第2話 俺のスキルで彼女のスキルを剥奪する
「さあて、どうしたもんかな……」
フィオレが婚約者としてやってきた、翌日。
俺は屋敷の執務室で天井を見上げてぼやいている。
王都で最も忌み嫌われた、『破滅の魔女』。
前世で読んでいたファンタジー小説『ファラウェル王国物語』屈指の悪役。
それが彼女――フィオレ・L・シャーレイだ。
物語のリオルードはフィオレのついでで主人公に殺されるので、俺にとってはフィオレ自身がバッドエンドのフラグそのものにもなっている。
「なのに、まさか初対面から『殺してくれない?』なんて言われるとはなぁ……」
完全に予想外だ。
一応、フラグを回避するための策は色々と準備してきた。
彼女との婚約を破棄する策。
彼女自身を更生させて事件が起きないようにする策。
あとはそもそも彼女が俺のところに来ないようにする策――これは王都で工作してたんだが、すでに失敗している。おかげで昨日、彼女が嫁いできたわけだ。
俺としてはすぐにでも第二、第三の策を取らねばと思っていた。
しかしさすがに彼女自身の殺害なんて鬼畜なことは俺も考えていない。
「マジでどうしたもんかな……」
腕を組んで思考を巡らし、しかし俺はやがて首を振る。
「……これ以上、椅子に座って考えていても意味がないな」
彼女が何を考えているのか、直接聞くしかない。
こうなった以上、フィオレの意図を知らないと動きようがないしな。
俺は執務室を出て、屋敷の廊下を進んでいく。
途中で会った執事やメイドに彼女の居所を聞き、やがて二階のテラスへと赴いた。
フィオレは白い柵の前の椅子に腰かけていた。
相変わらずの美しさで、何をすることもなく中庭の方を眺めている。
「レディ・フィオレ。今、いいかな?」
フィオレのシャーレイ家は侯爵の家柄だ。
侯爵家の子女には『レディ』の敬称を用いるのが礼儀とされている。
「あら、ウォーリヴァー次期男爵。私のことはフィオレでいいわ。あなたの妻になるのだから」
「オーケー、フィオレ。だったら俺のこともリオでいいよ」
「わかったわ。それでリオルード、私に何か用?」
「……んー、聞き間違いかな? リオルードじゃなくて、愛称のリオでいいよ。使用人も領民もだいたいみんな俺をそう呼んでる」
「わかったわ。それでリオルード、私に御用事?」
「オーケー、無理強いはしない」
どうやらフィオレには彼女なりの距離感があるようだ。
俺は紳士らしく譲歩し、テーブル越しに彼女の正面に腰掛ける。
するとフィオレはどこか突き放すような雰囲気で微笑む。
「気を悪くしないでもらえたら嬉しいわ。妻にはなるけれど、私はあなたに殺してもらうのだから、変に親しくなるのもおかしいでしょう?」
「それを言うなら、夫に殺害を依頼する時点でおかしいと思うんだけどな」
「そうね。自分でも不条理な要求をしていると思うわ」
テーブルにはメイドが用意した花が飾られている。
フィオレは手を伸ばすと、無造作にその花びらに触れた。
途端、見る見る内に花が枯れていく。
俺はわずかに目を見開いた。
これは……。
「……『エナジー・ドレイン』。魔力を奪えるのは人間からだけじゃないのか」
「ええ。魔力は生きとし生ける者に宿っている。私のスキル対象は生物全般よ」
花を枯らせた指先。
その爪が先ほどよりもきれいになっているように見えた。
魔力を吸収したせいだろう。
魔力というのは前世の生命力とほぼ同義だ。この世のあらゆる生物には魔力が宿っており、スキルを使う時にも魔力が消費される。
「私はこの力で王都の無礼者たちを昏倒させたわ。死にはしなかったけど、誰も彼も数か月はベッドで退屈な時間を過ごすことになってるでしょうね」
「ああ、そうだな。だから君は追放され、こんな辺境の領主代行に嫁ぐ羽目になったわけだ」
フィオレは現在、俺の一つ下の17歳。この国の貴族法によって、侯爵以下の令嬢は18歳から婚姻可能となっている。よって現状、俺たちは婚約者という立ち位置だ。法に倣うならば、フィオレは18歳になると同時に俺の妻になる。
「私に診療院送りにされた者たちは、追放処分だけでは気が済まないでしょうね」
「…………」
……なるほどな。
俺はわずかに目を細める。
「このまま君を受け入れれば、俺も被害を被る可能性があるわけか。確かにウチの領内で面倒事が起きるのはたまったもんじゃない」
「そうでしょう? でも私を殺せば、あなたはそのリスクを回避できる」
「代わりに妻殺しの汚名を負うことになるけどな?」
「安心なさい。私は『破滅の魔女』よ。王都の無礼者たちは間違いなくあなたのことを英雄として持ち上げてくれるわ。なんなら子爵や伯爵に引き上げてくれるかもしれないわよ」
俺は小さくため息をついた。
「なぜ、君がそんなに死に急ぐのかは知らないが……そんなに死にたいなら、俺にやらせなくてもいいんじゃないか?」
「自死ならもう試したわ」
