26話『享楽の霧《エクスタシア》回収作戦』
闇を裂くように号令が響き、突撃の狼煙が上がる。
地面を揺らす足音、怒号、鉄と鉄のぶつかる音が重なり合う。
ウォーレンスを先頭にした“先導隊”が研究所内へ突入し、地下への入り口へ向かう。
その背後で、前衛部隊Aのカナンたちが一階へ雪崩れ込む。
ノード・ナイトの司令室では、ルシェが端末を叩き、戦況を投影。
光のスクリーンに赤い点が次々と浮かび、戦場の動きが刻一刻と映し出される。
「――先導隊、地下入口に接触。」
無表情のまま淡々と告げるルシェ。
同時に、ルドの小さな声が全軍に響き渡る。
「……ウォーレンス、聞こえるか。」
返答は荒々しく、銃撃と咆哮の音に混じっていた。
『あぁ聞こえてる!
事前情報の通り、デブリどもが押し寄せてきた。
地下はやはり狭い、だが突破できる!』
ルドは即座に応じる。
「――突破を急げ。
お前の背を支えるのはリオンと二名のみ。
無駄に力を削るな。」
『チッ……分かってる!』
通信越しに火花の散る音が鳴り、血の匂いが幻のように司令室を満たす。
ルドはその音を一瞬も逃さずに聞き取り、即座に判断を下していく。
「……前衛部隊A。地下へ続く通路を塞げ。
上階に流れた敵はお前たちが殲滅しろ。」
「了解!」
トルヴァの声と共に、前衛部隊の掛け声が重なった。
ルドの瞳はさらに別の光点を追った。
「前衛B、階段付近の防衛に回れ。
二階から漏れ出したデブリを、優先的に押さえろ。」
『了解!』
「前衛C、後方の待機陣から回れ。
出入り口周辺に、デブリが集結しつつある。
突破されたら退路が潰れる。
必ず死守しろ!」
『了解!急行する!』
ルドの小さな体から放たれる声は、誰よりも大きく鋭く、戦場全体を掌握していた。
ルシェは無表情のまま、淡々とスクリーンを更新し続ける。
赤色の点がじわりと広がり、反応が押し寄せていた。
「イヴの情報通り、生体反応のない、デブリが多いな。
多少の接触は予測していたが、ここまで数が多いとは……」
ルドは机の上の地図に小さな拳を置き、呟く。
「まるで何かを守っているみたいだ……。」
ーー暗く湿った空気が、地下への階段を降りるごとに濃くなっていく。
石壁は水気を帯び、ひんやりとした冷気が肌にまとわりついた。
「……ここから先が研究所の心臓部だ。」
ウォーレンスの低い声が響く。
リオンは剣を構え、辺りを警戒しながら、後に続く。
「空気が……重い。
視界が紫がかって見える。」
逆奪者の一人が無線を手にし、報告を上げる。
「ルド様、地下入口の安全を確保。
これより深層部へ進みます。」
すぐに返答が入る。
『よし。先導隊、敵の兵力が集中する前に
突破せよ。
だが霧の濃度が高まれば、撤退しろ。
目的は、サンプルの回収だ。
命を無駄にすることではない。』
「無駄な事を考えてる暇は無い。
とりあえず、全て壊せば良いんだろ……!」
ウォーレンスは拳を打ち鳴らし、奥の扉を破った。
その瞬間――。
腐臭を帯びた風が一気に吹き出す。
地下の闇の奥から、よろめくように姿を現したのは、鎧に覆われた無数の影。
血の通わぬ動き、鈍い音を立てて這い出る“死人の兵”だった。
「……デブリの兵士か!」
リオンが剣を抜き放ち、先頭の一体を斬り払う。
だが血は飛び散らず、肉も裂けない。
ただ甲冑が鈍く砕ける。
ウォーレンスは目を細め、拳を突き出した。
「……死人ごとき、相手にならん。」
金属音が狭い地下通路に響き渡り、火花が散る。
地下部隊は、ウォーレンスを筆頭に、続々と進行を進めて行った。
研究所正面――。
瓦礫に覆われた入口の前に、白衣の上から防護装備を纏ったセラが立った。
藍色の瞳は迷いなく闇を射抜き、後ろには同じく、吸引装置を背負った回収班が控えている。
「……ここだ。準備を整えろ。」
冷徹な指示に、回収班は一斉に頷いた。
司令塔にてルシェの声が響く。
『周囲の反応低下中。
地下部隊が、デブリを制圧しました。
回収班、進入可能です。』
ルドはすぐに連絡を取る。
『――セラ、先導隊が、地下の安全確保を完了した。
予定通り突入し、サンプルの回収を行え。』
セラは短く返す。
「了解。回収班、行くぞ。」
分厚い鉄扉が開かれ、研究所へと、回収班が突撃する。
その瞬間――カナンの無線機が鳴る。
『前衛部隊Aは回収班を援護しろ。
地下へ敵を一歩も近づけさせるな!』
ルドの声が、短くも鋭く響く。
「了解っと……やれやれ、簡単に言ってくれるな。」
カナンは銃を構え、トルヴァと視線を交わす。
「聞いたな、A班!
