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「このヒロイン実は私の母上様なんです」

作者: 瑞雲

日頃の出来事で、物忘れ、探し物・・反省ばかりです。そんな中で、気になるのは・・暗号。非通知設定の無言の電話多数。何の意味があるのか。不思議でなりません。暗号で仕事が出来るのか不思議でなりません。若くして亡くなった母上様に愚痴を零し、手紙を書きます。いつ迄も母上様を越えることが出来ません。日頃を書く事で世の中、良くなればいいと思うのです。


 母上様は若くて綺麗なまま・・満48歳享年49歳で天国に召されました。あれから50数年、途轍もない時が経ちました。私藍子は後期高齢者と云う事になりました。足腰が痛いとか、目が霞む白内障とか、体に支障を抱えながら・・お祖母さんと云う名を頂きました。只・・世の中の事で理不尽な事に出会うと、母上様に会いたくなります。愚痴を零したくなります。手紙を書きたくなります。随分年を取って居るのに、若くて可愛い母上様に愚痴を零すのは、可笑しいですね。母上様を越えられない私なんです。

 ○月□日

小春日和の穏やかな日が続いています。母上様、その後如何お過ごしでしょうか。こちら相変わらず忙しくして居ます。てんてこ舞いです。それと云うのも・・夫夏彦は家の用事が何も出来なくなったからです。手を動かそうと思えば動くのに、それが大変なんでしょう。左手は110度に曲げて、左腹の処が定位置です。右手は杖をついて家の中を歩きます。口だけはベラベラ動きます。喋る事に気持ちを入れるから、手が動かないのだろうか。体が思う様に動かないから、口で勝とうとするのであろうか。私も怒りたくなる事がありますよ。偉そうに・・何もかも私がして居るのにと思ってしまいます。一週間前の事・・夕飯の支度の最中でした。味付けに気を使う、ブリ大根の煮つけを火にかけた処でした。「テレビのチャンネルが動かない」と、夫夏彦がいうのです。[えぇっ!何処を如何したんですか?あっ・・チャンネル二つ出してる。ケーブルテレビのチャンネル操作一つで出来るようにして貰って居るのに!奥に隠してるテレビのチャンネルを無理に出さなくても・・。操作がやこしくなるから使わない事にしてるんよ。何処から出したん?」「えぇ~と貸して見んさい!・・」何とかしている内にテレビが映り出して、一安心。ヤレヤレ「でも~ブリ大根・・ちょっと焦げた匂い。ちょっと焦げているけど・・ちょっとだから食べてよね」「は~い」と小さな返事・・夏彦は怒られると気にするタイプなんです。次は米を計って笊に入れて・・研いで、水気を切って・・。「あれ!・・計量カップが無い・・。水加減は大事な処です。可笑しい。今・今・米を計るのに使ったのに・・。予備のカップも慌てていると見つからない。ちゃんと定位置にあったのに。困った事があるものです。なんとか代用のカップを探して、ご飯は炊きあがり・・予定より30分遅れで夕餉は始まりました。しかし・・計量カップ何処に置いたのかな?とんでもない処から出て来るのかな?と気になるものです。冷蔵庫とか冷凍庫迄も探したけど見つからなかった。夫夏彦の母上様のお怒りかも知れない。夫にも母上様がある。夏彦が小学生の時亡くなられたのです。我が母と同じ様に・・天国でハラハラしながら、見守って居て下さるのでしょう。脳梗塞をしている夏彦を怒って、ごめんなさい。すみませんでした。その後10日位して計量カップは出て来ました。銘柄を分けている、米の袋の中から(米の生産者は混ぜない方が美味しいらしい)

 夫の愚痴は、外で零さない方がいいようです。相手によりますが、こちらにとって軽い愚痴でも、他人様には面白いのでしょう?人から人に拡散していました。先日の事です。ある人が夫夏彦の様子を聞きながら・・耳より少し高い処で、人差し指をくるくると回されて居た。人に示されると哀しいものです。そこ迄悪くなってないと言いたかった。反省しました。愚痴とは・・言ってもかいのないことを言って嘆くこと、と辞書にありました。嘆いては居ないけれど・・仕方無い事を人に言ったのでしょうね。愚痴を零す相手は、経験者・医療関係者とかに頼んでおくと良いと思います。

