18話 第一章 エピローグ 『鮮やかな赤色』
木々は柔らかな陽を受けて、深い緑の葉を揺らしていた。
枝の隙間から差し込む木漏れ日は、まるで揺れる水面のように地面へ模様を描く。
鳥のさえずりは遠く、風の音がそれを優しくかき消す。
湿った土の匂いと、苔の冷たい感触があたりを包み込み、森全体が穏やかな息づかいをしているようだった。
その静謐の中を、三つの影が歩んでいた。
彼らの足取りは重くもなく、かといって軽やかでもない。
ただ、導かれるかのように――
ひとつの墓標へ向かっていた。
ひらけた空間に、佇む墓石
リオンは、その小さな石碑に、花冠を被せた。
かつてここに眠る彼女に教えてもらった、綺麗な花の輪っかを……
「マリー……僕はもう……大丈夫だよ。」
リオンの言葉に、森は静かに応えるだけだった。
鳥の声も、風の音も、今は遠い。
ただ花冠が揺れ、陽光を受けて淡くきらめいていた。
その傍らでカナンとイヴは、静かに祈る。
三人は言葉を交わさなかった。
けれど、それぞれの胸の奥で確かに誓っていた。
彼女に託された想いを――
これからも繋げていくことを。
「また来るよ……。」
リオンの声が別れを告げる。
彼らは、それぞれの祈りを胸に、立ち上がる。
言葉は交わさずとも、互いの背に感じる温もりだけで十分だった。
やがて森を抜ける足音が遠ざかると、空間には再び静寂が戻る。
墓石には、リオンがかけた花冠がひっそりと残されていた。
柔らかな陽を浴び、そよ風に揺れる
その眠りに寄り添うように、一匹の蝶が止まる。
『その色は、とても鮮やか赤だった。』
ーー監視者との戦闘の余韻は、まだ街のあちこちに刻まれていた。
崩れた石畳、黒く焦げた建物の壁、割れた窓。
大通りの片隅には倒れたままの街灯があり、路地には煙の名残が漂っている。
それでも街は沈黙してはいなかった。
人々は互いに肩を貸し合い、瓦礫をどかし、壊れた扉を直そうと手を動かしている。
崩れた建物の壁には新しい板が打ち付けられ、石畳には修復の跡が不揃いに並んでいる。
市場の広場では、か細いながらも屋台が開き、果物や焼き菓子の香りが漂っていた。
子供たちはまだ大人の背に隠れながらも、手を離して駆け出す勇気を取り戻し始めていた。
街全体が沈黙していた数日前とは違う。
人々は恐怖を忘れたわけではないが、確かに「日常」を取り戻そうとしていた。
そんな喧噪の中を、三つの影が歩いてくる。
旅装束のままの彼らは、まだ戦いの痕を身に纏っていたが――
その足取りは、もうあの夜の戦場のように重くはなかった。
「なんだかんだ、ゆっくり街を散策するのは初めてだ。」
カナンがふっと息を吐き、肩を竦めて呟く。
その言葉に、リオンが小さく笑みを返す。
「確かに。カナンはいつも追われてばっかりだったからね。」
イヴはそんな二人を見ながら、穏やかに微笑んだ。
街の喧騒が、ようやく三人の胸に安らぎを運んでいた。
「……おや、ようやく姿を見せたな。」
重厚な声が背後から響く。
振り返れば、堂々たる体躯の男――ガリウスがこちらへ歩み、三人を見据えていた。
戦場で見せた険しさは薄れ、代わりに穏やかな笑みが刻まれている。
「街を救ってくれた英雄に、改めて感謝をしたくて探してたんだ。」
「……英雄、ね。」
カナンが鼻で笑い、肩を竦める。
「だとよ、リオンさん、出番だぜ。」
「ええ!?いきなり丸投げかい!?」
いきなり会話を任されたリオンが驚き叫ぶ。
そんな姿にイヴは口元を手で覆い、くすくすと笑う。
リオンは困ったように頭へ手をやり、小さくお辞儀をした。
「俺は自分の心に嘘をつかず、守りたいと思った物を守っただけです。」
「彼らがいなければ、無理だったと思いますが、結果としてこの街を守れて良かった……と思います。」
その言葉に、ガリウスは目を細めた。
