第2話「5:47の記録」
204号室の扉が、わずかに開いた。
空気が変わる。
埃ともカビとも違う――「使われていない紙」のにおい。
中は真っ暗だった。
でも、確かに“見える”気がした。
光がないのに、部屋の輪郭だけは“読めた”。
まるで、記憶のなかの場所を覗いているような不自然な視界。
俺は、足を一歩、踏み入れた。
ギシ、と床が鳴った瞬間。
――部屋が、動いた。
⸻
壁一面に、びっしりと紙が貼られていた。
新聞の切り抜き、マンションの案内図、住民の名前リスト。
よく見ると、それは**このマンションに関する“観察記録”**だった。
>202号室 佐倉悠真
>生活音、平均37.8db。深夜起床:5:47(異常反応)
>冷蔵庫配列:賞味期限順。音への反応:過敏。
>“観察準備済”
ぞっとした。
俺の生活が――観察されている。
しかも、“朝の起床時間”まで一致している。
⸻
右側の壁には、ポストのスナップ写真が並んでいた。
すべての部屋の郵便受け。鍵の有無。投函された紙の数。変化のタイミング。
そして、203号室の下にだけ、小さく書かれていた。
>“203号室、投入失敗。記録なし。”
>“引き続き、対象転写中。”
……転写?
何を?
⸻
床には、紙が一枚、裏返って落ちていた。
拾い上げると、裏にはこう書かれていた。
>“あなたは、五時四十七分に目覚めた。”
>“この部屋に来たことを、覚えてはいけない。”
>“次に扉を開けるのは、あなたではない。”
俺は、紙をそっと伏せた。
……だがその瞬間、部屋の壁に貼られていた紙が、一斉に「裏返った」。
音はしなかった。
けれど確かに、“文章”がこちらに向いた。
>観察対象No.4
>視認完了。
>対象、記録により更新。
>次回:再観察日未定(最終段階)
そして、最後の一枚にだけ、手書きの文字が重なっていた。
>“誰が、観察しているのか?”
俺は、背筋が凍るのを感じた。
この部屋の中で、誰が紙を書いている?
誰が“対象”を選んでいる?
――そして、なぜ俺の名前を知っていた?
そのとき、部屋の奥にある襖が、音もなく開いた。
⸻
畳の上。
そこには“誰か”が座っていた。
真後ろを向いていて、まったく動かない。
しかし、畳の上に“紙の山”が散らばっていて、その中の一枚だけが、わずかに揺れていた。
その紙には、こう書かれていた。
>“204号室に入ったあなたへ。”
>“この部屋の記録は、一度だけ。”
>“ここを出たら、あなたの部屋は『204号室』になる。”
俺は、紙を置き、ゆっくりと部屋を出た。
扉を閉めると、すぐ背後で、カチリとロック音がした。
振り返ると、204号室のドアプレートに――
“202号室”と書かれていた。