第9話「邂逅のネクサス・コア」
灰色の空と潮風。
『ネクサス・コア』は巨大な要塞のように湾岸地区に聳え立っていた。窓一つないのっぺりとした壁。その威圧感は周囲の空気を凍てつかせているようだった。
蓮が建物の前に立ったちょうどその時。
一台の自動運転車が音もなく彼の隣に停車した。降りてきたのは見覚えのある白衣の女性――乾美咲だった。
「……やっぱり、来たのね。お坊さん」
美咲は呆れたようなそれでいてどこか納得したような顔で言った。
「あなたこそ。会社の命令を無視して一人で乗り込むおつもりですか」
「あなたには関係ない」
二人の間に気まずい沈黙が流れる。片や千年の伝統を背負う僧侶。片や最新科学の担い手。目的は同じはずなのにそのアプローチは水と油だ。
「忠告しておくけどここは世界最高レベルのセキュリティで守られているわ。あなたのその杖じゃドア一枚開けられない」
「それはどうでしょうな。人の心が作った壁なら人の心が開けるやもしれません」
蓮がそう言って錫杖で軽く地面を突いた、その時だった。
美咲のタブレットがけたたましいアラート音を鳴らした。
「嘘……! ゴースト・コードの活動レベルが臨界点に達しようとしている! このままじゃサーバーが物理的にメルトダウンする!」
モニターには真っ赤な警告表示が明滅している。もはや一刻の猶予もなかった。
「……仕方ないわね」
美咲は大きなため息をつくと蓮に向き直った。「一つだけ聞かせて。あなた一体何者なの? どうして、ここが分かったの?」
「あなたと同じですよ」と蓮は答えた。「声を聞いただけです。あなたはデータの声を私は魂の声を」
美咲は数秒間、蓮の目をじっと見つめていたがやがてフッと口元を緩めた。
「……そう。なら利害は一致ね。一時休戦よ。中に入るわよ、お坊さん。ただし私の指示にだけ従って。足を引っ張ったらその錫杖へし折るから」
悪態をつきながらも彼女はタブレットを操作し従業員用の通用口の電子ロックにハッキングを始めた。数秒後、重たい金属の扉が静かに開いた。
「さあ、行くわよ」
二人は互いの顔を見ることなく巨大なデータセンターの内部へとその一歩を踏み出した。科学と宗教の奇妙な共同戦線が今始まった。