1話 プロローグ『反逆者』
――あなたを待ってる。
誰だ……
懐かしい……
少女の呼び声が、どこか遠いところから落ちてくる。
「反逆者――」
その声に誘われるように、ゆっくりと目を開ける。
灰色に沈んだ世界が、ぼやけて視界に広がった。
「……ここは、どこだ」
掠れた声が自分のものかすら判別できない。
呼吸は浅く、身体は重い。
混濁する意識の中、青年は立ち上がり、辺りを見渡す。
壁も天井もない空間。
ただ、終わりのない無機質な沈黙だけが広がっている。
沈黙の中、自分の鼓動だけがやけに鮮明に響いていた。
踏み出しても――音がしない。
床があるはずなのに、そこには質感すらなかった。
不意に視界の端で何かが揺らいだ。
振り返ると、そこにあったのは、黒曜石でできた塔。
冷たく、光を拒み、ただ沈黙を保つ異質な存在。
何も無かった空間に突如現れたそれは、まるで“ここだけが別の世界”だと告げるように佇んでいた。
見とれていたその瞬間、耳元で声がした。
「――目覚めたか」
全身に冷水を浴びせられたような感覚。
反射的に肩が跳ね、青年は後ろへと飛び退いた。
足音は響かない。
ただ無音の中で、自分の荒い呼吸だけが残った。
振り返った先――
そこには、自分と同じ顔をした“影”が立っていた。
輪郭がゆらぎ、存在が定まらない。
けれど、直感でわかる。
――こいつは明らかに“異質”だ。
背筋を冷たいものが這い上がり、皮膚が粟立つ。
全身の細胞が一斉に危険を告げ、身体の芯まで恐怖が駆け抜けた。
声を出すつもりなどなかった。
だが喉の奥から、掠れた声が漏れる。
「……お前は、誰だ」
影はゆっくりと笑んだ。
その仕草だけで、圧が空間を支配する。
――こいつを敵に回せば、死ぬ。
考えるまでもない。
相対した瞬間に悟った。
目の前の存在が、自分よりはるかに上位にあることを。
それでも。
身体の奥底で、何かがかすかにざわめいた。
恐怖に押し潰されながらも、言葉を返さずにはいられなかったのだ。
影は揺らぐ輪郭のまま、一歩こちらへ踏み出す。
冷たい声が空間に響いた。
「――君に“正しさ”はあるか?」
低く沈んだ声が、空間全体を震わせた。
「……なんの事だ」
思わず口をついた言葉は、問い返すというより、掠れた呻きに近かった。
影は笑みを深める。
「何、ただの確認さ。
信念とは、時に人の限界を超えて、抗う力となる。」
輪郭の揺らぐその姿から放たれる声は、静かに、しかし逃げ場なく心臓を締めつける。
「君はそれを持ち合わせているのかな?」
「……」
(抗う信念……)
青年はその言葉を心の中で繰り返した。
――抗う、信念…!
思考の底に沈むように響いた瞬間、別の声が重なった。
『抗え――反逆者』
少女の声。
遠い森の奥から聞こえてくるような、けれど確かに自分の胸の内を震わせる響き。
二つの声が交錯する。
影の冷たい問いと、少女の温かくも抗いを促す囁き。
迷いが無かったわけじゃない。
確信があったわけでもない。
ただ、そうするべきだと――俺がそう思った。
気づけば、右手は腰の銃を掴んでいた。
冷たい金属の感触が、確かに存在を主張する。
「……名前も、記憶も、何もない」
掠れた声で呟く。
「けど――ここで膝を折るのは、間違ってる」
銃口を影へと向けた瞬間、胸の奥に熱が走った。
少女の声と、自分の意思がひとつに重なる。
「抗う。それが、俺の“正しさ”だ」
轟音。
銃口から放たれた閃光が、影の胸を貫いた。
輪郭は大きく揺らぎ、崩れ落ちる霧となって空間に散っていく。
だが、その顔には嘲笑めいた笑みが最後まで貼り付いていた。
「……世界はお前を理解する。
そして世界は、お前を排除する。
抗えーー反逆者……」
声はどこか楽しげだった。
残響だけを残し、影は完全に消えた。
けれど安堵の時間は一瞬だった。
ゴゴゴゴゴ……
黒曜石の塔が、不気味な轟音を立てて崩れ始める。
砕け散った破片が宙を舞い、足元へと亀裂が走った。
地鳴りのような揺れが広がり、立っている場所ごと崩壊していく。
「おいおい! マジかよ!!!」
床が裂け、足元から崩れ落ちる。
青年は咄嗟にバランスを取ろうとした。
だが――間に合わない。
身体は空中へと投げ出され、視界が反転する。
「くそっ……!」
体勢を立て直そうと必死に腕を伸ばすが、掴むものは何もない。
重力が全身を引きずり下ろし、心臓を鷲掴みにするような圧迫感が襲う。――それでも。
「……俺は……抗うんだ……!」
闇に呑まれながら吐き出したその言葉は、震えながらも確かに響いた。
熱が胸の奥で弾け、意識が白く滲んでいく。
落下の感覚も、恐怖も、すべてが遠のいていった。
そして、世界は途切れた……。
>>>>>>>>
ーー歯車は回り始める。
それは始まりを告げる音でも、祝福を告げる音でも無い。
世界は緩やかに停滞を呼び起こし、やがて全てが終息する。
-これは世界を記憶したほんの、1ページ-
けれど記憶は、"誰か"にとって、決して忘れることのない物語。
何処か遠い森の中、少女は本を閉じ、窓の外を見上げた
「教えて、あなたはどんな道を歩んだの?」
最後まで読んでくださってありがとうございます。
この物語は、ちょっと不思議で、少しだけ重たい“反逆譚”です。
記憶を持たない青年が描くSF×ダークファンタジー
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