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16話 静かな凱旋

 皇女が誘拐された。そう気が付いてから各自の判断は速かった。ある者は皇女が座っていた場所に向かい、ある者はこの隙を誰かがこの隙を突いてこないか周囲を見張り、ある者はこの一大事を報告に後方に下がった。


 その中でも本陣を覆う結界を張っていた女傑、ランシュは結界内を精査する。

 しかしどこにも見つからなかった。移動速度を考えれば、まだ結界内の位置にいるはずなのに。


「……駄目です。結界の中にはいません」

「そんな馬鹿な!?」

「転移したというのか!?ランシュさんの結界を抜けて!?」


 大国の一つであるララクマ帝国の中でも強者として恐れられる者たちが動揺を抑えきれない。それも当然だ。空間操作すら弾く彼女の結界を破れるものなど、帝国の中でも数人しかいない。全く痕跡を残さないものなら、一人もいないといっていい。

 それを、あんな子供が。皇女を誘拐されたことと相まって大パニックだ。


「ランシュさん!ランシュさん!今すぐアロス国の本陣に襲撃を仕掛けましょう!あの男が誘拐したら本陣に帰るはずです!そこを狙いましょう!」

「悪くない考えですが、それにはアントンさんの許可が必要です。少し待って――」


 ビシリ、と、あまりにも大きな音と衝撃が突如として襲う。

 恐れながらも視線を向けると、結界の側面にヒビが入っている。上級魔族の討伐作戦の主軸にもなったことがある彼女の結界に一瞬で、これほど前兆無しでヒビを入れられた。


 そんなことが出来るものを、彼らは一人だけ心当たりがあった。


「作戦失敗!」

「全軍に撤退命令を出せ!早く!」

「一人でも多く逃げるんだ!!」


「フアナが来たぞ!」


 顔面を蒼白に染めて一目散に彼らは逃げ出した。





「子供の成長は速いものだ。私も嬉しい」


 戦場を見渡せる山の上で霧のようにたたずむ剣士がいた。

 結んでいない銀髪とゆったりとしたローブは山での活動には不向きのはずだが、まるで街中を歩くように余裕で。我が子のように思っている、自分の弟子のひとりに慈愛の眼差しを向けて、そこにいた。


 山の中とはいえ、ここは戦場である。命の危機がある。死の恐れがある。

 そうであるらしいと知っている。そのうえで、自分ならどうとでもない、とも知っているだけで。


 幽霊にも間違えられるほどの気配の薄く、触れようと手を伸ばせば水面のようにすり抜けるかもしれない。

 そんな静かな気配が、一気に闘気に塗りつぶされる。


 フアナの剣は、その破壊力と共に伝説となっている。

 闘気は武具にしか伝わらないという常識を無視し、触れていなければ流し込めないという性質を無視し、人の限界を無視した一撃。


「では私も、親として、母として、師匠として、かっこいいところを見せましょう」


 彼女は剣を持っていない。どころか、何も持っていない。朝起きてそのまま散歩に出かけたような出で立ちだ。

 しかし空が大地を撫でるような動作で切り上げの構えを取る。狙いは遠くに見えるララクマ帝国の本陣。通常は剣を振っても間合いの外に届くはずがないが、彼女には関係の無いこと。

 大地が噴火するように一瞬だけ闘気が吹きあがり、煙が意思に従うように、青白い光が両腕を伝い、剣の形に収束していく。


 やることは簡単だ。剣を構えて、振る。この動作に闘気を混ぜるだけだ。

 けれど彼女はそのさらに先にいる。常人から見た超人がいるように、超人から見た超人もいる。出来ないのが当然で、出来ると思う方がおかしい領域。


 彼女の剣術は、標的を視認して、睨みつけた時点で眼力で衝撃が発生する。


「ふっ」


 短く息を吐いて、闘気で出来た透明な剣を振り上げる。





「なんだあれ……」

「ん”ーん”ーー!!!!」


 ララクマ帝国の第二皇女、リリア・ララクマを誘拐し裏世界を通って帰る途中、常軌を逸したエネルギーに驚いて振り向くと、先ほどまでララクマ帝国の本陣があった山が消滅していた。

 まるで巨龍が尻尾を振り回した大地を抉ったような跡だけが残り、人も物資も何無くなっていた。


「フアナ院長かな?あんなことできる人なんてそのくらいしか……いやいや俺が知らないだけの可能性もある。さっさと帰ろう」

「ん”ん”ん”!!!!」

「暴れないで」


 米俵のように担いだ皇女がやかましい。レイも疲れているから静かにして欲しいものだ。

 もちろん彼女の心情が理解できないわけではない。突然の誘拐で不安だろうし、関係性は不明だが先ほどまで一緒にいた人たちが死んだとなれば動揺するのも当然だ。皇女だから国軍の戦力の低下という観点から動揺している可能性もある。


