19話 スラム街
ぼんやりとした視界の中で意識が浮上する。部屋は狭く汚い。ぼろくて隙間風が吹いてくる。
覚えがあるような、ないような。朦朧とした意識の中で視線を天井から横に動かすと、いくつかの人影が見えた。
(オチバさん……?)
一人が近づいて来た。確かスラムにいた頃に世話になった人だ。
その人はゆっくりと手を上げ、レイの首を掴んだ。
(あ”、あ”あ”……おぇぁあ”っ?)
力は強くなり万力のように締め上げる。信じられないことに振りほどけない。呼吸が苦しくなり意識が朦朧とする。
スラムにいながら男性的な太い腕を保っている彼だが、今のレイなら闘気でも魔術でも権能でも使えば簡単に振りほどけるはずだ。なのに振りほどけない。
「く、るなっ……っ」
朦朧とする視界の中で他の人たちもこちらに近づいてくるのが見えた。どの人も見覚えがある。同じように手を伸ばし、レイに触れる。きっと自分は殺されるのだろう。
まるで赤子に戻ったように体に力が入らない。溺れるように手足をばたつかせることしかできない。
「おまえが……おまえのせいで……」
「どうしておまえだけが……」
「おまえなんていなければ……」
背中が凍るような声が聞こえる。きっと聞いてはいけないものだ。耳を傾けてはいけないものだ。
そんなことを言うはずがない。そんな思いも消えていく。元より世話になったが相手の事を良く知っているわけでもない。僅かな知識でもクズやカスと呼ぶのが相応しい人間たちなのは分かっている。
「おまえが死ねばよかったのに」
「どうして生き残ったんだ」
「拾ったことが間違いだ」
「レイから離れて!!」
薄れゆく意識の中で、ふと、聞き覚えのある声が聞こえた気がした。
そして気が付いた。
これは、夢だ。
「はっ!?」
意識が浮上する。レイは咄嗟に飛び上がり周囲を見渡す。
防寒性が高く石造りの頑丈な天井と壁。ローレンティアがくれたベット、アンリムがくれた調度品、アルトと作った机。全て見覚えのあるものだ。
大きく息を吐き、一安心したレイはもう一度倒れ込んだ。
「……失礼な夢を見たな」
そして反省する。
先ほど見たのは、ただの夢だ。最近忙しかったから自覚していないだけでストレスが溜まっていたのだろう。
思えばここ最近はずっと忙しかった。姫様たちに命じられて決闘をしたら腹部を損傷し、戦争に行けば心臓を貫かれ、帝国の姫を攫おうとしたら全身が溶けるところだった。
よく考えると大人でも心を病む経験だ。なんにせよ、きっと自分は疲れているのだろう。
ふと手に何かが当たり、見てみると巨大な紫色の鳥の羽が一枚落ちていた。七十センチ近い羽。持ち上げると向かうが透けて見えるほど薄く、しばらくして消えた。
「シーが助けてくれたのかな」
たしかシーを連れ戻していった鳥と同じ色だ。
なにかお礼がしたい。シーはよくわからない何かだが。きっと悪いものではない。ただその大きさにこちらが怖がって足を引いてしまっているだけで。
だが、今はさっき見た夢の話だ。ベットから抜け出し、寝汗でぐっしょりしたシーツを取り換える。洗い女中に渡しておけばいいらしい。
着替えて掛け鞄を身に着け、小銭を確認して靴を履く。
「コンボロス公爵領に行くまで少し時間があるし、墓でも作りに行くか」
アロス国の外れにあるスラム街。街中にいられなくなった落伍者が流れ着く掃きだめは、レイがいた頃と何も変わっていなかった。
朝日が昇るよりも早い時間だが、自然とできたスラムの表通りを歩くとそこら中から視線を向けられる。一人で歩いている幼子、普段なら格好の獲物だ。小銭を奪えば、衣服を奪えば、今日の食事にはなるだろう。衣服もスラムでは見ることが無い上等なものなのだから、明日の分にもなるかもしれない。
けれど彼らもスラムで生きているだけあって身の程を知っている。物色していると腰に佩いた剣を見て、慌てて離れていった。
「……すっかり変わってる」
目的地に到着した。そこはレイが以前住んでいた家だ。
正確には破落戸が六人くらいで住んでいて、レイは居候していたというのが正しいのだろうか。
姫様たちを運ぶために雇われ、何かの行き違いがあったのか巻き込まれて殺された人たちの家、レイが一年ほど暮らした家。
思い入れなんてないと思っていたが、こうして帰ってくると、『帰って来た』なんて思う程度には思い入れがあったようだ。
「お、おい!俺の家に何の用だクソガキ!」
壁が破壊されたみすぼらしい小屋だったはずだが、新しい住人がいた。悲しいが予想通りだ。ここはスラム街。街にいられない人がいる限り絶えず住人が供給される。一年も空けば知らない人が自分の縄張りにする。三日と空かずとも同じこと。この中年の男もそうなのだろう。
レイは動揺せずに鞄からパンを取り出した。
「一年前、ここに騎士が来た時のことを知っているか?」
「知るわけないだろ!さっさと失せろ殺すぞ!」
「半分やる」
「へへっ!分かってるじゃねえかぼっちゃん。何が知りたいのですか?」
「何人か死んだはずだ。そいつらがどこに運ばれたのか知っているか?騎士たちは回収しなかったらしいが」
「あー……あー…………そうそう、知ってます、知ってますよ確かボルってやつが……」
