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#1『ある夏の事』

 

 その日、上坂隼人は夢を見た────。


 ふと気が付くと何処かの屋上に居て、ただ呆然と立ち尽くしていた。

 心地のよい風が吹く何処かの建物の屋上。ここから見渡せる景色には若干の既視感があった。

 それでも一体ここは何処だろうか。

 記憶を辿って思い返す中で、結論に辿り着くよりも先に、背後に感じた人の気配に意識を持っていかれた。


「君は、夕焼け空は好きですか?」


 茜色に染まる夕焼けを背景に、綺麗な女性がそう言いながら隼人へとニコリと笑った。


「……」


 問いかけを前に、すぐに返答は出来なかった。

 別に答えが思いつかなかったのでは無い。そうではなくて、目の前に佇む女性の姿に見惚れる余りに言葉を失ったのだ。

 ……腰近くまで伸びた綺麗な黒髪に、清楚さを強調させる白いワンピース。見つめるだけで吸い込まれる様な水晶の様な瞳。背景も相まって、女性のその様はまるで美しい絵画の様だった。そんな女性を前にして、淡々と質問に答える方が無理な話だ。


「君は、夕焼け空は好きですか?」


 返答が無かったのを不満に思ったのか、女性は再び尋ねてくる。

 勿論、夕焼け空は好きだ。一日の終わりを感じさせるこの空は見ていて良い気持ちになれる。

 言いたい事を纏め、女性へと今度こそ伝えようとそう思った矢先、隼人を襲った大きな揺れがそれを遮った。


 ◇◆◇


 ……瞼の裏に眩い光を感じた。

 別世界へと投げていた意識が次第にハッキリとしていく中で、()()が、()()を訴えかけるのが断片的に聞こえてきた。

 隼人は少しずつ目を開ける。すると、目と鼻の先には、整った顔をした青年が焦った様子で両肩を持って必死に揺らしていた。

 成程、さっきのは夢か。

 寝起きで自分の名前すらもまともに言えない程の朧気でも、その結論は自然と導き出せた。


「おい!隼人!」

「なんだよ……そんなに焦って……」

「焦るに決まってんだろ!()着いたぞ!」

「駅……?」


 目の前に青年に言われた言葉を聞いて、隼人はハッと我に帰り、半目だった目をかっぴらいて座っていた椅子から勢いよく立ち上がった。

 突然の隼人の行動に、隣に座っていたスーツ姿の男性が驚いた様な視線を向ける。

 ……そうだ、ここは高校へと向かう電車内。その証拠に、同じ高校の制服を着た生徒達が続々と電車から降りているのが見えた。


「悪ぃ!冬葵!起こしてくれてサンキュー!」

「おぉ!起きたか!行くぞ!」


 自らを起こしてくれた青年を冬葵と呼び、隼人はそんな冬葵と二人で急いで電車から降りた。

 隼人が降りた直後に、背後で電車の扉が閉まる。

 直後、ムンとする生暖かい風を起こしながら、電車は次の駅へと向けて走っていった。

 ……危なかった。隼人は心から安堵する。

 間違いなく、冬葵が起こしてくれていなかったら乗り過ごして遅刻は確定だった。

 朝から嫌な汗をかきながら、隼人は冬葵と共に跨線橋を渡り、駅を出る。

 それにしても、まさか電車で寝るなんて。

 いつもならこの時間帯の電車内の席は埋まっているのに運良く空いていたお陰で座れたのだが、そのせいで眠るなんて。こんなヒヤヒヤするなら暫くは電車は吊革で良いと思う。


「いやーこれで、隼人からアイス奢りは確定かな」


 駅を出て、高校へと向かう学生の群れの中で、隼人の隣に居る冬葵は笑顔でそう言った。

 ──赤城冬葵。

 上坂隼人の、この世に()()しかいない友人の一人。

 性格は温厚で、運動神経抜群。サッカー部に所属しており、時期エース候補。当然クラスの女子からモテる。なんなら彼女持ち。

 家が隣で、隼人とは幼稚園からずっと一緒だ。


「安心しろ、この恩はちゃんと仇で返してやる」

「せめて自販機の飲み物か、移動販売のパンだな」

「バイト代が入ったらな」


 もう季節は夏真っ盛りだというのに、隼人の財布の中は夏と秋を通り越して、一足先に冬を迎えている。いや、寧ろ氷河期だと言っても過言ではなかった。

 このままでは、本当に仇でしか返せない。


「そういやさ、さっきめちゃくちゃ良い顔で寝てたけどなんか夢でも見てたか?」


 冬葵はそう言って、スマホをポケットから取り出すと、何処かニヤつきながら隼人へと見せつけた。

 そこには、自分から見ても確かに気持ち良さそうな顔で眠る隼人の写真があった。


「消せ、今すぐ消せ」

「いいけど、もう梨花には送った」

「おまっ!」


 知らない間に、面倒な事になっていると隼人は感じた。

 一億歩譲って冬葵に見られるのは良いとして、まさか梨花に……と。


「おっ、梨花から返信来た。『朝から笑わせないで』だって」

「だって、じゃないだろ」

「で、そんな良い顔で寝てた隼人はどんな夢見てた?」

「言わない」

「何だよ気になるじゃん。言ってくれたら借りはチャラでもいいけど」

「なら言う」

「現金な奴だな……」