 ○月○日

 菩提寺の報恩講(浄土真宗開祖、親鸞聖人の徳を称えての法会)と先祖の墓の掃除に行って参りました。県北は寒いかも知れないから、半コートを出しました。家から軽の車で、1時間30分掛ります。ちょっと忙しいです。別の日に時間を取るのも、又難しいのです。墓の掃除に2時間弱・・法話を聴聞して2時間、帰りの時間に1時間30分・・帰ったら夕飯の支度です。夫は大人しく待って居てくれます。昼食後の茶碗も洗わないで有りました。

 西山の先祖の墓掃除は、母上から頼まれてはいないけれど・・・気が付きましたので、お参りしています。20数年前から年に、二回から三回位です。体が弱かった私、藍子に母上は頼めなかったのでしょう。女性は嫁いだ家の墓を一番に守らなくてはならない立場ですから。その上西山家は父が倒産させた家だからです。家の重荷を背負わせたくなかったから、言えなかった。家の事より、幸せな結婚をするように望んで居て下さった。亡くなった時の母上の年を超えた頃・・あの家は私名義になって居た事。売買契約書に名前を書いた日の事。転居する前迄は母と一緒に墓参りして居た事等思い出しました。だから墓にお参りして、菩提寺に挨拶して居ます。土地だけでも買い戻したいという願いは、未だに実現していません。売って頂けるかどうかという事と、お金です。私の自由になるお金がないからです。悪戯な商売は出来ない。長く勤める事も出来なくて、一旗揚げる事は出来ませんでした。後何年生きる事が出来るかな・・その日まで願いは続けます。この頃母上と暮らしたあの頃が思い出されてなりません。思い出を書いて居ます。名前だけ、名前だけの帰還です。ペンネームに雲を付けました。僧籍のある先祖に代々付いていた、雲という字を付けました。瑞雲と云う名前にしました。悦びの雲と云う事になります。世の中の本当の幸せは何なんだろう・・そんなにして迄(奪ったり・・罵ったり・・人を傷つけたり・・)箱を取らなくてもいいと思う。(家とか地位とかお金とか云うもの。いつか消えて無くなる)大事なのは、それを得る為の過程・・人柄を試されているような気がしてなりません。年を取ると見えて来るものがありますよね。長い年月を視野に入れて頂きたい。これからの人に書いて置きたいと思うのです。母上様・・よろしくご指導ください。

 ○月○日

 帯のリメイク、何とか出来ました。年内に仕上げますと、言った様な気がしましたから・・忙しかったです。姿見の鏡のカバーは名古屋帯の刺繍のある処を、真ん中よりちょっと下にしています。目線が丁度いいかなと思いました。琴の覆い(カバー)は真っ赤というか、緋色地に金の刺繍のある派手な袋帯で作りました。和柄はとても似合います。琴カバーに持って来いの柄でした。クリーニングに出そうかなとも思いましたが・・お金をかけたくないし。部分的に試し洗いをして見て、大丈夫でしたから自分で洗いました。洗い水が真っ赤になりました。何度も濯ぎました。当時の染色技術なのでしょうか、帯は自分では洗わないからか?この度、洗いましたから汗のシミなど綺麗になったと思います。納得です。裏地は着物の八掛(はっかけ)という処を使いました。座布団カバーにした、紬の着物の裏・・裾裏です。これも綺麗に洗っていました。裏は継ぎ接ぎになりました。見えない処ですからね。縫い方は本を見て・・考えながら縫いました。勤めを辞めて、本格的に母上に和裁を習う事にしたのに・・。一重の着物(ウールの着物)を二枚縫った処でした。ほんの一カ月の幸せな期間でした。その後くも膜下出血で二カ月の入院・・天国に逝って仕舞われた。秋から、和裁学校に入学して三年間勉強したんですよ。だから、本を見ながらでも、何とか琴の覆いが縫えるんです。後日、残り布で袱紗(ふくさ)を作ろうかと思います。作って居たら・・子や孫が使って呉れると思うんです。お茶のお点前の練習袱紗にと思いました。また、ご祝儀を包んでお持ちすると、気が利いて居ると思います。帯を切ると寿命が縮むという(我が家の)迷信も・・余す処なく、とことん使いますので、克服できるでしょう。

