第1話 婚約者からまさかの「私を殺してくれない?」
「リオルード様、そろそろご到着のお時間です。あなたの婚約者様がいらっしゃいますよ」
「……ん、わかった」
「緊張していらっしゃいますか?」
「え? 緊張? してるように見える?」
ここは屋敷の正面玄関。
俺は階段に座り込んだまま、隣に立つ執事へ言う。
有能な執事は懐中時計を懐にしまってうなづいた。
「リオルード様流の言葉使いで申し上げますと――めっちゃ緊張しているように見えますな」
「オッケー、白状する。めっちゃ緊張してるよ。胃がキリキリして今にもゲロ吐きそうだ」
「我慢なさって下さい。どうしてもという時は、出た瞬間に飲み込むことをおススメします」
「スマートなアドバイスをありがとう。執事が有能で嬉しいよ」
俺は苦笑しながら肩をすくめる。
「婚約者との初顔合わせでゲロまみれになってるわけにもいかないからな。いざという時は自分のゲロを丸呑みにするから、使用人みんなで応援してくれ」
これから俺の婚約者がやってくる。
出迎えのため、階段の下にはメイドたちも並んでいる。
俺と執事の会話を聞いていたらしく、メイドたちは呆れ顔でこちらを見上げた。
「ご主人様、普通に汚いです」
「奥方様をお迎えする直前の会話とは思えませんわ」
「だから事前に私たちで卒業するように何度も申し上げたのに……これだから童貞は」
「おい、最後。吐き捨てるように童貞扱いはいくらなんでもひどくない? 俺、一応ご主人様だぞ? 仮にもこのウォーリバー領の領主代行だぞ?」
心無い言葉に不満を漏らすと、メイドたちがクスクスと笑う。
でも悪い意味の笑いじゃない。
ちょっとキツめの冗談も言い合える、俺と使用人たちの信頼関係あってこそのものだ。
「まったく……」
やれやれと俺は立ち上がる。
視線の先、道の向こうに馬車が見えた。
婚約者のご到着のようだ。
俺の名はリオルード・ウォーリヴァー。
現在、18歳。
王都に参勤させられている両親に代わり、このウォーリヴァー領の領主代行をしている。
ちなみに転生者だ。
8歳の時、不慮の事故で死にかけ、その時に前世の記憶が蘇った。
どうやらこの世界は、俺が前世で読んでいたファンタジー小説『ファラウェル王国物語』の世界らしい。
小説の登場人物としてのリオルードはワガママ放題のドラ息子で、ウォーリヴァー家始まって以来の暗愚として描かれていた。この世界でもそれは同じらしく、8歳の俺に対して両親や執事もかなり手を焼いていたらしい。
しかし前世の記憶が蘇ってからというもの、一念発起。俺は努力と研鑽を重ね、この10年でどうにか皆の信頼を得られるようになった。
今は両親から領主代行を任され、使用人たちとも仲良くやり、領民たちからの評判もそこそこいい。このままウォーリヴァー領で平穏に過ごしていきたい……と思っているんだが。
「リオルード様のご不安もわかります」
俺と同じように馬車へ目を向け、隣の執事が口を開いた。
「なにせお相手は……あの『破滅の魔女』ですから」
破滅の魔女。
それがこれからやってくる、俺の婚約者の通り名だ。
率直に言えば、王都で最も忌み嫌われている人物である。
この世界にはスキルという力がある。
スキルは神から与えられた天賦の才で、皆、8歳になると『照覧の儀式』によって自身のスキルを知ることになる。
S級スキル『エナジー・ドレイン』。
それが婚約者が神から与えられたスキルだ。
この『エナジー・ドレイン』は他者の魔力を強制的に吸い上げることができる。効果範囲は街一つを包み込んでしまうほどで、もし戦場に出れば単騎で一軍を葬ることすらできる。
もしも屈強な兵士がこのスキルを持っていたならば、歴史に名が残るほどの大人物になっていただろう。それほどの最強スキルだ。
