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第一章:王命③

 三人が城を出た時には、西の空が茜色に染まり、夜が訪れようとしていた。城下に宿を取った三人は、情報収集のために酒場へと赴いていた。

「わあ、ここが酒場なんですね……!」

 重たい木の扉を押し開けて、薄暗くアルコールと煙草の匂いが充満する店内に足を踏み入れると、シスルがはしゃいだ声を上げた。目に入るものすべてが新鮮ならしく、彼女は金色の目を動かして、きょろきょろと辺りを見回している。王城での毅然とした態度はどこへ行ったのか、その姿は年齢相応の好奇心旺盛で無邪気な普通の少女そのものだった。

 ここまでの道中で、シスルは自分の身の上をレイシャに話してくれていた。生まれつき神子という特殊な立場にある彼女は、まるで深窓の姫君のように大切に育てられ、教会から出ることはほとんどなかったのだという。伝承や物語の本を読んで、外の世界への憧れを募らせていた彼女は、大変な任務だとは承知していても、今回外へ出られることを楽しみにしていたのだと言っていた。

 また、シスルはヴェーゼについても少し話してくれた。ヴェーゼは元々、神子であるシスルの警護を担っている騎士で、最近、先遣隊に参加した兄を亡くしたばかりなのだという。昼間は詳しい話はしなかったが、墓地で彼に会ったのはそういうことだったのかとレイシャは得心した。そういう事情でヴェーゼはぴりぴりしているのだともシスルは言っていたが、だからといって先ほどの王城での彼の態度を大目に見ようという気にはなれそうにはない。レイシャの中で彼の印象は悪化の一途を辿っていた。

 今までシスルが知っていた狭い世界には存在しなかったであろう、少々粗雑な人々が騒ぐテーブルの間を縫って、レイシャはカウンターへと近づいていき、スツールへと腰を下ろす。まずはマスターに話を聞いてみようと思っていた。

「マスター、薬草酒を一ついただける? それと聞きたいことがあるのだけれど、いいかしら?」

 ヴェーゼと共に追いついてきたシスルはカウンターの向こう側にびっしりと並んだ酒瓶を見ると、金色の目をきらきらさせて、

「わたしにもレイシャさんと同じものをいただけますか?」

「シスル。あなたはミルクにしてください。酒など飲んだことがないでしょう?」

 酒を注文しようとしたシスルをヴェーゼは諌めた。すると、つまんないの、とシスルは頬を膨らませた。どうやらシスルは公式の場以外では、自分の護衛役であるヴェーゼには言葉を崩すようだった。

「マスター、すみませんが、この子にはミルク、私にはビールをいただけますか?」

 おう、と返事をするとカウンターの中に立つ壮年の店主の男性は背後の壁から薬草酒の瓶を手に取る。グラスにとろりとして美しい琥珀色の薬草酒を注ぎ、足元の木桶からよく冷えたビールと牛乳の瓶を取り出すと、店主はレイシャたち三人の方へとそれらを押しやった。

 レイシャたちから少し離れたところで二十歳前後に見える仏頂面の男が一人でビールをちびちびと舐めている。店の奥のステージでは露出度の高い衣装に身を包んだ十代半ばほどの踊り子の少女が舞い踊っている。激しい動きに息も切らさず、くねくねと柔らかく体を動かす少女をシスルはミルクの瓶を手に食い入るように見つめていた。

「それで聞きたいこととは?」

 グラスを磨きながら店主に問われ、レイシャはさっと周囲に視線を走らせる。周囲の注意が自分たちに向いていないことを確認すると、レイシャは口を開いた。

「この件は内密にお願いしたいのですが……私たちは王命を受け、魔族領へ向かう途中なんです。現在の魔族領や魔族の動向について、何かご存じであれば教えて頂きたいのですが」

 ふむ、と店主は眉間に皺を寄せると、小声でレイシャへと囁く。

「あまり大声では言えないが、近ごろ、魔族の侵略に遭い、魔族領との境の地方から、王都へと逃げ延びてくる人々が増えている。二百年前の聖戦で死んだはずの魔王が復活したらしいだの、一部の魔族が力をつけてきて人間を襲うようになっただのという話も聞かないではない」

 そうですか、と頷くとレイシャは薬草酒のグラスに口をつける。里で飲み慣れたエルフの秘酒に似た複雑に混ざり合ったハーブの味が鼻腔をすうっと通り抜けていく。

 レイシャはこめかみに視線を感じ、横に目線を移す。少し離れたところでビールを飲んでいた赤褐色の髪の青年が、暗い藍色の瞳でじっとレイシャを見ていた。

「そこのエルフの女。今の話、詳しく聞かせてもらえるか?」

 何でしょうか、とレイシャは身構える。青年はぐっとビールを飲み干すと、

「俺はロイスという。住んでいた村を魔族の女とその手下どもに襲われ、妹と逃げてきた。あの女は人間を手にかけることなど何とも思っていないようでな、親父とお袋は魔法の炎で消し炭にされて殺されたよ。骨一本残らなかった」

 そう吐き捨てたロイスの顔は怒りに歪み、藍色の双眸には憤りと悲しみが混ざり合って揺れていた。魔族が力をつけてきているのは間違いないのだと、レイシャは実感し、言葉を失う。

 その時、酒場の中で酔客たちの野太い歓声が上がった。ぱらぱらと拍手の音がする。ちらりと奥のステージを見ると、赤毛の踊り子の少女がお辞儀をし、チップと喝采を浴びていた。

