16話 『アンブレラ・システム』
ーー戦場には、硝煙が漂った。
焦げた鉄の匂いと、砕け散った弾丸の破片が足元に転がり、ひび割れた床からは白い蒸気が立ち上る。
耳鳴りの中、誰もが一瞬、勝利の余韻に息をついた。
だが、その静寂はすぐに破られる。
「……演算……途絶……補填開始。」
ノイズ混ざりの音声と共に、巨躯がゆらりと立ち上がった。
「……演算修正……部分的損傷……確認。」
左肩に埋め込まれていたサブコアが火花を散らし、装甲ごと爆ぜ飛んだ。
轟音とともに肩から先の左腕は床へと転がり、黒煙を上げる。
「最適解……実行。
致命傷回避……成功。」
それでも、監視者は倒れない。
本来ならコアを貫かれ、機能停止して然るべき致命傷を受けたはず。
だが演算は、その一撃を「左肩の犠牲」へと矮小化し、致死を回避してみせた。
その姿は、まるで「最適解」を示す計算機のようだった。
「サブコアを犠牲に中核を守ったか……」
Kは再び来るであろう、攻撃を見据えて構え直す。
左肩を失った監視者が斧を引きずるように構え直した瞬間――
周囲にいた生体機械たちが、一斉にぎくしゃくと動きを鈍らせた。
「サブコアが壊れた影響か?」
リオンも盾を構えたまま、敵を観察する。
「……補助機群、稼働限界。非効率化ー確認。」
低い機械音が響き、赤いセンサーが静かにKへと向けられる。
「……認めよう、反逆者。
貴様をーー世界の敵としてーー
演算を超えた危険であることを。」
監視者は攻撃を辞め、褒め称えるが如く、彼らを賞賛した。
その言葉に、Kは血を吐くように唇をゆがめる。
「……今更何言ってやがる。
ハナから俺を危険因子扱いして、殺しに来てたじゃねぇか……」
「…………」
監視者の返答はなかった。
代わりに彼は、冷徹に斧を床へ突き立てた。
ガンッ……!
ーーその刹那、床一面に赤い紋様が走り、広間そのものが軋む。
「……ッ!!!」
その脈動に二人は身の毛が弥立った。
リオンの心臓が跳ね上がる。
騎士として幾度も死線を越えてきたはずなのに、今目の前で蠢く現象は「理解不能」という恐怖を呼び起こしていた。
盾を構える手が汗に滑る。
これは、敵の技でも兵器でもない、“理そのもの”の崩壊だ。
Kの瞳孔が、細く震えた。
銃口を向けることすら一瞬ためらわせるほどの違和感。
機械でも人でもない――もっと別の、形容不能な「理」に触れてしまったかのようだった。
全身が凍りつき、呼吸が乱れる。
撃てば届くはずの距離が、今は底なしの奈落の向こうにあるように思えた。
直後ーー重力が歪むような衝撃を残し、無機質な機械音がシステムを読み上げる。
「アンブレラ・システム――起動。」
警戒するKとリオン。
彼らの目の前で、監視者の斧は宙へと浮き、回転を始める。
それは監視者の手を離れ、重力を無視するかのように宙を舞った。
くるり、と回転を始めた刃は、瞬く間に速度を増していく。
金属同士が擦れるような甲高い音が空間を震わせ、耳の奥にまで突き刺さった。
「何だこれはッ……!?」
まるで何かの儀式だった。
目の前で回転を始めた斧は、理を開く鍵のように異彩を放つ。
「……何を、してやがる……?」
得体の知れない“異常”が視界を侵食していく。
彼らは目に映る現実を納得できなかった。
床に広がる赤い紋様
蜘蛛の巣のように流れたそれは、壁を駆け上がり、天井を突き抜けて――
地上へ。
騎士団の兵士たちが剣を振るう広場の石畳にも、同じ赤紋が、脈動のように浮かび上がった。
「……赤い紋様……何だこれは……!?」
ガリウスの声が、驚愕と怒気を孕んで響いた。
剣を構える兵士たちも息を呑み、恐怖に凍りつく。
オクルスの街は、一瞬にして赤色の絶望に包まれた。
「リオン……!」
ーー地下では斧の回転数が上がり始め、まるで、何かを溜めているような高音を発する。
耳鳴りのような残響が止まず、骨の髄まで揺さぶられる。
呼吸すら奪う圧迫感――
それはもはや「武器の音」ではなく、「世界を壊す音」だった。
世界の理を壊れ始める中
ただ一人、イヴだけが確信した。
脳裏に流れ込む情報の奔流――
彼女の目に映るのは、“未来のない街”の姿。
「……っ!」
「――あの斧を壊してッ!!
あれは……アンブレラは!
監視者の最終手段!
