#18 「君が見た未来」
上坂隼人が目を覚ますと、既に隣で寝ていた筈の神崎瑠香の姿は無かった。
咄嗟に起き上がり、その足でリビングへと向かう。
キッチンでは朝食の用意をしていた瑠香と目が合う。
「おはようございます、先輩」
「おはよう」
フライパンを振るう手を止め、火を消すと、瑠香は隼人の元へと寄る。
そして、瑠香のか細い手が隼人の頭に触れた。
「先輩、寝癖ついてますよ ってごめんなさい!勝手に触って!つい!」
「いや、別にいいけど 」
改めて、自分でも髪を触ってみる。
瑠香の言う通り、漫画みたいな寝癖が鏡を見ないでも何となく察する事が出来た。
取り敢えず回れ右で洗面台へと向かい、顔を洗って、それから爆発した自分の髪を梳かした。
凡そ二日ぶりの自分のベッドはぐっすりと眠れた様で、ソファで寝た時は疲れの取れ方が全然違うく感じた。それでも、やはり脳内では付き合ってもいない男女が同じベッドで寝るのは良くない気がして、今夜はまたソファでの睡眠生活を余儀なくされる事だろう。
どれもこれも、全ては瑠香を待つ残酷な未来を変えれば良いだけの話。快適な睡眠を取り戻すには早い所解決するしかない。
……解決出来ればの話だが。
◇◆◇◆◇◆◇◆
朝食を食べ、支度を済ませ、今日も瑠香からお弁当を手渡されてから隼人達二人で家を出た。
まだ蒸し暑さの残る朝の通学路を今日の夕飯の献立の話をしながら二人で並んで歩く。
しばらく歩くと駅に着き、そこで一度瑠香とは別れた。友人を見つけて駆け寄って行く瑠香の背中を見ながら、隼人は独り言の様に呟く。
「……本当に、僕にも未来が見えたらな」
神崎瑠香へと襲い掛かる"殺される未来"。
そんな未来が訪れると分かっていながらも、それがいつ起きるのかも、誰がそれを起こすのかも、救ってやると言った立場の隼人自身は知らない。
それがとても歯痒くて、虚しくて。
「未来がなんだって?」
独り言のつもりで吐いた言葉に返答があり、隼人は肩を上げて驚いた。
後ろを振り向くと、そこには「よっ」と挨拶をする幼馴染の赤城冬葵が居た。
「別に、なんでも無い」
「そうかー、なんでもないかー。俺からしたら隼人が後輩の女の子と並んで楽しそう話してるだけでも充分何でもあるけど」
冬葵の言葉を聞き、心の中で隼人は舌打ちをした。
注意深く周りを見ていたと思ったが、まさか冬葵に瑠香と並んで歩いているのが見られていたなんて。
「ま、深堀はしない。どうせ、なんか悩み事でも聞いてたんだろ。」
「まぁそんな所」
「それ、厄介事か?」
「厄介と言えば厄介だな」
本当に厄介な事だ。いっその事全て話したい程に。
けれど、"見えない"立場であるだろう冬葵には何処と無く言い難い。信じてくれない事は無いだろうが、それとこれとはまた別の問題。
「まぁ、俺に出来る事あればすぐ言えな。話くらいは聞いてやれる」
「困った時はとりあえずお前に頼る事にしてるから安心しとけ」
「なら良かった」
そのまま二人で改札を通り、ホームに並んで電車を待つ。
それから定刻通りにやってきた電車へと乗り込むと、今日も席は空いてないので吊り革に掴まることにした。
視線を車窓の景色に向けながら、隼人は冬葵へと問いかけた。
「もしさ、自分が死ぬ未来が見えたらお前はどうする?」
「なんだよいきなり縁起でもない」
「何となくだよ」
「……まぁ、わかってる未来だとするなら抗う」
「結果だけ分かって、その過程がいつ起きるか分からなくても?」
「その最期の時までできることはする」
「成程ねぇ」
「隼人は?」
「僕も同じだ」
「これ何の質問?」
「別に、何でも」
そんな会話をしている間に、住宅街の沿線を走っていた電車はトンネルへと入り、抜けた先では目の前には太陽の光に照らされ、青々と輝く海が映った。
「……最期の時まで、出来る事」
最悪の未来を前にして、神崎瑠香は何を思っているのだろうか。
振る舞いや言動からそれが見抜けない。焦る気持ちも、怯える様子も。
"未来"に怯えた姿を見たのは、後にも先にも図書室で出会った時と、ファミレスで話を聞いた時だけ。
こういう事は本人にも聞きずらい上に、あまり聞くものでも無いと思う。だからこそ、瑠香の真意が余計に分からない。
未来に対して、希望を持っているのか
……それとも
◇◆◇
学校での予定が全て終わり、隼人は帰路につく。
結局の所、一日中考えてみても相変わらず未来を変える術は思いつかず、結衣もまた同じだった。
平行線のまま、いつか来るXデーは着々と近付いてくる。
こちらも未来が見えない以上は対策のしようもない。
いつ、どこで、何が起きて瑠香が死ぬのか。キッカケは?時間帯は?