「知らないなら知らないでいい。嘘なら殺す」
「申し訳ねえ知らないです。死んでいたんで剥ぎ取って表に捨てて置いたら無くなってたもんで、誰か腹減った奴が持って行ったんじゃないですかね」
「……まあ、そうだろうな。感謝する」
「へへっ!ご贔屓に!」
残ったもう半分のパンも投げつけ、その場を後にしようとし、ふと思い出して戻って来た。
「ま、まだ何か?」
「この家は当時のままか?」
「は、はい。もちろん」
「ならそこの端の布を持ち上げろ。銅貨があるはずだ」
「へ?は、はぁ」
安い布と石材で継ぎ接ぎされたこの小屋は何の計算も無い掘立小屋だが、それゆえに誰もお宝があるとは思わない。きっとまだあるだろう。
案の定、言われた通りに行動した男は驚いた。
「あっただろ。寄越せ」
「あ、あの。実はこれ俺が隠していたもので――」
「銅貨七枚だろ。銅貨二十枚で買い取ってやる」
「なっ……い、いや実は思い入れがあるもんで――いえ!銅貨二十枚で!」
腰の剣を抜こうとするとあっさりと男は折れた。こうして埋葬用の遺品を回収したレイはその場を後にした。
(まずは教会に行くか。いや、もう急ぐことは無いし、先に爺さんのとこに行くか)
よく知った道を進みスラムの奥へと入っていく。当時と変わらない、スラムの中では古参かつ年長者の住む地区に辿り着く。ここは多少は見た目と匂いがましな場所だ。
その中でも何の変哲もない、スラムの基準で普通の見た目の民家に入った。
「爺さん。いる?」
「……レイか。生きていたんだな」
一年ぶりに顔を出したレイに、老人は珍しく、多少の表情をのぞかせた。
民家の入り口を改造した個人商店の勘定場に座す老人の向こうには、何度も見たよくわからない機械の様なものが置いてあった。謎のカラフルな液体が入ったフラスコに、謎の紙の束。謎のプロペラに謎の天秤。その他にもいろんなものが複雑に絡み合っている。
今なら、いくつかの部品が魔力を帯びていることだけは分かった。
「オチバたちの死体にお前がいなかったからどこかで生きていると思ってはいたが、驚いたな」
「なんとか。今はお城にいます」
「そうか。元気そうで何よりだ。それより、どうせなら仕事をしていけ」
「え、顔を見せに来ただけなんですが」
「どうせもうここに来ることもないだろう。ほら、今日の分の天気だ。届け先は書いてある」
手紙を押し付けると、老人はまた部屋の奥に戻り機械を弄り始めた。
恐らくはマジックアイテムなのだろう。商品価値の乏しい小さい魔石の魔力で水を出すマジックアイテムと熱を加えるマジックアイテムを動かしている。他の部品の役割は何だろうか。
「早く行け。日が登るだろ。情報は鮮度が命だ」
「すいません。行ってきます」
「うわっ!びっくりした!生きてたのか」
「金持ってそうだな。何か食っていけ」
「石材は要らないか?要らないか。そうだろうな」
「また赤子が捨てられてた。何人か引き取れないか?考えておいてくれ」
「あとは孤児院か」
当時も良く配達した店を回り、最後は孤児院にやって来た。
以前一日だけ居たが、馴染めそうも無くて離れた場所だ。嫌いではないのだが。
「ごめん下さい。婆さん、いますか?今日の天気です」
「あらあら、いつもご苦労様……って、レイ君?驚いた。生きていたのね」
「なんとか。こっちは差し入れのパンです。みんなにどうぞ」
「まあ!」
久々に見た老婆の顔は一年前と変わらず皺皺だった。スラム街の外周部にあるこの孤児院は毎日死んでいく子供たちを見かねて作ったらしく、面倒はこの老婆一人で見ている。その労働量はかなりのもので、一人でやり切っている姿は熟練の技としか言いようがない。
しかし食料がないという事情だけは努力でもなかなか解決できるものではない。老婆は喜んでくれている様だ。
「ちゃんと自分で稼いでいるのね。偉いわ。ありがとう。みんなにも会っていく?」
「いえ。今日は他にも用事があるので。それより、墓地の一角を使わせてください」
「墓地?ああ……分かった。いいわよ」
「ありがとうございます。では――」
「あーレイだ!なんでいるのよ!?」
「レイ?わー本当だ!」
「だあれ?」
「お坊ちゃんのやつだよ」
「じゃ、じゃあ今日はこれで。また」
「ええ。またね」
賑やかになってきたので退散し、天気屋に戻って来た。
「みんな元気そうでした」
「だろうな。この街も長生きしてるやつは力も強い。ほら、給金だ」
「ども」
天気屋の手紙をスラム中に配達する。当時は良い仕事だと思っていたが、今では稼ぎが少ないと感じる。自分も変わったものだ。
「今の生活は楽しいか?」
「はい。慣れないことも多いですが、みんないい人です」
「だろうな。豊かな生活は心も豊かにする。そっちに染まれるならその方がいい。……っと、出た出た。いやな結果だ。お前、コンボロス公爵領に行くらしいな」
「はい。……何で知っているんですか?」
「なんでもいいだろ。それより、そろそろ聖領から岩が降る時期だ」
「岩が降る?あれって本当なんですか?」
「ああ。魔物が多い場所では不思議なことがよく起こる。気を付けろよ」
そう言い残すと店主は奥へと戻っていった。
レイも一礼し、城に戻っていった。




