付き合うならおまえがいいと悪ノリしたら親友の態度が激変しちゃった
正幸がまた『お断り』したらしい。
人づてに聞いてちょっと焦りのようなものがあったのだと思う。彼女が欲しいとつぶやいて、俺はチラリと隣に立つ親友を見上げた。
彼が切れ長の瞳を細めるから、本心を見抜かれたのかとどきりとした。
実のところ、俺は今『彼女』というものに興味がない。そんなものより、こいつと遊んでいるほうがずっといい。
高二にもなって、小学生みたいなことを考えていると知られるのは気恥ずかしくて、俺は正幸の手を引いてのりの席へ向かった。
「のりはさ、俺と正幸、付き合うならどっちがいい?」
のりは一瞬ぽけっとした。
首を傾げた拍子に脱色した長い髪がさらりと肩にこぼれ、左耳のピアスがのぞく。
「あー、颯斗と正幸なら……正幸?」
さして迷うそぶりもなく、のりが正幸を指さすので俺も頷いた。
「まあそうだろうな、そりゃ俺だって、付き合うならコイツがいいよ」
正幸は男の俺から見てもイイ男だ。
艶のある黒髪に、キリっとした上がり眉。背が高く、筋肉もそこそこついていて、肌も滑らか。目鼻が整っていて性格も穏やかときている。
幼いころのことは知らないが、俺はこいつが怒鳴ったり馬鹿笑いしたりするのを見たことがない。
感情の表現が控えめで、そのせいかどこか大人びて見える。女子が群がるのも納得だった。
とはいえ、ひょろりと細長くいつも眠たげなのりだって、これで意外とモテるのだ。
「あーあ。おまえらはいいよな。よりどりみどりで」
二人と比べれば、俺はなんというか普通って感じ。一緒にいれば、俺の落ち着きのなさとか、童顔なところとか余計に際立ってしまう。
軽く凹んだ俺を慰めるつもりか、その時、当の正幸が口を開いた。
「俺は、颯斗がいい」
驚いて顔をあげると、正幸はいたって真面目な顔つきで繰り返した。
「付き合うなら、颯斗がいいよ」
「それじゃ俺たち相思相愛だ」
「付き合おうか」
「おう」
俺としてはその言葉は、その場のノリというか冗談のつもりだったのだ。だけどその日から、正幸の態度が変わった。
今まで肩を組むとか、つつくとか軽い感じのじゃれ合いすらしたことがなかったのに、二人きりの教室で後ろから抱きしめられて心底驚いた。
廊下で話し声が聞こえたから、その時はすぐに離れたけれど、正幸は帰り道もおかしかった。
二人でたい焼きを買ったのだけど、自分で食べる前に「味見」と微笑んで俺の口に彼の分を突っ込んだのだ。
「いや、クリームだろ。同じだよ」
「そうだけど、颯斗のヤツのがおいしそう」
そう言って、今度は俺の分を一口奪った。
あまりにも楽しそうだったので、同じだよと二度目のツッコミは喉の奥に引っこんでしまった。
クラスメイトの前ではいつもの正幸なのに、人気のない裏階段でふいに立ち止まり、俺の手や髪に触れたりする。
なんだこれ、と、俺はまばたきを繰り返すくらいしかできない。
正幸ときたら、ずいぶんノリがいいな。正直ちょっと戸惑うくらいだ。
けれど彼みたいな男が冗談でも選んでくれたことが嬉しくて、このごっこ遊びに俺は優越感のようなものまで抱いていた。
週末になり、俺のうちにのりと正幸を呼んでゲームをした。
ところが三十分もしないうちに、のりがスマホを取り出してもぞもぞした。
「わりーな。みきちゃんが呼んでるから」
のりはもともと、ひとところに落ち着けない奴なので、俺たちは特にこだわりなく彼を見送った。
問題はそのあとだ。正幸と二人きりになってしまった。
「ゲームの続きする?」
「それもいいけど、せっかくだから話がしたい」
正幸はベッドのふちにゆったりともたれかかって、チラッと俺に視線をよこした。俺は頭のうしろを掻きながら、彼の隣に少し距離をあけて座った。どうしてだろう、なんとなく緊張する。
ところが、しばらく経っても正幸は何も言わない。俺のほうが焦れてしまった。
「話って?」
