第9話 闇堕ち悪役令嬢、光りアゲする
「リオ様、ありがとー!」
「気をつけて帰れよー」
無事にボールを取り戻し、子供たちは手を振って家路に着く。
俺も手を振り返して見送った。
ちなみにスキルを解くと、ゴーレムの腕はもとの土くれに戻った。ただ川を舗装している煉瓦を使ってゴーレムにしたので、きれいな舗装には戻らなかった。あちこち土がボコボコしてしまっている。
……屋敷に帰ったら舗装修理の手配をしなきゃなぁ。
さすがにウォーリヴァー領の財源から出すわけにはいかないので、俺の自腹にするしかない。ゴーレム・クリエイトはなかなか便利ではあるが、使う場所は考えた方がよさそうだ。
……などと考えていたら、ふとフィオレがこっちを見ていることに気づいた。俺を見ている……というより俺に手を振って帰っていく子供たちの背中を見ていたようだ。
「フィオレ?」
「…………」
声を掛けたが、ふいっと明後日の方向を向かれてしまった。
そのまま彼女は歩きだす。
「屋敷に帰るのでしょう? 急がないと日が暮れてしまうわよ」
「……? ああ、わかった」
やや首をかしげつつ、彼女の背中についていく。
「とりあえず説明をしてちょうだい。さっきのゴーレムの腕はなんなの? あれは本当に私の『エナジー・ドレイン』なの?」
「正しくは『エナジー・ドレイン』のエンチャントだな」
「エンチャント……スキルの付加能力のことね?」
スキルのなかにはレベルアップによって新たな能力が増えるものがある。この増えた能力のことを一般にエンチャントと呼ぶ。
たとえば水を操るスキルであれば、エンチャントによって水を氷に出来るようになったりする場合があるらしい。そうしたスキルの拡張性、可能性がエンチャントには秘められている。
ただしレベルアップによってエンチャントが目覚めるスキルはごく一部だ。フィオレが想定していなくても無理はない。
「でも魔力を吸う『エナジー・ドレイン』でゴーレムの腕を作るだなんて……」
「魔力を吸うからには、吸った魔力を使う方法もあるはずさ。と思ってたら実際できた」
「簡単に言ってくれるわね……」
「今回の場合はゴーレムの魔力を吸ったから、ゴーレムを作れるようになったんだと思う」
「ちょっと待って。ということは……吸った魔力によって、また別のエンチャントも目覚めるかもしれないということ?」
「可能性はある」
さらに言えば、今回は普通のB級ゴーレムだけではなく、S級のゴールドゴーレムの魔力も吸っているので、もう少し何かできそうな気がしている。だけど、その辺の検証はさすがにまた後日でいいだろう。
普通の『ゴーレム・クリエイト』だけで川の舗装を崩しちゃったしな。検証にはもっと慎重になった方がいい。これに関しては反省だ。
「はぁ……」
川のせせらぎに乗って、小さなため息が聞こえてきた。
「我ながら化物のようなスキルだと思っていたけれど、まさかモンスターから魔力を吸ったり、モンスターの腕を作り出したりできるなんて……とんでもないものばかり見せられて、さすがに目が回りそうだわ」
「あー……ご、ごめん」
「謝る必要などないわ」
突然、彼女は足を止めた。
俺に背中を向けたまま、美しい声だけが耳に届く。
「昨日今日とあなたは何人もの人々を助けている。病に苦しむ子供を癒し、街道に巣くうモンスターを倒し、その戦利品をギルドや診療院に寄付し、遊び道具を失くした子供の涙を止めた。……私の悪辣な『エナジー・ドレイン』を使って」
ブロンドの髪が風に揺れている。
彼女は宙を見上げた。
視線の先には、夕暮れの空。
「……信じていいの?」
水面に落ちるしずくのように、ぽつりとつぶやきがこぼれた。
「私の悪辣なスキルがあなたのもとで変わったように、悪辣な私自身もあなたのそばで変わっていけると……そう、信じていいの?」
縋るような言葉だった。
その声はまるで迷子の子供のように弱々しい。
