47話 吉凶超克
アロス国とララクマ帝国の国境付近にある平原だった場所は、もはや見る影もない。火口のようにマグマが大地を覆い、さらにその上にはおかしなことに植物の根と蔦が覆っている。まるで大地の土を溶かすほどの熱とマグマさえ飲む樹木が勢力争いをしているかのようだ。
両国共に近隣の村々では既に避難が始まっている。今日はめでたい日のはずだった。短く見れば五年、考えようによっては二百年も戦争をしている敵国との講和会談の日なのだ。憎しみがないわけではないがこれからは子や親が戦争に赴き訃報を聞くことも減るだろう。とても良いことだ。
しかし、突如として国境の方に天を衝く巨人が現れ大地を揺らしたかと思えば、真夏の太陽が空を割って地上を燃やし、さらにはメキメキと巨大な樹木が聳え立った。
どう考えても異常事態だ。魔物も動植物も人間も火事場泥棒さえも我先にと逃げ出した。戦いの衝撃は誰もいなくなった村を揺らし、国の反対側にまで届くほど。
戦いの中心にいるのは二つの怪物。地上に灼熱地獄を作り出す鬼と、地獄すら飲み己の血肉に変える樹木の精霊。目で見える位置でなくとも人知を超えた激戦は両国の誰もが感じていた。
灼熱鬼が拳を振るう。鉄より硬い強靭な肉体は動かすだけで必殺だ。加えて溶けた土を握りこみ、炎を纏った。そのまま小さな肉体を粉砕するつもりのようだ。常識的に考えればその目論みはうまくいく。
しかし対峙する少女の姿をした精霊も尋常の存在ではない。
羽化したばかりの卵のような樹木の繭に居座る少女が腕をかざすと、周囲の樹木が盾のように動いた。
激闘する拳と幹。衝撃波と共に熱波が広がりマグマの海を揺らす。
樹木の守りは極めて強大だ。一撃では破れない。ならば二発三発と叩き込めばいい。そう判断した灼熱鬼の背後に回り込んだ何かが強襲した。
「キィーーー!!!!」
何かの正体は鳥だ。正確には、鳥の形をした精霊だ。鋭い爪と牙を立てて襲い掛かった。爪の鋭さは尋常ではなく灼熱鬼の皮膚に食い込み、肉をえぐり取った。慌てて振り払おうと腕を振るい、隙だらけになった胴体に今度は狼の形をした精霊が牙を突き立てた。
これはまずいと灼熱鬼はがむしゃらに暴れる。まるで子供が駄々をこねるような動きだが、その腕が当たれば重装備の騎士や冒険者を一撃で粉砕するだけの力が込められていた。
だというのに、鳥の爪も狼の牙も抜ける気配がない。命を取るべく、さらに食い込ませる。このままなら活動限界の五分以内に間違いなく倒せるだろう。
しかし、突如として不気味な熱を発し始めた。嫌な予感を覚えた三体目の獣の精霊が灼熱鬼を殴り飛ばした。
「ガ――ッ」
熊の精霊だ。灼熱鬼よりもさらに大きい熊の精霊の拳は熱気ごと吹き飛ばすほどの威力を発揮した。とっさに開放された爪と牙も決して軽傷ではなく、大きな穴となって出血を起こしていた。
まだ致命傷ではない。だが重体だ。放っておけば死ぬだろう。
だというのに、灼熱鬼の殺気は死んでいなかった。
灼熱鬼は強い魔物だ。皮膚は竜の鱗に準ずるほど固く、力は巨人のごとし。腕を振るえば敵は壊れ、たいていの攻撃は皮膚を突破できず、熱波を放てばおよそ全ての生き物は対峙することも出来ずに死ぬ。まさに生態系の頂点と呼んでも言い過ぎではない。
そんな灼熱鬼にとって、ここまで明確にダメージを喰らうなどいつ以来か。親に当たるらしい同族を喰ったとき以来か。
「ォォオオオ――!」
吠える。熱波とともに雲にまで届くほど大きく吠える。極めて強力な、けれど最後の力を振り絞っているかのような熱波だ。
おそらく最後っ屁だろう。シーがそう判断してしまったのは、きっと経験不足が原因だ。
大地をマグマに液化させるほど高温の熱波は地平線まで届いたかと思えば、急速に空気中の温度は低下した。
温度の低下は灼熱鬼が力尽きたのではなく、熱を吸収しているのだと気が付くのに一瞬の時間を要し、致命的だった。
