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第一章:王命①

 ヴィリア王国の王都ウェイラに穏やかな秋の風が吹いていた。綺麗に舗装された石畳を馬車が行き交い、遠くには重厚感のある石造りの城が聳えている。

 自分の脇を小さな子どもたちがじゃれあいながら走り抜けていく様に、ダークグリーンの外套に身を包んだ娘は目を細めた。

(王都――久しぶりだわ)

 この街を最後に訪れたのは十二年前に行なわれた現王の即位の折だった。五代前の王が存命のころは、まだこの王都に知己も多く、訪れることも多かった。しかし、長い年月を経て、かつての戦友たちもその命を全うし、彼女――レイシャを一人残してこの世を去っていってしまった。

 レイシャは人間と比べて遥かに長い時を生きるエルフ族の出自だ。長く尖った特徴的な耳がその素性を物語っている。

 レイシャは五代前の王ローゼル・ヴェラ・ロヴァーグスの時代に、魔王討伐のために王命を受け、初めて王都へと足を踏み入れた。あのころは魔族の脅威に怯え、ずんと沈み込んでいたこの街も、今ではそのころの面影など嘘のようにどこにもなく、平和ながらにも活気のある大都市として成長を遂げていた。

(あれからもうすぐ二百年――早いものね)

 その年月はレイシャが最愛の人に出会い、失ってから過ぎ去ったのと同じだけの時間だった。エルフであるレイシャはまだまだ長い時間を生きていかなければならないというのに、年月は彼女の傷を癒すことはなく、風化させることもなかった。レイシャは彼を失ってからのこの二百年近い間、まだ一度もあんなにも切なく激しい感情に駆られる相手には巡り会えていない。

 レイシャは初風に揺れる胸元の小さな赤い石の欠片がいくつも散りばめられたネックレスを細く白い指先で愛おしげに撫でる。そのネックレスはかつての聖戦で砕け散ってしまった彼の武器にあしらわれていたルビーの欠片をかき集め、彼の形見代わりに彼女が作ったものだった。あんなにも愛し、すべての初めてを捧げた相手を思い出すためのよすががこれだけしか残されていないという事実がひどく切ない。

 かぶりを振って、レイシャはふいに胸に込み上げてきた感傷から強引に意識を切り離す。今はやるべきことがある。

 レイシャは現在のヴィリア国王であるモーリス・ヴェラ・ロヴァーグスによって、王城へと呼び出されていた。

 あの聖戦が終わってから、レイシャは生まれ育ったエルフの里へと戻り、ひっそりと暮らしてきた。時たま、所用で里を留守にすることはあったものの、多くの時間をあの聖戦で失ってしまった最愛の彼を想い、悼みながら過ごし続けていた。

 そんな日々を過ごしていたレイシャに、ある日、現在のヴィリア国王であるモーリスから手紙が届いた。彼女を呼び出す旨の文面を確認すると、レイシャは現王への謁見のため、早馬で王都を目指して急ぎの旅をしてきた。

 端的な内容の手紙にはレイシャを呼び出した理由は書かれてはいなかった。しかし、国王からの呼び出しともなれば無視することもできない。

(手紙には書けない――万が一にも他人の目に触れさせてはいけない内容……一体何なのかしらね)

 レイシャは何となく胸騒ぎを覚えながら、緑色の目で頭上の城を見やる。大した話ではないといいのだけれど、と思いながらレイシャは歩き出す。

 国王から呼び出されている時間まではまだ余裕がある。城へ行く前に、教会へ寄ろうとレイシャは思った。この王都の教会墓地にはかつての仲間たちが眠っている。

 前回、仲間たちの墓を訪れたのは現王の即位の際だった。エルフであるレイシャにとっては十年少々というのは大した年月ではないが、人間であった彼らにとってはそうではないだろう。レイシャは己の不義理を内心で恥じる。日々を里で過ごしていると、つい普通の人々の感覚を忘れてしまいがちになる。

 ふと、レイシャが横に緑色の目を向けると、花屋の店先でシオンの花が風に揺れているのが視界に映った。その優しい紫色が今は亡き彼の瞳の色に似ていて、レイシャは切なくなる。

