27話 『紫煙の胎動』
ーー享楽の霧〈エクスタシア〉回収作戦。
ノード・ルークの管理人、ルドとルシェの指揮によって本作戦は成功を収めた。
しかし、計画は更にその先へと駒を進める。
イヴの記憶によって明らかになった、死人の再稼働原理、そして、濃度数値の上がる地下空間から推察を行い、ルドは新たな目標を掲げた。
誰も予期していなかった第二フェーズ
霧の発生源――〈発生装置〉の破壊。
それを目指し、逆奪者たちは研究所に、金属音を響かせる……。
ーー生命と無生命がせめぎ合う戦場。
地上では、焼けた鉄と血の匂いが入り混じり、装甲片が床に転がる。
倒したはずのデブリが、霧の中で何度も立ち上り、撃ち抜かれた四肢が這い戻る。
散った肉が蠢き、再び“人”の形を模す。
相対する彼らにとって、それは悪夢のような光景だった。
「こいつら、なんだか動きも素早いぞ!」
後退しながら撃ち込む逆奪者の一人が、歯を食いしばって叫ぶ。
だがすぐに別の隊員が怒鳴り返した。
「焦るな! 足を狙って機動力を奪え!
奴らは“無”から“有”を生み出してるわけじゃない!
千切れた肉片を繋ぎ合わせて、再生しているだけだ!」
「切断部位を切り離せ!
倒すのではなく、再生を阻止することを考えろ!」
次々と命令が飛び、戦況が傾いていく――
トルヴァが低く唸る。
槍を深く突き刺し、崩れた甲冑の隙間に刃を突っ込む。
仲間が躊躇わずロープを取り出し、断面を縛って動きを封じる。
刃は容赦なく走り、四肢は次々と切り離される。
肉片が這い戻るよりも速く、仲間の手がそれを分断していく。
「いいぞ、その調子だ!
そのまま柱に巻き付けて縛り上げろ!
分解させて部位ごとに動きを封じるんだ!」
トルヴァは短く叫び、部隊へと指示を回す。
カナンも、奇兵として、掃射する。
銃弾は頭部を貫き、骸を崩すことすらあるが、霧の中で既に別の欠片が這い上がる。撃ち抜くことに価値があるのではない。
動きを止めることに意味があるのだ。
一方、地下への封鎖線では、別の様相が生まれていた。
ウォーレンス率いる先導隊が、デブリの群れを切り倒しながら通路を戻ってくる。
崩れた壁面には、剣圧で斬り裂かれた痕が幾筋も走り、漂う霧がその隙間から漏れ出していた。
リオンは背後を振り返りながら、息を整えて呟く。
「……回収班って、戦闘要員の人ではなかったはず……。
俺たちと交代って、そんな人たちを前線に出して、大丈夫なんですか?」
問いに、ウォーレンスは一瞥をくれたまま短く答える。
「問題ない。――来るのは、一人だけだ。」
低い声が鉄を擦るように響く。
「一人……?」
リオンの言葉に被るように、通路の先から足音が近づいてきた。
湿った石床を踏むたび、靴音が反響し、紫の霧が揺れる。
姿を現したのは、白衣の上に黒い防護服を重ねた少女――セラだった。
吸引装置は置いてきたようで、持っているのは、愛用の短剣のみ。
霧を遮るゴーグル越しの瞳が、冷ややかに輝く。
「……ルドから伝言。
回収班が出口で待っている。脱出支援を。」
セラは短く言い、前に立つウォーレンスへ、役割を告げた。
「了解した。
この先数mの制圧は、既に済んでいる。
だが、奴らも死なない死人だ……
心してかかれ。」
セラは無言で頷いた。
余韻を残すことなく、彼女の姿は霧の中へと溶けていく。
残されたのは、わずかに揺らめく紫煙と、足音の残響だけだった。
研究所・地下 脱出口
地上へと繋がる道で、何かが蠢いている。
回収班を護衛するように指示されたカナンたちは、押し寄せるデブリの波を次々と撃ち抜いていた。
「前方、二体! 距離十五!」
「撃ち抜け! こちらまで、寄せるな!」
トルヴァの指示と、銃声が重なり、硝煙が霧を切り裂く。
しかし――その中に、違和感が混じった。
弾丸が直撃したはずのデブリが一体、怯むこともなく歩み続けている。
表面の皮膚が波打ち、弾痕が、まるで吸い込まれるように消えていく。
「弾痕が……塞がった?」
「いや……違う。吸われてる。
――銃弾ごと、奴の表面に……!」
カナンは眉をひそめ、すぐに再装填しながら構え直す。
「なんだこいつ……動きもデカさも、今までのデブリと違うぞ!」
霧の向こうから、低く軋むような音が響いた。
床を踏みしめるたびに、鉄骨が悲鳴を上げる。
巨体――人の倍以上の体躯を持つ影が、ゆっくりと歩んでくる。
「……銃撃が効いてない……のか……!?」
トルヴァの声が震えた。
デブリの肌は金属光沢を帯び、表面には螺旋状の痕――
まるで“人工的に造られた筋繊維”のような模様が刻まれていた。
銃弾は触れた瞬間に弾かれるどころか、
表面に流れる泥のような物に、溶け込むように内部へと飲み込まれていく。
「カナン! 攻撃をやめるな!当て続けろ!」
トルヴァが叫ぶ。
「当ててるさ!