 ○月○日

 母上様は、勉強をしなさい、あれをしなさい、これをしなさい。という人ではなかった・・。いつも体の弱い私を気遣って下さった。心配しながら見て居て下さった。そんな私が少し勉強して、少し成績が上がると・・後押しをして下さるのでした。あの頃は、何処の家も皆、狭い家に子供が沢山でした。そんな折、近所に独身の女の先生が姉妹で住んで居られたんですよね。先生の家の丸テーブルを借りて、2~3人の子供が勉強をして居ました。藍ちゃんもお願いしますと、頼んで下さった。夜2~3時間自習して帰るのでした。先生はその間、茶の間で食事を作って、食事が済んで片付け迄済んで、部屋に来て下さって・・。「今日は如何でしたか、思う処まで出来ましたか?」と聞いて下さった。「はい、ありがとうございました」そして皆を家まで送って下さった。私は同じ小路だから、家の前の街灯の所で手を振るのでした。声には出さないが、ありがとう御座いましたと・・。先生も門燈の処で手を振って、家に入るのを確認して下さった。本当に有難い出会いでした。そして成績が上がると、お母さんはとても喜んで下さった。本当は国立大学に行けるほど、勉強して居たら嬉しかったでしょう、親孝行になって居ただろうなと思います。お母さんは言えなかったんですね。成績の良かった姉を大学に入れて上げられなかった事もあり、諸々の事もあり・・。いつも言うのでした。「藍ちゃんは体が弱いから、外で働かない方がいいと思う・・」気が付いたのは最近ですから、遅いですよね。ごめんなさい。でも藍子の生きた人生も、いろんな経験をして話題が沢山あって良いと思いますよ。失点はその後の人生で挽回しました。人生いろいろです。もう少し生きて居ると思います。終活をしながら、反省と御礼のお手紙を書きますから読んで下さい。

 ○月○日

 私は子供達に、特に息子冬彦に多くの希望を託しました。小さい頃から・・3歳になったばかりから。英才教育と言うらしい、漢字の絵本・音感教育・公文・ピアノのお稽古・お習字・水泳・囲碁・進学塾・・良いと思う事、全部・・あれをしなさい、これをしなさいと言ったものです。この中に冬彦の希望はあったでしょうか?と、反省しています。「出来るでしょ!これ位!」私は言っていたんです。私の期待に応えようと、冬彦は頑張っていました。とても素直な良い人になりました。仕事はお客様から信頼して頂く自営業をしています。有難い事です。只・・いま少し休んで居ます。私の束縛から放たれて上げようと思います。あの芯のしっかりした冬彦ですから、いま少しゆっくりしたら・・自分の人生を見付ける事でしょう。

 飛び込みについて思い出があります。幼稚園の年中さんの夏休み、4歳でしたか・・1週間位の水泳教室に申し込みました。団地の家から、バス停迄バイクで下りて・・バスに乗って市内のプール迄通いました。妹真理は2歳でしたから、おんぶして居ました。大変ですが、7日間ですから何とか通えると思いました。水泳教室1日目・・腰に丸い浮き輪を3っ付けて貰って居ました。あれほど元気で明るい冬彦が、プールに入ると泣いてばかりです。何とまぁー、思いもしなかった事です。指導の先生一人は付きっきりで、水に慣れさせて下さった。家に帰り、夫夏彦に報告しました。泣いてばかりいた事を・・私は楽しそうに報告したのかも知れない。2日目・・やはり泣いてばかりです。他の子供達はビート板でバタバタの練習。3日目も・・泣いてばかり。情けない限りです。如何してなのかな?先生に申し訳なく思いました。4日目も・・5日目も・・6日目も・・他の子供達は皆楽しそうです。7日目・・最後の日です。出掛ける前の事「冬彦君・・お友達、皆楽しそうにしているよ!如何し泣くん?真理ちゃんもお母さんも、冬彦君の為に頑張ったよ!今日で水泳教室終わりよ!」「・・・」冬彦はしんみり下を向いて居ました。「お母さん・お母さん」三人乗りのバイクの上です。冬彦が何か言って居ます。(真理はおんぶして、冬彦は前に。団地の下迄)「お母さん今日・僕、頑張るから見ててよ・・」「えぇっ!ありがとう」抱きしめたいと思いました。でも、3人乗りしたバイクの上なのでした。その日冬彦は、泣かないで頑張りました。