顔を向けると、正幸はすこし身を乗り出すようにして、俺のおでこにキスをした。
「ま、まさゆき、あのさ……」
呼びかけたときにはもう遅くて、正幸の唇が、俺の唇に触れてしまった。
さすがに困惑して、俺は軽く彼を押しやった。
「嫌だった?」
「……おまえ、まさか本気にした?」
「颯斗、なんの話?」
「あ、いや、冗談だったんだよ、あれ。付き合おうって言ったの」
彼はハッと息を飲み、まじまじと俺を見つめた。居心地が悪くて俺は目をそらしてしまった。
「ごめん」
正幸は急に立ち上がったかと思うと、歯を食いしばるように謝罪して、帰ってしまった。
正幸はあれからあからさまに元気がない。挨拶くらいはしてくれるけど、俺が話しかけると一歩下がる。遊びに誘っても断られる。
のりと三人でいるときは逃げないので、少しでも長く正幸と話すため、すぐにちょろちょろしようとするのりを必死で引き留めた。
だけど、それにも限界があった。だんだんと、正幸と話す時間が減っていく。
後悔とともにじわじわ込み上げてくるのは驚きと疑問だった。
あいつ、本気だったのか。
確かに、俺が知る限り正幸は女子からの告白を全部断っていた。でも、だからって俺と付き合って楽しいのか。
いや、そういやすごく楽しそうだった。
思い出して俺は落ち着かなくなった。
彼はそれほど感情を表に出すほうじゃないけれど、あのときは隣を歩いているだけでよく笑った。
そして今は、全然笑っていない。
傷つけてしまったんだ、正幸のこと。
学校帰りひとりでとぼとぼ歩いていると、駅構内にあるカプセルトイコーナーがふと目に入った。
すこし前のことだ。俺はアレにハマっていた。どうしても揃えたいシリーズがあったのだ。だが、最後のひとつを引き当てられず、空っぽの財布を見つめて絶望していた。
そうしたら、正幸が隣にしゃがみこんで、さらっと欲しいやつを引き当ててくれた。
「そっちと交換しよう」
そして、俺が引いたほうをポケットにしまい込んだ。
あのとき、はしゃぎまくる俺を見て、正幸はやけに優しい顔つきで笑ってたっけ。
家に帰って大切なコレクションを一つ一つ手に取って眺めた。
こういうの、なんでもかんでも集めたいわけじゃないけれど、この熊はなぜかどうしても欲しくて何度も挑戦した。
よく見れば、こいつ、どことなく正幸に似ているな。
俺はベッドにどさっと寝転んで、片腕で顔を覆った。
今日は席替えがあった。正幸とのりは窓際の前の方で固まったけれど、俺はまったくの対角で、廊下側の一番うしろになってしまった。
なんだか無理に話しかけに行く気にもなれず、自席でボーっとしていた。
聞くつもりもないのに、俺の耳は正幸の声だけやたらハッキリと拾ってしまう。
「山、いいよな」
静かに呟いて彼は窓の外の青々した山並みを見つめている。
山。……山か。将来正幸が登山家にでもなって遠いところへ行ってしまって、会えなくなったらどうしよう。このまま彼の笑顔を二度と見られなくなったら。
急に怖くなった。
正幸と話がしたい。
俺の強烈な視線に気づいたのか、正幸がふとこちらを見た。だがすぐにそらされる。気のせいか、不愉快そうに眉を寄せたようにも見えた。
その日はなかなか寝付けなかった。
頭の中で正幸が山を登っている。でかいリュックを背負って、それはもう山というか崖だろうってところを、岩を掴んで登っていく。落っこちやしないかと俺はハラハラした。
その時、バリバリバリと大きな音を立てながらヘリコプターがうちの上空を通り過ぎていった。
俺はガバッと身を起こし意味もなくキョロキョロする。
どこまでが妄想で、どこからが夢だったのかわからなくなっていた。
心臓がやたらと激しく打っていた。
なんとか正幸と話さないと。
意気込んでみても、狙ったように邪魔が入る。正幸を狙う女子に目の前で連れ去られたり、先生に声をかけられたり。放課後も誰かしら正幸のそばにいて俺を阻んだ。正幸に全然近寄れない。