けど……響いてねぇ!!!」
銃声のたびに、弾丸は確かに命中している――
だが、手応えがまるで無い。
「くそっ、反射して、加速させなきゃ威力が足りない……!
だが、狭い地下通路じゃ、そんな無茶は出来ねぇ……。」
目の前の強化デブリは、
“ただの死体”ではなかった。
まるで、外部から操られる“兵器”のように、精密に動いている。
そして、その動きの奥――
セラたちが向かった地下方向から、
鈍く脈動する“霧の唸り”が響いてきた。
まるで、この化け物たちの“心臓”が、地下で拍動しているかのように――。
「――前衛部隊A、敵の解析が完了した。」
その時、ルドの声が、ノイズ混じりの無線を貫いた。
「事前の予想通り、肉体改造を施された個体だ。
細胞を異常増殖させ、筋繊維を金属結合で補強している。
……いわば、“肥大化した細胞兵器”だ。」
戦場の銃声が一瞬止む。
ルドの声だけが、静かに重く響いた。
「やつにダメージを与えるには――
表層の再生を上回る“高威力の一撃”を与えるしかない。」
トルヴァが息を荒げながら叫ぶ。
「そんなこと言ったって……どうやって!?
弾は通らねぇ、槍でも貫けない!」
「……心配は要らない。」
ルドの声色が、わずかに低く笑った。
「――増援が来た。」
「……!!!」
その瞬間、背後から突風が吹き抜けた。
カナンが振り返るより早く、
強化デブリの巨体が、叩き飛ばされる。
金属を砕くような轟音とともに、
巨大な拳が霧を切り裂き、デブリの胴体に風穴を開けた。
肉片が霧とともに飛散する。
床を叩く血飛沫が、重い音を立てた。
そして――
そこに立っていたのは、拳を振り抜いたままの男。
ウォーレンスだった。
その後に続いて、先導隊、リオンと、二人の逆奪者も走ってくる。
「先導隊、今のうちに、回収班を連れて行け。」
彼は短く息を吐き、崩れ落ちたデブリを見下ろして鼻を鳴らした。
「こいつは俺が殺す。」
カナンと、会話を交わす暇もなく、リオンたちと回収班は、動きを止めた強化型デブリの横を通り過ぎていく。
「これが“強化型”か。
……ただのデカい的だな。」
濃霧の中、背後の光を受けて、彼の輪郭が浮かび上がる。
その姿はまるで、戦場に降り立った鉄塊のようだった。
カナンが目を見開く。
「……ウォーレンス……!」
彼はちらりと振り向き、
いつもの軽蔑を浮かべる。
「まだ生きてたのか、“貧弱平民”。」
銃を握るカナンの手がピクリと震える。
「んだと、脳筋王子!
てめぇを先に殺してやろうか!」
ウォーレンスは更に挑発を重ねる。
「上等だ、貴様を殺すいい機会だ。」
そんな言い合いを他所に、霧の奥で、再生しかけたデブリがうごめく。
トルヴァが、叫ぶ。
「デブリが!
