88話 失恋と迷子
レイが開拓を開始して二年が経過した。レイは十二歳になった。ついに、北部と南部を繋ぐ大運河が開通した。
大運河は希望の象徴だ。経済的な動脈となるだけでなく、物理的な距離の近まりは心理的な距離の近まりにも効果的、人類が再び一つになるために一歩前進したとも言っても過言ではない。
経済的に発達すると見込まれる点はいくつもあるが、北部の視点では輸送コストが激減する点が大きいだろう。
南部が未発達というのは鉱物や木材の資源が手つかずという意味でもある。この世界の個人は鍛えれば素手で岩を投げ飛ばせるくらいには強くなれるが、そんな者はごく少数だ。瞬間的な戦闘能力と重い荷物を長距離運搬する技能は別、物資の輸送という観点で見ればおおよそ中世レベルと呼んで間違っていない。
山岳地帯をぶち抜いて作り出した運河は陸路よりも圧倒的な安価と短い時間で資材と製品を運搬を可能にし北部の経済を発展させるだろう。
一方で南部にも明確な強みがある。造船技術が南部にしかない点だ。
北部は発達しているが内陸部である。北は雪山、西は魔境、東も魔境、南も魔境と海への道は封鎖され、全体としては北部の方が発展しているが造船技術は発展しなかったのだ。対して南部は北側は魔境だがそれ以外は全て海に囲まれている。南の海に広がる島々との交流もあるため造船技術は圧倒的に優れている。
製品の質は北部が優れているが、運河を使って商品を運び出す手段が南部に依存しなければならない以上、北部と南部は対等な立場で交渉が可能だ。具体的には運賃と船の数、そして船のメンテナンスの際に南部側の技術者を頼らなければならない。これは明確かつ絶対的な強みだ。
同時に、南部がレイに忠誠を誓った以上、この強みはそのままレイのものである。技術を欲しがる北部の国々と交渉しながらも賢神の試練で手に入れた知識をもとに船をマジックアイテムに改造すれば優位性はそうそう崩せなくなる。
また、北部と南部だけでなく、運河の中ごろにレイが作った貿易国家レグディも非常においしい立ち位置だ。
運河を作ったのはレグディだ。多くの出資者への見返りが必要であるため口出しされるだろうが、その上で最終的な決定権はレグディのもの、五大国が相手でもやろうと思えば締め出すことも可能である。
それだけではなく、運河の入り口や中継地点に荷下ろしや休息のための宿場町、倉庫街の建設も始まっている。購入するにあたり運河を通る船の規格を合わせるため、南部の度量衡や法整備の統一も始めた。これはレグディが……実質的にはレイが口出し出来るものだ。その影響力は国家規模で語れるほどだろう。
大運河の北部側の入り口はアロス国の南部、つまり元アストラ公爵領だ。これはアロス王よりレイが預かっているため、実質的にレグディの領地といっても大げさではない。
春の風が吹き始めたころ、大運河の正式な開通に合わせて、五大国の国王代理たちを筆頭にグレイアス大陸北部の有力者たちが元アストラ公爵領に集まった。
知見が広いものはもうすぐ大きな戦争が起こることを知っている。それまでに今以上の力を付ける必要があり、そのためにレグディは大きく貢献すると考えている。この式典は、まさに人類の歴史に刻まれ永劫に語られる一大イベントである。
しかし、そこにレイの姿はなかった。実質的な代表であるアロスの姫たちに任せ、エルフの森に向かっていた。
「ようやく……ようやくこの日が来た……っ!」
「……よかったわね」
「ああ!俺はエルミナを嫁にするための国を作ったんだからな!アヤメは会ったことがなかったよね、紹介するよ!」
「楽しみだわ」
軽い足取り。浮足立っている。スキップするように森の中を疾駆する二つの影。
レイとアヤメだ。前回は国礎十五柱とその部下たちを含めた大所帯だったのだが、今回は二人だけだ。アロス国とエストールの森はまだ正式な国交を結んでおらず、今回で正式に交流を開始する形である。供回りを付けようというアロス王の申し出を断り猛スピードで向かっているのだ。
