46話 地を照らす凶星
帝国からの使者を襲う魔物の軍勢は数を減らしつつあった。レイの大地返し、アルトの火炎抜刀。強力な攻撃を前に瞬殺、もしくは消耗し一方的に狩られ続ける。全滅も時間の問題だ。
勝った。そう確信した瞬間、極めて高密度かつ膨大な魔力が空間を満たした。
「なにが起こってるの!?」
「これは……召喚魔法だ!でかいのが来るぞ!」
召喚魔法は異なる場所から事前に契約しておいた魔物や精霊を召喚する魔法。利便性と強力さとは裏腹に習得難易度が高く使い手がほとんどおらず、目にする機会は少ない。
しかし、現に目の前で召喚魔法が発動している。
魔物の軍勢があった場所の中心部の空間がゆがむ。レイの聖眼には魔力の糸を通して遠方から何かが近づいてくる様が映っていた。
おそらくは遠くで召喚魔法を発動し、召喚場所をこっちに指定したのだろう。そんな技法は聞いたことがないが、そう考えないと説明がつかない。
空間に罅が入る。まるで絵画をしわくちゃにしたようだ。
罅の中心から、超膨大な熱気が噴出した。
「あつっ!」
「ぐぅっ……【水召】、【水膜壁】!」
おそらくはまだ僅かしか漏れ出していないのだろう。召喚の前兆、それだけで皮膚が痛みを訴えるほどの熱気が全身を襲う。とっさに張った水魔法の防御もすさまじい勢いで消耗していく。
噴出する熱気は勢いをどんどん増していく。水気が消え、大地がひび割れ、植物が朽ちる。逃げ損ねた鳥がミイラのように干からび落下した。とっさに投げた剣が空中で溶け、落下して地面に溶接された。転がっている魔物は炎もないのに燃え上がり、真っ赤に輝く灰となった。
灼熱地獄。結界の外は既にまともな生物が生きていける環境ではない。
「レイ!だいぶまずいよ!撤退するなら今しかない!」
「だめだ!こんなもんを放置したら周囲の街が全滅する!ここで倒す!」
弱気なことを言うアルトを叱咤し剣を構える。召喚の前兆だけでこの熱気と威圧感、間違いなく別格の魔物だ。コンボロス領付近の聖領から飛んできた魔物にも勝る。明らかに人間社会の傍に急に現れていい水準を大きく超えている。
格の違いを数えられない。討伐するなら命礎十五柱を連れてくるべきだ。今のレイたちで対応できるレベルをはるかに超えている。
しかし今この場にレイたちしかいないのだから逃げるわけにはいかない。最低でも他の誰かが駆けつけるまで時間稼ぎをしなければ。
空間の罅が臨界を超え、ついにそれは姿を現す。
重量で大地が揺れた。形はおおよそ人型。頭部には鬼のような二本の角が生え、体表は赤く岩のよう。背丈は三メートル程度だろうか。熱気のもとはあの魔物そのもの。ますます温度が高まる。
熱波で暖められた空気は横方向にも膨張する。周囲の地形ごと二人を吹き飛ばした。水魔法による減熱がなければ五秒で眼球の水分が沸騰するだろう。
変化は続く、空気は上方向にも膨張し、雲を割った。
あまりにも非現実的、常識はずれの力に二人はあっけにとられるも、すぐに意識を切り替えた。
「鍛錬とかいってる場合じゃないなこれは!全力でやるぞ姉さん!」
「ああもう!……逃げないなら私もやるわよ!」
レイもアルトもフアナの言いつけを守り、基本的には使う手札を制限している。それは鍛錬のためだ。修道院で培った修行法。乗り越えるべきなのは敵ではなく己自身。心身を鍛えるためにはあえて不利な状況に己を追い込み、そのうえで勝利すれば通常以上に成長できる。
これがステータス的にどの程度あっているのかは分からないが、そう教わり、実践している。
しかし、そうして死んでしまっては意味がない。あくまで努力義務であり各々の判断で破棄するべしとも教わっている。今回がその時だ。
制限していた枷を全て取り払う。肘まで届く羽を伸ばす。権能使いの上位形態、徳心翼。光り輝く天使の権能を高い純度で扱う際に自然と生えてくる。レイは慈愛、アルトは正義。それぞれ得意とする権能だ。
使える自己強化、他者強化の魔法を全て使い戦闘にそなえる。あれほどの熱気が常時使えるとは思えない。熱気が収まった直後がチャンスだ。
