30話 貧者の灯
コンボロス公爵家の一角、要人を収監しておく豪華な軟禁部屋の隅っこにレイはいた。
ベッドを動かし毛布をかぶり、見張りの兵士たちの視線を避けるように縮こまっている。
「……」
まどろむように意識が溶け、幻覚のように見るのはかつての親たちの姿。
アロス王国。千年の歴史を持ち、二百年前の騒乱を乗り越え大国の一つに数えられるようになった由緒ある国。偉大な賢王と優秀な家臣たちが支える統治は過去に類を見ないほど勢いがあり、周辺国とのいざこざにも優位に立ち、国力は全てに優れ首都ともなれば飢えることはないといわれるほどに豊かと評判だ。
しかしそういった評判が立つ程度には豊かでも、社会というものはあぶれ者が存在してしまう。
王都の片隅にある鍛冶屋で青年が仕事をクビになった。親の付き合いの関係で雇われたものの、親方とそりが合わなかったのだ。まだまだ社会が狭いこの世界では就職とは新しい家族に加わることに等しく、そりが合わないことは十分に仕事を辞める理由になる。
当然、思うだけではなく本当に喧嘩して職場と既存の人間関係を放棄するのは堪え性のない若者の幼稚な癇癪だが、誰にも止めてもらえず飛び出してしまった青年はもう後戻りはできない。普通に生きている他人たちに劣等感を覚え、愚痴と酒に溺れ、怪しい人と絡むようになり、坂を転がり落ちるように落ちぶれた。
スラムはそういった人がたどり着く最後の場所だ。普通に生きられないもの、普通であることを嗤い悪事に手を伸ばすもの、ただ間が悪く落ちぶれたもの。総じていえば、社会の下層ですらない、社会のはぐれ者たちが集まる場所。必ずしも悪人ではないが、悪人にならなければ生きていけない。更生出来ないのではなく、更生しようとしない人が溜まる掃き溜め。
最初に盗みを覚え、次に暴力を覚え、次第に殺人を覚えるだろう。裏切り、奪い、人の心は荒廃する。裏の組織に拾われることもなく独自に悪事を働き、そして自分も命を奪われる側に回る。それがスラムに落ちる凡庸な者の末路だ。
だがまともな人間の町であぶれてしまっても、喰うに困るほどの飢えの中で、一人では生きていけない極限環境で、他人と信じあう絆に目覚めることがある。同じような境遇の人を探し、ともに暮らすようになった。商人、衛兵、料理人、仕立て屋、石工、そして鍛冶屋の青年を含めて六人。
最後に加わった女は娼婦だった。破落戸を相手にするような程度の低い女だが、破落戸たちにとっては女神にも等しい。精神的な不和も減り、拙いながらも技術を提供しあい、群れの強さを得た彼らは金を集め、食べていけるようになった。
しかしそこまでだった。愚かな彼らは蓄えた金を無為に消費しだした。
隣の人より少しだけ豪華な食事、隣の人より少しだけ立派な寝床、隣の人からの恐れるような目。そして女。全てが乾いた心を慰めた。その程度の慰めのために未来を捨てた。
その選択が間違いだと理解できる程度には賢く、しかし行動を改められない程度には愚かだった。
ある日、女が子供を拾ってきた。川に流されていて、可哀想で思わず、と。
金と体で繋がっているだけの女の我儘。男たちは捨てるように言ったが、子供が泣き出し、とっさに蓄えた金で施しをしてしまった。誰が言いだしたか、育てることになった。女への見栄か、それとも見栄を建前にした慈悲の心か。
当時は誰も自覚していなかったが、豊かになった彼らは赤子という自分が居なければ死んでしまうか弱い格下の命を前に、食事でも、娯楽でも、快楽でもない、人としても尊厳、人に誇れることを求めたのだ。
時は一年ほど流れ子供は身の上を少しだけ話し、その後は働き始めた。まだ四つの子供でも農村では立派な労働力であるように、スラムでも稼ぎ手だ。文字も読めたので手紙の配達で金を稼ぐようになった。
この時点で破落戸たちは格下という認識を改めたが、一年世話をしたことで愛着がわき、捨てることはなかった。孤児院に預けてみてはどうかという話も上がったが、同じ時間を過ごしている中で愛着を覚えたのは少年も同じだったようで、一日で帰ってきてしまった。