 次の年、冬彦は5歳・・幼稚園年長さんになり、週1回の水泳教室に通いました。日曜日でしたから、家族皆で通ったものです。腰に丸い浮き輪を3っ付けて貰い、ビート板でバタバタと前に進みます。冬彦もなんとかビート板で前に進んで居ます。去年の事を思えばとても良い・・「次は飛び込み・・はい皆上がって!ぴぃ!」先生の号令で皆プールに一列に並んで居ます。はい!ドボーン。次!バシャーン。ぴぃ!ぴぃ!次!ぴぃ!皆ピヨンピヨン飛んでプールにドボーン。最後は冬彦の番です。ぴぃ!「はい!ドボン!どうのこうの・・」飛ばないで、プールの中の先生に何か言っているようです。次!「どうのこうの・・ほいじゃぁ、一緒に飛ぼうやぁ!」「よっしゃぁ!・・}指導の先生に上がって来て貰って手を繋いで貰って、飛び込みました。それからは大丈夫でした。冬彦は何事にも、飛び込む事が怖いのかも知れない。就職でも結婚でも、慎重に構えてしまって居るのでしょう。親元に未だに居る事もそうなんです。世の中の事上手に生きなくても良いから、自分なりに何とかする事に意味あるのかも知れない。冬彦は人様に良くして頂けるタイプだから・・。親は、安心して居なくなれます。

 ○月X日

 4月にオープンした駐車場は・・1台駐車して貰っているだけです。その他、近くの家で修繕工事があるとかで臨時に1台とか2台借りて貰いました。とてもありがたいです。あの団地は造成されて50年以上経って居ますから、売却とか建て替え工事をされる家が多くて・・。また、2~3年で子供さんは社会人になられるから、駐車場を借りて頂けるかも知れない。これから期待できるかなと思います。工事をして貰った業者と(こじ)れてしまったんです。その業者の仲介を断ったんです。下請け業者の噂になり、忖度もあるのかも知れません。駐車場の賃貸の仲介など儲からないから・・面倒臭いらしい。そんな雰囲気です。買いたい人があると、すぐに売らせる様に持って行くんですよ。怖いくらいでした。どんなに私達が身内の為に苦心して長い長いローンを払ったか!売ったとしても、半分も回収できないんです。誰の為にした苦労なんでしょうか!何で私達は利用できないのでしょうか!自分達で建てる事もあるのに!こちらの事情は関係ないらしい。他の不動産業者さんに相談する・・業者間で救済策があるのかも知れないと思いました。その夜、非通知設定の無言の電話があるのでした。言うなという事かな?

 この頃の若い人の働き方可笑しいなと思いました。社長に伝えるべきか!社風がそうなのか!とにかく施主の意向を全然聞いて居ない。「駐車場にしても、一台5千円ですよ。満杯になるのは1~2年掛かりますよ」と何度も言った。「承知の上です・・」この営業マンと同い年の孫が居てもいい私なのです。これからの営業に役立つかも知れないから、書き留めて置きます。とにかく駐車場工事の話は進まなかった。ブロック業者が何度も見積もりをやり替えた。カタログを見せてと迄言ったのに・・。近所の人が何が出来るのか解らないらしい。途中でも計画変更させたかったのか!駐車場にしますと、私が挨拶して回った。それで初めて話が進んだ。工事の契約をした日・・これから会社に帰ってチラシを撒く準備をします。と言って帰った。お客様を3件紹介した。工事が始まり、崖側の石積みのセメント補修工事は済んだが、上の古いブロックの苔と土はそのままである。見積もりに入って居ないらしい。私が梯子をかけて、棒刷りで擦った。高所作業車代3万円払っているが、使った形跡はないと抗議した。工事に使う水道は使って良いと言っている。駐車料金は団地内の業者が仲介している処を調べて、私が決めた。その後・・チラシは20日経っても、撒いた形跡は無かった。インターネットで予告広告もしてなかった。紹介したお客様の処へ、名刺も持って行かなかった。そんな訳で駐車場の専任仲介をオープン前にお断りした。値引きだと言ったが・・使っていない高所作業車代・車止めブロック代3ケ処・砂利量の予定変更による減。等々減があったが、値引きだと言った。返却であろうに・・!

