60話 黒幕のいない事件と島流し
レイが七歳になった年の夏ごろ、アロス国の王都は非常に不幸な事件が起こった。
通称、王都動乱事件。栄えあり警備の兵も大勢いるはずの王都で、都市機能がマヒするほどに大量の事件が同日に起こったのだ。
個々の事件を見れば大した歴史に残るというほどの事ではない。馬車が事故で倒れた大通りを塞いだ。商会から違法品が見つかった。魔術師ギルドが街中で魔法で事故を起こした。流行り病が突如として広まったという噂が流れたなどなど。
唯一間違いなく歴史に残ると言えるものは、王都郊外の森で幼い英雄が悪名高い剣霊童の暗殺者たちを捕縛したという激戦が起こったことくらいだろうか。
この事件に対して国は偶然と発表した。小さな事件が偶然、同日に起こっただけだと。
当然のように民衆は納得できないと声を上げた。衛兵が対応しきれないほど大量の事件が同日に起こり、その隙に王都の近くの森で爆音が王都中に響き渡るほどの激戦が繰り広げられたとものなれば、何らかの陰謀が動いていたと考えるのも当然だろう。
それでもすぐに騒ぎが沈静化したのは、死者が一人も出なかったことが大きいだろう。事件の一つ一つは大したものではない。国王もお膝元で起こった事件群に怒り、騎士団と魔法師団、それに治療師たちに働きかけ、傷ついた街と人を全力を挙げて癒した。
一月もすれば、人々の間で王都動乱は笑い話になった。結局誰も得も損もしなかったのだから、きっと本当にただの偶然だったのだろう。剣霊童の暗殺者が近くにいたのもきっと何かの悪いことをするためで、若い英雄は一番危険だと見抜いて抑えに行ったのだろう。
死者が出なかったのは陛下が慈悲の心で大勢の治療師たちに働きかけたくれたから。王都の貴族が王都を混乱させると思えないし、きっと黒幕がいるのならよその貴族だろう。こんなに大規模ならよほどの大物で、一番怪しいのはアイビー公爵だろう。
誰も本気にしないゴシップ記事のような噂話で酒を飲みながら笑い合う光景がそこかしこで見られるようになった。
「……うまくいかないものだな」
そんな状況に一人、アイビー公爵は沈痛な表情を浮かべながら部屋で天を仰いでいた。
偶然だが、噂は真実を言い当てていた。王都中で騒動を起こした黒幕はアイビー公爵である。
目的はレイの暗殺だ。
レイは年齢に見合わず非常に各方面に顔が利き影響力が強い立場と、陛下に実子のように教育されている実質的な王子の身分に反して護衛を付けていないことで有名だ。アイビー公爵がどれだけ調べても護衛が見つからないのだからきっと本当なのだろう。
行動もすぐに分かった。まるで本物の貴人のように堂々としており行動を隠していないのだ。あの日のレイは学園長との打ち合わせがあるため昼前に学園に向かう予定だった。そのタイミング剣霊童の暗殺者たちに襲撃させる。
剣霊童の暗殺者はB級冒険者並みが一人とC級冒険者並みが二人という軍隊を正面から壊滅させられるほどの手練れだった。レイを殺せるかは微妙だったが、依頼を出して派遣された暗殺者たちなのだから出来るのだろう。
ならばアイビー公爵がすることは剣霊童の暗殺者たちとレイの戦いに邪魔が入らないようにすることだ。
一番の脅威はアロス国を支える国礎十五柱と影の騎士団の木の葉。この二つのどちらからが介入してくれば暗殺の成功率は不可能なまでに低下する。
なにせアイビー公爵側の勝利条件はレイの死だが、レイ側の勝利条件は死ぬこと以外の全てだ。一目散に逃げられればそれだけで暗殺失敗である。たとえどれだけの負債を追ってでも邪魔が入らないように妨害する必要があった。
とはいえ国礎十五柱も木の葉も動向を知るすべはない。どちらも王家に仕える存在であり公爵とはいえ一家臣に過ぎないアイビー公爵に知る権利はない。
なので王都中で混乱を起こすことにした。王都は国王のお膝元。衛兵でも対応しきれなくなれば国王を守るためにも騒動を収めに来るだろうとは予想が付いた。
国礎十五柱は常に陛下を守るために何名家は王都に滞在している。これは暗殺者が直接襲ってくる場合に限らず王都で騒ぎが起これば武力で介入してきた前例があるのだ。木の葉も同様だ。
