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日替わり彼氏

作者: 村崎羯諦

「えーと……それじゃあ、日替わり彼氏をお願いします」

「あいよ!!」


 居酒屋の店内に、店員の威勢のいい声が響き渡る。私は店員の頼もしい背中を見送った後で、手書きのメニュー表に書かれた今日の日替わり彼氏の内容をもう一度確認する。年齢は30代後半で、都内では親の跡を継いで歯科医院を経営している。アウトドア系の人間で、休日にはよく大学時代から付き合いのある独身仲間とテニスをしたりするらしい。顔写真に映った笑顔には育ちの良さを感じさせるような品があり、その一方で、笑顔で細くなった目にはどこかミステリアスさを感じる。


「ごめん、待ちました?」


 顔を上げると、そこには私が注文した日替わり彼氏が立っていた。待ってないよと私が答えると、日替わり彼氏は良かったと品よく微笑み、そのまま向かいの席に座る。


 そして日替わり彼氏は、私との会話を続けながら、アクリルの伝票立てにそっと伝票を入れる。ガサツな日替わり彼氏であれば、雰囲気や設定なんてお構いなしで、間の悪いタイミングで伝票を渡してくることが多い。だからこそ、今日の日替わり彼氏のそんな細かい気配りに、私は思わずキュンとしてしまう。


 それから私たちはサービスのコーヒーを嗜みながら、楽しいひとときを過ごした。十分に会話を楽しんだ後、私は伝票を手に取り、立ち上がる。


「お客様のお帰りでーす!」


 レジで会計を済まし、店を出る。出口で一度だけ振り返ると、私の席にはまだ日替わり彼氏が座っていて、にこりと微笑みながら手を振ってくれるのだった。






*****






「悩むけど……やっぱり、日替わり彼氏でお願いします」

「あいよ!!」


 店員の威勢のいい声と同時に厨房が騒がしくなる。今日の日替わり彼氏は何でも新メニューらしい。プロフィールを見てみると、年は私よりも下。顔写真では人懐っこい笑顔を浮かべていて、口元には特徴的な八重歯がのぞいている。そして何より、一番目を引いたのは、職業欄に記載されている『マジシャン』という言葉。昔から一芸に秀でた男性が好きだった私は、会う前から期待で胸を膨らんでしまう。


「おっ待ったせ!」


 しばらくするとメニューに載っていた日替わり彼氏がやってきて、元気よく向かいの席に腰掛けた。犬のように無邪気な笑顔を振り撒きながら、会えるの楽しみだったよとこちらが喜ぶような言葉をさらっと言ってくれる。今までこのようなタイプはあまり好きではなかったけれど、彼のその人懐っこい魅力に一瞬で引き込まれてしまった。それから日替わり彼氏は挨拶がわりとに、マジックを見せてあげると言ってくる。日替わり彼氏は胸ポケットからコインを取り出し、私にそのコインを握らせた。それから日替わり彼氏は、私の握った手を両手で包み、囁くような声で私に語りかける。


「目を瞑って、集中して……」


 見た目からは想像もできない色気のある声にドキッとしながら、私は意識を集中させる。それから日替わり彼氏は私の手を離し、パチンと指を鳴らす。開いてみて。言われた通り私が手を開くとさっきまで確かに握りしめていたはずのコインが消えて無くなっていた。驚く私に日替わり彼氏はにこりと微笑みかけ、それからゆっくりと私に、スボンの右ポケットを探すようにとジェスチャーで伝えてくる。


 私はドキドキしながら右ポケットに手を入れ、何もないはずのポケットにいつの間にか入れられていた何かを取り出し、目の前に掲げる。いつの間にか私の右ポケットに入れられていたのそれは、私が注文した日替わり彼氏の伝票だった。


「お客様のお帰りでーす!」


 私はレジで会計を済まし、店を出る。振り返ると、私の席にはまだ日替わり彼氏が座っていて、無邪気な笑顔のまま、私にウインクをしてくれるのだった。






*****






「今日もやっぱり、日替わり彼氏を────────」

「全員その場から動くな!!」


 突然お店の中に響き渡る怒声。私が声のする方へ振り返ると、店の入り口には覆面を被った三人が立っていた。店内に叫び声が響き渡る。先頭で入ってきた男に握られている拳銃をみて、私は恐怖のあまり息を呑んでしまう。覆面男たちは店内にいた客と店員たちに一箇所に集まるんだ! と荒々しく命令してくる。覆面男の一人が厨房に入っていき、中にいた人たちを引っ張り出してくる。そのタイミングで、お店の中に置かれていたラジオから、ニュースを読み上げる音声が流れてきた。


『先ほど〇〇銀行にて、強盗が行われた模様です。犯人は現在も捕まっておらず、逃走を続けています。警視庁は近辺の住民に注意喚起を行うとともに────────』


 覆面男の一人がラジオのスイッチを切り、店内が静寂で包まれる。それから、奥で隠れていた店員たち、日替わり彼氏たちが厨房から引き摺り出されてくる。日替わり彼氏の中には、私が以前注文したことのある、優男系歯科医師とやんちゃ系マジシャンもいた。これで全員だろうなと覆面男の一人が店員を尋ね、それから厨房に入っていく。するとすぐに厨房の奥から「クソっ!」という罵り声が聞こえてくる。