「まぁ何だ、綺麗な女の人に、夕焼け空は好きかって聞かれる夢」

「で、夢の中の隼人はなんて返した?」

「返す前に、お前に起こされた」

「それは悪い事したな」


 ははは と愉快そうに笑いながら冬葵は言う。

 だが、あの女性に対して言葉を返していたら降り遅れて遅刻は確定だっただろう。そう思うと、改めて冬葵には救われた様なものだ。


 駅を出て、数分が経った。片側一車線の道路を挟んだ先から海の見える海岸沿いの通学路を歩きながら、隼人と冬葵の二人は、その後も他愛のない会話を繰り広げている。


「で、明日から夏休みだけど隼人なんか予定あんの?」


 そう、明日は全学生が待ち望む夏休みが待っている。

 とはいえ、隼人には大した予定がなかった。

 あるとすれば、勤めている駅前の喫茶店のバイトと、今現在病院に入院している妹の面会。あとは、ちまちま予定と呼ぶほどでも無い予定がある程度。


「まぁほぼバイトと面会だな、お前は?」

「部活とデートだな」

「リア充は予定が多そうで羨ましいよ」

「そんな暇そうな隼人に提案。海と花火行かね?」

「何が悲しくてお前と二人で海行かないと行けないんだ、あと、今年こそ花火大会は彼女と行け」


 隼人や冬葵の暮らすこの街─夢乃原市では毎年八月二十日に花火大会がある。この日は出店など多く出る事から、他の街からも花火や出店、後は浴衣女子との出会いを求めたイケイケな男等で、この街は一年の内で最大の賑わいを見せる。

 そんな夢乃原の花火大会へは、毎年 隼人 冬葵 そしてもう一人居る幼馴染の梨花の三人で行くのが恒例となっていた。


「海は梨花も誘うよ、花火大会は……まぁ説得する」

「お前、いつか刺されるぞ」

「まぁそれは何とかするとして、由希ちゃんは最近元気?」


 由希とは、隼人の妹の事だ。

 上坂由希。中学一年生の妹。幼い頃から心臓に患いがあり、入退院を繰り返している。会話の流れを汲むに、恐らく冬葵は由希を花火大会に誘いたいのだろうと隼人は察した。


「まぁ、今の所は容態は安定してる」


 昨日由希に会いに行った時も随分と元気そうだった。

 あの様子だと近い内に、一時退院の許可が降りるかもしれない。


 「なら担当のお医者さんに聞いといて欲しいことがあるんだけど」

 「ああ言いたい事は分かってる、ちょうど近い内に面談があるから、その時に聞いとく」

 「頼むわ、お義兄さん」

 「言っとくが、僕の目が黒い内はお前だけには由希は渡さない」

 「そこをなんとか頼むよ お義兄さん」

 「彼女いるだろお前」

 「そうだったわ」

 「僕と僕の妹をお前の修羅場に巻き込もうとするな」


 そんな生産性のない会話をしている内に、目的地である『夢乃原高校』の校舎が見えてくる。

 全校生徒800人の何処にでもある普通の高校、特筆する点は海が近いという事位。それ以外は本当に普通の高校だ。


 到着早々、玄関で靴を履き替え、二年生の教室がある二階へと向かうと、クラスが違う冬葵とは「じゃあな隼人」「お前も部活頑張れよ」という簡単な別れの言葉と共に教室の前で別れた。

 それから教室の扉を開き、中に入る。教室内は既に到着していた同級生達が朝から元気にワイワイ話している。今日で暫く合わない人間も居るとなると、積もる話もあるのだろう、隼人は誰とも話しをすること無く席についてスマホを開くと、背後から背中をツンツンと突かれた。

 振り返った先には、何処か笑いこらえた様子の女子生徒が一人。


「……おはよう梨花」


 隼人は目の前の女子を『梨花』と呼ぶ。

 小宮梨花。上坂隼人の三人しか居ない友人の一人。冬葵と同じく小さい頃からの幼馴染で、バイト先が同じ。

 そんな梨花が何故笑いを堪えた表情をしているのかは大方検討がついていた。恐らく今朝の冬葵のせいだろう。


 「一応言っとくが、保存はするなよ」


 予め釘を刺しておく。SNSなんかで拡散されたらと思うと溜まったもんじゃない。

 どんな些細な情報からでも個人の特定に繋がるかもしれない、ネットと言うのはそれ程怖いのだ。


 「珍しいね、隼人が電車で居眠りなんて」

 「昨日は寝付けなかったんだよ 色々あって」


 正確に言うと、寝るまでの暇潰しに…… と、やっていたゲームに思いの外熱中して、気が付けば午前零時を過ぎていた。布団に潜っても、長時間画面を見ていたせいか脳が覚醒して中々寝付けず、眠りについたのは午前二時前だったのだ。お陰で今も少し眠い。


 「隼人にも眠れない夜なんてあるんだ」

 「お前、僕にめちゃくちゃ失礼なこと言ってるぞ」

 「え、そう?」


 何処かすっとぼけた顔をした梨花に対して言葉を返そうとした時、隼人の言葉をHR開始を知らせるチャイムが遮った。

 今日はやけに言いたい事を遮られてしまう、結局梨花に対して何も言えないまま、梨花は自分の席へと戻り、教室へと入ってきた担任の点呼で高校二年生最後の一学期が幕を上げたのだった。





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