その間にレイは聖眼を使いステータスを分析する。
熱気だけで周囲の景色を塗り替え、空を割るほどの魔物、天候を変えるほどの生きた災害。レイの目にはその情報が正確に入ってくる。相手の魔力からステータスを盗み見る技能は調律魔法の応用で習得した。
種族は灼熱鬼。レベルは、五十。
特性として熱を支配できるようだ。自己体温上昇、周辺温度上昇、温度を能力値に変換できる。
「やっぱり、灼熱鬼だッ!」
「うそでしょ!?」
薄々と気が付いてはいたが、その情報に心がすくみ上がるのを感じた。新しく抜いた剣を心の杖にするように強く握る。
灼熱鬼。それは千年前、魔王軍の軍団長を務めた魔物の一匹だ。口を開けば喉が焼け、息を吸えば肺が燃え、目を開けば目が焼ける。人とは隔絶した、かつては神の如しと呼ばれた魔物の一柱。討伐されたはずなので子孫か同種だろうが、間違いなく超強力な魔物。感じ取れる魔力の大きさから考えて、この話に誇張はない。
そしてレベルも驚異的だ。たしか国礎十五柱の最下層がレベル四十、最高がレベル六十と聞いたことがある。なのでアロス国全体から見てもかなり高い。それに魔物は人間よりも強いので同じレベルならまず間違いなく魔物側が勝つ。
種族特性も異常だ。世界が亡びるまで稼働する永久機関の如き特性など聞いたことがない。
たしかにアロス国の建国神話、千年前の魔王と戦った勇者やそのうちの一人である健国王が残した戦闘記録にそんなかんじの話があったが、この分だと事実かもしれない。
考えれば考えるほど逃げた方がいいという結論しか出せないが、それでも逃げるわけにはいかない。いまレイがこの場にいることをアロス国の上層部は認知している。だというのに戦うことなく逃げ出すことをどう思うか。
仕方ないと思うだろう。責めることはないだろう。しかし積み上げた虚構が崩れ去り、相対的に評価が下がることは間違いないだろう。
ならば逃げるわけにはいかない。アクシデントは乗りこなせば更なる高評価を得るチャンスでもあるのだ。
(それに、久々の超強敵だ。逃すものか)
アルトからは見えない角度で、レイは目の色を変えていた。
全力を出しても勝てないかもしれない。その緊張感が、命を失う可能性の高さがレイの精神を高揚させ、力を全力の先に押し上げる。
「姉さん、使って」
「……そうね。そこまでした方がいいわ」
今日は奮発だ。裏空間にしまっておいた虚空倉庫から小瓶を取り出す。
中身は強化ポーションである。全能力増大、知覚能力上昇、魔力効率上昇、最大魔力量上昇、思考速度上昇。城に保管されていたものを譲ってもらったのだ。武具以上に外付けの力であるうえ、後日反動で動けなるためあまり使いたくはないが、今回はそうも言ってられない。
準備を終えた二人は改めて向かい合い、自分たちの予想が間違っていることに気が付いた。
熱気が収まっていない。
それどころか、消耗した様子もない。
「……まさか、あの熱気は全く負担じゃないのか?」
「竜の羽ばたきと同じで、あれで基本動作ってことね……これはきついわ」
こうして決死の戦いが始まった。
つい先ほどまで森と丘があった場所が、少し目を離した隙に火口の如き地獄絵図に代わっていた。土が溶け魔物が溶け、マグマの海だ。
その水面の上で、二つの影が縦横無尽に駆け回る。
「とんでけぇ!【破邪一線】!」
「溶けろ!【慈悲万壊】!」
アルトが疾走し斬りかかり、レイが追撃する。魔物の瘴気を直接浄化する聖属性を帯びた斬撃に、触れたものを溶かす慈愛の権能。どちらも並みの魔物なら一撃で葬るほどの威力を持つ。
しかし、どちらも当たらなかった。いや、届かなかった。
灼熱鬼は反撃しない。こちらを一瞥し、熱気を強める。それだけで全てを無意味にするほどの距離が開いた。
灼熱鬼は典型的な強い魔物だ。竜は鍛えない。羽ばたき、息を吐くだけで全てを圧倒するように、灼熱鬼は常に放射している熱気が全てを遠ざけ、焼く。ただでさえ強力な特性は、まだ子供で体重が軽い二人を容易く持ち上げ、宙に放り投げる。
「ぐぅっ――付与、【岩重】!これ近づけないな!」