ちなみにアルトは「前回は半殺しにしちゃったから会いづらい」と同行を拒否されてしまった。気にしてないと思うのだけど。アヤメは代理……というよりも、お目付け役らしい。信用されていないのだろうか。
「見えてきた見えてきた。二年ぶりだ、元気にしてるから」
「……どうでしょうね。王様たちから何の報告もないのよね」
「そういやそうだな。でももうすぐ会えるからなんでもいいよ」
「……」
久々に年齢通りはしゃいでいるレイの隣で、アヤメは不機嫌そうな顔をしている。
いや、不機嫌そう、というよりも、不審感を抱いている、と言った方が適切か。
少し気になったが、まあ後でいいかとレイは無視した。
「………………………………は?エルミナが、いない?」
「は、はい。二年前のあの日の二日後、待てないからレイに会いに行くと言い残して出ていきました。……まだそちらには着いていないのですか?」
音が耳をすり抜ける。脳が機能を停止した。
エストールの女王、ティリアーナが不思議そうな顔でこちらを見ている。どうしてレイが崩れ落ちているのか分からないと、表情が語っている。レイが身に着けた読心術を使うまでもない。何か裏があるわけではない。彼女が口にしている言葉が全てだ。
「……ずいぶんと舐めたことを言ってくれるわね。二年後に迎えに来るとレイは言っていたのでしょう?その言葉を信じる、と、あなたたちも返したと聞いているわ。どうして居ないのよ。馬鹿にしてるわけ?」
「いえその……二年も二日も大して違いはないので、連絡するほどの事ではないと判断して……」
「馬鹿にしてるのね」
虚ろな目をしたレイに代わってアヤメがキレている。珍しいこともあるものだ。
いや、当然の反応か。規模こそ小さいがエストールの里も一応は国ということになっている。罰則を決めていない口約束を破ったところでお咎めはないとはいえ、軽んじられていると受け取るのも当然だろう。
今のアヤメはレイのそば付きだが、同時にララクマ帝国の武門十七衆の娘という立場を捨てたわけではない。交渉の時、彼女はいつも強気だ。可視化できるほどの闘気を右手に纏い、弓を引くように指を動かす。
挑発だ。その気があれば即座に女王の頭部を爆発四散させることが出来る。場が殺気立ち不穏な気配が立ち込める。
「……やめて、アヤメ」
「でもっ――」
「いい。いいから」
エルフたちは森に引きこもっているため外交経験が皆無であり、外交能力が低いどころか無いとガレアが以前愚痴っていたが、全てにおいて予想外だ。
エルフたちを糾弾する言葉が浮かぶ。宮廷と大国を相手に交渉してきた経験から次の一手が思い浮かぶ。
同時に、体を動かす熱意が消えていく。エルミナがいない。その事実が気力を奪い、口を開く力を失う。
「……うっ……うう……」
「……レイ、泣かないの。……帰るわよ。もうここに用はないわ」
「おっ、お待ちください!エルミナの捜索を手配し――」
「いいわ。……そのうち他の人が来るだろうから、話はそっちとして」
ついに泣き崩れたレイの首を掴み、何か言っている女王を袖にしてアヤメはエルフの森から離れる。
「……ぐす」
「こら、レイ。しっかりしなさい。らしくもない。いなくなったなら探せばいい。あんたなら出来る、そうでしょ」
「……」
森の中、大木の傍に腰を下ろして厳しくも気遣う口調で語りかける。
レイは目を赤くして縋るように視線を返した。光はあるが力はない。
「……無理だよ。きっと俺は、愛想をつかされたんだ……」
「そんなことないわよきっと」
「だって……本当に俺に会うために森を出たなら、二年もあったなら会いに来たはず……」
「……迷子かもしれないじゃない。それに、トラブルに巻き込まれたとか」
「まさか、あいつならその程度。どうにもならないなら、俺の耳に入らないはずがない」
「……」
レイの言葉には一定の理があった。エルミナはレイの準ずるほどに強い。エルフという種族では人間の国では目立つだろうが、国家を巻き込むほどの大事件でもなければ身の危険はないだろうし、もしあるならさすがにレイが知らないはずがない。