しかし彼女は戦場とは無縁な貴族令嬢。
この『エナジー・ドレイン』を彼女がどう使ったかというと――彼女は社交界の場で気に入らない令嬢や貴族たちから軒並み魔力を奪って昏倒させた。
騎士たちが緊急出動したが、彼らも『エナジー・ドレイン』によって無様に倒されてしまった。
数十人の被害者が倒れ伏すなか、立っていたのは彼女ひとり。
その恐るべき光景から生まれた通り名が『破滅の魔女』だ。
もちろん本来ならば極刑になりかねない事件だが、彼女の家柄が王都でも有力な貴族であることから、厳しい罰は与えられなかった。
代わりに追放同然の形で、辺境領地の領主代行のもとへ嫁がされることになった。
つまり俺のところへ嫁にくることになったというわけだ。
ちなみに彼女とは今日が完全な初対面。
ゲロを吐くなという方が無理な話である。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか……」
屋敷の噴水の横を抜け、馬車が玄関前に停まった。
俺は執事を連れ、階段を下りていく。
「最初の印象が肝心ですぞ」
「わかってる。内心の緊張はともかく、外面はどうにか取り繕うよ」
実は俺が緊張している理由は、婚約者が『破滅の魔女』だからだけではない。
前世で読んでいた、『ファラウェル王国物語』。
そこには当然、俺ことリオルードだけではなく、彼女も出てくる。
フィオレ・L・シャーレイ。
恐るべき『破滅の魔女』と呼ばれた、物語屈指の悪役。
フィオレはリオルードと結婚した後、ここウォーリヴァー領を手中に収め、最終的に『エナジー・ドレイン』を使って領民すべてから魔力を奪い、本物の魔女になろうとする。
その大事件の片鱗を察知し、王都からやってくるのが物語の主人公。
主人公の活躍によって、フィオレは討たれ、ついでに夫であるリオルード――俺も斬り殺されてしまう。
最悪のバッドエンドだ。
せっかくこの10年頑張ってきたのに、フィオレがきっかけとなって俺は主人公に殺されてしまうかもしれない。
もうお分かりだろう。これからやってくる婚約者フィオレ・L・シャーレイは俺にとってバッドエンドのフラグそのものなのだ。
……うげ、意識したら本当にゲロ吐きそうになってきた。
俺は思わず口元を押さえる。
すると目の前で馬車の扉が開いた。
直後、風が吹いた。
春先のかぐわしくて甘やかな風。
「ごきげんよう。あなたが私の夫になる男ね」
黄金を溶かし込んだようなブロンドの髪。
瞳はまるで宝石のように輝き、肌は処女雪のように白く瑞々しい。
絶世の美女がそこにいた。
俺は思わず息を飲む。
あまりの美しさに思考が停止しそうだった。
彼女はドレスの裾を揺らしながら地に降り立ち、真っ直ぐに俺を見る。
「私はフィオレ・L・シャーレイ。『破滅の魔女』と呼ばれる女よ」
まさか初対面で魔女を自称してくるとは。
美しさに圧倒されていた俺は、改めて気持ちを引き締める。
……やっぱり俺のバッドエンドフラグだな。
ここから先、俺が考えるべきなのはどうやって最悪の結末を回避するかということ。
ウォーリヴァー領で平穏で生きていくために、俺は彼女に対して命懸けで対処していかなくてはならない。
「じゃあ、旦那様。早速、一つ頼みごとをしてもいいかしら?」
警戒心を高める俺に対して、彼女は口を開く。
次の瞬間に発せられた言葉は、俺を唖然とさせた。
フィオレは言う。
まるでお茶の時間のスコーンの味をリクエストするような気軽な口調で。
同時に美しい顔を曇らせた、今にも泣きそうな笑顔で。
「私の『エナジー・ドレイン』をあなたにあげる。その力を使って――私を殺してくれない?」
初日なので12時中にあと3話更新します。




