第二章:再出発の夜⑥
「オネエサンは魔族の忌み子ネ。魔族なのにほとんど魔力を持たない出来損ないである証のこの髪と目の色彩を疎まれて、十一のときに魔族としての象徴を奪われ、住んでいた村を放逐されたネ。
オネエサンは魔族が憎い……強さのみを是とし、弱い同胞に手を差し伸べようともしない魔王が憎いアルヨ。だから、オネエサンはいつかオネエサンのことをこんなふうにした奴らに復讐してやろうと思いながら生きてきたネ。レイシャたちの旅は、オネエサンの悲願を果たすのに絶好の機会だと思ったアルネ。
オネエサンもロイスたちみたいに最初は傭兵の真似事をしていたんだケド、戦場を渡り歩いているうちに武器商人のほうが儲かることに気づいたアルヨ。それからは傭兵から武器商人に転向して今に至るネ」
武器商人、とレイシャは柳眉を顰める。イーリンは確か、初対面のときに自分のことを重戦士だと言っていなかっただろうか。
「武器商人? 重戦士ではなく?」
「武器商人はその装備の多彩さから重戦士と呼ばれることもアルネ。ただ、この場合の重戦士というのは、一般的な盾役という意味ではなく、重装備戦士の略ネ」
なるほど、とレイシャは納得し、自分が彼女のことを誤解していたのを理解した。先ほどのルテルナでの戦闘の際にヴェーゼがイーリンに関して何か言いかけていたが、こういうことだったのだろう。そして、彼女がそういった意味の重戦士であったなら、出会ったときにロイスが彼女とは仕事上の関わりがあったといっていた意味もわかる。彼女のような人種は得てして、傭兵を生業とする荒くれ者たちが多くいる戦場に現れては敵味方関係なく武器を売り捌き、荒稼ぎしていくのが常であるからである。
「オネエサンは経験上、どんな武器でもある程度扱えるケド、動きが早いわけでもなければ、力が強いわけでもないし、防御に優れているわけでもないネ。オールラウンダーといえば聞こえはいいケド、要はただの器用貧乏ネ。
そんなわけで、オネエサンの得物はこれ――銃剣アルネ」
イーリンはもぞもぞと外套を着込み直しながら手元に置いた武器を示し、口元ににっとした笑みを浮かべた。ヴェーゼは顎に手を当て、思案げな顔をすると、
「銃剣ということはイーリンは中衛がいいでしょうね。その武器はリーチが長いですから」
そうだな、とロイスも頷いている。それならとレイシャも今後の戦い方について、自分の考えを口に出す。
「ロイスはこのまま後衛でいいとして……シスルは多少は自分で戦えるって言ってたわね? シスルをロイスと私のフォローにつけるのはどうかしら?」
「わたし……ですか?」
名前を出されたシスルは不思議そうな顔をしている。ヴェーゼも不可解そうな顔をしながら、
「つまり、ナリアを中衛に出して、代わりにシスルにロイスを守らせるということですよね。前衛と中衛でなるべく対処するようにすれば、シスルでもロイスを守ることはできるかもしれませんが……レイシャのフォローをさせるというのはどういうことですか?」
「シスルにいくつか魔法を教えようと思っています。シスルは当代の神子であるだけのことはあって、エルフである私と比べても魔力の量が段違いです。私ではあまり乱発できない強力な防御魔法を覚えてもらうことで、シスルには回復役と同時に実質的な盾役を担ってもらおうと思っています」
「シスルってそんなにすごいの?」
ナリアが疑問を口にする。ええ、とヴェーゼは頷くと、
「シスルは教会史上でも一、ニを争うほどの魔力の持ち主です。神子としては過去最強なのではないかと言われているんです」
すごーい、とナリアははしゃいだ声を上げて、シスルの両手を握ってぶんぶんと上下させる。シスルはきょとんとしていた。
「それで、レイシャはどうするアルネ?」
「私は前衛に回るわ」