最も、普通は迷子にならないし二年もあれば会いにこれたはず、というのは、自分を基準にした高すぎる期待だが。
「……きっと、きっと、もう俺のこと、好きじゃなくなったんだ……」
「またそんな悲観的なことを言って。レイは、まだ好きなんでしょ?相手のことも信じなさいよ」
「でも……一晩で燃え上がった恋なんだ。一晩で冷めることも、あるのかも、しれないし……」
「……」
アヤメは頭を抱えて空を仰ぐ。レイは前向きだが、極まれに後ろを振り向いてしまうことがある。
自分の中のネガティブな心を向き合う能力が低いのだ。
「……なら、諦める?忘れちゃうのもアリよ。アロス王も分かってくれるわ。国交も、まあレグディがあるしなんとでも出来るでしょ」
アヤメは気遣うように傍に寄り添い背中に撫でる。彼女は兄弟たちの中で末の妹だが、自分が落ち込んだ時は兄たちがこうしてくれていたのだ。
「………………無理だよ。初めてだったんだ」
「えっちなことしたのが?」
「いや、そっちじゃなくて……誰かのために、自分の行動を変えてもいいって思ったのが」
「……」
ついにアヤメが顔をしかめる。理解できないものを見る目だ。
「ぐすっ……俺、思うが儘好き勝手に生きてるからさ、知らないところで好かれていたり、知らないところで嫌われていたりするんだけどさ……エルミナに嫌われると思うと、自分の行動を、根本から変えたくなったんだ。あんな思いは初めてなんだ」
「……」
初めて聞くレイの心の弱い部分の吐露を聞いて、アヤメは複雑そうな顔をする。
思うが儘に好き勝手生きる。その通りだ。アヤメの目に映るレイはずっとそうしていた。同時に、本当にずっとそんな考えで生きていたとは知らなかった。
「なら、やっぱり探す?実際に会って話をするのは大切よ?」
「……無理、怖いんだよ」
「怖い?」
泣き言をいうレイは非常に珍しい。アヤメの顔は呆れが消え、好奇心と不安が強くなった。
「会って。本心を確かめて。……もう冷めたって言われると考えるだけで、逃げ出したくなるんだ……」
「…………またそんな、しょうもない……聞きたくなかったわ」
今度は頭を抱えて地を見つめる。
アヤメにとってレイはリーダーだ。ずっと前を向いて走っている。人間なのだから弱い気持ちあるだろうが、予想外のタイミングで言われてしまうと困ってしまう。
一発殴ったら元気になってくれるだろうか。いや、今だからこそそういうのはまずいのだろうか。
そんなことを考えていると、うっかり本心の一部が漏れてしまった。
「つまり、私には、そういう風に考えたことはないのね。嫌われてるかもって」
「えっ?……そりゃそうだ。俺たちは友達なんだから」
「…………そう」
不意に聞こえてきた言葉にレイは本心で返す。
微妙そうな顔をされた。しかし事実だ。
レイとアヤメの付き合いは長い。山飛びの戦場から誘拐して持って帰ってからはや六年。まだ十二歳の子供だが、人生の半分を一緒に過ごしている上、国作りの時を手伝ってくれて、こうしてアルトがいないときは一緒にいてくれたのだ。
友達、仲間、親友。あとは家族くらいしか関係の呼び方をレイは知らない。
「全くもう……まあ、ならいいわ。
それで、具体的にこれからどうするの?国作りを続けるの?」
「んー……いや、いいかな。やる気が失せた」
「そう……なら、私の故郷の山にでも来る?父さんと母さんも会いたがってたし、それに魔法無しならレイより強い人も沢山いるわよ」
提案に心が惹かれる。実際、少し疲れた。レグディは良く育った。レイに何かをする権限はあるが、レイが何かしなければ立ちいかないということもないだろう。
エルミナに会いたい気持ちが強かったのでセレモニーもすっぽかしてしまったので少し気まずいし、ララクマ帝国屈指の要塞であるエンギル山の頂でしばらく居候するのもアリだろう。
しかし。
「……いや、しばらくは旅でもするよ。気が晴れるまで」
「そ。なら帰って支度ね」
ようやく足に力が戻り、二人はアロス国に帰還した。
「どこ?ここ」
一方そのころ、グレイアス大陸の遥か南の小島に、エルミナの姿があった。




