第四章:遠い記憶②
レイシャたちはヴィリア王国の国境を越え、魔族の治める領内を進んでいた。色なき風が吹き抜けるグヴィル平原は草木もまばらで荒れ果てていた。時折、痩せ細った肉食の獣たちが値踏みするような目でレイシャたちを睨んでいる。
道の先に武装した集団の姿が見えた。数こそはさして多くはないが、その姿形から魔族の哨戒兵であると思われた。
遮蔽物がどこにもない以上、レイシャたちが魔族たちを視認しているということは、また逆も然りである。戦闘は免れそうにはなかった。
「迎え討つしかなさそうですね」
レイシャの横を歩いていたヴェーゼが双剣の柄に手をかけながらそう呟く。
「見たところ大したことのない有象無象ネ。あんなのオネエサンに掛かれば物の数にも入らないネ!」
「なら、さっさと片付けちゃおう」
外套のフードの奥でにやりとイーリンが口元を歪め、ナリアが勝気な笑みを浮かべる。
「ああ、望むところだな」
「私もしっかりサポートしますね!」
ロイスとシスルも力強く頷く。レイシャは仲間たちの顔を見回すと、
「それじゃあ、いつも通りの陣形でいくわよ。皆、準備はいいかしら?」
そう問うと、仲間たちは一斉に得物を抜いた。
ヴェーゼは双剣を手に、レイシャは愛用の杖を構えて走り出す。その後ろを中衛として遊撃を担うイーリンとナリアが追いかけてくる。ロイスとシスルも少しでも全体の戦況を把握しやすい場所を求めて動き出す。
「氷狼の遠吠えよ、厳寒の冬を呼ぶ旋律となれ! フィンブル・スノー!」
レイシャが魔法を発動させると、季節外れの雪が魔族たちへと降り注ぐ。その容赦のない冷たさは、魔族たちの動きを鈍らせていく。
ヴェーゼの足が地面を蹴り、両手の剣で魔族たちを薙ぐ。ヴェーゼの剣が捉えきれなかった魔族を牽制するように銃剣が取り付けられたイーリンの小銃から銃弾が飛ぶ。その軌道をすり抜けるようにして、身軽なナリアがナイフを閃かせ、果敢に魔族へと飛びかかっていく。
「闇を切り裂く一条の光、煌めく刃となり、彼の者を貫け」
呪文を唱えるレイシャへと魔族の放った矢が向かってくる。しかし、後方から発された銃弾によって、それは地面へと落とされる。
「レディアント・ストライク!」
魔族たちへと向かって一直線に魔法の光が走っていく。一人の魔族がレイシャたちの攻撃を掻い潜って後方へと駆け出した。陣形を破られ、あっとナリアが焦りで声を上げた。
「あっちにはお兄ちゃんとシスルが……!」
すかさずナリアが身を翻し、魔族を追おうとする。しかし、イーリンはナリアの腕を掴むと、
「陣形を崩すんじゃないネ。これ以上魔族を後ろに通せば、あいつらがどんどん危険になるアルヨ」
「だけど……!」
「大丈夫ですよ、ナリア。シスルはあれで意外と強いです。シスルに戦い方を仕込んだ私が言うんですから、間違いないですよ。シスルだけでも少しの間くらいはロイスを守りながら持ちこたえることはできます」
振り下ろされた魔族の槍の穂先を剣で跳ね上げながら、ヴェーゼはそう言った。わかった、とナリアは頷くと、地面を蹴って飛び上がり、ヴェーゼが討ち漏らした魔族へと向かってナイフを走らせる。
「永久を紡ぐ霊薬の滴、穢れを清めし激流となれ」
レイシャたちの背後ではシスルが杖で魔族の剣を受け止めている。シスルは魔族の刃を弾き返すと、杖を振り上げ、魔族の腹を思い切りよく打ち据える。魔族がよろけた隙を狙い、ロイスが銃床をこめかみへと叩き込み、魔族を昏倒させた。
「アクエリアス・シュトローム!」
激しく渦を巻く水の奔流が魔族たちを襲う。巻き込まれないようにヴェーゼは咄嗟に飛び退ってそれを避ける。
水が武装した魔族たちを押し流していく。渦巻く水の流れが魔力の残滓のきらめきを残して姿を消すと、水圧に耐えきれなかった魔族たちが意識を失ってばらばらと倒れていた。
「皆さん、怪我はないですか!」
杖を手にシスルがぱたぱたとレイシャたちのほうへと駆けてくる。
「大丈夫よ。シスルもロイスも無事みたいね」
シスルの後を追ってきたロイスはああ、と頷くと、夜の色に翳り始めた空を見上げ、
「じきに夜になる。早くここを離れたほうがいい。こんな開けたところにいたらまた魔族どもに見つかるかもしれないし、獣に襲われる可能性もある」
「そうですね。早く、少しでも安全に休める場所に移動したほうがいい」
ヴェーゼは双剣を鞘に納めながら、ロイスの言葉に同意する。それなら、とイーリンが外套の内ポケットから皺の寄った地図を取り出した。彼女は指先で現在地を示してみせると、
「少し道は逸れるケド、ここから少し北の山の麓まで行くのはどうネ? 山から獣が降りてくるかもしれないから、交代で休むことにはなるだろうケド、こんなところにいるよりはずっといいアルヨ」
そうね、とレイシャはイーリンの言葉に同意を示す。
「北へ向かいましょう。イーリンの言っているこの場所なら、森や川も近いから野営するには良さそうだわ」
レイシャたちは遠くに聳える山の方角へと歩き出す。黒々とした山の稜線が茜色に燃える空と大地を隔てていた。
レイシャたちが山の麓に辿り着いたときには、辺りはすっかり暗くなり、空にはぽつぽつと星が図形を描き始めていた。
「獣が寄ってきたら厄介だな。さっさと火を起こしちまったほうがいい」
「じゃあ、お兄ちゃん。あたし、シスルと薪拾ってくるね」
ナリアは荷物を置くと兄の返事も待たずに、行こ、とシスルを伴って森の中へと入っていった。行っちゃったネ、とイーリンは肩を竦める。
「仕方ない、俺とイーリンで食糧を調達しに行くか」
「ええー、オネエサン疲れたアルヨー! オネエサンはここで留守番がいいネ!」
嫌そうにイーリンはごねる。仕方ないですね、とヴェーゼは苦笑すると、
「それなら、イーリンはここで休んでいてください。ロイス、食糧調達は私と行きましょう。レイシャは水を汲みにいってもらってもいいですか?」
「ええ、わかったわ」
レイシャは荷物の袋の口を縛っていた紐を解くと、木桶を取り出す。彼女は木桶を持つと、長い銀髪を星明かりにきらめかせながら歩き出した。