 信頼出来ないから、仲介はお断りした。今でもお断りして良かったと思って居ます。オープンしてからの営業では、遅いですよね。可笑しな働き方です。とにかく自分の思う様にならなければ、嫌がらせ!この頃の人は皆こうなのかな?ゆとり教育を受けているからか?その後2~3ケ月非通知設定の無言の電話が続いたのでした。朝のミーティングの後か?夕方会社が引けてからか?只・・意味が解らない。可笑しな事をする人達であった。これからの人達はこれで良いのだろうか?その後は信頼できる不動産屋さんに、仲介をお願いして居ます。一般という仲介方式で頼みました。

○月△日

 一昨日、駐車場の掃除に出向いた処・・いつもは枯れ葉が少しあるだけです。でもその日・・小さな陶器の(かめ)の蓋とサザエの殻が入り口付近に投げ込まれてました。嫌な気持ちになりました。あの人の病気がまた始まるのかな!と思いました。畑にして居る時は、悲惨な事が起きていました。不自然だから分かります。大量の夜盗虫(よとうむし)を投げる・熱湯をかける。ハーブは強い植物で、一度にこれ程枯れません。証拠が無いから我慢しました。この土地を売らせたいのです。売る場合は安いです。買いたい人と業者が組んで居るのかも知れません。駐車場にしてまたもや異物・・小さな陶器、これを踏んだらタイヤが傷つく。やがてパンクという事になります。お客様に申し訳ない。如何したものか・・一人悩みました。主人は脳梗塞をしているので、人の心の奥深い話は苦手。私が毎日20分掛けて掃除に行けばいいのだが、何時も見張って居るのは、ちょっと無理なんです。何方かに異物が落ちて居たら拾って下さいとお願いしよう。何時もお世話になって居る、近所の皆さんにお願いしたのです。いつもの散歩の折に・・。ゴミ出しの時に・・快く引き受けて下さった。有難い事でした。酷くなれば・・防犯カメラとか、警察とか。また逆に、収まるかも知れないし。もしも釘とか入り出すと、これは警察ですからね。様子を見て、また考えさせて頂きますから・・と近所の人にお願いしました。その夜、非通知設定の無言の電話あり・・誰かな?言うなという事かな!この事は業者の挑発とか引っ掛けとか云うものであろうか!駐車場にしたが、お客が入らない・・手放すかも知れない。との計画であろうか!土地が動けば沢山の下請け業者さんに仕事が回る。この小さな土地は手頃と云う訳なのである。日当たり良好・・眺望良好・・市内から近い・・そして価格が安い。私の土地ばかり狙われているんです。何で自分の土地を利用したらいけないのかな?いつか家を建てる事もあるのに!これ迄、随分お金を払って居るんです。すぐ前にも・・そこにも空き家がある!怒りたくなりますよ。この団地は下請け業者さんが多いから、今回拗れた不動産屋に忖度して、何か噂を流して居るのかも知れない。あの駐車場は様子を見た方がいいとか・・。人はこういう時如何されるのでしょう・・世間の噂に流されて、手放されるのかな?私は逆に立ち向かう性分です。世の中良くしたいのです。そう迄して物を得たとして、心の安らぎはあるのかなと言って上げたいです。挑発に乗らなければ良いのですよね。異物を投げ込まれたとしても、落ち込まなければ良い。相手の思う壺でした。神様仏様の確認という事でしょう。分かれ道・・自分の気持ちを確認、そして行動せよ!という事でしょう。

