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第一章:王命②

「《藍玉の賢者》レイシャ・セ・リクア・ウィニングスよ。遠いところをよく来てくれた」

 顔を上げなさい、とよく通る男の声に促され、赤い絨毯の敷かれた床を見つめていた緑色の視線をレイシャは上へと向けた。王冠を頭上に戴く良い身なりの中年の男――ヴィリア国王モーリス・ヴェラ・ロヴァーグスと彼の傍らに控えるウェインという名の老年の侍従の姿が視界に映る。

「かつての聖戦の折のそなたの偉業については代々伝え聞いておる。そなたを見込んで頼みたいことがあるのだ」

 モーリスは重々しい口調で言葉を続けていく。

「この世界に魔王が復活した。近頃、地方民の王都への流入が急増しており、原因究明のために魔族領に教会騎士の先遣隊を派遣したところ、先日その事実が発覚したのだ。

 芽を摘むなら早い方がよい。今代の魔王が我々人間の脅威となる前に、彼奴を排除せねばならない。レイシャよ、そなたに魔王の再討伐を頼みたい」

「そんな……! あのとき、確かに私たちで魔王は倒したはずです! 何かの間違いではないのですか?」

 レイシャはにわかにはモーリスの言葉が信じられなかった。自分たちの払った犠牲――レイシャの愛した彼の死が無駄なものだったとは思いたくなかった。しかし、モーリスは首を横に振り、

「そうであれば、どれほどよかったことか。残念ながら、これは真実だ。先遣隊の騎士が命と引き換えに持ち帰った、な」

 レイシャは形の良い唇を噛んだ。二百年前のあの戦いは一体何だったというのだろうか。それに、二百年前のあのときに魔王を倒すことができたのも奇跡のようなものだというのに、今再びそれができるわけがない。

「お言葉ですが、モーリス陛下。かの聖戦の生き残りも今や私だけであり、かつてローゼル陛下から下賜された聖具も全て失われました。それらもなく、魔王へ挑めというのは、死にに行けと言っているのと同義であるように思います」

 あのころは魔王に対抗し得る大きな力を持った『聖具』があった。それらを持ってしても、六人がかりで、なおかつ《紅玉の勇者》の死という犠牲を払わなければ魔王の息の根を止めることはできなかった。

 それなのに、今のこの時代に聖具もなく、再び魔王を討伐できるわけがなかった。

 わかっておる、とモーリスは重々しく頷くと、唐突にとある詩の一節を諳んじた。

「青の妖精はその叡智を持って盤面を覆す」

「《翠玉の歌姫》の歌物語――リオーネが残した、かの聖戦の『英雄譚』……」

 リオーネ・フェルディアス――《翠玉の歌姫》と渾名されたかつての仲間のことを思い、レイシャは内心で頭を抱えた。

 リオーネは聖戦後、かの聖戦について各地を歌い歩いていた。大衆受けするように実際よりも美化されたり、脚色された内容が吟遊詩人たちの間で今も歌い継がれており、なんてものを残してくれたんだとレイシャはリオーネを恨まないでもない。

「……そのようなものを持ち出されてまで何を仰りたいのでしょうか、モーリス陛下」

「かつて《紅玉の勇者》を失い、聖具の殆どが傷ついて十全にその力を発揮できなくなってしまったあの戦いの終盤――もう無理だと思われた状況を覆したのはそなただと伝え聞いている。

 今とあのときでは条件が異なるとはいえど、そなたであれば、この状況から魔王を討ち取る奇跡を再び起こせるものだと信じている。人類のこの一大事に、私にはもうそなた以外、頼れる者はいないのだ。どうか、わかってくれ」

 はあ、とレイシャは溜息をついた。一国の王にこう懇願されてしまっては、断ることもできない。

「……最善を尽くしはしましょう。けれど、これは非常に分の悪い戦いであるということだけはお忘れなきよう」

「それでも構わない。《藍玉の賢者》よ、感謝する。どうか私たちの未来を魔族の王から守って欲しい」

 あれを、とモーリスは側に控えるウェインに合図をする。御意に、と一礼してウェインは一度続き部屋に下がると、皮袋を手に戻ってきた。

「レイシャ様、こちらをお持ちください」

「有難く頂戴いたします」

 レイシャはウェインから皮袋を受け取る。袋の口を縛る紐を解き、レイシャは中を確認する。袋の中には金貨がみっちりと詰められていた。

「レイシャ、私が今、そなたにしてやれることといえば、幾許かの路銀を用意してやることくらいだ。不甲斐なくて申し訳ない」

 滅相もございません、とレイシャは首を振る。これがあったところでモーリスから命じられた任務が無茶なものであることには変わりはないが、路銀の心配をしなくて済むのは素直にありがたい。

 こんこん、と謁見の間の扉が外から叩かれる音がした。ウェインは扉を少し開け、来訪者の正体を確かめると、

「陛下。彼らです。お通ししてよろしいでしょうか」

「ああ」

 モーリスが頷くと、入口の扉が大きく開かれる。こんなときに来客かと訝しみながら、彼らとは、とレイシャはモーリスへ問うた。

「教会から派遣された者たちだ。今回のそなたの任務に同行する」

「え……」

 レイシャは戸惑った。今回、魔王の討伐任務に赴くのは自分一人だとばかり思っていた。これは教会側の気遣いなのだろうが、勝手なことをしてくれたものだとレイシャは思う。ただでさえひどく不利な状況だというのに、ただの人間に過ぎない同行者に足を引っ張られたくはない。

 ウェインに先導されて謁見の間に入ってきた二人の人物を見、レイシャは緑色の双眸を大きく見開いた。

 入ってきたのは二十代半ばくらいの青年と十代半ばくらいの少女だった。

(この人、さっきの……!)