回収班が潜ってる間、入り口を押さえる!」
「おう!」
仲間の声が重なり、陣形が整えられていく。
その横を、セラを含む回収班たちが、通り過ぎる。
彼女の進む先には、暗闇へと続く階段があった。
霧の匂いがわずかに漂い始めるが、彼女は躊躇わず先頭に立っていた。
回収班が闇の階段へ消えるのを見届けながら、カナンは目先の敵に集中した。
「……地下に潜るのはあいつらの役目。
なら、地上は俺が守り抜いてやるよ。」
銃口が、迫り来る影へと向けられる。
暗闇を切り裂くように、唸り声が轟いた。
腐臭を放つ影――人型を歪めたデブリが壁を突き破って現れる。
「来るぞ!」
カナンが叫ぶと同時に、部隊は瞬時に散開。
正面に立つのはトルヴァだった。
彼の手には重い槍。その握りは汗に濡れているが、決して震えてはいなかった。
「全員、三角陣形! 俺が前を押さえる!」
指示は的確だった。
仲間たちが即座に位置につき、三方からデブリを囲む。
鋼のように硬化したデブリの腕が振り下ろされる――
だがその瞬間、仲間が横から鎖を投げ、動きを止める。
「今だ、トルヴァ!」
仲間の声に背中を押され、彼は全力で槍を突き出した。
その手に肉を裂く感触はなかった。
骨のように硬い殻に弾かれ、腕が痺れる。
「浅い、刺し場所をミスったか……!」
それでも彼は退かない。
必死に押し込み、デブリを抑える。
仲間が同時に後方から矢を放つ。
矢がデブリの関節を射抜き、その動きを鈍らせた瞬間――
「カナン!」
名前を呼ばれ、カナンが躊躇なく弾丸を放つ。
銃弾がデブリの頭を撃ち抜き、巨体が崩れ落ちた。
自身の攻撃が有効打で無いと判断した瞬間、奇襲役のカナンへと攻撃指示を出す。
トルヴァは未熟であるが、リーダーとして、確実に努力していた人間だった。
荒い息を吐く彼を、仲間たちが笑顔で支える。
「よくやった!」「やっぱお前が前にいてくれると違う!」
その言葉に、トルヴァは小さく笑い――悔しさと安堵の入り混じった瞳で呟いた。
「……俺は強くなんかない。
でも……必死に努力してきた。
それだけは、誰にも…負けない……!」
カナンは無言でその背を見つめ、銃をホルスターに収める。
「……トルヴァ、お前はちゃんと強いぜ……。」
崩れ落ちるデブリの骸が、戦いの終わりを告げていた。
ーー司令塔
順調な滑り出しにも関わらず、司令塔の空気は慌ただしかった。
ランプの光に照らされた作戦盤には、無数の印が明滅し、動くたびに赤や青の線が引かれていく。
「B班、進行遅延。通路が塞がっているようです!」
「C班、交戦中! 増援を要請!」
次々と飛び交う報告を、ルシェは受け取り、即座に指示を飛ばす。
「B班は迂回ルートを使用。
C班には予備を回してください
<後方支援部隊α、β>
研究所へと進行次第、援護を。」
彼女の声は冷ややかに落ち着いていたが、その指先は、休むことなく端末の盤面を叩いていた。
その傍らでルドは腕を組み、作戦全体を俯瞰するように目を細める。
「……順調だが、妙に静かだな。」
「ええ。ですが――静かすぎるのです。」
ルシェの片目が淡く光り、モニターに映る光点を凝視する。
「……嫌な予感がする。」
ルドの低い声が、狭い司令室を震わせた。
(生体反応は確実に現象している。
けれど、イヴの示すデブリの光が消えない……
情報改ざん?無線ジャックの線か?
