14話 『君への贈り物』
生きてることは、罪ではない。
生きてた事も、罪ではない。
それでも世界は平等に、生命に死という贖罪を提示する。
それは……チュアリも例外では無かった。
だからこそ、せめて彼女に“生まれてきたことを後悔させない”と心に決めた。
――第十二月・寒冬 24日。
街の露店で、セリオスは小さな包みを買った。
それは高価なものではなかったが、チュアリのために選んだ「贈り物」だった。
そして施設に戻ると、部屋の隅に奇妙なツリーを作った。
帽子立てに古びた鎖を巻き付け、使われなくなったLEDを飾りつける。
傾いていて、不格好で、それでも彼にとっては精一杯の「クリスマスツリー」だった。
「……なにコレ?」
チュアリは首を傾げ、不思議そうに赤い瞳を瞬かせる。
セリオスは照れくさそうに笑った。
「ツリーだよ。今日は特別な日なんだ。」
少女はまだ意味を理解できていないようだった。
それでも、ぼんやりと灯るLEDを見上げ、次第に表情を緩めていった。
その笑みは、歪なツリーを何よりも輝かせた。
夜の街は冬の息吹に包まれていた。
人工管理部の窓からは、白い吐息のような冷気が入り込み、部屋の片隅に飾られた歪なツリーを静かに撫でていた。
セリオスは机の上に小箱を置き、しばしそれを見つめた。
中に収められているのは、安物の銀鎖に吊るされた赤いガラスのレンズ。
街の片隅で見つけた小さな宝石店で、一目見たときから決めていた。
ーー彼女の瞳と同じ色。
忌み子と呼ばれ、誰からも拒まれた、その赤い目を、
「美しい」と伝えたかった。
彼女が生きてきた証を、ただ醜いと否定されるだけの色にしたくはなかった。
振り返れば、ベッドの上に横たわるチュアリの寝顔があった。
痩せた頬、浅い呼吸、震える肩。
その全てが痛ましく、けれど愛おしかった。
そっと足音を殺して近づき、枕元に小箱を置く。
眠る彼女の手が僅かに動いたが、目を開けることはなかった。
「……君の瞳は、誰よりも綺麗だ。」
声に出すことはなく、心の奥で呟いた。
その瞬間、灯りの乏しい部屋で、レンズがわずかに月光を受けて煌めいた。
彼女の眠りを妨げぬように、セリオスはただその光景を胸に焼き付け、静かに席を外した。
翌朝。
「……おはよう、セリオス」
まだ少し眠たげな声で、チュアリがベッドから顔を出す。
胸元には昨夜もらったペンダントが揺れていた。
赤い石は光を受け、わずかにきらめいている。
「おはよう、チュアリ」
白い朝靄が窓の隙間から差し込み、淡い光が部屋を満たしていた。
机の上には温かな湯気を立てるスープと、昨夜の残りのパン。
粗末な食卓だったが、そこに座る二人の顔は穏やかだった。
チュアリは首元のペンダントを何度も指先でなぞり、赤い石に光を透かしていた。
「……これ、すごく綺麗。ありがとう、セリオス。」
その声は震えながらも確かな温度を持ち、彼女の瞳に宿る赤は、恐怖ではなく初めて知った幸福を映していた。
「……似合ってる。」
不器用な言葉しか出せなかったが、セリオスは微かに笑った。
その笑顔にチュアリは小さく頷き、椅子から足をぶらぶらと揺らした。
ほんのひととき、管理部の冷たい空気も、過去の記号も消え失せていた。
それは“生きている”と胸を張って言える、彼女にとって初めての朝だった。
唐突に、金属の扉が叩き割れるような音を立てて開いた。
冷気のような気配が流れ込み、白衣を着た二人の研究員が無遠慮に足を踏み入れる。
「被検体No.13を引き渡せ。」
淡々とした声。命を命とすら呼ばない無機質な響き。
命令は氷のように冷たく響いた。
セリオスは眉をひそめ、一歩前へ出る。
「……何を言っている。
彼女はまだ生きている!」
「生死は問題ではない。」
研究員の一人が淡々と答える。
「上層部からの通達だ。
研究のため生体に近い忌み子の“死亡データ”を要求している。
早急に処理せよとの指示だ。」
「処理……?」セリオスの声が震える。
「……お前たちにとって彼女は、データの一片かもしれない。
だが、俺にとっては――」
「黙れ。」もう一人が遮った。
「お前はただの管理員に過ぎん。
貴様に決定権はない。」
チュアリが怯えたようにセリオスの後ろへ隠れる。
小さな手が彼の白衣を掴み、震えている。
セリオスが叫んだ。
「彼女は生きている!
