幕……開演。」




