#12 「夕焼け空に君を想う」
───この日、上坂隼人は夢を見た。
「君は、夕焼け空は好きですか?」
茜色に染まる空を背景に、見覚えのある女性は微笑みながら隼人へと問い掛けた。
いつか見た夢、それを再び見ている。
だとしたら、隼人は既に返す言葉は決まっていた。
「えぇ、大好きです」
あの日、途中で遮られ、伝えられなかった言葉。
そんな隼人の言葉を聞き、目の前の女性─上坂春奈は微笑みながら静かに頷き、そしてあの夜と同じ様に光の粒になって消えた。
それを、隼人は追うことも嘆く事もしない。
だって、伝えたい気持ちは今度こそちゃんと届いたから。それだけで、言葉に出来ない満足感が確かにあった。
◇◆◇◆◇◆
花火大会の夜から数日後が経ったある日。
長いように思えた夏休みも遂に最終日を迎え、隼人は街に居た。
目的地へと向かう途中、スーパーへと寄ってから線香と花と水を買った。
それから、それらを携えてまたしばらく歩き続け、隼人は集合墓地へとやって来た。
歩きながら墓を探し、上坂家の墓を見つける。
ここに、昔よく行っていた父方の祖父祖母と、上坂春奈が眠っているらしい。
母には一応、春奈の事に気付いた事を伝えた。母によれば、もう少し大人になってから色々と伝えるつもりだったらしい。隼人はそれに対して、怒りを覚える訳でも責め立てる気も無い。最も、一番辛かったのは両親だと思った。
最愛の娘を失い、その失った娘と似た病を更に下の娘が患う……。親からすれば、これ程に苦しい事は無いはずだから。
墓参りの作法は、家を出る前に学んできた。
花立てに花を刺し、夏の熱気で乾き切った水鉢の中に水を注ぐと、線香に火をつけてから手を合わせた。
──どうか、姉ちゃんが天国へと行けますように。
目を閉じ、手を合わせながら隼人はそう願う。
自分も何れは死に、この墓に入るはず。
それが何年後の事になるのかは分からないが、それまでの間、天国で待っているであろう姉へと『生きている間にこんな事があったよ』といい土産話ができる日常を送りたいと思う。
目を開け、立ち上がった隼人は墓へと顔を向けると
「……また来るよ、じいちゃんばあちゃん 姉ちゃん」
と、声を掛けてから墓を後にした。
『待ってるね、隼人』
「……!?」
驚きながら隼人は振り返る、けれどそこには誰も居ない。
でも、今 確かに声がした気がした。
「……気のせいか」
頭を掻きながら、隼人は呟く。
もう春奈は……姉ちゃんはこの世界に居ない、花火大会の夜に今度こそ現世に残したしがらみを絶って本当に消えたのだ。
それが正しい事だったのかは今でも分からない、けれどもあの日、姉が隼人に見せたのは、『大きくなった弟の自分と花火を見る』という夢を叶え、心から安心した笑顔だった気がする。
それを確認する手立てはもう無いが…… 少なくとも春奈は満足したから消えた筈だと、隼人は思った。
「待っててよ姉ちゃん 絶対にいつか追いつくからさ」
◇◆◇◆◇◆
墓参りを終えた隼人はしばらく歩き続けて、その足で海の方へと向かった。
距離にしたら結構あったが、このまま家に帰るのも惜しい気がしての行動だった。そうして着いた頃には、空は薄らと赤くなっていた。
目の前に広がる水平線。遙か先には、漁を終えた漁船が花火大会の会場でもあった港の方へと戻っていくのが見えた。
このままずっと東へ向かえば、夢乃原高校まで繋がる海岸線になるが、歩いていく距離では無い為、ある程度の所で引き返して家の方へと向かう。
しばらく歩いていると、隼人は珍しい人物に会う。そこには、結衣が居た。
「上坂の事だから課題やってて外には居ないと思ってた」
「残念だな、僕は意外とコツコツやるタイプ何だ」
隼人は結衣と会い、その流れでそのまま二人で会話をしながら歩き続けた。
「結局、あの日の夜は何があったの?」
「あの日?」