もちろん、王都で騒動を起こしたのがアイビー公爵だとばれればただでは済まないだろう。国王の面子に泥を塗るなど当主の座から降りろと言われてもおかしくない。後釜には王家に都合がいい人材が選ばれるだろう。
しかし、言い換えればその程度で済むのだ。もとよりアイビー公爵家は王家派。自分が隠居しアイビー公爵家はアロス国内で影響力が低下し、権力を取り戻すのに百年かかるとしても、ここで決定的な破滅を迎えるよりは遥かに良い。
レイさえ。アイビー公爵家の勢力を異常なほどのハイペースで切り取り力を奪っていく、根回しも妥協もせず結果だけをまき散らすレイさえ殺せれば。
国王には攻撃できない以上、国王の手先であるレイさえ排除出来れば。
「……あの小僧さえ、あの小僧さえ排除出来れば、許容できる痛みだったのだがな」
「残念でしたね。しかし、世の中思うようにはいかないものでしょう」
独り言に、正面に座ったレイが答えた。
アイビー公爵家が王都に保有する邸宅の一室、正面から訪ねてきたレイとアイビー公爵たちは対面していた。
アイビー公爵たちは本来は自分の領地に帰っている予定だったが、暗殺計画が失敗して事で身柄を抑えられたのだ。
「正直なところ、君が訪ねてきた理由を測りかねているよ。今の状況なら真っ当な方法で私の首を落とせるだろうから、暗殺しに来たとは思えない。一体何の用だね?」
「どうでしょう。案外暗殺かもしれませんよ。殺されかけたなら殺し返したくなるのは普通の心理でしょう」
表情を変えずに平然と言葉を返すレイに、アイビー公爵の背後に控えて騎士たちの表情がこわばる。どちらもかなりの実力者だが、いまレイに攻撃されれば反撃できない。圧倒的に立場が低いからだ。
「失礼、冗談ですよ。暗殺者なんていっぱい放たれています。俺の知らないところで防いでもらっている奴らも数えれば、今更三人でも三十人でも三千人でも気にするような数ではありません。被害もないのにいちいち依頼者を殺して回っても混乱の元です。
公爵家の当主が急に代替わりするなんて大事は面倒ですし、死なれてもこっちも困ります。陛下にも口利きしておきましょう」
「それは……ありがとう、とでもいうべきかね?」
「ええ。存分に俺にお礼を言ってください。あと、あなたの首と地位をそのままにしてあげたんですから、それに見合う対価をください」
予想通りの無茶ぶりに、アイビー公爵の口元がひきつる。
いや、言っていること自体は珍しい物ではない。命を助ける代わりに、命の価値に見合うだけの金銭や宝物を寄こせというのは良くある話だ。
ただ、言っているのが暗殺者を放たれた側で、言われているのが公爵家の当主で、しかも人伝てではなく直接言いに来るというのは、アイビー公爵の人生で前例を知らなかった。
(餓鬼が……舐めやがって)
表情には出さず内心で激怒する。
レイを糾弾する選択肢もある。レイは王命を無視しているのだ。アロス王家に仕える忠実な家臣として、王家より授けられた権力を乱用する奸臣を誅するという口実なら攻撃できる。
しかし、うまくいかないだろう。
レイの腰で輝く銀色の剣、銀霊山龍の剣。アロス国初代国王が信を置いた騎士が振るったという伝説の剣。この剣を振るう際、担い手は王の命令にも匹敵する権威を得るのだから。
そんなものを授けられている時点で、もう真っ当な方法でレイを排除することは出来ない。
だからこそ暗殺を選んだのだが、それも失敗した。
「……話は分かった。だが、私の力とはアイビー公爵家の家の力だ。具体的に何を提供するかは家の者と協議する必要がある。それでもかまわないかね」
「もちろんですよ。今度とも、どうぞ良しなに」
言いたいことを言い終わると、平然とレイは帰っていった。
(今回は辛うじてプラスかな。あんな強い暗殺者たちがいるとは思わなかったけど、結果的には大儲けだ。
本当に、世の中思うようにはいかないな)
世の中思うようにはいかない。それはアイビー公爵に向けた言葉だが、同時に自分に向けた言葉でもある。
今回レイが得たものは大きい。アイビー公爵家の財産の多くと、剣霊童の持つ剣霊。