「カアアアア!!!!!!!!!!!!!!」
まるで太陽だ。人間の目にはまるで赤を超え、青を超え、透明にすら見える。自分で燃やして、自分で吸い取る。周囲を燃やして熱を発生させ、発生した熱を一気に吸収したのだ。
レイが習得している技に瞬間燃焼というものがある。自身の魔力の通り道に複数個の穴をあけ、一気に放出する。消費魔力が激増し肉体的な負担も大きい代わりに、威力を上昇させる切り札だ。
灼熱鬼が使用しているのは瞬間燃焼のさらに上の技。自分の限界以上に熱を吸収し、毎秒ごとに生命力が減少する代わりに攻撃性能を急上昇させる灼熱鬼の切り札だ。
灼熱鬼が拳を握る。すると熱気も拳の形をとった。炎の拳というよりは、熱気、暖かい空気で出来た拳というほうが正しいだろう。どこかレイが大地返しで使用した巨人の手にも似ている。
熱気の拳で空気が燃えている。きっと空気中の微細な粒子が燃えているのだろう。もしかしたら魔力も燃えているのかもしれない。
ついに拳が振り下ろされる。【灼熱拳】。伝説に記された灼熱鬼の必殺技だ。記録によれば当時最も勢いのあった勇者のパーティの一団を丸ごと焼き尽くしたという。
対するシーは精霊を下げた。レイも知らないことだが、かつて樹神・森神と呼ばれた彼女の権能は樹木ではなく森、つまり森に住まう生き物たちにまで及ぶ。森こそが彼女であり、少女の姿をしているのは端末に過ぎない。葉っぱが燃えることも、枝が折れることも、動物が死ぬことも等価値だ。
しかしそれはかつての話。賢神の再構築を乗り越える際に力を使い果たし、転生した際に少女体に自我が芽生えてしまった。さらにレイと接することで自我が強くなり、精霊たちも使い魔と呼び愛着を覚えている。
つまりは怪我してほしくないのだ。精霊たちの実体化に割いていた魔力を樹木に割り振る。使うは樹木の槍。無数の木と草で出来た槍が灼熱鬼の拳を迎え撃った。
決着は一瞬で着いた。
大地が迫るかの如き樹木の槍を、余波で火災を起こすほどの世界を燃やす拳が焼き尽くす。
衝突が終わりあたりが静かになると、アロス国とララクマ帝国を含めた全域の温度を上げるほどの灼熱の拳の使い手がただ一人で佇み、勝利の笑みを浮かべていた。
『……ごめん、負けちゃった』
「いいや上出来だ!いまなら勝てる!!」
「今のなに!?後で説明しなさいよね!!」
「ギュア!?」
勝利を確信した、すなわち隙だらけの背中に二人の斬撃が叩き込まれた。
【破邪顕正】。聖剣技。魔物を祓う、対魔物用の剣技の上級技。その効果は絶大で灼熱鬼は膝をつく。
「やっぱりな!さっきの強化状態はそうそう解除できないんだろ!返事は期待してないよ死ねぇ!!」
レイが流れるように数十の斬撃を叩き込む。そのすべてに聖属性の魔力を載せ、灼熱鬼の生命力を確実に減らす。
負けじと灼熱鬼も拳を振るう。拳にそって熱波が飛ぶ。だがその動きは、先ほどまでの野生の獣のような美しさは全くない、壊れたブリキ人形のようだった。
レイの予想は正しい。体温を限界以上に上昇させ絶大な力を得る切り札は生命力を削る以上に、簡単に解除できないというデメリットがある。本来は確実に相手を全滅させることが出来るため突きようがない弱点だが、裏世界という通常なら干渉できない狭間に入れるレイたちには大きな隙だ。
「おっと!つってもまだ強いな!」
灼熱鬼はがむしゃらに熱波を放った。全く制御できていない、しかしそれゆえに予想できない角度と威力の攻撃にレイもいったん距離を取る。
既に灼熱鬼は死に体だ。このまま戦い続ければ灼熱鬼は勝手に自滅する。
しかしそれまでにレイたちは生き残れるだろうか。先ほどギルバートも十分ほど時間を稼ぐだけでもボロボロになったというのに。
死に体であろうとも格上。一撃一撃が必殺。ならば望むは短期決戦。
懐から禁薬を取り出す。先ほど取り出した強化ポーションの、上位の薬品。俗にいう禁術の薬品版だ。