困った末、俺はのりに泣きついた。
「俺、どうしたらいいと思う?」
のりはのんびりと首を傾げた。
「どうしたらいいかっていうより、どうしたいか、だよね」
その言葉に俺はハッとした。確かにそうだ。
俺はどうしたいんだろう。正幸とどうなりたいんだろう。
自分でもよくわからないから、邪魔が入ったとか言ってすごすごと諦めてしまうんだ。
黙りこくった俺に飽きたのか、のりはのそりと動いて教室の扉に手をかけた。
「……手紙でも書いてみれば?」
「手紙? あ、そっか」
正幸は女子に手紙を貰うと、いつも律義に返事をしていた。
それなら、俺とも話をしてくれるかも。
家に帰ってすぐ俺は机に向かった。最初はなんにも浮かばなかった。
それでも頭を振り絞り、書いては消しを繰り返し、ようやく納得したときには夜が明けていた。
渡すぞ、渡すぞとそればかりで、その日は授業もろくに聞かなかった。
正幸はもう俺に視線一つ寄こさない。今だって、のりと何か話しながら行ってしまう。
以前までなら、必ず一声かけてくれた。「またな」とか「気を付けて帰れよ」とか。そんな些細なやり取りさえなくなってしまった。
俺はぐっと下唇を噛み、小さく折った紙を握りしめ、急いで彼を追いかけた。
わざと足音を立てて走って、驚いて振り向く正幸のポケットに手紙をねじ込んでやった。
「それ、あとで一人で読んで!」
って言ってるそばから、のりがひょいと正幸のポケットから手紙を取り出したので、俺はあやうく悲鳴をあげそうになった。正幸はすぐに取り返してくれたけど。
彼が手紙をポケットにしまい直したのを見て、俺は二人に背を向けた。
何か変わるんじゃないかと期待した。
でもそれは、あまりに甘い考えだったんだ。
次の日になっても正幸の態度は変わらなかった。やっぱり距離を感じるし、他の子にしたように時間を取って返事をしてくれない。
俺のこと、まだ怒っているんだ。いや、悲しむ権利なんて俺にはない。だけど、諦めたくもない。
三日が過ぎて、とうとう我慢の限界がきた。昼休み、俺は正幸を空き教室へ引っ張りこんだ。
「あのさ、このあいだのアレ、読んだ?」
「読んだよ。読んだけど……」
正幸はつかまれた手を煩わしそうに見おろした。振り払われるのが嫌で、俺は彼の手を両手で握りしめた。
「悪ノリして傷つけたこと本当にごめん! 何度でも謝るから、だからもう一度だけチャンスをくれないか」
正幸の眉がギュッと寄ったのを見て、俺は焦った。
「頼むから、登山家になるのだけはやめてくれ!」
「――は? なんで登山家」
ポカンと口を開けた正幸を見て、遅れて俺も自分が何を言ったのか理解する。
「間違った。妄想と混じっちゃった」
「妄想?」
「えっと、のりと話していただろ。山がどうとか」
「そうだっけ?」
俺はおまえが、雪男を連れ帰って恋人にするところまで妄想したのに。
オロオロと白状すると、正幸は声を立てて笑った。なんだよそれって。
俺はその顔にちょっと見とれた。
「……やっぱ好きだな、おまえの笑った顔」
正幸はすっと笑いを引っ込めた。また眉間にしわが寄ってしまう。
迷惑なのかな、俺のこの気持ちは。心臓がギュッと縮こまって痛かった。
「ずっと隣で見ていたいって思ってんだけど、ダメかな?」
「けどそれは、友人としてだろ」
正幸の声は固い。
「そうじゃない」
「いいんだ。気を使ってくれなくても。これもに書いて無かったし」
そう言って正幸は俺の手紙を取り出した。
正幸は高校に入ってからの友人だった。だけどとてもそうは思えない。もっとチビの頃からの大親友って気分なんだ。
最初は、彼の背の高さにビビった。けど話し方が穏やかで意外と面白いやつだとすぐにわかった。
手紙にはそういったこと書いた。
あいつと出会ってから、いいな、好きだなって思ったことを。
普段は落ち着いていて表情の変化が少ないのに、不意に笑うとこっちまでじわじわ嬉しくなること。