前者はある程度は望んでいたことであり予想通りだ。単純な金銭ではなく豊かな土地で育んだ財を生み出す権利とシステムを動かす権利を手に入れることが出来たのだ。扱いきれないので陛下にほとんど丸投げするつもりだがこれは大きな功績だろう。
レイにとってより大きいのは剣霊童たちが持っていた特殊なマジックアイテムの方だ。何らかの方法で作成された特殊な精霊を育成して独自の能力を開花させるなど聞いたことが無い。親和性を上げると魔装のように纏うことが出来るという機能も魅力的だ。もしかしたらレイが魔装を覚えるための一助になるかもしれない。期待が高まる。
しかし、ここまでの事態になるとは予想していなかった。自分の手札の中で勢力を拡大するのにどのような戦略を取るかを考え、実行した。レイの回復魔法の腕前は既にこの国でも三指に入るほどだ。上二人は軍属であることを考えれば自由に、好き勝手に治療できるレイがトップと考えてもいい。
だからうまくいくだろうとは思っていた。誰もが見捨てた老人や病人を拾い上げるのだから、最低でも損にはならないと。
しかし、ここまでの事態になるとは本当に読めなかった。ちんたらするつもりはないが、同時にまだ自分が七歳の幼子であることも理解している。成人するまでに公爵たちにも排除されないくらいの立場に成れればいいなと漠然と考えて行動した。
その結果がこれだ。うまくいったが、まさかこんなに早くアイビー公爵が強硬策に出てくるとは考えていなかった。
(命の対価にどのくらい何をくれるのかな。楽しみだ)
また、レイは本当に暗殺者を差し向けられたことは何とも思っていなかった。
親の仇のアストラ公爵の時とは訳が違う。
あの時は後のことは考えていなかったが、いまは欲しいものが、見たい景色があるのだ。
アイビー公爵家の権威は保たれたまま、しかし影響力は大きく奪うことが出来た。
レイが思い描いた通りにはならなかったが、結果的にうまく混沌を乗りこなせたと言えるだろう。
こういうとき、大人なら勝利の美酒と洒落こむのだろうか。そう考えながら、レイは帰路に就いた。
王都動乱事件の翌日。てっきり謹慎処分でも喰らうのだろうと考えていたレイの姿は修道院にあった。
レムレスティ修道院。王都から離れた場所にある湖に浮かぶ島そのものを改造して作られた人の世の果て。レイにとっては初めて自分に体系だった生きる術を教えてくれた故郷でもある。
しかし今回は足取りが重い。突然の呼び出しに嫌な予感が止まらない。
院長の部屋に入る。目の前には母のような院長、フアナ。
重苦しい空気の中、レイとアルトは緊張したように椅子に座る。
(やりすぎたかな……またここで生活はしたくないから厳しいことを言わないで……)
内心で冷や汗をかいていると、フアナはようやく口を開いた。
「元気そうですね。レイ、アルト」
「はっ、お久しぶりです、フアナ院長」
「フアナ院長もお元気そうで何よりです」
レイはすっとぼけたように返答する。
たぶん嫌味だ。
……いや、本音かもしれない。レイが悪いほうに受け取っただけで。言葉の中身とトーン通りだったかもしれない。
だとしたら、怒られるわけではないのだろうか。
「レイ、以前、あなたたちにした助言を覚えていますか?」
「…………もちろんです。たしか灼熱鬼と戦う少し前、アルトと連携するように、という助言ですね」
よく覚えている。あの時も突然呼び出されて「お互いに支え合いなさい」「連携技を覚えてもらいます」「協力できずとも邪魔し合うわないことでも力を合わせる選択もある」「協調性を覚えない」といった旨の話をされた。
今のレイは、果たしてどれだけ守れているだろうか。
一つくらいは守れたつもりだ。守ったつもりはないがさすがに全て忘れたはずがない。その程度の自信はある。
しかし振り返ると、やっぱり一つも守れていない気がする。
アルトとは仕事が違うし共に戦う機会もなかったから仕方ないとしても、一人で突っ走り公爵家の勢力を削り取り込むために奔走し暗殺者に襲撃されても護衛を付けずに最後殴りこむときも一人で行動した。
(まずい。これは怒られる……)
内心でかく冷や汗の量が増したことを実感しつつ、刑の執行を待つ罪人のような気持ちで姿勢を固定する。