ユニリンと共同で研究している人体のマジックアイテム化実験の成果の一つ、飲み薬だ。服薬すると全身に黒い呪印が浮き出て能力値が激増、身体強化魔法の効果がある。戦闘職ならだれもが欲しがる一品である。
副作用として強化倍率が高すぎて心臓が十秒ごとに破裂するが、レイなら問題ない。治せるから痛いだけだ。どちらかといえばあとでユニオンに「使っちゃダメっていったよね!?」と詰められるほうが大変だ。
剣を握ると体内から知らない治癒の力が広がるのを感じる。
「シー?」
『もらった魔力がちょっと残ってたから返すね。お姉さんにも』
「助かるわ!」
痛みが引いていく。加えて身体能力も向上しているようだ。同じ回復魔法でもレイが肉体を魔力で再構築するのに対して、シーの回復魔法は生命の力を底上げするタイプのようだ。欠損の再生という観点から見ればレイの方が優れているが、シーの方は副次効果で能力値を増加させることが出来るようだ。
「これなら……レイ!私も無茶をするわ!死んだら生き返らせてね!」
「えっまってそんな危ないことを何考えて――」
「レイに言われたくないわよ!」
アルトが剣を手放し、魔力を操作する。何をするのかとみていると、急速に体温が上昇しているのが聖眼で見えた。
そしてすぐに理解した。アルトは灼熱鬼と同じことをしようとしているのだ。
アルトの適正属性は火。周囲に火があれば強化される。熱を吸収しても強化される。限界を超えて熱を吸収しても、常時生命力が減少するような症状が出るだけで強化はされる。
無茶だ。無謀だ。マグマを飲めば強化されるとしても人間の肉体ではごく当たり前の結果としてのどが焼けて死ぬように、灼熱鬼と同じように熱を吸収したら死ぬ。
しかし、シーの回復魔法によって生命の力が引き出されている今なら、マグマを飲んで喉が焼けて胃が焼けて全身が痛くて、まるで溶けた鉛を流し込まれる拷問を受けているような痛みが走るだけで耐えられるなら戦闘に支障はない、のかもしれない。
少し見ているとアルトの美しいと評される綺麗な金髪に赤みが混ざりはじめ、神々しいと評したくなるヒヒイロカネのように赤みが混ざった金色に変化した。目の色の赤みが混ざり、どこか精霊のようだ。
レイの目には、脳が熱で少し溶けている脳に見てるのだが、戦闘に支障はなさそうだ。これはシーの回復魔法がそれほど強力だからだろう。無茶な。
一秒ごとのダメージよりも回復魔法の効果のほうが大きいから死んでいないが、自殺に等しい危険な技だ。使ってほしくはないが……レイも似たような技を使っているためうるさいことは言えない。
「よしできた!いい手本を見れて良かったわ!さあぶっ倒すわよ!」
「……そうだね!やるか!」
この弟にしてこの姉ありというべきか。レイに負けず劣らずの無茶にレイは自分のことを棚上げして微妙な顔をする。
しかしすぐに剣を握りなおして灼熱鬼に向き合う。格上を倒すなら無茶も必要だ。勇猛果敢に再び切りかかった。
最後の戦いは短いながら苛烈さを増し続けた。剣が当たりはじかれ、剣を当てては引き、拳を喰らっては喰らいつく。
最後の力を振り絞って生意気な羽虫をつぶそうとする灼熱鬼、確実に殺しにかかるレイ。そしてレイの背中を見ながら、アルトは命を燃やす。その目に浮かぶのは決意だ。
アルト。アルト・コンチェルトの生家は、本人も実は知らない。しかし、没落した貴族だと聞いている。
ある街に歴史のある貴族がいた。しかし歴史しかない家だった。
かつては経済力、軍事力ともに栄えたものの、様々な要因で多くを失い、後から街にやってきた若い貴族家に主権を取られたらしい。晩年は家財も使用人も全て手放し、森の中の小さな小屋で慎ましく暮らしていてたとか。
しかし、人々の心が離れることはなかった、歴史の長さは信用の高さとほぼ同義だ。力を失おうとも長年に渡り町を守り続けたことを知っている住人たちは変わらず信頼を寄せた。