 X月X日

 先日留守だったお宅にも、異物が落ちて居たら拾って下さいますか。とお願いしました。2軒の内1軒は・・「どんな物が入っていた?」「これです・・」小さな瓶の蓋を紙袋から見せると。「あぁ!これ!これは此処から、子供が投げたのよ」と向かいの空き家の花壇から、瓶とサザエの殻を取って見せるのです。「学校帰りによく悪戯するんよ!うち等の子供もしてたでしょう。今度言って置くから!怒って置くからね!町内会長にも伝えておくから・・」「ありがとう。よろしくお願いします」「もうこれは、片付けよう・・」空き家の花壇の瓶とかサザエの殻の置物を処分すると言った。私が持って居た証拠の品も、処分するからと、回収された。「いつの事?」「え~とね。先週土曜日だったかな?」「あぁ~内入院してた・・」「えぇっ!どうしたん?」「腰が痛うてね」「もう治った?」「まぁね」「枯れ葉が落ちてるのは・・そのままで良いです。時々掃除に来てますから。異物だけ・・もしも異物が投げ込まれて居たら、拾うてこの紙袋に入れて置いて下さい。お願いします。土地は魔物とか言います。世話をして頂いて居ると、この土地が欲しくなるから。掃除はいいです、異物だけ拾うて置いて下さい。掃除には来ていますから」と、何度も言って居た。「他の家にもお願いしています。宜しくお願いします」トントン拍子に話が進みました。話の進みすぎが可笑しいな。この春、駐車場にする時挨拶すると・・「住宅街に駐車場を造ってからに!内はすぐそこの部屋で寝て居るんよ!目隠しフェンスを造りなさい!」罵られたんです。目隠しフエンスを12万円掛けて我が敷地に造りました。夏には暑いと言いそうだから、言われる前に週一位に水撒きに行きました。水道栓あります。やっと気を静めて貰った。それがこの頃偉く親切になっていました。落ち葉の掃除もして貰っている。駐車場にしたけれど車が入らないから、売るかも知れない!とでも思って居るのだろうか。売らせたい人達が関わって、この人を操って居るような気がします。この人は病気なんです。利用して上げないで頂きたい。本当に困った人達です。この異物が入った日・・家の近くの業者さんが私の前を、チラチラ通って行った。何か御用があるのでは・・と、いう暗号かな?

 人生70代後半で、ようやく人の駆け引きが分かる様になりました。母上様は如何思われますか。何で駆け引きなんでしょうか。プレゼンでしょうに!と思います。駆け引きは面倒くさいですね。これからの人達の為に、こう云う考え方で動く人達もあるという事を書き残します。知って居るだけでも、役立つと思うのです。そんな訳で、暗く重い文章になります。すみません。

 50数年前、私はお勤めして居ました。事務職でしたけれど、仕事に対する姿勢は見ています。肌で感じて居ました。30年前、子供の学費捻出の為に宅建主任資格を取って、住宅営業をした経験があります。お客様の意向に沿えるように何度も資料を作り、プレゼンテーションしたものでした。熱意が伝わったのか・・新米営業でも、営業成績は良かったんですよ。そお云えば・・30年前にも可笑しな暗号を聞いた事があります。何の為なのか不思議に思いました。世の中の考え方の流れは、いろいろあるのでしょう。

