第五章:想いと決意④
魔王城から撤退し、オールヴを出たレイシャたちは街からさほど離れていないところでゆらゆらと揺れる焚き火を囲んでいた。暖かな火に当たっているはずなのに、レイシャの心は先ほどの魔王城での一件のせいで寒いまま和らいでいく様子はない。仲間たちの間には、旅を始めたころのような重い空気が満ちている。
暗闇に白い吐息が霧散する。季節はもう冬に近い。突き刺さるような冷たい空気よりも冷ややかに氷輪が彼らを見下ろしている。
「ねえ、レイシャはあの魔王とどういう関係なの?」
沈黙を破ったのはナリアだった。彼女は鋭さを帯びた水色の視線と共に単刀直入な問いをレイシャへと向けてきた。
「レイシャ、あの魔王を顔を合わせたとき、すごく動揺してたじゃん。あんな反応、普通じゃない。そしたら、レイシャとあの魔王の間に何かあるって考えるのか自然でしょ」
「おい、ナリア。やめろ」
ロイスが低い声でレイシャへと言葉をぶつける妹を制する。そうですよ、とシスルも顔を曇らせると、
「あのときのレイシャさん、様子が変でした。ナリアはこんなふうに言ってますけど、みんな、レイシャさんのことが心配なんです」
レイシャは口を閉ざしたまま俯く。視界では火影に照らされた自分の銀髪がゆらゆらと揺れている。
言えるはずもなかった。魔王ザグストがかつてのレイシャの恋人であった《紅玉の勇者》イェルン・アルニストの生まれ変わりであるなど、誰が信じてくれるというのだろう。
「魔王がこうして逃がしてくれたのも不思議な話ネ。魔王を倒すために城に入り込んだ奴らをわざわざこうやって見逃すメリットが奴にはないアルネ。なら、レイシャが実は裏で魔王と通じている可能性を考えるべきアルヨ。そうすれば、さっきのことも全部説明がつくネ」
「イーリン、流石にそんなはずはないでしょう。二百年前の戦いで一度は魔王を打ち倒したのは他でもないレイシャですよ」
「オネエサンはただ可能性を述べたまでネ。それに肝心のレイシャが何も話さない以上、そういう勘繰りをしてしまうのもそう不自然ではないアルヨ」
「……」
そう言われてヴェーゼは押し黙る。以前、野営の際に水汲みに行ったレイシャが川辺で魔王と言葉を交わしているのをヴェーゼは目にしていた。まさか、と思うと背筋が冷える。自分が見てしまったのは、彼女が魔王と通じている決定的な瞬間だったのではないかという可能性をヴェーゼは否定しきれなかった。
いたたまれない気分になって、レイシャは立ち上がった。何も話せない自分のせいだとはいえ、まるで針の上に座っているかのような心地だった。
「……みんな、ごめんなさい。今は、一人にして」
そう言うと、レイシャは暗がりへと向かって駆け出した。何も話せずにただこうして仲間たちの前から逃げ出すことしかできない自分が情けなくて、涙が溢れた。
どうにかしろと言わんばかりの藍色の目線をロイスから送られ、仕方なくヴェーゼも立ち上がった。どうしてレイシャの様子を見に行くのがヴェーゼの役目だと思われているのかは不可解だが、思い詰めたような彼女の様子が気になるのは事実である。二百年前の聖戦の英雄の一人として持て囃されるような立派な人物であるにもかかわらず、どこか繊細なところのある彼女は、もしかしたら今ごろ一人で泣いているかもしれない。彼女を放っておきたくはなかった。
「まったくあの人は……本当に世話が焼けますね」
先ほど、心の中で首をもたげていた疑念を蓋をして押し込むと、やれやれ、とヴェーゼはレイシャが向かった方角へと歩き出した。
◆◆◆
戦闘の影響で壁がひび割れた廊下をレイシャたちは走っていた。玉座の間はもうすぐそこだというのに、次から次へと魔王の近衛兵たちが襲いかかってきてキリがない。
前方では《白の堅盾》とヴィリア王国軍の制式装備である片手剣を構えたアラドと国王から下賜された《赤の聖剣》を手にしたイェルンが連携を取りながら戦っている。二人の攻撃をすり抜けた魔族を相手に、リオーネは動きやすいように深いスリットの入ったドレスの裾を翻しながら、《緑の風弦》を背負ったまま身軽に跳ね回り、翻弄している。
神官であるセリスは、仲間たちの状態に気を配りながら、大きなトパーズが嵌め込まれた《黄の神槌》を危なげなく操り、聖職者とは思えないほど容赦なく周囲の魔族を叩きのめしていく。狭い空間で、誤射の危険もあり、得意の弓を使えないアリアは武器を鉈へと持ち替え、銀の双眸に険しい光を宿しながら、呪文を詠唱するレイシャの周囲を警戒している。
こつり、と透き通ったアクアマリンが美しく主張する《青の魔杖》の先がひび割れた壁に触れる。この程度の強度であれば、魔法で壁を破壊し、この向こうの玉座の間へと突入できそうだった。
「終末の惑星の嘆きよ、生命を燃やし、煌めきを散らせ! エストレア・イラプション!」
礫のような星の欠片が戦闘で穴の間天井から降り注ぎ、壁の近くで爆発音を伴って弾けた。強度が落ちていた壁に開いた大穴からは悪趣味な装飾が施された玉座の間の風景が覗いている。
「レイシャ、でかした! そこから突入するぞ!」
レイシャの意図に気づいたアラドが仲間たちに玉座の間へ入るように促す。レイシャたちは背後からの攻撃を受けないように互いに背中を守りあいながら、壁に開いた穴から玉座の間へと飛び込んでいく。
「魔王ゼルーガ・イグル・ガヴィーニア!」
玉座で長い足を組んで座る長い鈍色の髪の男へと、肩で息をしながらイェルンは叫ぶ。その頬は倒した魔族の血で赤く汚れていた。
「……来たか」
冷たさを感じる整った顔に何の表情を浮かべることもなく、ゼルーガは淡々と言う。悠然とした仕草でゼルーガは立ち上がると、赤黒い刀身の大剣を何の気負いもなくすらりと抜き放った。
「陛下……!」
レイシャたちとゼルーガの間に割って入ろうとする魔族の近衛兵たちをゼルーガは手で制する。
「控えていろ。此奴らの相手など、この滅びの魔剣があれば、余一人で事足りる」
傲慢な冷笑をゼルーガは浮かべる。黒い大理石の床の上を一歩一歩、ゼルーガはレイシャたちのほうへと近づいてくる。
「その言葉、絶対に後悔させてやる……! お前を倒し、この戦いを終わらせるんだ! 俺たちが、この世界をお前たち魔族から解放する……!」
行こう、とイェルンが仲間たちを振り返る。その顔はどこか幼さの残る少年のものではなく、一人の大人の男のものだった。旅を始めたころに比べて、すっかり頼もしくなったイェルンへとレイシャは微笑むと頷き返す。
来るよ、とアリアが武器を《黒の鷹弓》に持ち替えながら、仲間たちへと鋭く注意を促した。やってやろうじゃない、とリオーネは口元を歪め、不敵な笑みを浮かべる。
「迎え討つぞ!」
アラドの号令が飛ぶ。応、とレイシャたちは返事をすると、武器を構え直す。
こうして、《翠玉の歌姫》が《英雄譚》の一幕として歌い、語り継いだ最後の戦いは始まった。