「そうね、風圧が強すぎる!」
二人は顔を見合わせ、大技を同時に放つ。
「「聖剣技【聖流斬】!!」」
魔物を倒すために生み出された聖なる剣の技。聖剣技。その基本にして奥義。魔物に怯える人間たちが多くの暗闇を払ってきた希望の技。
それが、全く届かず途中で燃え尽きた。
「まじかよ」
「そんなっ!」
相手の強さが予想以上だ。効かないことはないと踏んでいたが、そもそも届かないとは。
灼熱鬼が動き出す。魔物は総じて人間に悪意があり、嗜虐的だ。動きを止めた二人を見て全ての技を受けきったと判断したのだろう。緩慢な動きで手を向け、熱気を放った。空気が凶器となって二人を襲う。息を吸えば肺が溶けるだろう。
レイは前に出て水と風の魔法を使う。減熱と空気を逸らす魔法。効果はあった。しかし押されている。
「ぐっ……ううっ!!!!!」
「レイ、いい加減逃げるわよ。あなたならできるでしょ!」
「ううううう!!!!」
後ろで姉さんが何か言っているが、あえて無視する。出来なくはないが一撃も与えられずに逃げるとか悔しいからしたくない。
心配してくれるのは嬉しい。しかしうるさいから姉さんだけでも送り返そうか。
灼熱鬼が飛び跳ね、一気に距離を詰めてくる。レイの頭部ほどの大きさの拳が迫る。同時に熱気も迫り、強くなる。
大きさに反して極めて俊敏だ。避けきれない。水と風の障壁で角度を調整しながら受けて吹き飛ばされると、二人は溶岩の海に落下した。
熱い。地面にぶつかるよりはいいかと思ったが、大して変わらなかったかもしれない。
(やばい!思った以上に全然歯が立たない!魔王軍軍団長を務めた魔物、正直舐めてたな。熱波が強すぎるって!)
即座に脱出して空中に逃げる。空中も気化したマグマの海のようだ。
以前、レイは岩投げで飛んできた影浮虎というレベル七十の魔物を倒した。しかしあれは極めて相性が良かったからだ。
今回は無理だ。純然たるエネルギーの差。一秒ごとに生命力を半分は持っていかれる特殊環境に抵抗できない。超高温、肺が焼けて目が焼けて命が燃える。絶滅の領域。生命力も攻撃力も耐久力も足りていない。
つまりは、レベルが足りないのだ。
それに、成長曲線にも大きな違いがある。鍛錬や戦闘で経験値を獲得すればレベルが上がるが、レベルアップに伴う能力の上昇には種族差がある。
例えば魔物のオークなら力が上がりやすく俊敏が上がりにくい。コボルトなら力が上がりにくく俊敏が上がりにくい。得て不得手があるのだ。
そして、根本的にレベルアップに伴う能力値の上昇が小さいものと大きいものもいる。個人の才覚ではなく、生まれ持った素質の差だ。
同じレベルでも蜥蜴とドラゴンならドラゴンが勝つ。同じレベルでも人と魔物なら、魔物が勝つ。理不尽だがそういうものだ。
そして灼熱鬼はレベルアップに伴う能力値の上昇量が極めて大きい生き物だ。いくらレイが魔族で人族より生まれ持った能力値が大きくても、レベル一で勝てる理由がない。
それに今回はアルトがあまり役に立てないのも苦戦の理由の一つだ。魔法は同属性の精霊や格上が相手だとあまり効果を発揮しない。
アルトの得意な属性は火。灼熱鬼の完全な下位互換だ。普段は露出しない弱点だが、今回は相性が悪すぎる。
同時にレイが魔力でゴリ押すこともできない。シンプルに腕前で負けているからだ。
レイは同年代どころ人間全体と比較しても上位の腕前を持つが、精霊に匹敵するほどの魔物を相手に魔力操作で勝つことはまだできない。重さが同じでもわたあめと鉄をぶつけ合えば勝敗が明確なように、レイの膨大な魔力をぶつけても負ける。
レイの顔に疲労と苦痛の色が浮かぶ。打つ手がなくなってきた。もう先のことは考えないで逃げるべきか。
まだ手はあるが、時間がかかるため使えない。
苦しんでいると、遠くで光と音が響いた。
「撤退の合図!レイ、逃げるわよ!」
「断る!姉さんだけ逃げろ!分かってるだろ!こいつ足も速いから追いつかれる!」
「馬鹿なをこといわないの!転移で逃げられるでしょ!」
(逃げた方がいいか……?逃げた方がいいよな……?でも戦いたい!)