駅前のカレー屋でルーの種類、辛さ、トッピング、ライスの量までぴったり合致したとき、すげえ気が合うって思ったこと。
同じタイミングで同じものが食べたくなるっていうのは、なんかいいよな。カラオケがうまいのはちょっとむかつくけど、長所に数えてやろう。そんなことを、取り留めなく書き綴った。もちろん、あの日カプセルトイを貰って嬉しかったってことも。
だから、「書いていなかった」と言われて俺は戸惑った。なんのことか考えたら、思い当たるのはひとつしかなくて、口元を隠す。
「キスのことなら……」
「あれだけじゃなくて、付き合ってから、……俺が勝手に付き合ってると勘違いして浮かれてしでかしたことは、全部書いてなかった。だから」
先ほどまでの緊張感とはまた違った焦りが、ぶわっと込み上げた。顔が熱くなって、正幸の顔をまともに見られない。
モゴモゴと言い訳しかけて、それじゃダメだと思って頬をバシッと叩く。
「文字にするのは、恥ずかしかったんだ! だけど、嫌じゃなかった」
正幸は目を見開いて、じっと俺を見ている。まだ信じられないみたいだ。当たり前か、でもわかってもらうまで何度だって言ってやる。
「嫌じゃなかったよ。全部嫌じゃなかった。だからこうして、頼み込もうとしてんだろ」
息を吸って吐き出して、恥ずかしかろうが怖かろうが今言うべきだ。
正幸は、すごく心もとない顔をしている。泣き出しそうな、怒り出しそうな。
ああ、本当に怖いな。
拒絶されたらって。
「今度こそ本気なんだ。俺と、付き合って欲しい!」
頭を下げてしばらく待つが、恐ろしいほど静かだった。
時間が止まってしまったのかと思った。
耐えきれずにそろそろと顔をあげると正幸は真っ赤になって半分顔を隠していた。
「まさゆき?」
じわりと正幸の目元に涙が貯まって、俺は動揺して自分の指でそれをぬぐおうとした。
その前に正幸が俺の手を捕まえて、彼の頬に押し当てた。
「俺、颯斗に、今まで通り友達として付き合ってくれって言われるのが怖かった。そんなの、できるわけがないから」
「俺も、それはもう無理。さっきも言ったけど俺、おまえの笑った顔すげえ好き。アレをほかの奴に向けることを想像したら、嫉妬で狂いそう。雪男にだって譲らねえよ」
ぷっと、正幸は小さく吹きだす。
「だから、なんで雪男なんだよ」
けど、と正幸は囁くようにつづけた。
「おまえのその、突拍子もないところ好きだよ。なんか、気が抜ける」
ん? それは褒めてんのか?
わかんないけど、正幸が笑ってくれるならいいか。
「あれ、おまえら仲直りしたの?」
正幸と並んで教室に入ると、教卓のところで女子たちと話していたのりが、目ざとく気づいた。
「まあね」
「なーんだ。次は俺の番かと思ったのに」
なんの話かと思ったが、そういやこいつも、正幸と付き合いたいって言ってたっけ。
冗談だとわかっている。
だが、俺はヒシっと正幸に抱きついた。一応相談にも乗ってもらったことだし、こうなったぞっていう、報告のつもりでもあった。
「そんなもんは巡ってこねえよ。正幸は俺のだからな」
「そういうことだから、ごめんな、のり」
と正幸も謝ってる。こっちは本気でボケてるな。
「振られたー」
わざとらしく教卓に突っ伏すのりを、女子たちがキャッキャとつついている。
俺たちがベタベタしているのは、あまり気にならないらしい。ホッとしたような、面白くないような。
「……颯斗、そろそろ離れてくれないか」
ふと顔をあげると、正幸は両手をあげて降参のポーズを取っていた。
「ああ、ごめん」
困ればいいのか喜べばいいのか迷っているような顔つきだった。途端に照れくさくなって俺はパッと彼から離れる。すると彼は口をパクパクと動かしてメッセージを送って来た。「あとで」たぶん、そう言った。
心臓がキュゥッとした。
あとで、何をする気だよ。
正式に恋人になってから、彼の態度はさらに甘さを増した気がする。
おわり