町ごと全てをリセットさせる…
自壊システム!!!」
イヴが顔を上げ、血を滲ませた唇で必死に叫んだ。
その声に、リオンの眼が揺れ
Kは即座に振り向き、銃口を宙に浮かぶ斧へと向ける。
だが――
「排除対象、選択。」
その銃口の下には、既に黒い影があった。
監視者のセンサーが灼熱の赤を灯し、巨躯の拳が銃撃前にKを襲った。
「……こいつ!いつの間に間合いに……!」
歯噛みするK。
Kの反応と同時に、残された三体の生体機械も咆哮を上げて襲いかかる。
獣型は壁を蹴って鋭角に跳びかかり、
人型は軌道を読み剣で弾丸を断ち切る。
重装甲の虫型は、巨体を盾にして射線を塞いだ。
監視者も、生体機械も、その狙いは一点に収束していた。
自壊の斧<アンブレラの鍵>を撃てる、唯一の存在、反逆者へと。
ーー四体の敵に阻まれながらも、Kは必死に隙を探る。
自身の後方から放ち、戦場の外側から、回り込むように狙う撃つ弾丸。
後方へと大きく飛び、距離をとった上で、敵の間をすり抜けるように反射させる弾丸。
真下へと跳弾させ、その勢いで跳躍し、敵からの攻撃範囲外から直撃させる弾丸。
しかし、斧を撃ち抜くはずだった弾丸は、獣の爪に叩き落とされ、人型の剣に弾かれ、虫型の衝撃波に阻まれ、虚しく消えた。
「……ッ、クソ……!」
Kの歯噛みが広間に響く。
監視者は赤い光を瞬かせ、再び冷徹に告げる。
「脅威因子――反逆者。排除優先度、最上位。」
三体の機械兵が、まるで一つの意思に従うかのようにKを囲む。
殺到する爪、死角を突く剣、装甲の衝撃波。
すべてが「宙の斧を狙う一撃」を潰すためだけに組み上げられていた。
一歩退くたびに追い詰められる。
弾丸を撃てば必ず阻まれる。
四体の機械生命体はKを執拗に狙う。
「クソ!!近づけねぇ……!
あれを破壊しなきゃならないのに、どんどん距離を離される……!」
(…このままじゃ……!)
⸻
すべて攻撃がKへと殺到している。
その後を追い、リオンは走る。
けれど、速度が圧倒的に違う
彼は悔しながらに呟く
「Kの援護に回りたいのに……追いつけない…!」
こちらに攻撃は来ない。
だが、それは決して安堵ではなかった。
むしろ、手が空いているのに割り込めない現実が、胸を焦がす。
目で追った瞬間に敵は去り、振り切った剣も空を切る。
ただ戦場の端で立ち尽くし、仲間が押し潰されるのを見ているだけ――そんな無力さが胸を抉った。
ーーー
「リオン……!」
その時、背後から、切迫した声が飛ぶ。
振り返れば、壁際に膝をつくイヴの瞳が彼を見据えていた。
揺らぎながらも、強く、必死に。
「お願い!…私を………Kの所へ……!」
彼女の言葉には覚悟を決めた願いを感じた。
ーー監視者の斧は宙を裂き、さらに回転を加速させる。
空間そのものが軋み、赤い紋様は光を増していく。
まるで破滅へのカウントダウンが迫ってくるかのようだった。
(間に合わなきゃ……すべてが消える……!)
その光景を目に焼き付けながら、リオンはイヴを背に抱え、荒い息を漏らしながら走る。
その奮闘とは別に――戦場の中央で、なお緊迫する反逆者
「……ッ、ぐ……!」
彼は息を荒げ、乱反射の弾幕で必死に猛攻を食い止める。
だが、三体の連携と監視者の圧倒的な演算が重なり、わずかな隙すら許さない。
孤立無援の戦場で、銃火と火花が乱れ飛ぶ。
耳鳴りすら混じるその中で一人、Kは追い詰められていく。
肌が痺れる
息が苦しい
死が目前に迫り
体が悲鳴をあげる。
限界が近い事が体に刻み込まれ、まもなく動けなくなる未来は、容易に想像できた。
それでも嵐のような波風は止まらない。
「何か……!新たに突破口を……!
こいつを仕留める……一撃を……!」
その時ーー
「……K!!!!!」
背後から少女の声が聞こえる。
どこか儚く、それでいて確かに自分を呼ぶ声。
「……ッ!!!!」
反射のように、Kの足は声の呼ぶ方へ動き出していた。
視認すらしていない。
けれど、心臓が跳ね、胸の奥が熱を帯びる。
(……この感覚……)
思わず口角が上がる。
まるで、この地へ初めて降り立った時のように。
見えぬ光に導かれるかのように……
ひと握りの光を掴むため、彼は声の主のもとへ、走り始める。
ーーだが、追手はその歩みを許さない。
彼を追いかけ、四つ影は背後へ迫る。
監視者の赤いセンサーが閃き、巨躯が斧を振りかざして一直線に追撃してくる。
その後を追って三機の生体機械も直進する。
すべてが、Kただ一人を狙っていた。
すぐ真後ろへと死が迫る。
けれど、彼は止まらなかった。
「……まだ……届く……!」
肺は焼けるように悲鳴を上げ、視界は赤黒く揺らぐ。
それでも足は止まらない。
導く声のもとへ
仲間のもとへ、必ず辿り着くと心が叫んでいた。
リオンは、彼の真正面へとイヴを下ろす。
恐ろしいスピードで突撃する彼らを目前に
騎士は己が成すべきことを理解した。
彼は迷いを振り払い、力強く叫ぶ。
「……行け!!!!……K!