「私が上坂に電話した日。『全て落ち着いたら報告する』って言ってたけど私まだ何も聞いてない」
「あー……そういやそうだったな」
完全に頭から抜けていた。
あの日は、花火が終わった後に隼人を待っていたのは何処かご機嫌斜めな冬葵と梨花の二人。『どこで何をしてたんだよ』『花火終わったよ!』と散々に捲し立てられ、言い訳する暇すら付かせてくれなかったが、散々泣いて目を真っ赤にした隼人を見てからは、何かを察したのか二人はいきなり何も言わなくなった。
それから、家に帰ってからも自宅に戻った瞬間に壊れるように泣いて、気が付いたら眠っていて朝。
本当に色々ありすぎて結衣との約束なんて完全に頭に無かった。
「まぁ…… 簡単に言うなら自分に姉がいて、その幽霊が姉ちゃんだったって感じかな」
「いつ気づいたの」
「花火大会の数日前」
「それは……大変だったね」
「まぁそれなりに大変だったなぁ〜」
今でこそまるで他人事だが、思い返してみても本当に大変だった。心の整理がつくまで三日はかかったし、事ある事にあの日の別れを思い出しては涙して、メンタル的にも本当に参っていた。食欲も何故だか失せ、お陰で2kgほど意図せずダイエットに成功した。このままではただでさえ細身なのにますます細くなってしまう。
「上坂はさ、自分の事責めてる?」
「何でだ?」
「お姉さんの事 」
「…僕が姉の願いを叶えて、もう会えなくなった ってか?」
「うん…… 」
『大きくなった弟と一緒にこの街の花火を見たい』
それこそが春奈の願いであり、現世に残したしがらみだった。
そして隼人はそれを叶え、春奈は今度こそ安らかな眠りについた。
でも、もしその夢を叶える事を拒んだら?
もしかしたら、今も幽霊の身となった姉とは夏が終わっても会えたかもしれない。
「最初は思ったよ 家に帰って散々泣いて、『もしあの時一緒に花火を見るのを断ってたらまだ姉ちゃんとは一緒に居られたかもしれない』って。だけどそんなの僕のエゴだろ 少なくとも、姉ちゃんは自分から成仏するつもりで僕に願いを託したんだから なら叶えるしかない。悲しいけど、それをバネにして前に進むんだ。 それが遺された人間にできる事だからさ」
「……上坂は強いね 本当に」
「そういうお前こそ、自分の事を責めるなよ」
「…私は」
隼人の言葉を聞き、結衣の表情が少し曇る。
きっと、自分よりも結衣の方が後悔をしている。
『親友に遺された時間を知りながらも何も出来なかった』
そうやって今も自分を責めている筈だ。
そして、それ故に誰かと関わりを持つことを恐れている、誰とも目を合わせないのは、きっともう、二度と悲しい想いをしたくないから。
「少なくとも、僕は一生結衣の友人で居てやるよ」
「本当?」
「ああ、なんなら友達以上の関係でもいいぞ」
「…本当に上坂は馬鹿だなぁ」
曇っていた結衣の表情は晴れやかになり、僕達二人はまた、今日が夏休み最終日という事も忘れて、宛も無く歩き出した。
見上げた空の先では、空が茜色に染まっている。
思い返せば、春奈と初めて出逢った時の空もこんなに紅かった。
『君は、夕焼け空は好きですか?』
あの言葉から始まった、一夏の一生忘れられない思い出。
最初こそ『見えないものが見えている』事について戸惑ったりはしたが、今ではむしろ感謝している。
こうして大切な存在に気付けて、ちゃんと別れを告げられた。
悲しい出来事というのは心の準備もさせてくれないまま突然襲ってくる、その中できちんと別れを告げられる事は本当にラッキーな事なのだと思い知らされた。
まだあの日を思い出すと心が痛い、それに唐突に悲しみに襲われるけれど、この痛みや悲しみを越えて更に前に進むしかない。
それが遺された人間に唯一出来ることなのだから。
『離れていても姉弟』
春奈の言葉は今も、決して散る事の無い花のように残っている。
隼人はあの日の夕焼け空を思い出しながら、また『いつも通りの日常』へと戻っていく。