第3話「すり替え」
扉を閉めたあと、俺は深呼吸をした。
鍵はかけていないのに、背後から“カチリ”と音がした。
まるで、誰かが内側から鍵を閉めたような。
廊下は、いつも通りに静かだった。
それなのに、俺の足音だけが、わずかに響き方を変えている気がした。
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自室に戻ったのは、午前2時38分。
PCのディスプレイは、スリープ状態。
空のコーヒーカップだけが、さっきまでの“生活の痕跡”を示していた。
なのに――何かが、違う。
いや、たしかにここは俺の部屋なのに、
“誰かが、俺になりすまして生活していたような違和感”がある。
椅子の角度、マウスの位置、カーテンの開き方。
細部の“角度”が違うのだ。
ほんの2度ほど。だが、6年住んでいる身には、それが異常に思えた。
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冷蔵庫を開けた。
並べられた食材の順番が、完璧すぎる。
俺はいつも賞味期限順に並べているが、
これは“俺以上に几帳面な誰か”が並べ直したような整列だった。
むしろ、人間らしさが欠けていた。
機械的。記録的。目的を持った整理。
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寝室へ向かうと、ベッドの上に、紙が置いてあった。
A5のコピー用紙。
手書きではない。印字されている。
>【観察対象No.4:定着処理中】
>現在の記録状態:不安定
>記録のズレ:2度、3.8分、照明残留17%
>同期のため、“室内行動”を一定時間維持してください。
何かが、進行している。
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俺は試しに、室内のライトをつけてみた。
すると、照明のスイッチ横に、小さな紙片が貼られていた。
>【照明:記録済(23:11)】
>繰り返しの動作は不要です。
……なぜ、俺の“行動”が記録されている?
紙を剥がすと、壁紙まで少し剥がれた。
そこには、もっと古い紙が隠されていた。
>【対象No.3/藤田ミカ:記録停止】
>照明反応喪失。観察中止。
“対象No.3”……?
つまり、俺の前にも「観察対象」がいた?
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背筋が冷たくなった。
気づいてはいけないものに、踏み込んでしまった気がした。
そのとき、チャットアプリの通知音が鳴った。
【from:未登録ユーザー】
〈本文なし。添付ファイルあり〉
ファイルを開くと、1枚の画像。
画質の荒い、部屋の防犯カメラ映像のようだった。
……ベッドに、誰かが寝ている。
俺の寝室だ。だが、これは――俺じゃない。
俺の部屋に、“もう一人の俺”がいる。
添えられたテキストは、ただ一行。
>“あなたは、まだ本物ですか?”
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翌朝、掲示板を見に行くと、紙が4枚になっていた。
>◯202号室の佐倉様へ
>ご協力ありがとうございます。
>同期状態は徐々に安定しています。
>今後とも、“記録の整合性”にご配慮ください。
管理人