 だが全てひっくるめて後回しだ。多くの格上を敵に回したためレイは精神的にも魔力的にもへとへとだ。状況が許すならベットに倒れ込みたい。

 しかしそんな場合ではないため力を振り絞って全速力で本陣に帰還した。


「ただいま戻りました……――ばたん」

「おおっ!本当にやってくれたのか!よくやったぞレイ君!!!!」

「大したもんだ。生きて帰って来るだけじゃなく、ちゃんと攫ってくるとは」


 アロス国本陣にある最も警備が厳しい部屋、ブゴス最高指揮官の部屋で裏空間から浮上したレイは即座に眠りについた。

 辛うじてソファーで倒れたのは最後の理性が働いたのではなく反射的なものだろう。


「さて……正直、途中で死ぬと思っていたのだが、この皇女様はどうするか」

「レイに押し付ければいいんじゃないですかね。戦場勤めの俺たちよりも、姫様方の従者をやってるこいつのほうがましでしょう」

「そうだな。私も陛下と父上への報告書以外のことは極力考えたくない。レイにはもう一仕事してもらおう」

「私も賛成だ」

「…………フアナ様、突然現れないでください」


 そんな会話が聞こえた気がしたが、気絶する寸前だったためうまく聞き取れなかった。





「いろいろあって王都まで護送する間、貴方の世話係になりました。レイといいます。ご用件があれば私にお申し付けくださいませ」

「……なら、さっさと私を国に帰しなさい」

「出来かねます」

「使えない人ですね」


 翌朝、戦場が消えたので騎士や兵士を集めて帰還準備をしている中、急ピッチで準備を終えた護送用馬車にレイの姿はあった。

 目の前にはレイが誘拐して来た皇女様のリリア・ララクマ。陶磁のように美しい白色の肌と髪が特徴的な少女だが、今の攻撃的な態度で気丈に周囲を睨みつけている様はまるで威嚇している子犬のようだ。


 傷一つ無い手を見れば彼女が大切にされているのが伝わってくる。暴力的にも政治的にも争いに巻き込まれたことが無いのだろう。今回の戦場の総指揮官を任されたのも、お飾りな上に絶対的な安全が保障されていたのだろう。

 そのはずだったのに、こんな怖い人たちに囲まれて、これから長年の敵国に護送されるのだ。怖いことをされるのか、痛いことをされるのか、酷いことをされるのか。人生経験の乏しさから具体的には想像できないが、だからこそ無制限に恐怖が湧き上がってきているのだろう。


 可哀想なことだ。


 誘拐の立案者兼実行犯であるレイがそんなことを言ったら、発狂して殴りかかって来そうな気がするから言わないが。


「安心してください。人質はいつか無傷で返してもらえるからこそ価値があるんです。無意味にあなたを傷つける様な事はしませんしさせません」

「……ひっ」


 せめて多少は安心させようと言葉を選んで声を掛けたら、逆に怖がらせてしまったようだ。

 もしかすると「意味があるなら傷つけるぞ」や「暴れるなら骨を折るくらいならするぞ。治せるから」とでも受け取られたのかもしれない。うまくいかないものだ。


 大正解だが。


「おうい!早く来い!」

「分かったー!……ではリリア様、こちらへ」

「……」


 観念したのか無言でレイの後をついてくる。


「そうだ、レイ。帝国のやつらはフアナ様にぶちのめされたとはいえ、死体を確認したわけじゃない。気を抜くなよ。……ま、さすがに大丈夫だろうけどな」

「不安になるようなことを言わないでくださいよ……」

「はっはっは。俺はギルメが出てきた時のために残らなきゃいけないからな。ま、念のためってやつだ。俺がいないからって気を抜くなよ?」

「はあい」


 最後のカイガキからの忠告に嫌な予感を抱えつつ、気を取り直して馬車に乗り込む。


 乗り込む馬車は貴人様の馬車でそれなりに大きく内容も豪華だ。良質な素材を一流の職人が拵えたもので、他国とはいえララクマ帝国が馬車の名産地とは聞かないのでたぶん不満はないだろう。


「貧相な馬車ですね。我が国の馬車はこんなに椅子が硬くありません」

「……大変申し訳ありません、少々お待ちを」


 嘘である。彼女の無意識に動かしてしまっている表情や動作から内心を読み取ったレイは今の言葉がただの嫌がらせであると理解している。

 しかしそのうえで皇女様のわがままに答えるべき複数の布を組み合わせて即興のクッションを作り上げて対応してみせた。


「……まあいいでしょう」


 不満そうにしながらもふかふかになった椅子に座って納得の言葉をくれたリリアにレイは無言でどや顔を返す。お姫様のわがままなど大したことではない。無理難題のつもりで要求してきた小事をささっと解決してみせた時の顔はとても良い。

 ローレンティアとアンリムの従者をしている時に知ったことだ。


 しばらくすると馬車は王都に向けて進み、会話も減って来た。


(……ねむ)


 そして眠くなってしまった。元よりレイはまだ六歳。育ち盛りで眠り盛り。加えて昨日までの大暴れで疲れ切った締まったため眠いのだ。

 まだまだ実戦経験に乏しいレイにとって、精神的な疲労は抗うのが難しい。


 うつらうつらと船を漕いでいると、場所の外で並走している騎士たちが声をかけて来た。


「レイ殿、眠いなら寝ていいですよ」

「そうですよ、どのみちもう危険はありません。世話役として少し動いてくれれば十分です」

「その精神には敬意を表しますが、まだあなたは体が出来上がっていない身です。その皇女も多少は雑に扱っても、文句を言えるものはいませんよ」

「うーん……」


 騎士たちの言葉に心が揺らぐ。確かに肉体的にも精神的にも魔力的にもまだまだ回復していないから今すぐ寝たいが、今は仕事中なのだ。

 カイガキもブゴスももう大丈夫だろうといっていたが、それでもだ。


「護送の仕事を任された以上、まだ寝るわけには……!?」


 なんとなく聖眼を発動する。明確な目的は無い。周囲を索敵するのにいつものルーティンとして何となく発動した。

 だから気が付いた。


「敵襲だ!」


 前方が爆発する。

 レイはリリアを担いで馬車から脱出する。


「驚きました。まさか気が付かれるとは」

「まだ勝負は終わっていませんよ!姫様を返してもらいます!」


 そこにはアヤメと結界師の女性がいた。

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