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N丁目の交差点

作者: 角居 宗弥

 それは唐突に訪れた。ウサギは自分の置かれている状況に目を疑った。何もかも与えられ、寝るときに襲い来る危険を完全に取り除かれていたと思っていたのに、夜中起きてみると目の前にあるおいしそうな草を食べることができない。焦点をずらせば、自分が檻の中にいることが瞬時にわかり、今までの安全と引き換えにしていた自分の不自由さを知った。飼い主は新たに檻を設けて、自分を隔離しようとしているのだ。


 ウサギは決心した。自慢の前歯で自分の置かれている状況から脱しようと考えた。飼い主が律儀にかけた鍵については、何かどうなっているのか考える頭がそもそもなかったから、とりあえず目障りな目の前の金網を破ることに専念しようと考えた。前足を振りかぶるより、歯の届くように顔を調節して上から金網を見下ろし、歯を網に引っ掛けて勢いよく振動させることは本能が知っていた。夜中に飼い主が察知して起きてくることがあるのも知っていたから、実行を決意したからには早く嚙み切って外に脱出しなければならないこともわかっていた。


 ときどきウサギは新たな工夫を見出した。ウサギ並みの頭でも十分考え得る工夫を生み出した。とはいっても、このウサギは自分の状況に気づいたくらいにはほかのウサギより利口だったから、数ある工夫を見出した。まず彼は斜めにかじることを習得した。自分の歯の減りと金網の傷つき方を見て縦横斜めを効率的に使って、丸を描くように中心から開けようと考えることもできた。前足を効率よく使うこともできた。前足を引っ掛けておけば、自体重で金網はゆがむしさらに噛みやすい位置に自分を持っていくことができた。


 自分はいつか目にした自分と違うウサギを思った。それは銀色の四角の向こうの世界にいるウサギで、自分の行く方向に必ずついて回る未知のウサギだった。自分が鳴けば相手は口を半開きにして返してくるそぶりをした。自分がちょっかいをだそうと、当たりを強くしようと、相手は平気だった。しかし未知のものを未知で終わらせるのにはもったいなかった。自分は体を上に突き上げ、下に潜り込み、においをかいで、相手も同じように繰り返し、存在を探し、かすりもしない空へ鼻むけて飼い主に忙しいそぶりを見せた。時には飼い主に相手の検討を付けさせるように教えを請おうとした。しかし、その努力が実ることは果たして無かった。


 むなしく時は過ぎ、自分は果たしてそのウサギに興味を失った。いつまでたっても自分に勝負を挑まず、会話しようとせず、飼い主に興味津々で、いつもにらみつけるときにはこちらをずっと見ている。餌を食べている方が幸せと考えた矢先、自分は危険な世界へと誘い込まれそうになった。飼い主の手によるあの「ハコ」への送り届けがなければ自分は寝る時間ではないと昔から感じていた。ウサギはかくして別のケージの中に入れられた。金網の向こうに顔を伏せ、夜風に吹かれるウサギに哀愁を覚えずにはいられない、そんな構図が出来上がっていた。


 気づけば現実の時間が過ぎて、夜がなんとなく更ける気配がした。ウサギの目の前の金網には彼が入る大きさの穴が出来上がろうとしていた。一心不乱に穴開けることもうかなりの時間、ウサギが物思いにふける間に同じ感覚が身の周りを撫でて通ろうとしていた。きちんとその感覚をとらえ、最後の野生の感を振り絞ったが最後、ついに金網にできた穴はウサギの大きさを超えた。


 ウサギは彼自身の意志で出ることのできる外の世界に感銘を覚えた。ウサギとしての薄明薄暮性を保つのに限界が来そうな時間帯ではあったが、野生の血が騒ぎだす今にそんなことは関係がなかった。本能に打ち勝つ精神というものを、ウサギは生まれて初めて体感した。同時に、飼い主のことをすっかり忘れてしまった。記憶の中には満たされるべき野生の本能をたっぷりと充満させ、目の前に草を求め、走り、いつものように寝る。飼い主によって調節されていたなにか、今までに足りなかった何かをしがらみとしてはっきりと感じ、颯爽と走り出した。


 ウサギは走り出そうとする瞬間、飼い主に連れられて走り回った公園を夢見た。色とりどりのメタルなものが灰色の土の上を走り合い、その雑然とした空気にまみれながらも、なお緑の体裁を保つ土地に憧れた。あそこの草はうまい。飼い主はあそこの草の匂いと味を賞味したのかしら、飼い主の出す草もそれはそれでうまいけれども、土の匂いと一緒に食べるのはこの上ない嗜好であるに違いないのだ。


 ウサギが、その身長の百倍の高さを誇る灰色の壁にぶち当たるのは、そう遠くない未来である。

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