 少女は恥じらいも躊躇いもなくひらひらとした腰の布を外して下着同然の際どい格好になると、ステージの上に散らばった硬貨を布の上に集め始める。観客たちの興味は少女から、それぞれの飲み物や下卑た雑談へと戻っていく。

 チップを集め終わった踊り子の少女はステージを降りた。時折、声をかけてくる酔っ払いたちを適当にいなしながら、彼女はテーブルの間を縫ってこちらへと近づいてくる。

「見てみてお兄ちゃん、王都ってすごいね! 今日こんなに稼げたよー! せっかくだし、今日くらいは奮発してお肉とか食べちゃおうよ! って、根暗で無愛想なお兄ちゃんが他の人と話してるなんて珍しいね。その人たち、知り合い? っていうか、そこの教会の騎士のお兄さんめっちゃイケメンじゃん!」

「……ナリア」

 ロイスは苦々しい顔で、かしましく騒ぐ少女の名前を呼ぶ。必要最低限しか体の表面が布で覆われておらず、健康的な肉付きの四肢が剥き出しとなっている少女の姿を見ないように不自然に視線を泳がせながら、

「お前な……客席に戻る前に裏で着替えてこいと何度言えば……」

 ナリアは兄よりは明るい、水色に近い色の双眸をにんまりと細めると、

「あっれー、お兄ちゃんってば、あたしのこのお色気むんむんなボディを見てコーフンしちゃったー? っていうかそんなんだから、もう十九だっていうのにお兄ちゃんいつまでもドウテーなんだよ?」

「うるせえ。そんな貧相な体で誰が興奮するか」

「失礼だなー、あたしはまだ成長期なの! もう何年かしたらボインボインになる予定なんだから、今に見てなさいよ! っていうか、お兄ちゃんドウテーなのは否定しないんだ?」

 見た目こそは似通っているが、中身は正反対な兄妹の会話をきょとんとした顔で聞いていたシスルは、くいくい、と横でビールを飲んでいたヴェーゼの騎士服の袖口を引っ張る。

「ねえ、ヴェーゼ。ボインボインとかドウテーとかって何のこと? ヴェーゼもドウテーとかいうやつなの?」

 そんなシスルの箱入りならではの純粋な質問が耳に入ってきて、レイシャは口の中の薬草酒を吹き出しそうになった。いくら大事に育てられたらしいとはいえ、この年齢にしてはあまりにも無知すぎやしないだろうか。かつて仲間だったセリスも教会の人間だったが、一般常識くらいはきちんと備えていた。けほけほとレイシャが咽せていると、ヴェーゼは深々と長いため息をつき、

「シスル。あなたがそのように低俗な言葉の意味を知る必要はありません。あと、私の名誉のために申し上げておきますが、私は断じてそのようなものじゃありませんから」

 よほどシスルとヴェーゼのやりとりがツボに入ったのか、ナリアは水色の目にうっすらと涙を浮かべ、むき出しの腹を押さえて大爆笑している。ナリアは指で目元を拭いながら、

「あはは、あなた面白いね! そんなことも知らないなんて、あなたどこのお嬢様?」

 ええと、とシスルが口を開きかけると、さっとヴェーゼがシスルとナリアの間に入る。

「すみませんが、彼女はお二人が考えておられるより遥かに尊き身分であらせられます。ですので……」

 ナリアの顔からすっと笑みが消え、代わりに不快感が浮かび上がる。

「あたしたちみたいに見るからに薄汚い流れ者とは口を利かせられないって? 一瞬でもかっこいいとか思って損したわ」

 彼女はヴェーゼの言葉を遮ると、気の強そうな水色の双眸で彼を睨みつけた。

「ヴェーゼ」

「ナリア」

 シスルは己の騎士を、ロイスは自身の妹を同時に制して黙らせる。喧嘩なら外でやってくれとでも言わんばかりに店主がこちらに冷ややかな視線を浴びせかけている。

「うちの愚妹が失礼した。それで先ほどの話だが……」

 ロイスがレイシャたちへと詫び、脱線してしまった話の続きを切り出そうとするとナリアが喚く。

「愚妹って何よー!」

 お前は黙ってろ、とロイスは着ていたキャメルの外套を脱ぐと、半ば投げつけるようにしてナリアの赤毛のショートカットの頭へと被せる。外套の中でもごもごと何事か言っているナリアを無視し、ごほんと咳払いをするとロイスは話を続ける。

「お前たちは王命で魔族領へ行くと言っていたな? 魔族の動きが活発になっている今、魔族領などへ行けば命を落としかねない。一体何が目的だ?」

 ロイスの藍色の瞳が暗く翳る。これは憎しみの色だとレイシャは思った。

 初対面のこの兄妹に、自分たちの事情を一体何をどこまで明かしていいものだろうか。レイシャは逡巡する。もぞもぞとロイスの外套の中からナリアは顔を出すと、

「もしかして……お姉さんたち、魔王を倒しに行くんだったりする? なんか、ここのお客さんたちにも魔王がどうのこうのって言っている人がいたし」

「……ええ」

 レイシャは頷いた。元気が取り柄の空気が読めない少女かと思っていたが、どうやら勘はいいようだ。しかし、ここの客の中でそういった話が噂になりつつあるのは問題だ。じきにこの王都中の間に知れ渡り、国内全土に話と波紋が広がっていくことだろう。人々の不安を煽り、暮らしを脅かす存在をどうにかするのは、かつての聖戦を戦い抜いた自分の役割だ。無理でも何でも、どうにかして魔族から人間の未来を守らないといけないのだと、レイシャはアルコールで乾いてしまった唇を噛み締めた。

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