まだ……動いてます!!」
その瞬間、二人の視線がそちらへ向かい
――息を合わせるように、同時に攻撃を仕掛けた。
ウォーレンスは側面から突撃し、
拳でデブリの外殻を叩き潰す。
圧縮された衝撃波が霧を裂き、装甲をめくり上げた。
その隙間を縫うように、
カナンの銃口が閃光を放ち、
内部から、筋繊維を撃ち抜いた。
爆ぜるような音と共に、
巨体が弾ける。
二人の攻撃が交錯した地点で、
肉塊は崩れ落ちた。
霧が一瞬だけ晴れ、焦げた鉄の匂いが漂う。
「……こいつも、“死に続ける”デブリみたいだな。」
一箇所へ戻っていく、肉片を見ながら、カナンは呟く。
ウォーレンスはカナンを一瞥し、
拳を軽く払った。
「邪魔だ拳銃野郎、俺一人で十分だ。」
「んだとてめぇ!!」
再び戦場の火花が散りそうになった、その時――
ジジ……ッ。
無線から鋭いノイズが割り込み、冷たい声が響く。
『――カナン、トルヴァ。
すぐに地下、中層へ向かえ。』
その声には、いつもの静けさに混じって、かすかな焦りが滲んでいた。
「ルド……? どうした。」
ウォーレンスが眉をひそめる。
短い沈黙の後、ルドの声が低く続いた。
『セラを、援護しろ。』
一瞬、戦場の喧騒が遠のく。
その一言で、場にいた全員が理解した。
ーーセラが危険な状態にいると
「行け! 紛い物!!」
ウォーレンスが怒号と共に拳を振り抜き、
復活し始めたデブリの肩を弾き飛ばした。
肉片が霧の中で爆ぜ、灰のように散る。
「ルドはお前たちを“指名”した!
――何か策略があるはずだ!」
叫びながらも、その背は一歩も退かない。
霧に包まれた戦場で、彼は再び群がるデブリへと拳を構える。
カナンはその姿を振り返り、
わずかに唇を噛みしめた。
「トルヴァ、行くぞ!」
「あぁ……!」
二人は崩れ落ちた死体を踏み越え、
黒い霧の中へと駆け出した。
「――死ぬなよ、平民……」
孤高の王子は、消えゆく二人へ、届かぬ言葉を呟いた。
数分前――研究所・地下 深層部
薄紫の霧がゆらりと揺れる。
そこを切り裂くように、銀光が閃いた。
セラの短剣がデブリの喉元を正確に断ち、音もなく崩れ落ちる。
「……前方、二十メートル先。
右手に通路がある。」
耳元の通信機からルドの声が響く。
「了解。」
セラは返答だけ残し、音もなく足を運ぶ。
靴音を殺し、壁際の影を縫うようにして進む。
その耳に、今度はルシェの冷ややかな声が届いた。
『セラ様、周囲の濃度数値が上昇しています。
平均値を大きく上回り、致死量の境界を越えました。
どうか、ご気をつけください。』
「……やっぱり、発生源はこの先……。」
セラは呟き、霧の奥を見据える。
通信の向こうで、ルシェがさらに分析を続けていた。
『変圧情報の更新を確認。
……霧の流れに周期的な脈動があります。
まるで“呼吸”のような動き……
おそらく発生装置が近い……!』
ルドの声が即座に返る。
『イヴの示した記憶によれば、その先に大広間がある。
気圧変化の影響を加味すると、そこが霧の発生位置と予測される。』
セラは無言で頷き、短剣を握り直す。
紫の霧が足元を這い、まるで生き物のように彼女の脚へ絡みついてくる。
通信の向こうでルドが、かすかに息を吐く。
『……セラ、慎重に行け。
異常を感じたら、即時報告しろ。』
「了解。」
短い返答の直後、霧が一層濃くなる。
空気の奥で――何かが動いた気がした。
金属を叩くような、低く鈍い音。
まるで、巨人の鼓動のように……。
ーー大広間に入った瞬間。
それは、視界を満たした。
天井まで届くほどに肥大化した肉の塊。
それは人の形を模しているようで、しかし明らかに“人ではない”。
皮膚は焼け焦げた金属のように黒く硬化し、
ところどころから骨とも装甲ともつかぬ白い突起が突き出している。
そして――胸の中央。
そこには、横に裂けた巨大な“眼”があった。
濁った硝子玉のようなそれが、ゆっくりと開閉するたび、
紫の霧が波のように吐き出される。
瞳孔は何も映していないのに、こちらを見透かすように動く。
それが二体ーー
奥の闇が蠢き、"もう一つ"が姿を現す。
同じように眼を宿し、
腐った機械のように軋みながら、歩を進める。
肉が擦れ合うたび、べちゃり、と湿った音が響いた。
二体の巨躯は、まるで呼応するように並び立つ。
そして、侵入者、セラを確認後
――大広間の空気が震えた。
耳鳴りのような低音。
もはや生き物とは言えない生物の瞳から、霧が一斉に放出される。
セラは短剣を構えながら呟いた。
「……こいつが、“霧の発生源”……。」
目の前の巨体は答えるように瞬く。
胸の瞳孔を紫色に光らせ、侵入者を睨つけた。
……時間が、止まる。
ーー身の毛がよだつ程の威圧感。
それでも、彼女は臆せず、その視線を見つめたまま、呟いた。
「分解するーー」