全てが謎に包まれたまま、その日はゆっくりと迫ってくる。
…だとすれば、もう本人には聞きにくいとかそう言うレベルの話はとうの昔に捨てるべきだと改めて思った。
本人が何処まで未来を把握しているのかは分からない、だからこそ今晩はそれを確かめようと思う。
電車は夢乃原駅に着き、隼人は瑠香と朝ぶりに再会して自宅までの帰り道を歩いた。
そうして帰宅してから、夕食を二人で食べ、隼人が一足先にお風呂に入る。
湯船に浸かりながら、若干のぼせてぼーっとする頭でどうやって本人に聞くかを考える。
ストレートに尋ねるか、世間話を交えてそれとなく聞くか。如何せん、いい未来の話では無いので本人からすればとても話しにくい事ではあると思う。
結局、特に考え事が纏まることも無いまま、このままでは本格的にのぼせそうなので風呂を出た。
「瑠香、風呂上がったぞ」
リビングに戻り、瑠香に声をかける。
しかし、反応は無かった。
おかしいなと思いつつ近寄ると、瑠香はソファに横になって眠っていた。
体育祭の練習で疲れているのだろうか、もう少し寝させてあげようかと思ったが流石にお風呂には入った方がいいので起こそうと手を伸ばす。
「ん… い、やだ」
瑠香の様子がおかしい。眠っているはずの瑠香は、まるで魘されている様だ。
怯える様な、そんな感じ。だからこそ、隼人にはその様子を見てある事が過ぎった。
"瑠香は今、夢を見ている"と。
「おい、瑠香?大丈夫か?」
隼人が瑠香に今度こそ手を伸ばし、魘される瑠香の肩に触れる。
その瞬間、隼人の頭を頭が割れる様な痛みが襲った。
立っているのもままならない様な激痛、明転する視界の先に写る魘されたままの瑠香を見ながら、その身体は床へと倒れ、隼人の意識は深い闇へと落ちていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
気が付けば、隼人は街の大通りに立っていた。
空には夕焼け空が広がり、その奥には星の輝く夜空が見える。夕と夜と境界線が、空に広がるこの街通りの下で相槌を打つように街灯が灯る。
「ここは…?」
隼人には今自分が居る場所の検討がつかなかった。
知らない街の知らない大通り。ここが何処かを確かめようと歩こうとしても、自らの意思に反して足は動かない。
そこで隼人は、自分はこの景色の傍観者でしかないと自覚させられた。
今の自分の役割は、目の前に佇む街灯と何ら変わりは無い。だとすれば、これは夢だろうか?
けれど、夢にしては自分の意識がハッキリとしすぎている。
隼人は何処か困惑しながらも、直後聞き覚えのある声がした。
「先輩、楽しかったですね」
「ああ」
隼人の視線の先に居たのは、並んで歩く瑠香と隼人の二人だった。
更に困惑する中で隼人はある事を思い出す。
意識を失う寸前、隼人は確かに瑠香の肩に触れた。直後、頭が割れる様な痛みがして倒れた後、気が付けばこの大通りに居る。つまるところ、今自分は未来を見ている。
だとすれば、今目の前にいるのは……。
「きゃああああああ!」
隼人の背後から、女性の叫び声がした。
振り返った先には、不審な男が一人。全身を黒い服で纏った男の手には、街灯の明かりに照らされてギラリと光る刃物があった。
「……まさか!」
隼人の嫌な予感が的中する様に、男は瑠香と隼人の二人へと近づいていく。
「おい!待て!やめろ!」
隼人の呼びかけも虚しく、男は二人へと近づいて行く。
この先に待つ結末、それを目の当たりにする前に隼人の意識は再び現実へと戻されていくのだった。