#15 「共同生活はハラハラ」
『未来が見える少女』神崎瑠香との一つ屋根の下ドキドキでハラハラな共同生活・一日目。
まだ半分夢の中へと投げている意識を引き戻す為、水で顔を洗い、鏡に映った自分を見る。
由希の退院と母の帰宅が少し先で本当に良かったと、隼人はこの状況を改めて考えて思った。
まさか兄・息子が、家に会って間もない後輩を連れ込んで共に暮らしているなんて知られればなんて言われるだろう。甲斐性なしと思われるか、もしくは母からすれば友達が増えたと安堵するだろうか。
とにかく、この状況は正常ではなく異常だという考えは変わらないままだった。
瑠香によれば、母が出張から帰ってくるまで五日はあるらしく、あと四日は共同生活が確定している。
流石に、五日間 由希の部屋で寝させる訳にもいかない。本人がいざ帰ってきた時にいつもと違う自分の部屋の匂いや雰囲気に気付かれそうな気もする。
だからといって自らの部屋で一緒に寝る訳にもいかないので、自分のベッドを瑠香へと譲り、隼人自身はリビングのソファで寝る事になった。
冷水でびしょびしょな顔をタオルで拭ってからリビングへと戻ると、焼けた食パンの香ばしい匂いが隼人の鼻腔を抜けた。
いつも食事をしている机の上には、こんがり焼けたトーストと目玉焼き、カリカリに焼けたベーコンの乗った皿が二つ。たまに食パンを焼かずに食べて牛乳でそれを流し込むという朝食スタイルの隼人にとって、瑠香の作ったソレはまさしく理想の朝食と呼べるものだった。
「これ、神崎さんが作ったの?」
「はい!あっ……もしかして、先輩 朝はご飯派でした?」
「いや、全然パン派だけど……凄いな…」
隼人からすれば朝早く起きてこれほどの朝食を作るのは余程精神的に余裕がある時じゃないとしない。それも平日の朝からだなんて絶対無理だ。この朝の強さは、隣の隣に住んでいる幼馴染にも是非見習って欲しい。
「あっ、そうだ!」
何かを思い出したかのようにキッチンへと向かった瑠香が持ってきたのは、風呂敷に包まれた謎の物体。
これはまさか……!
「これ、お昼のお弁当です!」
「あ、ありがとう……」
「いえ!しばらく泊めてもらう間、私にできるのはこれくらいしかないですから!」
瑠香はそう謙遜しているが、隼人からすればここまでしてもらうと逆に申し訳なくなってくる。
自分がしているのは家に泊めているだけなのにこれではアンフェアな気がしなくもない。
「それより、ご飯覚めちゃいますよ!」
「そうだね 戴きます」
お互い真向かいになる様に椅子へと座り、『いただきます』と手を合わせてから、食パンに齧り付く。
焼いた食パンを食べるのはいつ以来だろうか、食パンというのは焼くとこんなにも美味しいのか……。
「あ、マーガリンもありますよ」
瑠香からマーガリンを渡され、隼人は蓋を開けてパンへと塗り込む。
このマーガリンは最後にいつ使ったっけ…… というか、賞味期限大丈夫だよな?
様々な考えと不安が頭を過ぎりながらも、見て見ぬふりをして、満遍なく食パンへと塗り込み、しっかり染み込むのを待ってから再びかぶりつく。
うん…… 美味しい。
その後、瑠香が作ってくれた朝食をペロリと平らげ、完食。
瑠香もその二分後に食事を終えた。
「ご馳走様、美味しかったよ 瑠香ちゃん」
「いえいえ! 後…私の事は『瑠香』って呼んでください」
「え、まぁいいけど…… 苗字呼び嫌な方だった?」
「別にそういう訳じゃなくて…… 私、下の名前で呼ばれる方が好きなんです」
幾ら後輩とは言え、まだそこまで関係が深まった訳ではない人間を呼び捨てで呼ぶのは少々気が引けるが、本人がそう言うならばそうしよう。
『瑠香』…… なんだかまだムズムズする。
「じゃあ私、お皿洗いますね」
「いやいや!皿は僕が洗うから! 家出るまで好きにしてていいよ」
朝食まで作って貰って、皿洗いまで任せるのは流石に申し訳ない。立ち上がろうとする瑠香を何とか説得して座らせて、朝から満腹で気分が良い隼人は、鼻歌を唄いながら皿をササッと洗う。
思い返して見れば、由希が入院してからこうして自分以外の分の皿洗いをするのは久しく感じる。誰かと一緒に家で食事をするのも。
皿洗いを終え、隼人は制服に着替えてから支度を済ませ、瑠香と共に家を出る。