「だが、それではヴェーゼの負担が大きくならないか?」
ロイスが口にした懸念に、大丈夫とレイシャは微笑む。
「私は盾役ほどじゃないとはいえ、魔法で自分の身を守ることくらいは容易いし、ヴェーゼに守ってもらう必要はないわ。
それに間髪空けずに魔法を放っていく私の戦闘スタイルを考えたら私は前にいたほうがいいわ。魔法を使う度に皆に射線を空けてもらっていたんじゃ効率が悪いもの」
「それは一理あるアルネ」
昼間の戦闘で次々と魔法を放っていたレイシャのことを思い返し、確かに、と仲間たちは頷き合った。あのペースで魔法を使うのであれば、レイシャは前にいた方が、いちいち魔法の軌道に巻き込まれる心配はせずに済む。
「今後の戦い方はそれでいいとしてさ、ルテルナのことはどうするの? 人質を取られてるのはわかってるけど、まさか見殺しにしたりなんてしないよね?」
ナリアの水色の瞳がじっとレイシャを見つめる。
「下手に乗り込んだりしたら、ルテルナの人たちの身に危険が及ぶことくらいわかってる。だけど、このまま指を咥えて見ていたところで結果は同じだよ。
あいつら魔族の目的は人類の排除。このままじゃ、ルテルナの人たちは遅かれ早かれ殺されちゃう……! ルテルナがあたしたちの村みたいに……ハイネスみたいになるのは見たくないよ……!」
「わかっているわ。でも……」
ルテルナの人々をいたずらに危険に晒したくはない。けれど、いつまで魔族たちがルテルナの人々に手出しせずにいてくれるかなどわかったものではない。早急に現状を打開する必要があった。
「俺たちが仕掛けたと分かれば、魔族どもは容赦なく村の連中に手を出すだろう。俺たちへの見せしめとして、な」
黙って話を聞いていたロイスが口を開いた。そうでしょうね、とヴェーゼは彼の言葉に同意を示すと、両腕を組み、
「ならば、こういうのはどうでしょう? 私たちが原因と悟られないように騒ぎを起こして魔族たちの気を引くんです。その騒ぎに乗じて、村に乗り込み、魔族からルテルナを解放しましょう」
「でも、ヴェーゼ。騒ぎを起こすってどうやって?」
シスルが金色の瞳でヴェーゼを見上げ、首を傾げる。すると、イーリンがにっと笑みを浮かべ、
「それなら、オネエサンにいい案があるネ。村に隣接するあの森に火をつけるアルネ」
イーリンに言葉にレイシャは銀色の形の良い眉を顰めた。
「森に火を……? そんな非道な……」
エルフとしてこれまでの生涯の大半を里のある森の中で生きてきたレイシャとしては、賛同しかねる話だった。人間よりもより自然に近い場所で生きてきた自分の手で、自然の営みを自分の手で破壊するなどできるわけがなかった。
「レイシャ。エルフにとって、そのような真似が許し難い行為であるのは私とて知らないわけでもありません。
それでも、イーリンの策に効果が期待できることは事実です。今は冬も近く、空気が乾燥していますから、森で火事が起きたところで、自然発生によるものか、人為的なものなのかなどまずわからないでしょう。
その潔癖さはあなたの美点ではありますが、時には何かを切り捨てないと、あなたが守りたいものは何一つ守れませんよ」
ヴェーゼの紫の双眸がじっとレイシャを見る。その目はこれまでのように彼女を侮り値踏みする類のものではなく、ただただ真摯に彼女を見つめていた。
「……わかったわ」
罪悪感を覚えながらも、レイシャは首を縦に振った。
「だけど、森なんて燃やしたら、ルテルナにも被害が出ない?」
そうナリアは疑問を口にする。すると、シスルが、
「それなら大丈夫だと思います。わたし、前に本で読んだことがあるんです。燃えるものがなくなってしまえば、火事は止まるって。なので、村の近くの気を全部切って燃えるものをなくしてしまえば、それ以上燃え広がることはないはずです」