泣き、怯え、言葉を発する!
お前らの言う“データ”じゃない、人間だ!!」
セリオスの抗議など意に介さず、別の男が無理やりチュアリの腕を掴もうとする。
「放せッ!」
彼が振り払おうと前に出た瞬間、胸を強く突かれ、後方へと弾き飛ばされる。
床に背を打ちつけ、視界が揺れる。
「無駄な情を挟むな。
対象は被検体だ。」
研究者はチュアリの腕を強引に掴む。
「やめろ……彼女から手を離せッ!!」
必死に立ち上がろうとしたセリオスの耳に、チュアリの掠れた悲鳴が届いた。
「……っ、いや!セリオス!!」
「……ッ!!」
怒りが頭を真っ白に染める。
彼は反射的に実験器具台に置かれていた鉄製の治具を掴み、研究員へ殴りかかっていた。
「離れろッッ!!!!」
鈍い音。
研究員の頭部を直撃し、その体は崩れ落ちた。
白衣が赤く染まり、床に血が広がっていく。
床に倒れ伏した研究者の白衣が、じわりと赤に染まっていく。
セリオスの手は震えていた。
「……俺……は………」
自分が取り返しのつかないことをしたと理解した瞬間、頭の奥が真っ白に染まった。
「……お前……何を……!」
もう一人の研究者が、顔を青ざめさせながら、懐から通信端末を取り出す。
「警備――!」
その声を最後まで聞くことはなかった。
セリオスの体は、自分でも信じられないほど自然に動いていた。
震える手で掴んだ、鉄の治具を振り下ろす。
甲高い破砕音と共に、端末は砕け、もう一人の研究者も、床に崩れ落ちた。
呼吸が荒い。
胸の奥が焼け付くように熱い。
「――僕は…………人を……。」
けれど、その背中に縋る細い声があった。
「……セリオス……!」
掠れた声で自分を呼ぶ少女の存在が、彼を現実に引き戻す。
「……ッ!!!!」
自分を呼んだ少女、チュアリを抱きしめ囁く。
「大丈夫だ……チュアリ、僕が君を必ず守る……」
その言葉、は自分に言い聞かせるように、震えていた。
ーー血の匂いが濃く漂う部屋を、セリオスは振り返らなかった。
手を引かれるまま、チュアリは怯えたように震えている。
その小さな指先の力が、彼の背を押した。
「こっちだ……早く……!」
息を荒げながら、通い慣れた施設の裏通路を駆け抜ける。
何度も往復した回廊のはずなのに、今はひどく歪んで見えた。
頭の中で警鐘が鳴り響く。
-人を殺した。二人も。
もう戻れない。
もう「研究者」ではいられない。
だが、隣を必死に走る赤い瞳を見た瞬間、迷いは吹き飛んだ。
「必ず守る。……ずっと、君を見守るから」
それは誓いであり、自分を縛る鎖でもあった。
彼女の手を取り、薄暗い階段を駆け上がる。
裏道を抜け、外気を吸い込んだ瞬間、何かがきらりと閃く。
「――ッ!」
彼女を庇いながら、咄嗟に身を捻った。銃弾が壁を抉り、粉塵が舞う。
影が狙うのはチュアリだった。
彼女を庇うように腕を広げるが、すでに銃口は次弾を吐き出そうとしていた。
「逃げろ……チュアリ!」
彼女を射線から外し、セリオスは刺客の姿を追おうとする。
だがその一瞬――手を離した隙に、チュアリの姿は闇に呑み込まれ、耳を裂くような悲鳴が同時に響き、掻き消える。
「セリオス!」
細い叫び声。
「――チュアリ!!!」
喉を引き裂くほど叫んだ声は、冷たい闇に吸い込まれていった。
伸ばした手は空を掴み、掴み取るべき温もりはもうそこには無かった。
少女と共に雑音は闇に溶け、セリオスは、世界に一人取り残された。
胸を抉る恐怖と後悔。
その奥底から、今まで感じたことのない憤怒が込み上げる。
呼吸が荒くなり、視界が赤く染まる。
血の匂いが鼻を突き、耳にはまだチュアリの悲鳴が焼き付いている。
呼吸のたびに肺が灼けるように熱く、視界の端は赤黒く滲んでいた。
「……俺から奪うな……」