 ○月○日

 今日はとてものんびりして居ます。頭の中は休めの状態です。夫夏彦は要支援1と認定して頂きまして、介護施設に週一回午前中通います。施設の車で送り迎えです。幼稚園の送り迎えと同じ様に、行ってらっしゃい~バイバイと手を振ります。車が見えなくなる迄見送ります。この半日が私の安らぎタイムなんです。三本の帯のリメイクも出来たので、一安心です。残り布で袱紗と小さな小物が出来ます。只、来年にします。今年はもう、裁縫の仕事はしない事にします。仕事を作っては、忙しくして居るからです。夫夏彦と穏やかなコーヒータイムを作る努力をして見ます。今年中にする事と云うと・・お歳暮などの挨拶の手配はすみました。後は中掃除ですかね。若い頃は大掃除していました。窓拭きから・・床掃除・・障子の張り替え・・一人で日にちを決めて。出来て居ましたよ・・フフフ。今は少しずつやります。温かい日に、気になる処をやって置きます。それに・・白内障の症状があります。手術を勧められました・・一般的な手術で、日帰りで出来るそうです。でも、血圧を下げる薬を飲むと・・ふらっとなるので、そのまま治療はやめて居ます。そんな訳で・・本棚の上の埃が見えなくて、綺麗なんです・・。顔の皴が見えなくて・・若いままの肌なんです。都合よくて、とても助かります。

 そして善哉を作って一人楽しみました。男性軍は胸やけをするから・・あまり好まないようです。一回くらいは冷たい善哉で、付き合って貰っています。後は冷凍にします。凍らせると味が小豆バーに似て居るから、冬彦が時々食べて居ます。

 母上は、何か喜び事がある時は、美味しい善哉を作って下さいました。とても嬉しくて、楽しいひと時でした。昭和20年代・・オーブン等買えない時代でしたから、ケーキも焼けません。婦人会の講習の後で、蒸しパンを作って貰った事覚えて居ます。すごく大きな白い蒸しパン・・。あの頃はお餅も、おやつでした。きな粉餅、磯辺焼き。芝餅と言ったかな(野や山で手軽に取れるサルトリイバラの葉かな)米粉を練って餡子を包み、葉っぱで挟む和菓子。蒸し器で蒸すと出来上がり。子供の日前後に、どの家の子も作って貰うのでした。何処の家の芝餅が美味しいか!子供達は近所から頂いては、その家の芝餅を味合うのでした。「どの家の餅も美味しいのぉ藍ちゃん家は・・さっぱりして良い、もう一つ食べたい。U君の家は・・砂糖たっぷりで甘くて美味しい」子供達は審査員も出来そうです。そうそう・・母上は小さな私をおんぶして、芝餅を作って居ました。(私、眠かったのかな)「藍ちゃん・・食べる時葉っぱきれいに取れないよね、如何したらいいと思う?」独り言のつもりで言うと「水を付けて・・。葉っぱに水を付けて、団子を挟んで見んさい」背中の子が言うので、びっくり!!したそうですね。母上は、祖母や叔母たち身内に自慢して下さった。「藍ちゃんは偉い子になるかも知れん!背中の子が言うたよ・・」母上様、私あの時何歳でしたか。1歳半位ですか?

 ○月○日

 公民館の講座「介護する側もされる側も心の健康を保つコツ~」を受けて見ました。認知症初期集中支援事業として、早期対応に向けてサポート体制を構築してありました。

〇認知症介護をする家族がたどる4つの心理ステップ第一段階・戸惑い・否定・第二段階・混乱・怒り・拒絶・第三段階・割り切り・諦め・第4段階・受容・

〇心の負担を軽くする「5つの心得」①がんばらない②抱えこまない③弱音を吐く④くらべない⑤おわりを考える

〇認知症介護のための「7つの原則」①ゆったり、ゆっくりを心がける②五感を活かしてコミュニケーションする③共感し、感情を合わせる④認識や心の世界を理解する努力を⑤わかりやすく調整する⑥かけがえのない、有能な存在であることを感じてもらう⑦外部とのつながりをもつ

〇ストレス(反応)には1心理面2身体面3行動面・これらのストレス反応が長く続く場合過剰なストレス状態に陥っているサインの可能性。ストレスと上手に付き合うための方法の工夫・症状の程度が重い場合や長く続く場合には専門家に相談・・とありました。