それならいいものがアルネ、とイーリンは荷物を探り、巨大なノコギリのようなものを取り出した。
「……何だ、その珍妙な道具は」
怪訝そうにロイスが問うと、失礼ネ、とイーリンは憤慨し、
「これは魔導ノコギリいうネ。名前の通り、魔力で動くノコギリなんだケド、オネエサンの微弱な魔力でも扱えるスグレモノだネ。これからやろうとしていることにはうってつけアルヨ」
なるほど、とレイシャはイーリンが腕に抱えたノコギリを見て感心すると、仲間たちへと指示を出し始める。
「それじゃあ、イーリンとナリアは森の木を切って火をつける準備を。ヴェーゼとロイスは周辺の警戒をしておいて。夜明け前に仕掛けるわ。シスルは私と一緒にいて。作戦開始までの間に、先ほど言ったように魔法を教えるわ」
即席の作戦に不安は拭えなかったが、今はこうするほかない。どれだけこの作戦が上手くいくかはわからなかったが、それでもやるしかなかった。
レイシャは仲間たちの顔を見回した。そして、それぞれ頷きあうと、仲間たちは作戦の準備をするべく散開していった。
ほのかな光を地上へと降らせながら、雲の中へと姿を隠していく月に胸騒ぎを覚えながらもレイシャは大丈夫、と自分に言い聞かせる。もう一人で頑張ろうとする必要はない。きっと何とかなると思い直し、レイシャは金髪の白い法衣姿の少女の小柄な背中を追いかけた。
東の地平線がうっすらと朱色に染まり始めた。藍色の空を巡る月は西へと傾き、夜明けが近づいていた。高台から近隣の様子を探っていたロイスはレイシャの元へと戻ってくると、
「ナリアとイーリンが動いた。森に少しずつ火が広がっている」
「……そう。わかったわ、二人が戻って来たら次の動きに備えて準備をしましょう。それまで、ロイスはルテルナに動きがないか見張っておいて」
「わかった」
そう言うと、ロイスは愛用のライフルを手に引き返していく。
程なくして、イーリンとナリアが森から戻ってきた。手で合図を送ると、辺りを警戒していたヴェーゼとロイスもレイシャの元へと集まってきた。
「この後、ルテルナへ突入するわ。門は見張られているでしょうから、警備が手薄なところから侵入するわよ。ナリア、先行して、どこかに侵入用の縄を仕掛けてこられるかしら?」
「それくらいなら余裕だよ。任せて」
ナリアは自信ありげに頷く。レイシャはロイスに視線を移すと、
「ロイス。ルテルナのほうはどう? 動きはあった?」
「魔族どもが森の火事に気付き始めたようだ。村の中が少しばたついているように見える」
頃合いですね、とヴェーゼはルテルナの方角へと向けた目を細める。そして、彼はレイシャへと向き直ると、
「レイシャ。号令を」
「え……私?」
レイシャは緑の双眸を瞬かせた。そうアルネ、とイーリンはヴェーゼに同調するようににやにやとしながら、
「リーダーはレイシャ、アンタだネ。ここは一発、皆の気合が入るような景気のいいやつをお願いしたいアルヨ」
「私が、リーダー……」
驚いたようにレイシャは呟く。周りを見回すと、誰一人としてイーリンの言葉を否定することはなく、皆一様に頷いている。今まではかつての聖戦に参加した自分が皆を引っ張らないとと気を張っていたが、こうして改めて皆から自分のことを認めてもらえたのだと思うと、なんだかじわじわと目の奥が熱くなる。レイシャはさっと手の甲で目元を押さえると、皆の前へと手を差し出した。レイシャの手の上へと、ばらばらと五本の手が重なっていく。その重みと温かさをレイシャは心強く思った。
良かったですね、とヴェーゼが口を動かしたのが目に入った。ええ、とレイシャは声に出さずに返事をすると、腹に力を込める。
「この世界を救うため、まずはルテルナを魔族から解放するわよ! 皆、力を貸してちょうだい!」