だから俺は確信した。
「王都での昏倒事件」
ピクリと彼女の肩が反応した。
社交の場でフィオレが『エナジー・ドレイン』を使い、貴族や令嬢や騎士たちから魔力を吸い上げ、全員昏倒させたという大事件だ。その一連の騒動によって彼女は『破滅の魔女』と呼ばれ、辺境の俺のもとへ嫁がされることになった。だが――。
「あれは君の意思じゃない。何者かの策略によって嵌められた結果だな?」
「……っ」
彼女の肩がか細く震えだす。
夕焼けのなか、俺は言葉を続ける。
「王都にいる両親や知り合いに調べてもらったんだ。当時、城の舞踏会場には『強制発動』のスキルを持つ令嬢がいた。『強制発動』は文字通り、他人のスキルを無理やり発動させるスキルだ。話によると、この令嬢は随分と権威と権力がお好きだったらしいな」
その令嬢の家柄は伯爵家。自分より下の子爵家や男爵家出身の令嬢に対しては殊更嫌味で、目に余る態度だったらしい。その日も令嬢は取り巻きを連れ、ある男爵家の令嬢を標的にしていた。
取り巻きの令嬢にスキルを使わせ、男爵家の令嬢のドレスが引き裂かれる。
社交の場でスカートの下まであらわになるような格好にされ、男爵家の令嬢は羞恥に涙した。それを令嬢たちは嘲笑う。
性質の悪いことにその蛮行を咎める者はいなかった。
周囲の貴族たちも良い見世物だと楽しんでいたのだ。
――王都の貴族社会は腐っている。
辺境の領主たちの間ではよく言われることだが、実際に王都の社交場はそういった場所のようだ。貴族たちが互いに足を引っ張り合い、弱者を見つけては貶めて楽しむ。そんな卑劣な集いである。
だがたった一人、社交場の空気に異を唱える者がいた。
フィオレだ。
『あら、妙に下品な笑い声が聞こえたかと思えば……ずいぶんと楽しそうなことをしているのね?』
フィオレは男爵家の令嬢を庇い、居丈高な令嬢や周囲を糾弾する。彼女の家は位の高い伯爵家なので、それで一旦はすべて収束した。フィオレは男爵家の令嬢に着替えを用意してやり、会場から離れようとする。
しかし相手の令嬢が持っていたのは『強制発動』。
侯爵家のフィオレが『エナジー・ドレイン』であることも王都では知れ渡っている。
おそらくは――背後から突然、『強制発動』を掛けられたのだろう。相手に誤算があったとすれば、想像以上に『エナジー・ドレイン』が強力だったこと。フィオレは男爵家の令嬢や相手の令嬢だけでなく、そこにいたすべての人間から魔力を吸い上げてしまった。
貴族たちの子飼いの騎士たちが出動してきたが『強制発動』による暴走のせいで力は止まらず、さらなる被害者を増やしていく。
そうして『破滅の魔女』の通り名は誕生した。
「君は言い訳をしなかった。おそらくは何を言おうと『エナジー・ドレイン』が人々を傷つけたのは事実……みたいに考えたんだろ? それに君のシャーレイ家は事件以前から『エナジー・ドレイン』を疎んじていた節がある。ウチみたいな辺境に嫁がせることをすぐに決めたぐらいだし、君は事件をきっかけにして、もう誰も信じてはいけないと考えた。違うか?」
当時のフィオレの心境を思うと胸が痛くなり、俺は一旦口をつぐんだ。
今、話したのは両親や知り合いが集めてくれた断片的な情報をもとにした俺の推測だ。しかしそれほど外れてはいないと思う。
ちなみに断片的な情報については彼女が屋敷にやってくる前に出揃っていた。しかし俺にとってフィオレ・L・シャーレイはバッドエンドへのフラグそのもの。『ファラウェル王国物語』において、リオルードは妻であるフィオレの謀略に加担し、主人公に斬り殺される。
だからゲロ吐きそうなほどに緊張し、フィオレ・L・シャーレイが善良な人間であるという可能性は考えつつも、決断できずにいた。
しかし、あの夜。
私を殺して、と頼まれた時、信じようと決めた。
そして、今。
縋るように『信じていいの?』と言われ、完璧に確信した。
