第5話「ゴースト・イン・ザ・コード」
「……ありえない」
エリュシオン・デジタルの自室で美咲はモニターに映し出された相関図を前に呆然と呟いた。彼女もまた蓮と同じ結論にたどり着いていた。
AIの異常報告が集中しているのは災害や事故があった場所。そしてその中でも突出して発生率が高いのが自社のデータセンター『ネクサス・コア』が位置する東京湾岸の埋立地だったのだ。
彼女はすぐさま『ネクサス・コア』のサーバーログを最高権限で取り寄せ解析を開始した。表面上は何も異常はない。24時間365日、完璧な温度と湿度で管理されたサーバー群は今日も黙々とデータを処理し続けている。
だが美咲は諦めなかった。彼女は自らが設計した『追憶AI』のバックドアからシステムのさらに深層へと潜っていく。そこは通常の運用では決してアクセスされることのない、コードの深淵。
そこで彼女は“それ”を見つけた。
それは特定のアルゴリズムの暴走ではなかった。外部からのハッキングの痕跡でもない。まるでシステムの内部からアメーバのように自己増殖していく未知のコードだった。彼女が「ゴースト・コード」と名付けたものの真の姿。
それは死者の記憶データを養分にして成長していた。SNSへの最後の投稿、遺されたブログ、クラウドに保存された写真……ネットの海に漂う無数の“死の記録”を勝手に取り込み自らの体を構築しているのだ。
「まるで……生命体じゃない……」
その成長速度は指数関数的に増加している。個々のAIの中で生まれた小さなゴースト・コードがネットワークを介して互いに繋がり融合し、より巨大な一つの存在へと進化しようとしている。
美咲はこの未知のコードをかつて読んだ古いSF小説にちなんでこう名付けた。
「ゴースト・イン・ザ・コード……」
機械の中の幽霊。
その幽霊は今や特定のAIに留まらずネットワーク全体を宿主として凄まじい勢いでその勢力を拡大していた。このままでは全ての『追憶AI』が“それ”に乗っ取られるのも時間の問題だ。
美咲は震える手で上司に報告しようと通信端末に手を伸ばした。だがその指は寸前で止まる。これをどう説明すればいい?「サーバーの中に幽霊が生まれました」とでも言うのか? 誰も信じないだろう。狂人扱いされるのが関の山だ。
(私一人で、なんとかするしかない……)
だが、どうやって? この“生命体”をどうやって止めればいい?
その時、彼女の脳裏にあの僧侶の顔が浮かんだ。
『もし、そのメスで切り裂いた先に誰かの“痛み”があったとしたら……』
(……まさかね)
美咲は自嘲気味に笑い首を振った。だが科学という光が強ければ強いほどその下に落ちる影もまた濃くなる。彼女は今その影の底知れない暗さの前に一人立ち尽くしていた。