お前は必ず……俺が守る!!」
その瞬間、リオンは盾を地に叩きつけ、剣を握る手に力を込める。
叫びと同時に、彼は剣を振りかぶり、全力で投げ放った。
唯一の武器を失う一度限りの遠距離攻撃
鋼の閃光は一直線に走り、獣型の胸を貫き、さらに背後の人型の関節へ突き刺さる。
「……ッ!」
二体の機械兵が咆哮を上げ、よろめく。
その直線上には、鈍重に迫る虫型。
放たれた衝撃波は、転がった機械兵に命中する。
Kが横を通り過ぎる。
両者に迷いは無く、言葉も無い。
けれど二人は、確かにバトンを回した。
深く息を吸い、目を閉じる。
そして……
「うぉぉぉぉぉ!!!!!!!!」
リオンは己の全てを盾に込め、迫る監視者へと真正面からぶつかっていく。
巨躯と人間の衝突。
力の差は絶望的。
だが、たった一秒の時間を稼ぐ、そのために彼は、己の全てを出し切る。
「……!!!!!」
火花が散り、鉄と肉の衝撃が空間を震わせる。
盾は粉砕し、体が吹き飛ばされた。
リオンは床を打ち付けられて、血を吐く。
けれども彼の繋いだ意思は、監視者の速度を確実に失わせた。
Kはその隙を逃さず、まっすぐに走る。
声のもとへ。光のもとへ。
ただ一つの希望を抱いて。
ーーー
「イヴ……!!!!!!!」
手を伸ばす。
指先と指先が触れ合い光を織り成す。
閃光は破滅の戦場を溶かし、赤黒い紋様を覆い隠すように視界を塗り替えていく。
重力の軋みも、鉄の匂いも消えーー
世界に、静謐だけが広がった。
ーー気づけばKは、天と地の区別すら曖昧な、光の海に立っていた。
空は無限に伸び、足元には透き通る水鏡が広がり、彼らの影を映していた。
その中央にーー屹立する書架の森。
幾千幾万の本が積み重なり、天井の見えぬほどに連なっている。
背表紙に刻まれたのは言葉ではない。
絵でも数字でもなく、世界の「記録」そのものが文字となり、時代ごとに整然と収められていた。
一冊一冊から淡い光が零れ、まるで星座のように繋がって宙を漂う。
その光は、静寂の中でかすかに呼吸をしているようだった。
「……ここは……」
Kの声は吸い込まれ、図書館の壁に反響することなく溶けていく。
「……記憶の図書館。
世界に残されたすべての記録が、ここに眠っている。」
馴染みのある少女の声がした。
けれど、振り返ると、そこに立っていたのは、あどけなさを纏う「イヴ」ではなかった。
冷たい眼差しを湛えた存在――記憶の管理者。
無風の静寂の中で、本の頁が勝手に開き、Kの前に散らばる。
戦いの記録、敗北の記録、希望の記録、数え切れぬ人生が一気に流れ込む。
膨大な奔流に意識が揺らぎ、Kは片膝をつきかけた。
「……ッ……!」
歯を食いしばり、踏みとどまる。
そんな彼へと、管理者は希薄な瞳で告げる。
「――選べ。
世界を壊すか、私を壊すか。」
それは告知でも説明でもなく、ただ冷徹な選択を突きつける声音。
目の前の存在がイヴであることを一瞬忘れさせるほど、無機質で絶対的な響きだった。
Kの眉がわずかに動いた。
「世界を壊すか、イヴを壊すか……?」
その言葉には、苛立ちよりも、理解不能なものを突きつけられた戸惑いを受けた。
「ふざけるな……。
ここに来て、お前を失えって言うのかよ!」
管理者は瞬きすらせずに言葉を続ける。
「……記録の結末は、二つに一つ。
維持か、削除か。
選ばれなければ、すべては崩壊する。」
彼女は冷酷に、視線をこちらへ突き刺しながら告げる。
その瞳に、少女の意思は宿っていなかった。
最後まで読んでくださり、ありがとうござます!
次回で一章 監視者編が終幕となります。
彼らが織り成す反逆の一歩をぜひ、見届けてください。