さらに時は一年ほど流れる。その間に一人は抗争で殺され、一人は耐え切れず薬に逃げ、一人は失踪した。
もとよりスラムの住人の寿命は短い。この生活もずっとは続かないだろう。
限界が見えてしまった彼らは、危険な仕事を引き受けた。
ただの布袋を運ぶだけ。中身は見ない。いつもの仕事だ。しかし異常に高額な報酬がいつも通りではなかった。
しかし彼らは引き受け、ほとんど成功した。
その日は子供は熱を出していたが、どうやら引いたようだ。喜ばしい。
みんなでスラムから抜け出そう。五人で暮らしていていこう。
そう語らった次の瞬間、布袋を取り戻しに来た暗殺者に全員殺され、子供だけが生き残った。
子供が彼らの死を知ったのは少し時が流れた後だったが、忘れたことはない。飢えに耐え兼ねドブネズミを齧り熱を出した時に付きっきりで看病してくれたことを。石を投げられると知っていても街の治療院に赴き、頭を下げ、蓄えのすべてを差し出して治してもらった時のことを。
忘れたことはない。自分が寝ているはずの夜遅くに、あの子だけでも真っ当な生き方をさせてやれないかと酒も買わずに真剣に話し合っていたあの時を。
仇を取るまで忘れることはない。第二の親たちを路傍の石のように殺された、怒りを。
「ここかー!!!!」
金属の塊が打撃で破壊されたような轟音で眠りから覚めた。ぼんやりとそちらへ目を向けると、軟禁部屋を閉ざす重鉄製の扉が拳の痕を中心に拉げていた。入口に立つのは、レイが世界で最も親しい人物。
「この姉不幸者め!また一人で無茶をしたのね!心配をかけすぎなのよ!」
「……アルト姉さん」
急いで王都から駆け付けたレイの姉、アルトが怒ったようにぷんすかの顔で立っていた。
「私、言ったよね?一人で無茶しちゃダメだって。危ないことをするなら、事前に一声かけなさいって」
「…………」
「言っ、た、わ、よ、ね!!!!!」
「……ふぁい、言われました」
「よろしい!」
頬っぺをぐにぐにと抓るのをやめてレイを解放する。
次に目を合わせ、体を触り、胸に耳を当て、最後に足をもむ。ここかなとアルトが得意な触診だ。肉体的な損傷はほとんどないが、少しはある。悲しそうに眉をひそめた後、ベッドに放り投げて拘束し、針を取り出した。
「こんなに大怪我して。ずいぶんと頑張ったのね」
「……大したことない。そのうち治る」
「一日で治せないほどの大けがなんてここ最近はなかったじゃん。魔族と戦った時以来?」
「……」
「レイが慈愛の権能を使えるようになったときは、これで安全に暮らせるって思ったのにさー。フアナ様も陛下も治療師として期待しているって言ってたのにさー」
「…………」
「なんで自分から危ないほうに行くのかなー」
「………………」
なじるような言い方に、レイは言葉を返せなかった。申し訳ないような、もしくは不満そうなむすっとした顔でなすがままに針治療を受け入れる。久々に受けるが、やはりアルトの治療は気持ちがいい。
「ハイ終わり。さて、それじゃあ王都に帰りましょう。ガロンさんたちが来たから後始末は任せていいらしいわ」
「ん……」
「ほら!ちゃんと立つ!」
手を差し出される。縋るように握り返すと、とても暖かかった。
「……ありがとう」
「お姉ちゃんだからね。そう思ってくれる?」
「もちろん」
問うまでもない言葉に笑い、言葉にするべきことを言葉にする。
「頼りないかもしれないけどさ、忙しかったりもするけどさ、頼ってよ」
「……迷惑かなって」
「まさか。私はお姉ちゃん、あなたは弟。つまりは家族なんだから。次はちゃんと言いなさいね」
叱りつける優しい微笑みにレイはくるりとターンで返し、抱き着いた。
「うん、ありがと」
「いいこだね」
二人は王都へ帰還し、ここにコンボロス公爵領への視察から始まったアストラ公爵暗殺事件はひと段落した。