彼女は枯れた花へと目を向ける。
「短刀、毒、あとは避暑地の湖に飛び込んだこともあったわね。でも駄目だった。私の体が死に瀕すると、スキルが勝手に発動するの。周囲から魔力を吸い上げ、勝手に体を再生させる。いつまで経っても溺死できないことに気づいて湖から陸地に上がった時は、さすがに背筋が寒くなったわ。だって周囲の森一帯が枯れ果てていたんだもの。今でもあの森は虫一匹いない死の森と化しているそうよ」
「…………」
さすがに言葉を返せなかった。
フィオレの言葉を信じるならば、彼女に重りをつけて水に沈めたとしても死ぬことはないだろう。それどころか『エナジー・ドレイン』は彼女を生かすために無限に周囲から魔力を吸い続ける。おそらくは世界が滅びるまで、永遠に。
正直、身も凍るような話だ。
同時に彼女のことが少し理解できた気がする。
こんなスキルを持っていれば、狂わずにはいられないだろう。
ファンタジー小説で彼女が恐るべき悪役になってしまうのも無理のないことに思えた。
ただ、その上で疑問が生まれた。
「一つ聞きたいことがある」
「どうぞ?」
「どこで俺のスキルを知った?」
「あら、あなたのスキルが今の話に関係があるかしら?」
「あるさ。君は俺のスキルを使ってほしくて、このウォーリヴァー領に来たんだろう?」
当然、俺ことリオルードもスキルを持っている。
しかし使い勝手の悪いゴミスキルなので、まったく使ったことがない。
その情報をどうしてフィオレは知っているのか。
「いいわ。教えてあげる」
彼女は軽く小首をかしげて俺を見る。
「私は侯爵家のシャーレイ家の人間よ。その情報網を甘く見ないことね。いざとなれば、この国の誰がどんなスキルを持っているかなんて簡単に調べられる」
「…………」
「だからお父様に生涯最後の頼みとしてお願いしたの。私の追放先はウォーリヴァー家の跡継ぎ、リオルード・ウォーリヴァーのもとにして下さい、と。あなたのスキル――神冠の剥奪なら私を殺してくれると思ったから」
神冠の剥奪。
それが俺のスキルの名だ。
スキルとは神から与えられた、いわば才能の冠。
俺の能力はそれを奪うことができる。
つまり俺のスキルは他者のスキルを強制的に剥奪し、自分の物にすることができるのだ。
まさしく悪役貴族のリオルードに相応しいスキルと言えるだろう。
ファンタジー小説ではまずフィオレが『エナジー・ドレイン』によって主人公から魔力を奪い、弱り切ったところでリオルードが『神冠の剥奪』によってスキルまで奪って、主人公を絶体絶命のピンチに追い詰めていた。ま、その後、剣でぶった斬られて死ぬんだけどな。
ただ俺は今まで一度もこの『神冠の剥奪』を使ったことがない。
俺の望みはこのウォーリヴァー領で平和に暮らすことだ。
好き好んで他者からスキルを奪う必要なんてどこにもない。
なのに……よりにもよってあのフィオレ・L・シャーレイにスキルを求められるなんてな。
「君の望みはわかった。確かに俺の『神冠の剥奪』なら君から『エナジー・ドレイン』を剥奪することができるかもしれない」
「ほ、本当に……っ!?」
突然、期待のこもった眼差しで彼女が身を乗り出した。
ついに念願が叶うと思ったのか、年相応の17歳の少女らしい表情だった。
その反応を見て、俺は少し哀しくなった。
だって、その先には彼女自身の死しかない。
「落ち着いてくれ。おそらく剥奪はできる。でも俺は――」
「私を殺さないと、あなたとあなたの領民たちに迷惑が掛かる。王都の貴族たちは執拗よ。それに……」
俺の言葉を遮ると、ブロンドを揺らして彼女は笑った。
自分の人生すべてを諦めたような、哀しい笑みだった。
「天は各々に相応しいスキルを与える――『照覧の儀式』の時、神官たちは必ずそう言うわ。だからね、『エナジー・ドレイン』なんて悪辣なスキルを与えられた私は……そのスキルに相応しい、死すべき悪辣な人間なのよ」
だから、と彼女は続けた。
「どうか私の『エナジー・ドレイン』で、私を殺して。それがきっと……1番きれいな終わり方だと思うから」
……ああ、ちくしょう。
なんだか無性に腹が立った。
17歳の少女がこんなに哀しいことを言わなければいけない状況に。
こんな女の子をずっとバッドエンドのフラグだと思っていた自分自身に。
もう腹が立ってしょうがない。
だから俺は勢いよく立ち上がり、右手を突き出した。
魔力を込めると、手のひらに星のような輝きが集まってくる。
「わかった。そこまで言うなら、君のスキルを奪おう。――ただし!」
神冠の剥奪を発動。
まばゆい光のなかで俺は宣言する。
「俺は君を殺さない! 『エナジー・ドレイン』の力を使って――必ず君を救ってみせる!!」
予想外の言葉だったのだろう。フィオレは驚いたように「え……っ!?」と目を見開く。
刹那、星のような光がテラスを満たした。
そして俺は――彼女から『エナジー・ドレイン』を剥奪した。