「君は悪辣な人間じゃない。本当の君を誰にも見つけてもらえなかっただけだ」
彼女の背中を追い越し、俺は正面から笑いかける。
「でも俺が見つけた」
「……っ」
「もう大丈夫だ」
柔らかな夕日のなかで、フィオレのブロンドが輝いている。
ドレスに包まれた肩は震えていて、彼女は――泣いていた。
透明なしずくが白い頬を伝っていく。
「……私……は……」
「うん」
「……8歳の時、スキルが『エナジー・ドレイン』だってわかった日から誰もが……私を疎んじたわ。お父様もお母様も使用人たちも、私のことを……醜い魂の子だと」
「うん」
「人から魔力を奪うなんて、心が卑しい証拠だと……。違うと思いたかった。私はそんな人間じゃないと叫びたかった。でも……でも……っ」
彼女の声に嗚咽が混じり出す。
「あの日も……ギリアム家の令嬢が男爵家の子を貶めていて……それを誰もが笑って見ていて、でも最初から疎まれている私なら助けてあげられると思って……っ」
「偉いね。偉いよ、フィオレは」
「だけど私の『エナジー・ドレイン』がすべてを薙ぎ払ってしまった……っ。助けようとしたあの子までも……っ。だから私は……やっぱり皆の言っていた通り、醜い魂の人間だったんだって……っ」
「それは『強制発動』を使った令嬢のせいだよ」
「違うわ! 私に『エナジー・ドレイン』がなければ、『強制発動』を使われることはなかった。私に宿ったのがもっと弱いスキルだったらあんな惨事は起きなかったのよ。やっぱりシャーレイ家の皆が言っていたように、私は醜い魂を持った悪辣な人間なの。だから何度も死のうとした……っ。なのに毒を飲んでも短刀を喉に刺しても湖に飛び込んでも『エナジー・ドレイン』に蘇生させられてしまう……っ」
「だから、俺に殺してもらおうと思ったんだね」
こくん、と彼女は小さくうなづいた。
俺の神冠の剥奪はスキルを奪える。『エナジー・ドレイン』さえ無くなれば、今度こそちゃんと死ねると彼女は考えた。
「ウォーリヴァー領の跡継ぎはひどい悪童だと王都でも噂になってたわ。『照覧の儀式』で死にかけて改心したという話だったけど……きっとそれは政治的な立ち振る舞いを覚えて、演技をしているのだと思った」
なるほど、王都の貴族たちからはそう見られてるわけか。
実際、死にかけて改心したんだが、直接の原因は前世の記憶を取り戻したことなので、政治的に演技しているというのは意外に間違いではないかもしれない。
「私と同じ悪辣な人間ならば巻き込んでもいいと思った。なのに実際に会ったあなたときたら、殺すどころか私を救うだなんて宣言して……」
潤んだ瞳が見つめてくる。
小さな握り拳がドレスの裾を掴んでいた。
「私の『エナジー・ドレイン』で次々に人を助けて……っ。誰にも言えなかった事件の真相にまで気づいてくれて……っ」
勇気を振り絞るような表情で、彼女は言葉を紡ぐ。
「ここまでされたら私、本気で寄り掛かるわよ!? 誰にも頼ったことがないからやり方なんてまったくわからないけれど、でもあなたのそばにいれば……し、幸せになれるかもって信じるわよ!? それでもいいの!?」
「いいよ」
わずかな間も置かず、即答した。
涙に濡れた瞳をまっすぐに見つめる。
「最初から言ってるだろ? 俺は君を救うって。だから遠慮せずに寄り掛かってくれよ。――君は幸せになれる。全身全霊を掛けて俺がそうしてみせる」
「……っ」
彼女は息を飲み、また泣きそうな顔になった。
その泣き顔を隠すように俺の肩へと額を押し当ててくる。
「じゃあ……」
香水の甘やかな香りが鼻先をくすぐった。
今まではと違う、どこかおどおどした声音でせがまれる。
「まずは……か、髪を撫でてちょうだい」
「お安い御用だ」
優しい夕焼けに照らされるなか。
穏やかな川のせせらぎを聞きながら。
俺はしばらくの間、彼女のブロンドを撫で続けた――。