今のレイは珍しく冷静な判断を欠いている。普段なら引き際を誤ることは少ない。
しかし今回は別だ。久々の超格上。負ける目の方がはるかに大きいという絶望。
完全にハイになったレイは止まらない。
もうすぐ死ぬかもしれない。つまり、今は生きている、という喜び。生の喜びがレイの足を軽くし、止まることなく進みたがる。ずっと目的のために動いていたが、格上との戦いは全ての目的を放り出したくなるほど楽しいのだ。まだ撤退したくない。遊んでいたい。
しかしこのままだとアルトも死ぬのは間違いないだろう。その前に、アルトだけでも避難させよう。この喜びのためなら死んだっていい。
そう思って手を向けた瞬間、遥か後方から見覚えのある人物がすっ飛んできた。
「何をしている!置いていくぞ!」
「「ギルバートさん!?」」
今回の任務を担当している秘匿騎士団、木の葉の団長。レイのこの瞬間の直属の上司で、命礎十五柱に匹敵する実力者だ。
はっきりと見えた勝ちの目に即決した。全力で生きた結果なら負けてもいいが負けたいわけではないし負けたくもないのだ。
「よし、ギルバートさん、十分ほど時間を稼いでください!切り札の召喚魔法を使います!」
「はあっ!?急に何を言い出すんだ!お前にそんなスキルは――」
「これは陛下にも報告していません!」
「!!??????」
ギルバート硬直した。絶句しているようにも見える。
しかしさすがはベテランというべきか。即座に剣を抜いた。
「……あとでお説教だ、必ず決めろ!」
「レイ!私も聞いてないわよ!?」
「アルトも構えろ!今倒せるなら無茶をしてでも倒すべきだ相手だ!!」
立ち向かう二人を信用して外界に向けていた意識を断ち、内界に向ける。
稼いでもらった時間で魔力を練り上げる。総魔力量の五割。時間をかけてもこれ以上は無理。今のレイに扱える全力だ。
ちなみに召喚魔法というのは嘘だ。
言葉の定義をいじくれば嘘ではないと言い張れるが。
この魔力を供物に、言葉を届ける。
『お願い。これで君は五分くらい実体化できると思うから。戦ってほしい』
『いいの?ずっとダメって言っていたのに』
『ああ。多分、今の君が全力でやっても、勝てないかもしれない。それほどの相手だから』
『むっ!いったね!見てなさい!!』
『頼んだよ、シー』
頼みごとは引き受けてもらえた。灼熱鬼が召喚された時のように、レイを中心に空間に罅が入る。
正確に言えば、罅が入ったのは足元、地面だ。広がる波紋から新緑色のオーラが沸き立ち、瞬間的に森が広がった。アルトとボロボロになったギルバートを裏空間に退避させ、レイも逃げる。
広がる森は溶岩さえ水のように根から取り込んだ。熱波の猛威が襲うよりも早く大地を補強し、急拡大した木々が卵のようなものを作り、すぐに羽化した。
中から生まれたのは、美しい銀髪を三つに編み込んだ少女。森色の衣服に身を包みとてもかわいらしい。傍には三匹の動物が侍り、幻想的だ。この光景を絵画にすれば多くの貴人が褒め称えるだろう。
だが、もしも力を感知できるものがいれば、そのような感想は言えないだろう。
それは、大昔にこの世界に住み着いた古い侵略者。賢神の奇跡たる世界の再構築すら乗り越えた古い神格。現代にいるはずのない、世界の狭間に住まうもの。
樹神、森神。その転生体。
レイが生死の境を彷徨った際に連れ帰ってきた生きた破滅が、地上に顕現した。