 せめて花でも買っていこう、と外套のポケットから財布を取り出すと、レイシャは花屋へと足を踏み入れた。


 しんと静まり返った墓地にコツコツと靴音が響く。教会という場所柄もあってか、街の喧騒から切り離された静けさは、普段は俗世から離れて暮らすレイシャには心地よい。

 レイシャは五つ並んだかつての仲間たちの墓へと近づいていく。先ほど、街中の花屋で買ってきた白い百合の花束をレイシャは彼らの墓前へ供えていった。

 最後に五つのうち一番大きな墓石の前で膝を折る。この墓はレイシャの初恋にして最愛の人で、あの聖戦の最後に命を落とした《紅玉の勇者》イェルン・アルニストのものである。レイシャは彼の墓前には他の四人とは異なる柔らかな薄紫色の花――シオンの花束を置く。レイシャは『君を忘れない』というシオンの花言葉を思いながら、墓へ手向けるのにわざわざこんな花を選んでしまう、彼への想いにこうしてずっと囚われたままの自分にレイシャはほろ苦いものを覚える。けれど、きっと自分はこの先もずっとこのまま彼のことを想い続け、引きずり続けるのだろうとも予感していた。

 レイシャは彼へと祈りを捧げると、立ち上がる。なんとはなしに墓地の奥に視線を向けると、あの聖戦の勇者たちを讃える記念碑の前で白い上着に身を包んだ一人の青年が祈りを捧げているのが見えた。熱心な歴史学者がたまに訪れることはあるらしいと聞くが、鍛えている人間のものと思われるその体つきは学者には程遠い。珍しいな、と思いながらレイシャは彼へと近づいていく。

「こんなところにお参りですか。珍しいですね」

 レイシャが背後から声をかけると、彼女の存在に気づいていたらしい青年はゆっくりと顔を上げると、振り返った。彼の紫色の双眸と目が合ったレイシャは思わずどきりとした。色もさることながら、使命感を帯びたまっすぐな眼差しが彼に似ている。

 ああ、と青年は整った顔に淡い笑みを浮かべると、

「私はここの騎士――教会騎士なんです。教会騎士で彼らに憧れない者などいませんし、何よりこの後、大きな任務が控えていて……なので、その前にここで祈りを捧げておきたいと思ったんです」

 大きな任務を控えた騎士はここで祈りを捧げるとかつての勇者たちの加護で無事に帰ってこられるっていう騎士たちの間で有名なジンクスがあるんですよ、と教会騎士の青年は付け加えた。

 レイシャが彼の手元を見ると、先ほど彼女が仲間たちの墓前に供えたものとよく似た白百合の花束が握られていた。そちらは、とレイシャが問うと、

「同じ教会騎士だった兄が任務で死んだんです」

 青年の紫の瞳が寂しげに翳る。聞いてはいけないことを聞いてしまった、とレイシャは己の無神経さを後悔した。

「それは……いきなり、立ち入ったことを聞いてしまって申し訳ありません」

 いえ、と青年は首を横に振ると、

「教会騎士は皆、神のために命を捧げることを誓った身ですから。こうして己の任務に殉じ、最後まで職務を全うした兄のことを私は誇りに思っています」

「そう、ですか……」

 教会騎士というのは高潔ではあるけれど、少し寂しく悲しい生き方だとレイシャは思った。それでもその生き様を誇りに思うと言える目の前の青年は強いと彼女は思う。とはいえ、と青年は自嘲めいた苦笑を浮かべると、

「覚悟していることとはいえ、誰かがいなくなるというのは辛いものです。だから、せめて花でも手向けようと思って」

 柄でもないですけどね、と青年は記念碑の前から立ち上がる。それでは失礼、と言うと彼は白い花束を手に立ち去っていった。

 柔らかそうな茶色い髪の彼の後ろ姿と、彼が持っていた花の甘い残り香を見送ると、レイシャは目の前の記念碑へと向き直る。記念碑に刻まれたかつての仲間たちの名前と生没年を見つめると、レイシャは目を閉じ、改めて彼らへと祈りを捧げた。



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