第4話「同期ずれ」
午前9時21分。
目覚めたはずの時計は、前日と同じ「5:47」を示していた。
秒針だけが――止まったまま、音もなく震えていた。
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シャワーを浴びている間、
ずっと頭の片隅で“紙の音”が残っていた。
カサ、カサ……
もう、空耳とは思えなかった。
耳の中に、紙が貼りついているような感覚。
自分の思考が、どこかに“記録されている”ような気味悪さ。
浴室の鏡に、いつの間にか水滴で文字が浮いていた。
【次回同期:午前9時30分】
俺は、思わず鏡を拭いた。
文字は消えた。だが、そこに映る自分の表情だけが、ワンテンポ遅れて動いた。
……え?
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着替えてリビングに戻ると、机の上にまた“紙”が置かれていた。
A4の白紙に、赤字でこう書かれている。
>“あなたの動きに、2.4秒の遅延が発生しています。”
>“同期の精度が低下しています。手順を確認してください。”
“遅延”ってなんだ?
まさか、自分の動作が“後から書き込まれている”とでも?
そう思ったとき、背後で何かが“真似するように”動いた気配がした。
振り返る。誰もいない。
でも、壁の鏡の中――
俺がまだ、振り返っていない。
鏡の中の自分が、数秒前の俺を、再生していた。
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その日、外に出ようとした。
玄関の鍵を開け、ドアを引く。
――開かない。
鍵は開いている。なのに、ドアはビクともしない。
代わりに、ポストの口から一枚の紙が差し込まれた。
>“外出不可。記録領域の更新中につき、開放処理を一時停止しています。”
>“戻る場合は『次の動作』を完了してください。”
次の動作?
……その瞬間、電話が鳴った。
固定電話。
この部屋に、固定電話なんて――
なかったはずだ。
それでも、音は鳴り続けている。
恐る恐る受話器を取ると、音声ガイダンスのような女の声が流れた。
>「次の動作を記録します。あなたが、
“204号室は存在しない”と3回唱えてください。」
ぞっとした。
だが、試しに言ってみた。
「204号室は存在しない……204号室は存在しない……」
最後の1回を言い終える前に、受話器の向こうから小さく声がした。
>「でもあなた、昨夜――開けましたよね?」
ブツッ。
電話が切れた。
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俺はその場に崩れ落ちた。
手の震えが止まらない。
けれど――もっと奇妙なのは、その瞬間に視界が数フレーム、巻き戻されたような気がしたことだ。
まばたきの瞬間。
ほんの一瞬だけ、カレンダーの日付が昨日に戻っていた。
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PCを開いた。
画面の右下――時計が“5:47”で止まっていた。
にも関わらず、タスクバーに小さな通知が届いていた。
>【from:観察記録管理ユニット】
>“対象No.4、同期率 87.6%”
>“次回補正:203号室との交差点にて実行”
>“次の“あなた”にご注意ください。”
次の……俺?
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俺は立ち上がり、
廊下の、203号室の前に向かった。
誰もいない。
だが、床に紙が1枚、落ちていた。
それは、前夜の“俺の行動”を事細かに記録したログだった。
けれど最後の行に、こう書かれていた。
>“本日午前2:38、佐倉悠真が自室に帰還。”
>“その直後、自室に入っていった佐倉悠真を確認。”
……2人いる?
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その夜、俺は眠らなかった。
午前5:46。
耳を澄ます。
――カサ、カサ。
紙の音が、また始まった。
次の“誰か”が、部屋に近づいてきている。