喉の奥から漏れる声は、人のものとは思えぬほど低く濁っていた。
震える拳が爪を食い込み、掌から血が滴る。
守ると誓った存在を、無慈悲に踏みにじられた。
自分がどれだけ非力でも、絶対に渡さないと誓ったはずなのに――。
「許さない……絶対に、絶対に……!」
怒りは理性を侵食し、思考を焼き切っていく。
彼の中で、怒りはすでに“生存本能”のように膨れ上がり、ただ破壊へと向かって燃え盛っていた。
ーーその日、南棟の研究施設で轟音が響いた。
鈍い爆発と共に、壁が内側から吹き飛び、硝煙と粉塵が廊下に流れ込む。
警報が一斉に鳴り響き、赤い警告灯が狂ったように点滅した。
「……な、なんだ……ッ!?」
「侵入者!? いや違う、内部から……!」
逃げ惑う研究員たちの悲鳴をかき消すように、鉄靴の足音が規則正しく迫る。
その中心にいたのは、一人の男――セリオス。
彼の瞳は狂気に爛々と燃え、腕には血の滴る布切れと、木こり用の奪った斧が握られている。
扉が立ち塞がれば、破砕。
人が立ち塞がれば、殲滅。
ただ一歩ごとに、破壊だけが道を拓いていく。
爆風に巻き上げられた書類や割れたガラスが宙を舞い、施設全体が震動に包まれる。
セリオスの口から洩れる声は、もはや言葉ではなく、低く濁った咆哮だった。
「……チュアリを……
返せぇええええええッッ!!!!」
セリオスはただ一直線に突き進んだ。
床を揺らす重い足音。壁を切り裂く鉄の斧。
研究員たちは悲鳴を上げて逃げ惑い、通路は血で濡れた滑走路と化していく。
「止めろ! だれか、奴を止めろ!!」
「無理だッ! 目が……人の目じゃない……!」
叫びは無意味だった。
振り上げられた斧が叩きつけられるたび、金属の扉が紙細工のように砕け散る。
進むたびに、爆音と硝煙が背後を飲み込み、施設そのものが崩壊していった。
赤い警報灯が明滅する通路を駆け抜ける。
ただ一つの目的地――解剖室へ。
「止めろ……止めろォォォ!!!」
叫びは咆哮に変わり、彼の存在そのものが破壊の衝撃波のように施設を揺さぶった。
赤い光が明滅する廊下を抜け――
ついに、最奥の解剖室へと辿り着く。
扉を蹴り破った瞬間、セリオスの目に飛び込んできたのは。
拷問部屋のように血の香る部屋で
無影灯の下、鉄の台に震える小さな影。
赤い瞳を涙に濡らしたチュアリが、必死に視線で助けを求めていた。
ーーだが彼女の頭上には、すでに無慈悲な機械仕掛けの刃が吊るされていた。
金属製のフレームが重く唸り、処刑装置のギアが回転を始める。
「…………!!!!!!!!!
やめろォォォォォォ!!!!!」
セリオスの絶叫と同時に、ギロチンは冷酷な音を立てて落下した。
――ゴン。
一瞬の静寂ののち、白い床に赤が散った。
小さな首が転がり、その首元から鎖の千切られた、赤いペンダントが外れて落ちる。
「……っ……」
石は鈍い音を立てて床を転がり、セリオスの靴へと当たる
無惨にヒビ割れた赤い石と、光を失った赤い瞳だけが、セリオスの前に転がった。
ーーその夜、南方の研究施設は血に沈んだ。
警報が鳴り響いた記録も、駆け付けた警備兵の報告も、残された映像も一様に途切れている。
人間が惨殺され、人工生命は逃げ出し、施設は破壊された。
何人殺された?
何人逃げ出した?
全てが曖昧なままだった。
ただ一つ、生き残った誰もが、証言する。
血に濡れた男が、斧を片手に歩いていた。
その腕には、首と胴が離れた少女が抱えられていた……と。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
監視者、セリオスの過去回想。
研究者であった彼と忌み子、チュアリとの関係。
反逆者達の想いと彼の記憶はどのような終着を迎えるのか。
次回更新まで楽しみにお待ちください。