面白くないのは新しい貴族家だ。人でいえば家から動けない老い耄れをいつまでもトップと呼び、自分たちを新しいリーダーとは認めない民衆たち。いつかは主権を奪還されるのではと恐れ続けた。
ある時、コンチェルト家の妻が子を孕んだという情報が入った。子は宝だ。同時に敵対する家の幸いは自分たちにとっての不幸に等しい。暗殺者を送った。
暗殺の障害は一切なかった。もとより文官よりだった家の当主は戦う術を持たず、襲われた妻も致命的ではないが確実に流産するほどの傷を負う、まずだった。
普通じゃなきことが二つあった。一つは夫が大切な人が襲われた際に、躊躇なく凶刃の前に自分が盾になれる人物であったこと。
もう一つは、まだ腹にいる赤子が、人類史上でも屈指の、悪魔の権能の適性があったこと。
母体から流れ込む負の感情を起点に【悲嘆】の権能を発動。森に住まう命の全てを奪った。
この際に両親もまとめて殺してしまったかもしれないと、三つの時に聞いた。
唯一生き残ったアルトは叔父の家に引き取られ、不気味に思った叔父は国に頼り、最終的にフアナが引き取ることになった。リムレスティ修道院は一年ほど暮らしたが、生きる熱意がないから鍛える意味がないと追い出され侍女になった。
死んだように、もしくはまだ生まれていないかのようにぼんやりと暮らしていると、ある日、レイに出会った。
どうやら姫様たちが攫われ、この少年が助けたらしい。歳が近いからと押し付けられたアルトに思うことはなかった。世話をし、付き添って自分も修道院に戻ることになった。
しかし城で過ごしていた時、ある瞬間気が付いた。この子は、自分が助けないと死んでしまいそうだ、と。レイがそのくらい無茶で無軌道な少年だったのだ。
レイは特別だ。ユニークスキルの聖なる目、魔力の多さ。戦闘センス。レイは満足していないようだが、見ただけで大抵のことは七割くらいは再現できるのは十分すぎるほど異常だ。無茶に挑み続ける精神性と相まって、いずれは英雄になるだろうと語るものがいるのも理解できる。
アルトも特別だが、特別なもの同士を比較すればレイの方がはるかに特別だ。アルトはそう思っている。
しかしそんなことは関係ない。アルトは姉で、レイは弟だ。この関係はアルトが始めたのだ。
「私のことはお姉ちゃんと呼んで」。そう言ったのはアルトだ。受け入れてくれたのがレイだ。レイの面倒を見ること。死ぬ理由がないからと生きていたアルトにとって、レイはアルトの生まれて初めて出来た家族であり、生きる理由になってくれた大切な人なのだ。
ならば、特別だの才能だのと言っている場合ではない。
力の限りにお姉ちゃんであり続ける。
弟が頑張っているなら。そして尊敬の目を向けてくるならば。お姉ちゃんはもっと頑張るのだ。
肉体に着火した熱を武装に変換。もとより炎の扱いは悪魔の得意とするところ。背中の白い翼を黒く染め、燃やす。
「アルト姉!?――ええい!」
意図を察したレイがサポートに回る。もとより多彩さをともかく武力はアルトの方が上だ。
魔力を向けるのは溶けた地面。あまりの熱気に溶かされているだけで、灼熱鬼が操作しているわけではない。簡単に奪える。
溶けた地面に水を砂を混ぜ込んでコンクリートのように固める。今の灼熱鬼ならばこれで多少は拘束できる。
「おまけだ!これもくらえ!俺も死んだほどの魔法だ!」
同時にユニリンが開発した魔法を叩き込む。本来は精神的な疲労回復を目的としているらしいが、強力すぎて死ぬのはレイが喰らった時に判明してる。
どうやら灼熱鬼にも通用するほど強力だったようだ。膝をついて完全に動きが止まった。
「これでとどめよ!いいお手本をありがとう!【灼熱褐剣】!」
アルトの腕で熱で白く染まり、同時に黒い翼と赤白い髪も輝く出し、黒と白と赤が混ざった神々しい斬撃が、灼熱鬼の首を刎ね飛ばした。