「裏口のドアが開きっぱなしになってた! おそらく誰か一人が外へ逃げて、警察に通報しに行ってる!」


 その言葉に、入口を見張っていた一人が明らかな動揺を見せた。しかし、拳銃を持ったリーダ格と見られる男は落ち着いていて、淡々とした口調で二人に語りかける。


「すでに警察へは連絡が入ってるな。だとすれば、俺たちがここにいることもすぐにバレるだろうし、ここで立て篭もるというのもあんまり得策とは言えない。だから、ここは人質を一人連れていって、警察に逃走用の車を用意するように交渉を行うしかない」


 男の言葉に二人が意味深に頷く。そして、拳銃を持った男が、人質を探すために、私たちの方へと視線を向ける。一瞬、私は覆面男と目があってしまい、やばいと思って慌てて視線を逸らした。しかし、逆にその反応が目立ってしまったのか、覆面男がそこにいる女! と私を呼び、前に出てくるように命じてきた。


 私は恐怖で身体が動かなかった。助けを求めて私は左右を見渡す。だけどもちろん、誰も私と視線を合わせてくれない。歯科医師の日替わり彼氏と、マジシャンの日替わり彼氏は一瞬だけ私と目があったけれど、恐怖で青ざめた表情でさっと目を逸らし、俯いてしまうだけだった。


「もたもたするな! 早くこっちに来い!!」


 心臓の鼓動は今まで経験したことないくらいに激しく脈打ち、背中からは気持ちの悪い汗が噴き出してきている。それでも、彼らの言う通りにしないと何をされるかわからない。今にも泣き出しそうになるのを堪え、立ちあがろうとしたその時だった。


「待ってください。僕が彼女の代わりに人質になります」


 私のすぐ右にいた男性がゆっくりと手をあげ、落ち着いた声でそう言った。私は彼の方をみる。彼は私の隣に座っていた客で、同年代くらいの若い男性だった。彼は私を一瞥した後で立ち上がり、自分から覆面男の方へと歩いて行った。覆面男は彼を舐め回すように観察した後で、私の方をみる。恐怖で足がすくんだ私を見て、人質としては逆に使えないと判断したのか、気に食わないなという表情を浮かべながらも、彼が人質になることを了承してくれた。


「これから外に出て、警察と交渉を行う。お前は大人しく俺たちについてくるんだ」

「……わかりました。でも、大丈夫ですか? 靴紐が解けてますよ」

「あ?」


 彼の言葉を聞き、覆面男が自分の足元を見る。その瞬間だった。目にも留まらぬ速度で覆面男の顔面にアッパーをお見舞いし、そのまま銃を握りしめた右手を掴んで、捻り上げる。想定外の行動に、右手から銃が床に落ち、カランと音を立てた。彼はすぐさま自分の左足で、覆面男とは逆の方向へ拳銃を蹴り飛ばす。周りにいた残り二人の覆面男たちがワンテンポ遅れて彼に襲いかかる。しかし、拳銃を持たない相手であれば怖くない。近くにいたこの店の男性店員、歯科医師、マジシャンが加勢に入った。数で勝るこちらはあっという間に三人を取り押さえる。一分もかからない間の出来事だった。


 覆面男を縛り上げ、店の人たちが警察に連絡を入れるために厨房へ戻っていく。店の中がまだ興奮で冷めやらない中、私は慌てて立ち上がり、自分を助けれくれた男性の元へ駆け寄った。心臓は相変わらず激しく脈打っていた。しかし、それが先ほどの恐怖のせいなのか、それともトキメキによるものなのか、私には区別がつかなかった。


「ありがとうございます……! 助けていただいて!」

「いえ、当然のことをしたまでですよ」

「……お礼をしたいので、連絡先を教えてくれませんか?」


 彼は私の方を見て、少しだけ照れた表情で頭をかく。それから胸ポケットから一枚の紙を取り出し、そこにペンで何かを書きつける。そして、ペンをしまい、その紙を私に手渡す。しかし、受け取った紙の裏は白紙のままで、電話番号もLINEのIDも何も書かれていない。疑問に思いながら、私はその紙をひっくり返す。彼からもらった紙の表に書かれていたのは、日替わり彼氏の注文伝票だった。


「お客様のお帰りでーす!」


 店員の声が響き、私はレジへと案内される。振り返って店内の様子を確認すると、さっきまで縛られていた覆面男たちは解放され、店内の片付けを行っていた。エキストラ役の客は席に座り、先ほどの出来事なんてまるでなかったかのように、談笑を始めていた。


 私はレジで、いつもよりもちょっと割高な代金を支払う。そして、私のヒーロー、いや日替わり彼氏に小さく手を振った。


 絶対にまた来よう。店の扉を開きながら、私は心の中でそう呟くのだった。

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