 柔らかそうな茶色の髪にまっすぐな紫色の双眸。ウィオーレ聖教会の紋章が入った白銀の軽鎧に身を包み、細身の剣を二本携えた彼は、先ほど教会の墓地で出会った青年だった。

(あれ……?)

 青年の傍らに立つ、杖を手にした金髪金眼の白い法衣の少女にレイシャは既視感を覚える。少女とは初対面のはずなのに、その面差しはレイシャの知っている誰かによく似ている気がした。

「教会騎士のヴェーゼ・ラグドールと申します。ウィオーレ聖教会王都大聖堂より派遣され、此度の魔王討伐の任に馳せ参じました。以後、お見知り置きを」

 にこりともせずに青年は名乗った。口調は丁寧なのにどことなく棘を感じる。先ほど墓地で会ったのとは別人かと思うほどに身にまとう雰囲気は冷たかった。

「ウィオーレ聖教会の当代の神子を務めているシスル・ユーリエです。よろしくお願いします」

「ユーリエって……」

 レイシャは目を瞬かせた。ユーリエというのはかつて仲間であった神官のセリスの家名だ。シスルは彼の子孫ということなのだろうか。

「シスル、あなたはもしかして、《黄玉の聖人》の……?」

 信じられない思いでレイシャがシスルにそう問いかけると、シスルははい、と頷いた。聖戦後に教会に戻り、大司教となったセリスが結婚して子をもうけていたのは知っていたが、実際に彼の子孫をこの目で見るとは何だか感慨深いものがある。

 ごほん、とヴェーゼが咳払いをした。

「何かは存じ上げませんが、そのように呆けるのは後にしていただけませんか。かの《藍玉の賢者》殿とはいえ、陛下の御前で失礼ではありませんか」

 慇懃なのにねちっこさを感じる物言いにレイシャはむっとした。しかし、ヴェーゼの言葉はもっともなものでもあるので、それを態度に出さないように気をつけながら、レイシャは頭を下げる。

「失礼いたしました。私はレイシャ・セ・リクア・ウィニングスと申します。この度の任務、ひどく厳しいものとなると思いますが、全力を尽くしましょう」

 レイシャが二人へ挨拶すると、ヴェーゼは値踏みするように彼女を見返してきた。先程の墓地での態度とは随分な違いである。レイシャは少しでも彼をイェルンと似ていると思ったことを後悔した。イェルンはこのような態度は絶対に取らない。

「全力を尽くすとは? 具体的にどうなさるおつもりで? 何か案がおありなのでしたらお聞かせいただけますか?」

「それは……」

 試すようなヴェーゼの物言いに、レイシャは口籠る。貧弱な装備に心許ないメンバー。これだけしか手札がない状態で今すぐどうしろというのだろうか。何も言い返さないまま、レイシャは高いところにあるヴェーゼの顔をきっときつく睨め上げる。

「歌物語や伝承というのはいつの時代も大袈裟に誇張されるもの。かの《藍玉の賢者》もこの程度ですか。残念です」

 リオーネの残した《英雄譚》が大袈裟に誇張されたものであるのはレイシャも同意見だが、何たる言種だろうか。あまりにもひどい。ちょっと、とレイシャが声を荒らげかけたとき、間に割って入ったのは意外な人物だった。

「ヴェーゼ、口を慎みなさい。あなたの言動はあまりにも目に余るわ。レイシャさん、ヴェーゼが失礼なことを言ってごめんなさい」

 シスルは毅然とした態度でヴェーゼを諌めると、彼に代わって詫びの言葉を口にした。教会の象徴でもある神子にはヴェーゼも逆らえないらしく、彼は口を噤んだ。

「それで、レイシャさん。これからどうしましょうか? こういうとき、物語なんかだと、まずは情報を集めたり、仲間を集めるのが定石ですけど」

「シスル。これは物語などではなく、現実なのですよ。そのようなものと此度の任務を一緒にしないでください」

 ヴェーゼはシスルへと苦言を呈する。ヴェーゼの言い分はもっともだが、シスルの意見にも一理ある。レイシャは二人の顔に順に視線をやると、

「いえ、情報も戦力も足りていないのは事実です。まずは城下に降りて、情報を集めるところから始めましょう。先遣隊が魔族領に偵察に行かれたとのことですけど、酒場などのように様々な人々が集まるところへ赴けば、思いがけない話が聞けるものです。

 それに、私たちも今のままでは戦力的に非常にバランスが悪いように思います。得物を見るに、ヴェーゼは近接戦闘、シスルは回復役でしょうから、必然的に中距離や遠距離からの支援役、皆を守る盾役が足りていません。情報収集と同時にそういったことを得手とする方を探さないといけませんね」

 まずはそういう方針でいかがでしょうか、とレイシャが二人に問うと、シスルは頷いた。まあいいでしょう、とヴェーゼも同意を示す。こちらをいちいち下に見るような態度が鼻について、いらいらする。

 このメンバーをまとめ上げて旅をするのはなかなかに骨が折れそうだ。自分がしっかりしないと、とレイシャは己を叱咤する。今回の任務は前途多難なものになりそうだと、暗澹たる思いに陥りながら、レイシャは深々と溜息をついた。


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