かつて、血にまみれて心を壊すしか出来なかった青年はもう居ない。
彼は己の正しさを見つめ、守るために生きると決めたのだ。
「……強くなったな、リオン……」
「え?」
リオンが困惑する中
ガリウスはそのまま、頭を下げた。
「オクルスの街を代表して、騎士団長ガリウスが、街を救った英雄へと、誉れを送る。
この街を救ってくれたこと――心から感謝する。」
重い言葉が、広場に静かに響く。
その後広場には拍手が鳴り響き、三人の反逆者は、街の英雄となった。
リオンは驚きに目を見開き、カナンは鼻で笑いながらも肩を竦め、イヴは誇らしげに仲間を見つめていた。
立ち去る間際、ガリウスはリオンへと告げる。
「リオン……あの子の言葉を、忘れないでやってくれ。」
ーーー団長を見送った後、リオンは一息つく、
マリーの言葉……か。
彼女の顔を思い出し、涙を滲ませる。
「……やっぱり、僕はまだ……弱いな……」
守れなかった彼女の、自分を守ってという願いが響き、溢れ出る。
けれどそれは、決して己の無力さを嘆く言葉ではなかった。
「だから……僕はもっと、強くなるよ。マリー」
それは、若き騎士の決意の言葉だった。
「――本当に着いてくるのか?」
カナンが半ば呆れたように問いかける。
「当然だろう。僕も立派な反逆者だ。」
新たな剣と盾を携えたリオンは胸を張る。
その声にはわずかに照れが混じっていた。
イヴは小さく笑って二人を見やる。
「……カナンも、私を一人にはさせないんでしょ?」
「……はぁーー
はいはい、好きにしろ。」
カナンは肩を竦めつつも、口元に笑みを浮かべた。
街に救いの陽が差し込み、三人の影は再び歩き出す。
その先に待つのは、まだ見ぬ戦いと、新たな真実。
「行こうか。」
目的地は楽園-エデン-
享楽者<ヘドニスター>が居るとされる、快楽で支配された街。
次なるアルゴリズムの駒、その討伐を目指し
彼らは足を進めた。
「そういえばイヴ、あの時拾った赤い石はどうしたんだい?」
リオンが、監視者から落ちた赤い石の所在を聞く。
「……あー、あれね。」
イヴは頬に指を当て、にやりと笑った。
「内緒! 乙女には秘密がある方が素敵でしょ?」
「なんだそれ……」
リオンは呆れ顔で肩をすくめる。
「へぇ……乙女、ねぇ。」
カナンはわざとらしく上から見下ろし、口角を吊り上げる。
「ま、隠しごとがあるなら勝手にしろ。
でも、面倒事に俺は巻き込むなよ。」
「もー……無くしたとか思ってるんでしょ!」
イヴはぷくりと頬を膨らませながらも、どこか楽しそうだった。
3人は笑い合いながら、オクルスを後にする。
この街でたくさんの人間が傷ついた。
たくさんの人間が殺された。
ーーイヴは小さく呟き、空を見上げた。
「……どうかその命が、安らかに眠れますように。」
ーーー地下深くの研究所跡地。
そこには、二つの墓石が並べられ、赤い石がそっと添えられていた。
その石はひび割れながらも、美しい赤の輝きを放っている。
まるで――あの子の瞳のように。
「……監視者。」
少女の声が木霊する。
いえ……セリオス。
あなたがしたことは、人としては過ちであったことに変わりは無い。
でも――父親としては、きっと彼女に、正しい愛を与えられていたと思うよ……。
「イヴ! ボーッとしてると置いてくぞ!」
カナンの声が意識を現実へ引き戻す。
「……今行く!」
イヴは駆け出し、再び仲間の背中を追った。
彼らは反逆する。
再び世界に正しさを示すため。
第一章 監視者<オブザーバー>編 【終幕】
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
後日談を含めて、第一章これにて終幕!
現在第二章、享楽者<ヘドニスター>編、執筆中となります。
更新を楽しみにお待ちください。