いや、戦場とリアルタイムで、音声を偽装するのは難しいだろう……
となると、何か前提条件が……)
ルドは椅子に腰掛けたまま、静かに指先で机を叩いていた。
淡いランプの光に照らされた横顔は幼さを残していながら、その眼差しは鋼のように冷徹だった。
ーー研究所、入り口周辺
トルヴァが振り返りざまに叫ぶ。
「後退はするな! 囲まれたら本当に終わるぞ!」
兵士「ぐっ……! 腕を斬り落としたはずなのに、また動き出して……!」
足元には肉片が這い寄り、切り離された四肢が勝手に元の体へと戻っていく。
その異様な光景に、兵士たちの顔色は一層強張った。
カナンは歯を食いしばり、血煙の中で息を荒げる。
「……死体は殺せない。それは分かってる。
だが……“繋ぎ直して”“蘇らせる”仕組みは別だ。」
銃口を向けながら、司令塔へと連絡する。
「ルド! ここのデブリ、再生しやがる!
街を徘徊している奴らとは違う!」
ルドは即座に返さず、短く息を吐く。
「……ルシェ、解析を。」
「生体反応はゼロ。だが……筋肉繊維にだけ、周期的な刺激が走っています。」
ルシェの声は冷ややかで無機質だった。
ルドはすぐにイヴへ声を飛ばす。
「イヴ。記憶の中に類似の現象はあるか?」
少女は静かに瞳を閉じ、青白い光に包まれながら呟いた。
「……霧。享楽者の霧は死体を操る際に、神経電流を模倣して細胞を動かしている。
もし、身体の負荷を考えずに細胞を動かし続けていたとしたら……」
短い沈黙の後、ルドは椅子に背を預け、低く結論を下す。
「――なるほど。理解した。」
ルドの片目が細く光る。
「……“電源”は霧そのものか。」
低く呟いた彼は、即座に無線を切り替えた。
「ウォーレンス、霧の濃度は、地下へ行くほど上がっていくのだな?」
『ああ。階段を下りるほど視界が霞む。呼吸するだけで酩酊しそうだ。』
鋼の声が返る。
ルドは頷き、短く指を鳴らす。
「ならば答えはひとつ。
再生の源は地下の“発生装置”。
それが霧を送り込み、死体に仮初めの命を与え続けている。
よって……倒すだけでは数は減らん。
装置を潰さねば、この戦場は、いずれ無限地獄になる。」
「…………………………」
「――各員!肉体再生をさせぬよう、部位をなるべく切り離せ!」
ルドの声が無線を通じて轟く。
「首、四肢、胴……散らして動力の循環を絶て!」
次々と返る「了解!」の声。戦場の刃と銃火が、その指示を実現するように響き渡る。
ーー死体の群れを縫うように、セラの短剣が閃く。
復活し続けるデブリを容赦なく刻み、空いた呼吸の隙に無線が飛んだ。
『――セラ。サンプル回収の達成率は?』
ルドの冷徹な声が響く。
セラはデブリの腕を斬り払いながら、低く答える。
「……濃度85%、規定値ギリギリだけど、すべて確保した。
ーーサンプル品は全て回収完了。
もっと高い濃度が必要ならば、行く……」
ルドの目が鋭く光り、即座に命を飛ばす。
『 追加サンプル不要だ。
よし、先導部隊、回収班と役割を交代せよ。
防護服なしで、その先は危険だ。
彼らから、サンプルを受け取り、拠点へと帰還せよ。』
司令塔に響く声は、冷酷なまでに明快だった。
『全隊員へ告ぐ、これにて“エクスタシア回収作戦”は終了。
これより作戦を第二段階へ移行する――
エクスタシアの発生源、享楽の霧発生装置を破壊せよ!』
静まり返った司令塔に、彼の声だけが響く。
「サンプルの回収だけでは、生ぬるい。
……享楽者<ヘドニスター>。
お前の“おもちゃ”を、ここで壊してやる。」
その言葉に合わせるように、前線の兵士たちが鬨の声を上げる。
戦場は「守るだけの戦い」から「敵を討つ戦い」へと、一変した。