「今回二人を呼んだのは、権能についてです」
「「権能?」」
しかし、フアナの言葉は怒っている色は感じられないものだった。
「二人とも、権能をよく使っているそうですね。慈愛に憤怒。方向性こそ違いますが、どちらも気軽に発動で来ていると。これは良いことですが、同時に危ないことでもあります」
一旦言葉を止めて、こちらじっと見つめる。いつものように目隠しをしているため瞳は見えないが、布を貫通して見られている間隔がする。
改めて考えると怖い。
「魔術、闘気、スキル。こういったものはこの世界の理の範疇です。転べば前のめりになるくらい当たり前の理。しかし、権能は違います。権能は明確にこの世界の外側の力、世界を変える力です。
そして世界を変える力を行使する時、真っ先に変わってしまうのは、使い手自身なのですよ」
そっと手を伸ばして、二人の頬を撫でる。
手はじっと暖かく、心地よい。
「レイ、アルト。お互いを見ていなさい。仲間を常に作り、人の言葉に耳を傾けなさい。それだけが権能使いが自分を保つ方法。過去には、憤怒の権能を使い続けるうちに大切な人すら怒りの炎で燃やしてしまうものがいました。慈愛の権能を使い続けるうちに心が擦り切れるまで利用されたものがいました。
あなたたちはそうなってはいけませんよ」
「「……はい」」
ここに至ってようやく気が付いた。
どうやらお説教ではなく、心配して呼び出されたようだ。
……疑ってしまって申し訳ない。
王都動乱事件から一週間後。謹慎を言い渡され王城から一歩も出られなくなったレイに呼び出しがかかった。
「此度の王都を巻き込んだ大騒動は、終結した。悪しき者がおらずとも歴史上屈指の騒動も起きるのだと学びになったな。そんな中、死者を出さずに残り超えることが出来た。みな、大儀である」
謁見の間にゲオルグ国王の声が響き渡る。
今回の騒動の落としどころとして、誰も罰さないことに決まった。
裏で糸を引いたものがアイビー公爵であろうということはこの場に集まった誰もが知っているが、同時に数が多いだけで全て些細な悪事だとも理解していた。今度しばらくは不利な契約を重ねることが決まっているが、表向きは、歴史書には『不幸にも事故が重なっただけ』と記す。これが今回の落としどころだった。
「特にレイ。王都が混乱に包まれる中、いち早く剣霊童の暗殺者たちの存在に気が付き撃退に向かったそうだな。誰にどのような依頼をされたのかは不明だが、汝の勇気が誰かの命を救ったのは事実だ。大儀である」
「はっ!光栄です」
謁見の間にただ一人で中央で膝をついているレイが答える。
レイの行動も同じく秘匿されることになった。王都動乱事件がただの事故であるならば、暗殺者がいたのもまた偶然だ。
「しかし、我が命をを破ったのは問題だ。どのような事情があれ、咎ぬわけにはいかない」
内心で同意する。
国王は国家の君主であり所有者。王の命とは国の意思。それに反する行動をしたものになんの罰則も与えないわけにはいかない。
レイの持つ銀霊山龍の剣を振るうときは担い手の権利は国王にも匹敵するが、上回るわけではないのだ。
唯一国王だけは、担い手たちにも優越した権利を持つ。
ゲオルグ国王は周囲の貴族たちにも聞かせるように口を開いた。
「事件が多発したせいで中止してしまったが、ララクマ帝国の博覧会を開いていたことは知っているな。今度は反対にアロス国の博覧会を帝国で開催することになった。今は詳しい協議を進めているところだ。同時にリリア皇女も一年ほど帝国に帰京することになった。この際、こちらからも留学という形で帝国に誰かを派遣する。
レイ、汝に命ずる。来年はリリア皇女と共に帝国への滞在を申し付ける」
「……謹んでお受けいたします」
こうして、レイは来年を帝国で過ごすことになった。
「ようやく、ようやく平穏が帰ってくる……」
国王とレイが退室した謁見の間で、レイが持ち込んでくる騒動の後始末に忙殺されていた文官たちが歓喜のあまり泣き崩れる姿を、集まった貴族たちは同情するように見てみぬふりをするのだった。
6章完結です
雛鳥編はあと二つの予定