自分のストレスに気づくこと・・「セルフモニタリング」ストレス反応を4つにわけていく

①認知②気分・感情③身体反応④行動

コーピング:ストレスへの意図的な対処・自分助けの技術・質より量!メモ一枚で出来る気軽なもの・最大の目的はストレスに気づき、適切に対処し、ストレスと上手く付き合う

・自分のストレス対処の傾向を知ろうをやって見ました。レーダーチャートに記入して、グラフにしてみました。私の場合①情報収集②計画立案④肯定的解釈が高い傾向③カタルシス⑤放棄・諦め⑥責任転嫁⑦回避的思考⑧気晴らしが低い傾向がありました。とても立派な体制が構築されていました。この様に考える事が出来るなら、誰もが悩みを半減させる事が出来るかも知れません。・ワーク:自分をねぎらおう・ワーク:サポートネットワークを作ってみようなどのシートも貰って居ます。

医師・介護の専門職(看護師、精神保健福祉士、社会福祉士、介護福祉士)で構成する認知症の支援チーム

に参加して見ただけでも、勉強になり、視野が広くなったと感じました。良かったと思って居ます。それからこのプリントの事を、誰かさんに伝えたくなるのは私の癖ですね。

 ○月○日

 計量カップ紛失事件から、立て続けに2件・・物を置き忘れてしまいました。1件は・・庭でピンクの薔薇(ホールインラブと云う銘柄。良い香り)が綺麗に咲いて居たのを切って、置いたのは覚えて居るんですが・・置いた処に無いのです。ハサミはちゃんと持ち帰り、定位置に置いてありました。花の無い冬の時期、この薔薇が咲くのを待って居たのに・・何処へ?そのまま乾燥させて、ドライフラワーにしたかな?ゴミ箱かな?次の日も、その次の日も探したけれども・・薔薇は見つかりませんでした。そのままゴミ箱か!可哀そうな薔薇・・ごめんなさいです。もう1件は・・ポストの開閉口の留め具を交換し補修して居た処・・その日の内に出来そうにない。一旦幅広の透明テープで開閉口を止めて置きました。夕餉の支度があるのです・・テープの残りは持ち帰ったつもり。その透明テープの巻の残りが無いのです。確かに定位置に置いた筈なんだけれど・・。

 1週間位して、出て来ました。薔薇の株元・・鉢と鉢の間に逆さまになって在りました。夕方だったから見えなかったのでしょうか。可哀そうな事でした。でもまだ・・花びらを乾燥させて使えます。サシェ(香りの袋)を作る事が出来ますから・・。もう1件の透明幅広テープは、やはり定位置から出て来ました。奥の方からです・・。いつも慌てて探すものですから、見えないのでしょう。大体定位置辺りにありそうです。

 ○月○日

 母上様、もしも生きて居られたら・・105歳、来年は106歳になられるのです。年老いた母上の顔、どうしても想像できません。若い頃の綺麗なままです。満48歳で亡くなられたのですから・・とてつもない年月が過ぎました。この世は夢か幻か・・と思います。母上様の孫、真理子はもうすぐ48歳になりますよ。考えられます?曽孫も一人居ます、天国からちょっと見て下さい。可愛いですよ!

 母上様の見たかった世の中、西暦2000年・・日本は世界第2位の経済大国になって居ました。来年は2023年になります。世界第2位の経済大国の座は、今は中国に移りました。日本は第3位という事になります。急激に発展したのですから、今はその歪を修正しているように思います。国民総・中流意識を持って居ました。私も世間の人も頑張った証です。これから歪が修正されると、より良い世の中になるのではないでしょうか。

 そろそろ年越しの準備をしなければなりません。またお便りいたします。お元気で居て下さい。娘家族は、コロナに掛かってしまいました。今回帰れないとの事です。お節の料理はこの2~3年息子冬彦が取り寄せて呉れました。とても助かります。後はお刺身用の魚とか鍋料理などの肉を買って置きます。緑の野菜も揃えます。この1年恙無く過ごす事が出来ました。母上様が見守って居て下さったお蔭です。くる年もどうぞ良い年でありますようにと念じます。

 母上様、寒さ厳しき折から、お風邪など召さない様に、お体ご自愛ください。        合掌

 

またもや世の中の理不尽な事に出会いました。暗号、挑発、可笑しな考え方です。暗号で仕事が出来るのかと思います。不思議です。苦難のお蔭で母上様に手紙が書けました。

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