ドアを開け、辺りをキョロキョロと見渡す。後輩、それも女子と二人で暮らしているなんて、冬葵と梨花にバレれば厄介な事になると分かりきっていた。なのでなるべくバレない様によく注意をしてから家を出る。幸いな事に隣と、その隣の家から幼馴染が出てくる様子は無い。瑠香に合図をしてから、二人で家の敷地を出て駅へと向かった。
駅までの道は二人で並んで歩いた。その道中、特に会話は無い。ただ、朝特有の静かな雰囲気が二人を包み込む。
隼人の方は会話こそ無いにしても、この先どうするかという考えだけが脳裏にずっと浮かび上がる。瑠香を最悪な未来から救うと宣言した手前、一体どうすればこの状況を打開出来るのか。
本人にも、その最悪な未来とやらがいつ訪れるのかが分からない以上、対処のしようがないというモノ。
いっその事、自分にも未来が見えたら良いのに なんて考えが頭を過ぎる。だけれど、それは現実的なモノでは無い。最も、自らが置かれている状況そのものが現実的では無いとしても。
それでも、上坂隼人に"未来なんて見えるはずがない" というのが駅に着くまでの間に導き出された結論だった。
駅に着くと、二人は一度離れ離れになった。瑠香が友人を見つけ、「それじゃ先輩 また夕方!」とだけ告げて友人へと駆けていく。
一人取り残された隼人はそのまま改札を抜け、階段を昇ってから夢乃原高校行きの電車がやってくる駅のホームへと並んだ。
「うっす 隼人」
背後から声を掛けられ、首だけ声の方に向ける。
振り返った先には、欠伸を噛み殺して目尻に涙をうかべる冬葵の姿があった。
「……はぁ」
「おい、俺の顔みて早々溜め息とか失礼な奴だな」
「お前の顔は爽やかすぎて腹が立つ」
「それ、褒め言葉?」
「好きに受け取れ」
「じゃあ好意的に受け取っとく」
そんな会話をしている間に電車はやってきて、隼人と冬葵の二人はその電車へと乗り込んだ。
今日も相変わらず、座席に座る事は叶わなかった。なので吊革に掴まり、視線を目の前の車窓に向けながらただ揺れに耐える。
「なぁ、冬葵」
「何?」
「もし、お前が明日死ぬって分かったらどうする?」
「……由希ちゃん、そんなに悪いのか?」
「違う、シンプルに気になっただけだ」
「なんだよ」
驚いた表情を浮かべながらも、冬葵は何処か安堵して続けた。
「まぁなんだろな、俺なら美味しい物食べたり、好きだった曲聴いたりとか、お世話になった人に挨拶するとか、そんなとこかなぁ。まぁ、実際その状況になったら落ち着いてなんか居られないんだろうけど」
「……だよな」
そう考えると、隼人は改めて神崎瑠香の強さを感じた。もし、自分が同じ状況だったとしたら……。
冬葵の言う通り、落ち着いてなんか居られない気がする。
「ま、どういう状況が知らないけど 困ったら言えよ」
「……はぁ」
「また溜め息かよ」
「いや、今度はお前がイケメン過ぎて腹が立つだけだ」
隼人の言葉に、冬葵はハハハと笑う。
そうしている間に、電車は目的地へと辿り着いた。
◇◆◇◆◇
何やら用事があるようで、急ぐ冬葵とは駅で分かれた。
ゾロゾロと高校へと歩く生徒の群れの一部になりながら歩いていると、隼人は上野結衣を見つけて、気持ち早足で歩いて隣へと追いつく。
「おはよう結衣」
「おはよう上坂、共同生活一日目の朝はどうだった?」
「食パンは焼いた方が美味いって事に気付いた」
「何それ」
「何も異常は無かったって事だよ」
「そ、上坂の事だから神崎さんと一緒に登校してきたのかと思ってた」
「流石にそれは不味いだろ、それに僕と違って友人が沢山いるようだし」
隼人と結衣が歩く更に先で、瑠香が友人複数人と楽しそうに話している。
本当に、まさか殺される未来が待っている・そしてそれを知っているなんて思えない程の明るさだった。
「で、何か思いついた?」
「いいや、全く」
「だと思った」
「何か案があれば何でも言ってくれ」
「今の所は無いね、あるなら上坂の代わりに私が助けてる」
「まぁ、確かにな」
いつ訪れるかも分からない未来に抗う術なんて、本当に思いつくのだろうか。
今の所出来ることなんて、もう一度瑠香自身に夢を見てもらう他無い。
何れ、訪れる未来との戦い。その前に、隼人には避けて通れないもう一つの戦いが控えていた。